第30話 照らされた雲の下の曇天:失われた庇護の動顛
完全に消失した粘土の蛇。
義手の男は、鎚を担いで仮面の者へ近づく。
赤毛の男は首を傾げた。
「(粘土の術者)捕まえたんじゃねぇのか」
「そのはずだか、もうひとりいたみたいだな」
仮面の者は、うつ伏せに横たわっている。
半減した気配。
無造作に近づくふたり。
それは、極めて隙だらけだった。
突如、浮遊する
人丈よりも長い刃が、内側から飛び出した。
赤毛の男、最後の棒線、義手の男、3本目弾ける。流浪の民ひとり喉が破れた。
破れた喉から出る大量の赤い血に、赤毛の男の気配が沸騰する。
仮面へ向かって握られる拳。
それは、冷たい義手に遮られる。
横たわっていた仮面の者は、倒れたまま、上半身を起こした。
「(お前たちの)首長を呼べ。さもなくば再び喉を裂く」
仮面の者の気配は、この行動で極めて小さくなった。捨て身の一撃と言うべきもの。
腕で上半身を支えるその姿勢は、今にも倒れんばかりにぐらついていた。
冷たい義手を押しのける赤毛の男。
そこにそよ風が吹く。
現れたのは長。
赤毛の男の拳が、わずかに緩み、再び固く握りしめられた。
仮面の者は憎々し気に口を開く。
「話がある」
「続けろ[どうするつもりだ]」
仮面の者はじっと長を見つめて、考えるように微動だにしなくなった。
ある気配が近づいてくる。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
息を切らして走っている少女。
少女は弾けるような笑みを、義手の男、赤毛の男へ向けようとして、あるものが目に留まる。喉を右手で押さえる流浪の民だ。少女は一目散に駆けつける。
少女は膝を曲げてしゃがみ、鞄から裁縫道具を取り出した。大きく横に開いた傷口を布で押さえつつ、糸を通した針でたくみに傷を縫っていく。
素早い縫合が終わった時。
仮面の者はようやく口を開く。
「玉座はすでに灰となった」
太陽は雲に隠れ、日陰がイシュを覆い尽くす。
曇った空は灰色。おぞましいほどに厚い雲により遮られた陽の光。
その言葉は、険しい表情の長だけでなく、琥珀の少女を除いた全ての者が、閉じた口の中で歯を軋ませた。
「(お前たちは)盗人に加え、非人になる[このまま徴税を続ければ処刑は免れない]」
長は鋭い目で仮面をみつめる。
「本当か[それは可能性のひとつに過ぎない]」
「そうだ[それ以外の道があるとでも?]」
仮面の者は、その仮面へ手を伸ばした。
その細く長い手に嵌められた指輪。
義手の男は、その指に、今回の返納祭で収集してきた指輪をより豪勢にしたものがはめられていることに気づく。
仮面がすぅっと取り外された。
りんご色の、はなやかな甘い瞳。枯れ葉色の、さわやかな淡い瞳。
整えられ、
その顔は斜めに大きな傷跡がある。それが示すのは、以前顔が真っ二つに割れたということ。傷を境目に顔は上下にずれてくっついていた。
少女は、その痛ましい顔つきに、酸っぱい表情を作る。
言葉を運ぶそよ風が吹き、しばらくして長髪の男が冷や汗をかいて法の塔から現れた。
長髪がゆらりとあわただしく揺れる。血まみれの布で喉を押さえながら倒れる人影には、
「ちょっと言うの遅いですよ……!」
その言葉に琥珀の少女以外が苦々しい表情をした。
長へ向かってのその発言に、顔に傷のある女は仮面を付けながら懐を探る。
その手には、壊れた機械仕掛けの時計があった。内部構造が、"睥睨の法"に酷似している。
考えるように深くうつむく仮面の者。壊れているという事実にいぶかしんでいるようだった。
「どうやら凄腕らしいなお前たち」
壊れたその妨害機を見せつける、嫌味を含んだその声。赤毛の男、義手の男は首をかしげた。
「いや………知らんな。別に狙ってない」
少女だけがまぬけな顔をして、頭に疑問符を浮かべている。
「こちらも問う。流浪の長」
仮面の女は遠くを見るように口を開いた。
「どうするつもりだ[お前は何のために徴税をしている]」
琥珀の少女以外、みな、分岐に立っているという錯覚に陥っていた。
「ねぇどゆこと」
少女は小声で、隣の赤毛に息を吹きかける。
薄緑の目が少女を睨んだが、すぐにその目は仮面を捉える。
「この徴収は王から委任されてる」
「うんうん」
「だがその王が灰かすになっちまってんなら、おれたちは裏切り者の仕事を続けていることになる」
「灰かすって?」
ため息。
