反射

髙木 春楡

反射

 ゆらゆらと揺られ浮き沈みを繰り返す。様々なライトの色に照らされて、儚さが演出される。ゆらゆらゆらゆらと自由に漂っているように見えるそれの前に、人々は止まり紹介文を読んだり写真を撮ったりしていく。そうやって人々が流れていく様子を少し離れた邪魔にならないようなところから眺める。揺れるそれに引き寄せられていく人達は思い思いに会話を楽しみながら、この水族館という場を楽しんでいる。人はあれを自由だと言う。あのようになりたいという人もいる。僕にとっては、ただ楽しいあの頃の記憶を思い起こさせるタイムカプセルのようなものだった。


「水族館にいる男の人はうんちくを話すことが存在意義だと思う。」

「そんなことないでしょ。知識持ってない人は存在意義がないってことになるじゃん。」

 僕の突拍子もない過激な意見に、彼女は笑いながら応えてくれる。実際過激派の意見と言ってもいい。

「てか、それ言ったら君は存在価値のない人間になっちゃうけどいいの?」

「僕はいいんだよ。この水族館では存在価値のない人間なのを認めてるからね。」

「いや、お金を払ってる時点で水族館にとっては存在価値のある人間ですから。」

 軽口に軽口で返してくれる人と居るのは心地いい。これで何言ってるの。なんて言われてしまえば僕の存在価値は本当の意味でなくなってしまう。

「でも、僕の勝手な感覚としては、父親がこういうとこでうんちくを話してるとこを見て父さんすげぇ!みたいになるものだと思うんだよね。」

 そんな風に育ったわけではない。父親がうんちくを話している姿は記憶にないし、僕自身が父親を尊敬していることもない。それは、ここまで育ててくれたっていう所には感謝こそしてても、尊敬するかとはまた別の話だからだ。

「まぁ、イメージとしてはわからなくもない。けど、そのうんちくを話すのが彼女でも別にいいでしょ?」

 それを皮切りに彼女のうんちくコーナーが始まった。知らない知識が入ってくることは僕にとってもためになる事だったし、好きだから話に聞き入っていた。そのおかげなのかせいなのか、僕らはゆっくりとしたペースで館内を回ることになった。

 水族館デートというのは、昔から憧れがあったものでいつか行きたいと思いながらも20年近くその機会には恵まれなかった。二人の休みが被り特にやることもなかった日にふと水族館に行ってみたいなと言ったところ彼女が食いついてきた。それこそ、餌を求める魚のようにパクリと食べられてしまった。その一時間後にはこの場に来ているのだから、彼女がとても行きたかったことは伝わってくる。綺麗に僕の意図せぬ撒き餌が効いたということだろう。

「あ、クラゲだ。」

 階段をおりると館内はいっそう暗くなり、曲がった先視界が晴れるとそこにはクラゲの水槽があった。他にも水槽はあったが迷いなくその場へと進んでいく。この場所だけ時間が加速したようだった。

「クラゲ好きなんだね。」

 水槽の前には人が溜まり写真を撮ったりしている。他の水槽は直ぐに離れていくのに、ここにはとどまる人もいるのが不思議な感じがした。クラゲには引力でもあるのだろうか。

「このなんとも言えないフォルムと自由に見えるこの感じが好きかな。」

 いつも笑顔の彼女がこの時だけ、真面目な顔をしていた。なにか思い出しているのだろうか。それとも、ただクラゲに思いを馳せているのだろうか。クラゲに恋されていたらさすがに取り返しようがない。

「クラゲって脳がないんだよ。」

「なさそうな見た目してるよね。透明だし。」

「そう。なのに泳いでる。なんでだと思う?」

「え、ただ水流にのまれているだけとか、生物としての本能とか?」

「クラゲは神経がたくさん通っているから、その反射で動いてるだけなんだよ。脳がないから何も考えてない。ただ反射だけで生きてるんだ。」

 それは悲しいなと僕は思ったが、クラゲからしたら関係のないことだ。そんな感情を司るものはないし、彼らはただ生きているだけだ。そんなふうに思うのは人間のエゴで人間特有の感情なのだろう。

