ふれる

つきがさ あまね ばゆこ

第1話

ふれられない。


駿二の手はとても良い手をしているが日々香は知っていた。

それは彼に触れられないから愛おしいのだということを。


アンティーク調のティーカップの細い持ち手に添えられた長い薬指。


上に綿棒でも乗りそうな一束ひと束が長いまつ毛。


少しマットなオークルベージュの脱色された髪。


日々香はそう思うとジンジャーティーをまた口に含み、目の前のブラック調のクッションシートに座る恋人を眺め、ため息をついた。








「ヒビカ、シュンジくんとはどこまでやったの」




職場の通用口の排水口を掃除している時に背後から大声でそう聞かれたので日々香は排水口に突っ込みそうになった。


同僚の夏代だ。

明るく砕けたキャラクターで職場では通っている。

庶務課はなんでも弊社の雑用をこなさなければならず、今日も会社の周辺のメンテナンスをしていた。

これは普段業者さんに振っている仕事だが、今日は特別に庶務課がやることになったらしい。


排水口のステンレスの蓋を閉めながら


まだだよ、と日々香は駿二との関係を夏代に説明した。


「嘘でしょ、付き合って五ヶ月目でそれはないって」


「ほんとだよ手を握ってすらないんだ笑っちゃうでしょ」


「えっ………」


「引いてる?でもね、ほんとなの なーんにもしていないんだ」


「それってほんとに付き合ってんの

駿二くんヤバいやつなんじゃ それか浮気か流行りのアセクシャルってやつ?」


「うーんまぁそれは確かに」


早いうちに気持ちを確かめてみなよ、と夏代は言いった。

今度夏代は恋人と旅行へ行き結ばれる予定なのだと明るくケラケラ笑う。

夏代たちは付き合って二ヶ月くらいで、その前のことは全て済ませてあるのだと。


夏代は敷地内の虫除けスプレー係だったのか、業務用のスプレー缶を台車に戻していた。


「それが、普通の流れだよなぁ………」


「えっどうしたの?」


「ううんなんでもない 夏代の言う通り確かめてみる」


日々香は肘まであるゴム手袋を外すと一気に勝手口横の水道の蛇口で手を洗った。


四月。もう晴れの日は紫外線が厳しい季節だ。






「俺に触りたいの?」








いきなり核心をついてきた駿二にいや、そうではないと慌てふためく日々香だったが、いつもの喫茶店では声が通り過ぎる。


自分の声をトーンダウンさせれば良いのに何故か日々香は駿二にシッと人差し指を立てて静止し、あたりを伺った。


ステンドグラスが天井に割り当てられている、和洋折衷の老舗の喫茶店だ。

お客は新聞を読んでいる中高年もいれば日々香や駿二のような若者もいる。

目的は、商談や歓談や家族サービス、食事に純粋に喫茶を楽しみに来ている人たちひとそれぞれだった。

日々香と駿二だけが少しだけ変わった目的のようだった。


日々香も駿二も平日の昼間は働いているのでこうしてわざわざ土日集まって会いにくる仲というのはそれなりに好意があってのことだった。

それはお互い暗黙の了解であった。

まだ付き合っていない頃、イベントごとにお祝いをしたこともある。

元々友人の紹介で知り合った二人なのだ。

しかし、二人の間に明確な






触れ合う


という


関係性だけが抜け落ちていた。


日々香はアンティーク調の刻印がある繊細なティーカップを手で包み込んで、持ち上げてから飲み込もうとするのをやめて駿二に一気に捲し立てた。


「私たちって付き合って五ヶ月目だよね


それなのにキスどころか手も繋いでない

それって変じゃないかなってことを同僚の夏代に相談したんだよね

私たちの関係って少し変わってるっていうか………そもそも付き合ってるのかなっていう」


駿二は一瞬目を見開いた後、

破顔し身体を折りたたんでくっくっと笑い出した。

デニムジャケットに、黒いパンツと革靴を履いている。


ニットワンピースにハイカットのスニーカー姿の日々香はそんな駿二を訝しがりながら様子を伺った。

駿二は涙目で笑っている。

聞くと、あまりに日々香のいうことがおかしかったのだという。


「付き合ったら必ず順番を、手順を踏んでいかなきゃいかないのが愛ならそれはあまりに安っぽいよ

でも日々香に触りたいといつも思ってはいるけどね」


「ほんとうに?それはどんな時」


「決まった時はないんだけどふとした時かな 仕事の合間とか………

触れたくなるよ

そして今も すごく我慢してる

いつか触れる時のためにね」


日々香は不意に、缶詰の中に入った二つ割の桃を思い出した。

肉厚の果実。

甘美な甘さと繊維質。たっぷりの水気と共に口の中に広がった。

駿二に触れるというのは、こんな感覚なんだろうとそう思った。

触れられるというのも。


日々香はティーカップをソーサーに戻すと、自宅のマンションにスーパーで買ってきた大きな外国産の缶詰の桃が置いてあることを思い出した。


「駿くん 今日これからうちに来ない?美味しいものがあるの」


「えっ美味しいもの?なんだろなぁ」


日々香の自宅は都心部から少し外れたところにあるオフホワイトで統一された1LDKだ。

駿二も時々訪れることがあるが、

その時にも日々香の身体に触れることはなかった。

今日もダメかもしれないなと日々香は思った。これまで下着の準備をしてみたり、イランイランのキャンドルを炊いてみたりと日々香なりに工夫を凝らしてみてもそういう雰囲気にならなかったのだ。


