小説家とエッセイストと詩人

藻野菜

小説家とエッセイストと詩人

 目を覚ますとそこは白く広い部屋だった。広いとはいっても大広間というわけではなく、一人暮らしにちょうどいい程度の広さで、家具の類がほとんどないから広く見えているだけだ。

 周囲を見回すと、自身と同じような背格好をした男二人が、自身と同じようにキョロキョロとあたりを見回している。

 一体ここはどこなのだろうか、自身を含めたここにいる男三人は誰も分かっていないようだ。


「失礼、ここがどこか分かりますか」


 男は一人の男にそう尋ねる。


「いや、私にも分からない。あなたはどうですか」


 男はもう一人の男に尋ねる。


「いいや、僕にも分かりません。気づいたらここにいました」


 男は三人とも同じように腕を組み一体どうしたものかと悩む。

 すると、一人の男が部屋に扉があることに気づいた。


「皆さん、見てください。出れそうな扉がありますよ。それに扉の上に何か書いてあります」


 三人の男は扉に近づき、扉の上の文字を読んだ。

 そこには、『誰が売れるか決めないと出られない部屋』と書かれている。


「売れるか決めないと出られないって、どういうことでしょうか」


 男は試しにドアノブに手をかけ、開けようとする。

 びくともしない。鍵がかかっているというよりは最初から『開く』という機能がないように思えるほどびくともしない。


「やっぱり開かないみたいですね」


 男は扉の前から離れる。すると、一人の男が口を開いた。


「『誰が売れるか決めないと』っていうことはどういうことなんだろう。俺たちは人身売買にでも出されるのかな」

「そんなことはないでしょう。『売れるか』っていうのは、有名になるとかプロになるとかそういうことじゃないですか?」

「ということは、皆さん、何かしらのクリエイターだったり、芸人さんでいらっしゃったりしますか?」


 三人の男は顔を見合わせる。


「俺は小説を書いてます。小さな賞を何度かいただいている程度ですが、一応書籍化したものもあります」

「私はエッセイを書いています。賞を頂いたことはないのですが、先日自身のエッセイ集を出版してもらいました」

「僕は詩を書いています。受賞も書籍化もしていませんが、中々評判がいいらしく、いくつかの出版社から詩集の発売を提案されています」


 ここにいる男は三人とも何かしらの文章を書いており、一応クリエイターと呼べるほどの実績はあるようだ。


「ということはやはり、『売れる』というのは作品が売れるとかプロになるとか、そういう意味で間違いないのかな」

「そうですね、一応お聞きしますが、この中で既にプロとして活躍している方はいらっしゃいますか?」


 エッセイストの問いに、小説家と詩人は首を横に振る。


「書籍化したと言ってもその収入だけで生きていけるほどではないですよ」

「僕も同じです。僕はまだ書籍化すらしていませんから、詩での収入なんて0です」

「やはりそうですか。かく言う私自身も本業の傍ら、時間のある時にエッセイを書いているといった感じです」


 ここにいる3人それぞれ、ある程度文筆の才能はあるがプロではない。そういう存在のようだ。


「じゃあ、やはり『誰が売れるか決めないと』というのは『誰がプロになるか決めないと』ということですかね」

「言い換えると、『この中の1人だけプロになることができる』ということですね」

「そんな上手い話あります? 俺は誰かのイタズラだと思うんですけど」

「でも、こんなに非現実的なイタズラがありますかね? 僕は人知を超えた何かの仕業だと思いますよ」

「私も詩人さんに同意です。人知を超えた者の仕業かは分かりませんけど、文筆を趣味としていて尚且つそれなりの実績がある3人を、誰にも気づかれないうちに密室に閉じ込めるなんて、ただの人間ができることじゃないですよ」

