第17話 だめな大人ですみません

 姉と愛し合いたい。

 それがミレイちゃんの真の願いだった。

 自覚していなかった欲望を突きつけられたショックと、それを私に見られた恥ずかしさで、顔を手で覆って泣き出してしまった。

「だいじょうぶだいじょうぶ。」

 ミレイちゃんの震える背中を、ゆっくり撫でた。

「泣かなくていいよ。びっくりしちゃったんだね。自分の好きがわかってなかったんだね。だいじょうぶだいじょうぶ。よくあることだよ。」

 撫でながら私は、そうだよなーと思った。ミレイちゃんの願望。そうじゃないかと思ってたけど、やっぱりそうだった。

 本人は無自覚だったみたいだけど、傍から見ていたら、確かにそういう兆候はあった。

 エレナさんがスキンシップで体を密着させると、ミレイちゃんは「恥ずかしい、でもけっして嫌じゃないむしろ嬉しい」みたいに頬を赤くしていた。その表情は、いわゆる「女の顔」だった。

 たぶん(髪色違うから)義理の姉妹、そして両方美人。そんな二人が仲良しこよししているなんて目の保養ですナーと、こっそりのんきに喜んでいたのだけど…。

「だめですよね、こんな…。」

 消え入りそうな声で、ミレイちゃんが言った。

「ボク、汚らわしい…。姉さんにこんな、こんな…。本当の妹みたいに優しくしもらったのに…。知りたくなかった、気付きたくなかった…。」

 本当の姉みたいに、ということは、やはりそういうことなのだろう。

「しかたないよー。好きになるってそういうことだしさ。」

「……。」

「汚らわしいなんて、自分で言っちゃだめだよー。普通普通。普通だって。ていうか、汚らわしいの含めて恋なんだからさ。ね?」

「……。」

「ミレイちゃんはだめじゃないし、泣くことないよ。毎日あんなきれいな人にかわいがられたら、誰だって好きになっちゃうもん。しょうがないよ。」

「…ねえ。」

 ミレイちゃんが、やっと少し頭をあげた。涙で頬がべしょべしょだった。

「なんでそんな…、なんでそんな、優しくしてくれるの…。ずっとボクあなたに、いっぱいひどいこと言ったのに…。」

 ぐずりながら、充血した目でこちらをうかがう。

 やけに親切な私の態度を、いぶかしんでいるようだった。

 でも、知り合いの十代の女の子が泣いていたら、慰めるのは普通だ。どうやら私は、そんなこともできない、よっぽどだめな大人だと見られているようだった。

「いや、私だって一応大人だよ?こういう状況なら、優しくもするよ。」

「……。」

「それにまあ…。ケットシーに恥かかされたもん同士っていうか。そういう連帯意識もあるしさ。なーんて。」

「……。」

 こっちの話を聞いているのかいないのか、ミレイちゃんがまた顔を伏せた。

 それからしばらく、ミレイちゃんは黙った。

 私もそれ以上何を言ったらいいかわからないので、ただ彼女の背中をさすった。

 こういうとき、自分の人生経験の浅さが嫌になる。なんでもっと、心の痛みをやわらげてあげられる言葉が出てこないかな。


「ボク…。」

 だいぶ経ってから、ようやくミレイちゃんが口を開いた。

「ボク、テスさんのことが嫌いでした。」

「は?」

 唐突な発言に、私は面食らった。何を言うかと思ったら、なんすか急に。確かにそうなんだろうけど、このタイミングで言うこと?

「姉さんが『両想いになれるって聞いたからあなたと来た』って言ったとき、いやだーって思ったんです。ボク、テスさんのことが嫌いだったから。」

「はあ、まあ、ねえ…。」

 話の意図がわからず、曖昧な返答をする。曖昧な相槌で、話の続きを促す。

「だらしないから。ちゃんとしないから。だから嫌いなんだって思ってました。でも、違った。」

「うん?」

「今、わかりました。嫉妬だったんです。ただの。姉さんがあなたに気があるって、本当は最初から気付いていたから…。だから、あなたのやることなすこと全部に腹を立てていた。そんなの間違ってた。それに…。今わかったけど、テスさんは本当は、いい人…」

「うん。」

「いい人…?いや、まあ、悪い人ではないというか…?だらしないはだらしないけど、そこまで嫌うほどではないというか…。」

 そこはスッと「いい人」でいいでしょ。正確性を期すんじゃないよ。「今は優しくしてもらったけど、トータルで判断したらいい人ってほどでもないなー」じゃないんだよ。

「とにかく、いろいろ生意気言ってすみませんでした。どうか、ボクの姉とつきあってあげてください。その方がきっと、姉さんも喜ぶから…。」

「は?え、いやいや、ちょっと。」

 意外な展開に、私はとまどった。

 なんでそんな話の流れになるのやら、という感じだった。なんか話が飛躍してない?