「だからね、私はクラゲに憧れるな。」

「反射で生きる人生に?」

 僕を射抜く目が僕を試しているかのようで少し怖くなった。彼女は何を思ってこんな話をしているのだろうか。僕に何を求めているのだろうか。僕は人の心はわからない。いや、誰にもわからない。

「何も考えなくていいじゃん。」

 そういった後の彼女はいつもの笑顔を浮かべていた。いつもの笑顔のはずなのに、僕には作り物のように見えて仕方がなかった。彼女が何を考えているのか、彼女がなにかに悩んでいるのか僕には検討もつかない。僕もいつものように彼女の手を握ることしか出来なかった。

 彼女との楽しい水族館デートは過ぎてしまえばあっという間だった。お揃いのキーホルダーを手に僕らは外に出てくる。楽しかった時間、何も考えずに反射だけで行動していたら、この楽しいという感覚さえ生まれない。それはやっぱり酷く悲しいことだと思う。

「楽しかったね!また来たいな。」

「そうだね。また来たいなと僕も思ったよ。」

 すぐ側にあるバス停までの道、ゆっくりと歩いていた。

「反射だけで生きていけたらさ。悩むことはないし、無駄な決断はしなくて済むし、わざわざ苦境に立たされることもないしきっとそんなことさえ考えずに、ただ生きているだけでいいんだろうけど、こうやって楽しいとか幸せとか君を好きだなとか思えないんだなって思ったら、少しだけ僕は悲しくなった。」

「君らしくないポエミーな言葉だね。」

「ただ言ってみたかったんだよ。なんか良さそうな言葉をね。」

 僕らの握る手は、少しだけ強くなった。君が何に不安を覚えているのか分からないし君の夢を否定する誰かに出会ったのかもしれない。誰かの敷いた人生のレールとは違う道に行きたくなったのかもしれない。もしかしたら、僕と別れることを考えての言葉かもしれない。言葉にしなければ人の気持ちは分からない。分かるなんて言ってる人はエゴイストだ。ただの傲慢だ。僕らは反射で生きてはいけない。考えて考えて馬鹿な決断をしたり、正しい決断をしたり正解も不正解もない人生という大きな水槽の中を生きている。クラゲを見れば今日のことを思い出すだろう。そうやって僕らは一つ一つを脳に保存して生きていくのだ。反射ではない人生を送っていく。


「お待たせ。まさかトイレに行くって言っただけなのにクラゲコーナーの前で待ってるね、なんて言われるとは思わなかったよ。」

「初めて来た日のこと思い出しててね。」

「あぁ、君が恥ずかしいポエミーなことを言ってた日のことかな?」

「いや、そこを思い出さなくてもいいんだよ。ただ、あの日クラゲになりたいって言ってたなと思ってね。」

 あの日以来、この話はしてなかった。避けていたわけでもなんでもなく、ただする機会がなかった。水族館に行くことはなかったしわざわざするような話でもなかったから、ただそれだけの簡単な話。

「そういえば言ってたね。懐かしなあ。色々悩んでたのかもね!やっぱり、反射だけの人生はつまらないよ。どの色でライトアップされたクラゲが一番綺麗かも考えれないからね。」

「そんな理由なのか。まぁ、確かにその通りだね。」

「色々考えるから人生楽しいのですよ!クラゲになりたいなんて、脳がなきゃ考えられないしね。ちなみに、私は白のクラゲが一番綺麗だと思うな!」

「僕も白のクラゲが一番綺麗だと思うよ。」

 僕らは今日もまた悩みながら生き続ける。

『クラゲって脳がないんだよ。』

 どこのカップルも似たようなことを話すものなのかもしれないと顔を見合せて笑い合う。そんなうんちくを微笑ましく思いながら歩き始めた。

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反射 髙木 春楡 @Tharunire

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