「じゃあ、今ここでプロになる人を決めてこの部屋の外に出れば、その人は本当にプロになれるってこと?」

「僕はそう思います」

「えぇ、私も」


 小説家、エッセイスト、詩人は互いの顔を見合わせる。

 『誰か一人がプロになれる』ということは『他二人はプロになれない』ということだ。

 それぞれがそれぞれと視線を交わし、全員がその事実に気づいていることを察する。


「みんな考えてることは同じみたいですね」


 エッセイストが口を開き、他二人に事実確認をする。


「とりあえず、落ち着いて話し合いましょうか。部屋の奥に冷蔵庫やポットがあるみたいなのでお茶でも淹れましょう」

「いいですね、僕、手伝います」

「俺も手伝いますよ」


 結局3人はそれぞれ自分が飲むものは自分で淹れることにした。

 小説家はコーヒーを、エッセイストは緑茶を、詩人は白湯をそれぞれ淹れる。

 3人はフーフーと飲み物を冷ましながらチビリと一口飲み、それぞれが落ち着く姿勢でその場に座り込む。

 何となく無言の時間が続き、それぞれがそれぞれのことをチラチラと見ながら数分経過した。


「さて、そろそろ話し合います?」


 小説家が口を開くと、エッセイストと詩人は簡単に姿勢を正した。それを見て小説家も姿勢を正す。


「そうですね、誰がプロになるか決めましょうか」


 その言葉で3人の間には明らかな緊張が走る。


「決めるって言ってもどうやって決めるんですか」

「まぁ、話し合いってことになるでしょうね。一応確認ですけど、皆さんそれぞれプロになりたいですよね?」

「そりゃもちろん」

「僕もなりたいです」

「となると、話し合いで解決するしかないでしょう」


 三人はお互いの様子を伺う。ここにいる全員が「自分が売れたい」という気持ちを喉仏のあたりで押し留めている。


「俺は、俺が売れたいし俺が売れるべきだと思いますよ」


 小説家は少し強気にそう宣言した。


「ほう、なんでですか?」


 エッセイストも勢いに飲まれないよう、少し強気に問う。


「さっきお聞きしましたけど、お二人は受賞経験はないようですし、詩人さんは出版すらされていないんですよね。過去の実績に考えれば僕が1番プロに近いし、プロに近い人間がプロになるべきだからですよ」

「別に過去の受賞や出版の有無は関係ないでしょう。全員が同じ賞に応募しているわけではないですし、そもそもここにいる三人はそれぞれ畑違いの分野で結果を残している人間です。単純に実力の比較をすることはできないと思いますが」

「いや、受賞歴を比較することが難しいとしても出版の有無は大きな違いじゃないですか? 出版されてるかどうかって、その人の作り出す物がお金を払うに値するものかどうかってことだと思いますよ。つまり、お金の価値で換算すると俺の作品や実力が1番高いってことじゃないですか」

「出版物の値段=実力ってわけではないでしょう。装丁にお金をかけてる本もあれば安くても売れてない本もあります。そういう本も出版されてるだけで等しく価値があるということですか?」

「俺が言ってるのは出版物の価値じゃなくて、その物に出版する価値があるかどうかってことです」

「そもそも出版されてるからその人の作品や実力自体に価値があるわけじゃないでしょう。世間は『あなたの小説』じゃなくて『小説』を求めてるだけかもしれないじゃないですか。そうなると、コンテンツ自体の人気が小説より低いエッセイや詩と人気が高い小説とを比較することはできないじゃないですか」


 小説家とエッセイスト、両者の言葉に段々と熱が入っていく。


「でも、プロになるなら人気のあるコンテンツのプロが増えた方がいいじゃないか」

「そんなことないですよ、人気のあるコンテンツのプロなんて溢れかえるほどいるんだから人気の無いコンテンツほどプロが増えるべきです」


 2人の議論は平行線で、どちらも一歩も譲らない。


「さっきから黙っているが、あなたはどうなんだ」


 小説家は詩人に向かって問いかける。詩人は目を閉じ、ふぅと一息ついてから


「僕がプロはなるべきです」


 と、息を吐くように呟いた。それを聞いて小説家は鼻を鳴らし、エッセイストとは眉間に皺を寄せる。


「一応、何でそう思うのか聞いてもいいですか?」

「理由は、詩でプロになるのが難しいからですよ。あなたたちの書く文章と違って」

「そうですかね? 小説もエッセイも詩も、どれもその道のプロになるには等しく難しいと思いますけど」

「詩はエッセイや小説と違って作り出すこと自体がとても難しいんですよ。それが他とは違うところです」


 詩人の言葉で、小説家の怒りのツボが刺激された。


「黙って聞いてれば、随分な物言いだな。小説だって詩と同等かそれ以上に書くのは難しい。いくら短くても許される詩と違って、小説はそれなりの文量とストーリーが必要だ。なんなら小説を書くのは難しく途方もない作業だが、詩は案外簡単そうに見えるけどな」

「詩が簡単というのには同意し兼ねますが、私もエッセイが簡単という物言いは気に入りません。自分の体験や考えを他人に伝わるように書き起こすことがどれだけ難しいか、あなたには分からないでしょう」