日々香と駿二はキッチンで二つ分の深い皿にカット済みの二つ割の桃をそのまま乗せて、缶の中の果汁を半分づつ流し入れた。

そして、食器棚から華奢なデザートフォークを持ってきて食器に添えた。


それらをラグの敷いてあるローテーブルに運ぶと、二人は見つめあった。

どちらからともなく照明を間接照明に切り替える。


無言でフォークを動かしながら大きな桃を少しずつ千切ってオレンジ色の小さい四角形を作って駿二は日々香の口元へフォークで運んだ。


「くち、あけて」


なぜか日々香は頬が真っ赤になってしまいながらも駿二から目を逸らさず桃を咀嚼した。

外国産特有の、香料と桃の素材そのものの味がすると冷静に思いながら日々香は心拍数を抑えた。

想像通り、口の中に水気と甘みがいっぱいにひろがってゆく。

そして、今度は日々香が持っているフォークで同じことをした。


駿二は


あまいね


と甘美な笑顔で微笑み、


大容量の桃がなくなるまで至近距離で互いにそれらを繰り返し、

その日も結局互いに身体に触れることが一切なかった。




日々香はあれからというものの桃を見るとそこから目を逸らした。

あのときの駿二を思い出すのだ。ここはスーパーマーケットの売り場の中だった。


その日は缶詰ではなく、青果売り場に売ってある本物の果実の桃が日々香の目の前に並べられていた。

カラフルなポップが貼ってある特売品だ。


それらは桃色の果実で全て形が同じだ。ずっしりと丸いフォルムで水気を含んだ重さが感じられる。

まだらの桃色の皮の表面には産毛が目立つ。

ポリエステルの緩衝材に半分身を包まれて一個ずつ並べられて売られている状態だ。


スーパーマーケットの売り場は金曜日の深夜で、他に客がまばらで日々香はしばらく桃たちと見つめあっていた。


この間の駿二の長いまつ毛と、間接照明で出来た二つの長い影を思い出しながら。


「結局買ってしまった………。特売品だしいいか」


日々香は先ほどのスーパーで買った食材で自炊したあと、後片付けを終えた。

そして先ほどスーパーマーケットで見ていた丸い桃色の円形をテーブルの上に三つほど並べた。


そのうちの一つを皮を剥き、カットして皿に盛った。

この間の缶詰の桃とはまた違った味わいがありそうな瑞々しさを皿の上で放っているので日々香は固唾を飲んだ。

深皿にデザートフォークを置いて部屋の照明を間接照明に切り替える。


ここで、駿くんと二人で桃を………。


日々香はそう思うと身体が熱くなったが桃に意識を戻した。


桃色と乳白色の混じった表面にとろみのある果肉にフォークをつき差して口元に運んだ。


そしてゆっくり時間をかけて咀嚼する。

部屋のオレンジ色に染まった壁に出来る濃い影。

噛む度に口の中に溢れる果汁。

金曜の深夜の危険な追体験。

日々香は滴る果汁が口の中に広がってゆくのを舌の付け根に感じながらうっとりと目を閉じた。


何だか自分がいけないことをしているようで、でも止められなくて、

その行為に日々香は沈められてしまいそうで、

一粒の涙を流して日々香はまたフォークで桃を一欠片、咀嚼し、のみこんだ。


そして日々香は最後の一口に妖麗な声を溢した。








「あぁ………」






美味しい桃を食べさせ合う行為はたまに二人の間で行われ、

その間二人は通常のデートをし、

合間を縫ってこっそりと日々香はこうしてひとりで甘い果実によがる時間を紡いでいった。

もちろんお互いに指一本もふれることなく。


そうこうしているうちに六月になった。

街の八百屋やスーパーの店頭にはたくさんの桃が並ぶようになる季節だ。


ある休日、日々香の自宅に遊びに来た夏代にバニラフレーバーのジェラートを振る舞うと、夏代はリビングのラグで大きく口を開けてデザートスプーンごと口に入れた。


夏代はそれを味わいつつも眉間に皺を寄せた。

白い革張りの丸っこい形のスツールに座ったこの部屋の持ち主に聞きたいことがあるのだ。






「で?まだやってないと」


夏代は旅行の土産品片手に日々香の1LDKを訪れ、恋人とのいろはの秘め事を女同士だからと日々香へ赤裸々に語った。

そして、夏代は当然日々香の番が回ってくると思ったのであったがこの有様であることに肩透かしを喰らっている。

それから日々香から詳しいことの顛末を聞いた夏代は目を見開いた。


「はあ、それって………いやらしくない?