「とにかく、仕事がどう進むのか今、長にかかってる。」
「それはわかってるんだけども……」
刃物のような鋭いため息を吐く赤毛の男。
少女はただ首をかしげながら、長へ視線を戻した。
腕を組み、口を固く閉じ続けている長。
「我ら流浪の民……」
灰。
それは太陽の
昼と太陽が循環を表す生命の輝きなら、夜と月は、停滞を表す永遠の暗がり。
それは、絶対悪として存在する、あらざるべきもの。
長は、閉じたまぶたの、その暗い世界で空を見上げる。
そこには、変わらず太陽があった。
閉じた目に現れる夜においてさえ、その光はまばゆい。
その目がついに開かれる。
「我らは太陽のための徴税官になろう[お前たち国家の都合は知らん。留まることが支配を生み出す]。そしてお前たち王の臣下に代わって、昇天を見届けてやる[討伐する]」
仮面の女は重々しい息を吐いた。
「……そうか。しかし経験はあるのか」
見回す仮面の女。
赤毛の男と、義手の男が頷いた。
面を上げた仮面の女はある方向へ顎をやる。
「この方角に教会がある。共和派の王政派閥だ。葬儀の申請をするだけでいい。私と同じ指輪をしている、神官を探せ」
長へ、指輪が示される。
「ところで……」
仮面の女は声の調子を変えた。
「だからと言ってお前たちは盗人であることに変わりない。まさか(“太陽の書”の“御力のお返し“と王権神授を根拠に)正当化しているのか?唾棄すべき邪悪極まりない。生きる方法はいくらでもあるだろう。強さがあるなら、騎士にもなれる。その強さを用いて、遠い地で開拓者にでもなって国を起こせばいい。なぜわざわざどの地にも属さず、盗みの代理をしている」
仮面の女を見ていた長の目は、大昔を見るような色をした。再び天をみあげて太陽をまぶしくみつめる。
「それはかの大湿原に由来する。それにしても窃盗とは、ものはいいようだな。我らは太陽の御力を還しているまで。人類のものではない」
仮面の女は苛立たし気に息を吐く。
「本当にその理屈でやっているのか……呆れた。世界は
仮面の女は傷がかゆくなったように、仮面の上から、激しく震える力を押さえてそっと手でかきむしった。その指先、爪が剥がれそうになるほど真っ赤になる。
長はぽつりと言葉をこぼした。
その言葉の息に、蠅2匹がふらふら飛び回る。
「お前、子どもは」
「何を……言っている」
仮面の女のその声は、屈辱に耐える震えで破裂寸前。
その震える声、傷顔を見た上で問うてるのか、と。
「
琥珀の少女は極めて小さい声を漏らす。
「あんな顔でいるわけないよね~」
「…………」
仮面の女は、その仮面に目があると錯覚するような形相で長を睨んでいる。
「子どもは欲しいか」
「…………」
蝿が飛び回る。
長の立ち姿は尊大だが、その声はいかにも小さい。
「そうか。なら(一緒に)夜更かしはどうだ」
夜更かし。
不良行為、強さの証、厄介ごとの暗示。多くある意味の中で特に重用されるもの。
それは甘美な夜の誘い。
飛び回り続ける蠅。長の足元に留まったその蠅は、すりすりと前足をこする。
すりすり、すりすり。
「どういう意味だ……?[どういう意味だ?]」
「わからない……のか?[それで断っているつもりなのか……?]」
長の突飛な言葉に、琥珀の少女は赤く熱くなる顔をその小さな両手で隠し、義手の男は苦い笑みを浮かべ、赤毛の男は顎が外れんばかりに呆けている。
「抱いてやると、言っている。我が妻となれ」
仮面に髪を収めているにもかかわらず、ない髪で耳をかき上げる女。
「な、な、な!な、な……」
仮面の上からでも、口をぱくぱくさせている様子がうかがえた。
それは、“太陽の書”にて“許されずとも認められた愛“という、強き者が求婚をするという流れ、その言い回しを踏襲している。
「(徴収が終わったあと)離れ小屋で慰労会がある。待っているぞ」
この世界に生まれ落ちたなら、誰もが夢見る御伽噺。異界の目と耳を通せば、白馬の王子様。
長は鼻を鳴らす。
「何をしているお前たち。早くしろ」
息を忘れて呆けていた三人は、びくりと動き出す。
義手の男は、
「お前たち、欠員に代わって徴収してこい」
長は、両手ほど幅のある紙の巻物、名簿をそれぞれ3人へ手渡す。
「わかってるだろうな」
「はい」
行ってこいとばかりに、長は三人へ背を向けた。
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