 2人の主張を聞いて、詩人はやれやれといった風に首を振る。


「いいですか。小説にはストーリーが、エッセイには共感性がそれぞれ必要なことは理解しています。しかし、詩というのはストーリーも共感性も、それに加えて詩的表現や文字のリズムが重要なんです。小説は文量が必要だから難しいとおっしゃいましたが、逆に詩は文量が少ないから難しいんです。思ったことや伝えたいことをダラダラと書いていては詩ではなくただの文になってしまう。そういう制限がある中で書かなければいけないのが詩というものです」


 詩人の説明に2人は少し納得した。しかし、ここで押し負けてはプロへの道が閉ざされてしまう。

 まずは小説家が反撃に出る。


「確かに、詩が難しいのは分かった。だが、だからと言って小説の方が簡単だとは思わない。小説には小説の難しいところがあるんだ」

「ほう、それはなんですか」

「物語の構築だ。小説は物語で、物語というのは基本ゼロから生み出さなければならない。ここが詩やエッセイとは違うところだ。自分の空想を文字にし、時には自分の主義主張とは全く逆のことを書かなければならない。詩ほどではないが、詩的表現が必要な場面も多少はある。そうして様々な要素を組み込みながらパズルのように作っていく、これが小説だ。小説とはただ文字を書いていくだけの作業ではなく、物語を紡いでいくものなんだよ」

「なるほど……」


 詩人は少し納得する。

 次に、エッセイストが反撃に出た。


「私が書いているエッセイというものにも、小説や詩とは違った難しさがあります。エッセイは自分の思ったことを書くので物語の構築は必要ありませんし、文字のリズムや詩的表現はそこまで意識しません。しかし、そういった制限がないからこその難しさがあります。制限がないからと言って自分の思ったことを思ったままに書いていては誰の心にも響きません。そんな文はただの日記です。エッセイは自分の思ったことが伝わらなければ意味がありません。『りんごが好きだ』と思ったら、そのリンゴが何故好きなのか、何故他の人に食べて欲しいのかということを10人中10人に伝わるように書かなければいけません。小説が紡ぐ物だとするならば、エッセイは叫ぶ物です。どうすれば自分の思いが多くの人に、遠くの人に届くのか。それを試行錯誤しながら書くのがエッセイです」


 小説家と詩人は無言で話を聞く。

 二人の目は真っ直ぐエッセイストに向けられているが、それは決して攻撃的ではなく共感に満ちたような視線だ。


「2人の主張は分かりました。確かに小説やエッセイが簡単で詩が難しいという物言いは間違っていたかもしれません」


 詩人は会釈程度に頭を下げる。


「でも、だからといってプロへの道を譲るわけでも詩が簡単と言うわけでもありません。小説が紡ぐ物、エッセイが叫ぶ物だとするなら、詩は歌う物です。自分の主張や思い出や不満まで、全てを歌うのが詩です。自分が思いつく限りお題は無限大だけどそれを読んだ人が気持ち良く読めるように文字数や区切りを意識して書かなきゃいけない。どうすれば心地良い作品になるのか、どうすればあるキーワードを目立たせることができるのか。音こそないけれど、文字でリズムや強調を生み出す。これが詩というものだと思ってます」


 詩人の主張を、小説家とエッセイストは耳を澄ませて聞く。

 3人はそれぞれの主張をし、それぞれのジャンルについて語ったが話は結局平行線だ。


「エッセイも詩も小説も、全てそれぞれにとって大切なもので譲れないものということは分かりました。でも、やはり私は私がプロになりたいと思っています」

「それは俺もだ。俺には詩やエッセイを書くことはできないということは分かった。でも、俺がプロになりたいという気持ちは変わらない」

「僕も同じ意見です。きっと皆さんが生み出す作品は素晴らしいものなのでしょうけれど、僕はそれよりも自分の人生を、詩人として生きる道を優先したいです」


 3人が自分の主張を、自分の信念を他2人に向けて語り、他2人はそれに納得はしたけれど、だからといって自らを犠牲にするという者はいない。

 3人は互いの道を譲らない。誰がこの部屋から出るか、誰が世に出るか。そんな話し合いと駆け引きは延々と部屋の中で続けられた。


 そんな部屋を頭の中に内包する男がいる。この男は、詩やエッセイ、小説を書くことを趣味とし、いつかは生業としたいと思っている。

 しかし、生業とするには自身の全てを1つのジャンルに注がなければいけない。

 詩か、エッセイか、小説か。男は自身の頭の中で、自身の分身に議論させ、今日も人生に悩んでいる。

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