 普通にやるよりよっぽどいやらしいよ 相手は相当日々香を焦らしてる変態だね」


そんなことないと焦り頬張ったバニラのジェラートを吹き出しそうになる日々香だったが、

思い当たる節もあった。


細いスプーンの動きを止め、しばらく日々香は夏代の恋人とののろけ話を上の空で聞いていた。




ーーーわたしは夏代の言う通り、駿二に焦らされている?ーーー






「日々香 久しぶり 会わない間俺に触りたいと思ってたでしょ」


日々香は今度こそ盛大に人差し指を使ってシーッと威嚇に近い音を立てた。


近くの新聞を読んでいた老紳士がびっくりして振り返ったがすぐにまたコーヒーとテーブルの上で半分におった新聞に向き直った。


ここはいつもの喫茶店だ。

ステンドグラスに梅雨の晴れ間の紫外線が降り注いでいるおかげで店内は明るい。

ざっと見たところお互いに指一本も触れられない関係性で逢瀬を重ねている客同士は相変わらず日々香達だけのように思えた。


窓の外はバス通りが見えていて、二人はそれを眺めながら取り留めもない話を繰り返し、コーヒーを飲んでいた。


そして黒いスポブラに薄手の長袖カーディガンを着た日々香は切り出した。ボトムはオーバーサイズのデニムを穿いている。


「いいよ」


「えっ」


日々香が話しを始めないうちに駿二が唐突に承諾をしたのでいよいよ日々香は戸惑った。

普段からこの人は割とそういうところがある。


「何がいいの」


「俺に触りたいということ でしょう違うの」


違くはない。

ただ 言い方や言葉、間合いに選択の余地があると日々香は思った。

故に不本意ながら赤面した日々香はヤケクソになり勢いづいて駿二に向かって自然と早口になった。


「そう 触りたい でも触らせてくれないじゃない こんなの変だよ 恋人同士なのに焦らしてるとしか思えないぜったい 絶対変」


厚底のスニーカーにフレアパンツと白シャツを合わせた駿二は一瞬余白を開けたあと、破顔した。




「俺にふれてみる?」




駿二の自宅も都心部にあるが日々香の家から少し離れている。

度々訪れることがあったが、日々香は何故かひどく久しぶりに感じるように思った。

2DK。

仕事部屋とプライベートと分けてある仕様だ。

駿二の自宅に到着する前にスーパーマーケットで買い出しをし、食糧といつもの果物を買い込んだ。

いつもは食べさせ合うだけだったが、この日は様子が違った。


駿二がシャワーを浴びてくるといい、バスルームへ去って行った。


日々香もバスルームをそのあと使い、駿二が揃えてくれていた紺色のバスローブに着替えた。

サンダルウッドの香りがするバスタイムだった。


バスローブ姿の駿二がキッチンで桃をスライサーでカットしているのを日々香は見た。

と同時に日々香は不意に理解した。






これは恋の媚薬だったんだ


媚薬を二人で食べさせあっていたんだ


わたしは媚薬を仕込まれていたんだ






日々香は全てを把握した。

そして、ダイニングで透明な器で桃を振る舞う駿二に近づいた。

紺色のバスローブをはだけさせ、その左胸に日々香はそっとふれた。










乳白色の肌の美しさに酔いしれた空の果てに向かい二つの身体が果てる。

それでも熟れて溶け合う果実の中 互いに舌先を入れてかき混ぜ合った。


楽園を追い出されたアダムとイヴのように禁断の果実を二人で貪りあう夜のことだった。


日々香と駿二はアイボリーのシーツに横たわりながら乱れた息を整えた。


駿二は先に身体を起こし、バスローブを羽織り温かいおしぼりを持ってくると日々香の身体をゆっくりと拭きはじめた。


「いたくなかった?」


駿二の問いに日々香は首を振った。


駿二の動きは激しくあったが、優しさもあったので少しもそういうことはなかった。

何よりも待ち侘びた狂おしいひと時に痛さなど微塵も気にならなかったのだ。


紺色のカーテン越しに浴びせられる日光はうすらぼんやりとしている。

今はもう夜明けだ。

二人はしばし囁き合ったあとじゃれあい、そしてまたシーツの中へともつれ込んでいった。










「おめでとう!今夜はお赤飯だね

   というか遅すぎ!相当日々香を焦らしたねぇその駿二ってやつ」


庶務課のデスクで大声で夏代が言うものだから、日々香はチェアーの上でずっこけて転がりそうになる。

幸い、辺りを見回すとほとんど誰もいない状態だ。

昼休みを迎え、社員のほとんどがランチをしに社内から出払ったのだ。

見ると上座で相当歳のいった課長が眠そうに愛妻弁当をつついている。

この課の中で弁当派はだいたいこの三人くらいのものだ。


「わたしも不安だったんだけど………その、内容も普通?だったし駿くんは変な人じゃなかったよ」


「あっはっは!内容て!確かにそれ大事かも

  内容がアブノーマルだったら超絶地雷案件だもんね ここまで焦らされて待った甲斐がまるでないかも」


「だよね………ここまで待ってて本当によかった」


シンプルなシャーベットオレンジのお弁当箱に入った冷凍の唐揚げ弁当を頬張る夏代に駿二とのことを報告し、自らを納得させつつ日々香はどこか何か足りない気持ちになっている自分自身がいることに気が付いた。

足りない何かが一体何なのかがわからないまま夏代と談笑し、庶務課の雑務をいつも通りこなし、定時に退社した。

その日もまた間接照明の暗がりの中、一人で桃を食べながら駿二とのひとときを思い出して悦楽に浸った。

何だかやっとあの日念願の行為をしたのにまだ焦らされている気分に日々香は地団駄を踏みたい気分だった。






「どうしたの日々香 何だか今日は上の空だね」


いつもの喫茶店でアイスコーヒーと氷をグラスの中でストローを使ってかき混ぜている日々香だったが。

そう駿二に言われてハッとした。

今日の駿二はネイビーのサルエルパンツにオフホワイトのカーディガンを合わせている。足元はパンツと同じような色をしたネイビーのローファーだった。


日々香はしばらく返事をせずに、駿二に見入って言葉を探した。


実際、夏代とのやりとりから駿二との今日この日待ち合わせの数日間、日々香は言葉を見つけられないでいた。


身体を結ぶ関係になれたのにも関わらず、物足りない気持ちを抱えている今このもやもやしている気持ちを。


こちらをみつめたまま問いに答えない日々香に見かねて駿二が見かねて切り出した。


「日々香。実は俺困ったことがあってね」






そう日々香に言う駿二はひどく言いづらそうにしていたので日々香は眉をひそめた。

ーこれは悪い知らせか?ー


ノースリーブにカーゴスカートという装いの日々香。

最悪別れ話まで想定したものの、何やら駿二の様子がおかしいことに気が付いた。

ひどく落ち着きがないうえに、何やら恥じらっている様子だ。

いつも自信満々、意気揚々でクールな駿二とは似つかわしくない姿に日々香は続きを促した。


「駿くん、困ったことって何かな?何かいいづらいこと」






「言いづらいっていうか………そう、言いづらいね………どーしよ………」






駿二は日々香と同じようにアイスコーヒーをかき混ぜるしぐさをしたり、わざとらしい咳払いをしたり、カーディガンの下に着たオフホワイトのインナーの首元をバタバタさせたりして精神統一を図っているようだった。




それらが一通り終わった後に駿二は日々香にうつむきがちに告げた。






「俺、日々香と寝たのは嬉しいよ。でもその前の………日々香にふれたくても触れられないときを愛してたのかも

かといって日々香と寝た時はとってもよくて。

だから戻りたいわけではないんだけれど………。

要するに実際のところこまったことってのがなんなのか分からないんだ

日々香と寝られたんだしぜいたくな悩みなのは分かってるんだけど」






日々香はまず駿二のいう困ったことというのが日々香にとって悪い知らせではないことに安堵し。自分のもやもやとした気持ちを駿二が代弁してくれたことで気持ちがすっきりした。


「ほんと、自分でも何言ってんだか………ぜいたくな悩みだよな」


顔を赤らめてそう日々香に告白する駿二を日々香は見つめ、微笑み、出会って初めてこの人をいじらしいと感じた。






そしてしばしの間が流れた後、日々香にしては非常に珍しい思い切った提案がその場で出された。




「駿くん。もう一度わたしと寝てみない?

 戻りたいわけじゃないなら進もうよ その正体突き止めてみない」














日々香がベッドの上でくちづけると、駿二は日々香の小さい口の中へ舌を差し入れた。

なめらかで、スムーズに水音が部屋中に響いた。




日々香の部屋は、今日は間接照明はついておらず、お決まりの桃も傍らにはない。

二人の営みに媚薬はもう不要だと二人がそう判断したのだ。

いや、正直に言うと二人とも本当はそれどころではなかったのだ。

日々香の部屋に着くなりシャワーも浴びずにお互いをむさぼり始めた。




日々香の肌へ指を滑らせる駿二はどこか必死で、それが日々香の笑みを誘った。


ーたしかにわたしたちは互いに相手と寝るかもしれないという予感を愛していたー


日々香は駿二と身体をひとつにしながらそう思い耽った。




ーだけれど、今こうして抱かれて抱くこともできる。ー




ーこの足りない何か、もやもやの本当の正体は………ー




日々香は駿二の上に覆いかぶさりながらゆっくりと身体を動かした。

そして動きに夢中になりながらも、ふいにその正体を悟った。




ーこんなにいとおしく感じているのに、こころにはふれられない。ー




ーこれからもお互いに寝るだろうという予感を愛し、その予感に耽り、こうして抱き抱かれ、関係性のエッセンスとして桃は食べるかもしれないー






ーだけれど駿くんのこころにそしてそれらを互いに触れ合うことはこの先ないのだろうー


そんなことを日々香は考えているまもなく、駿二の動きが激しくなり目の前が真っ白になった。

偽りのないオルガズムは、獰猛さを交えたうめき声を鳴かせるのはなぜだろう。楽園でのイヴによるものだ。










一通りの交わりごとが済んだあと、日々香はようやくシャワーを浴びてキッチンへ向かった。

パントリーからとりだしたのは国産のドライフルーツの桃。

チャック式で保存が可能であり、プラスチックの袋から砂糖漬けの桃を取り出した。

そしてそれをひとくち、ぱくりと頬張った。

桃は美味しい。

なんだかんだ言って、恋にはやはり媚薬は必要。

そして、恋人にさわれると嬉しい。

触ることに ふれることに待たされた時間が長ければ長いほど。

ただ、誰しも恋人のこころまではさわれない命運を背負っていく。

駿二も、私も、職場の夏代も、その恋人も、そうどんなに愛し合っている世の中の恋人たちも。

それはとても切ないようで、日々香は必ずしも悪くない、とそう受け止めた。






ー夏は駿くんの一番好きな季節だー






日々香はドライピーチをプラスティックの袋へと仕舞った。

そのあと部屋のカレンダーを見やり、キッチンからベッドルームへと移動した。










そして日々香は果ててからそのままベッドの中で寝息をたてて眠る恋人の髪に愛念のキスをおとした。












END

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