 いや、飛躍はしてないのか。

 あなたのことが嫌いだったから姉との交際反対してたけど、たった今見直したから、交際オッケー。そういう流れなんだから、一応飛躍はしちゃいない。

 でもやっぱ、その結論はおかしいよ。だって。

「急に何言ってるの?だいたいキミ、もう知ってるじゃん。私の気持ちも、自分の気持ちも。私は前の彼女に未練たらたらだし、キミはエレナさんのことが好きなんだし。」

 そう、その結論は、みんなの気持ちを無視している。私の元カノへの未練も、ミレイちゃん自身の恋心も。エレナさんの本心は…まあ、いったん置いとくとして。

 ていうか、自分が辛くていっぱいいっぱいのときに、人の恋路の心配をしてんじゃないよ。まずは自分の心を癒すことを優先させなさいよ。

 こっちは、どうやったらキミを慰められるかで悩んでたんだよ。それなのに、パッと顔上げるやいなや「姉と付き合ってあげてください」って。こんなときまで自分よりお姉ちゃんかよ。こっちの気持ちの切り替えがついていけないよ。

「だからこそ、です。」

「はあ?」

「そうすることが、みんなにとって一番いいんです。姉さんはあからさまにテスさんのことが好きだし、あなたにとっても、前の恋人を忘れられる機会になるかもしれない。ボクも、こんな気持ちを捨てることができる、だから…。」

 と言って口をつぐんだ。

 ふーむ、と私はうなった。

 なるほど、自分の心を安定させるために、突然そんな提案をしてきたのか。ずっと話はつながっていたのか。

 考えてみれば確かに、彼女の主張にも一理はあった。

 私も、一番の望みが「元カノとより戻したい」というのは事実ではあるけど、エレナさんとしっぽり楽しみたいという気持ちも真実ではあった。

 エレナさんにしても、真の願いはわからないけど、あの好意が全部ウソってこたぁないでしょう。私と両想いになりたいってのも、二番目か三番目か四番目くらいの願いではあったでしょう。たぶん。

 なので、ミレイちゃんの提案に、これ幸いと喜んで乗っかるのが筋というもの。そうすれば三方丸く収まるだろう。

 しかし。

 私はどうにも、その提案に乗り気になれなかった。

 エレナさんと付き合うべき娘は、私じゃない。そんな気持ちになっていた。

 そう。

 要するに私は、ミレイちゃんの恋を応援したくなってしまったのだ。

 姉に恋する妹の背中を、押してあげたくなってしまったのだ。

 目の前で片想いしている少女がいれば、応援したくなるのが人情というものだ。

 全ての恋する女の子は、幸せになってほしい。

 なんて思うのは、きっと、私自身が片想いしているからなんだろう。ふられた元カノに、今でもずっと。

 それにまあ、女の子とイチャイチャしたい気持ちもあるけど、女の子と女の子がイチャイチャしてるのを見るのも好きだし。

 エレナさんとミレイちゃんの、姉妹という枠を越えたイチャイチャ。

 絶対見たいでしょ、そんなの。まあ当人に言ったら気持ち悪がられそうだから、これは言わないけど。

「まーまー。そうすぐに、結論を出すことはないじゃない。急くでないよ。」

「え…。」

「あきらめるのはまだ早いって。そんな簡単に気持ちを殺せるもんじゃないしさ、まずその恋がかなうように頑張ってみたら?姉妹っていっても義理なんでしょ?義理ならセーフだって。」

「でも、でも…。」

「実の姉で異性愛者っつーことなら絶望的だけどさー。違うじゃん?だったら、可能性に賭けてみるのも悪くないと思うよ。だいたいさー、仮に私とエレナさんが付き合ったからって、『はいっこれでボクの恋心死にました!』とはなんないよ。断言してもいい。そんなトントントーンって割り切れるもんじゃないって。恋ってやつぁーさ。」

 思っていたことを、率直にミレイちゃんに告げた。

 まあ、茨の恋の道をたしなめるどころか焚きつけるなんて、普通だったらありえないだろう。やはり私は、まともな大人ではなかった。だめだめな大人だった。

 私の言葉を聞いて、ミレイちゃんの目は泳いでいた。「ほんとはそう言ってほしかった」という気持ちと、「でもやっぱり」という気持ちが混じっているようだった。

「だけど…。」

 ミレイちゃんが、震える声でつぶやいた。

「だけど、もし告白してだめだったら、もう姉さんと一緒にはいられない…。」

 彼女はもっともなことを言って、また思いつめた表情になった。

 それはそうだ。

 確かに、一度告ったら元の関係には戻れない。

 たぶんエレナさんは、ふっても「近寄らないで」的なことは言わないだろうけど、その後は気まずいなんてものではないだろう。危惧するのは当然だった。

 でも、それは慎重に事を進めさえすれば平気だろう、というのが私の考えだった。

「だからさ。」

「はい。」

「少―しずついろいろモーションかけてみて、いけそうな感じだったら告る。だめそうだったらやめる。でいいじゃん。いけるって確信持てるまで、ちょっとずつちょっとずつ、様子見ていけばいいじゃん。」

「……。」

 お前は考えが甘い。

 と、昔からよく注意された。ミレイちゃんもそう思ったのだろうか、「それマジで言ってんすか」みたいな目で私を見た。さっきまで、世界の終わりみたいな顔してたのに。

 しかし、私のプランはこれで終わりではない。あなどるな。

「でさー。モーション何回かかけた後、私がそれとなーくエレナさんに確認すれば、一番安全じゃん。」

「……。」

「『最近妹ちゃんといい感じだけど、ぶっちゃけどうなの?』みたいに。それで『実は近ごろ妹以上の存在に思えてきて』的な答えが来たら、一気にゴー。そしたらもうハッピーエンドさ。堅実にして安全な告白プラン。どうよ!…なぜ笑う。」

 私の考えを聞いたミレイちゃんは、なぜか急にクスクス笑い始めた。

「いやいや、別に今の話に、おもしろポイントなかったでしょ。いたって真面目な話だったでしょ。」

「だって、すごくいい加減っていうか、力抜けるっていうか…。」

「えー?」

「『義理の姉妹だからセーフ』とか、『いけそうな感じだったら告る』とか、適当すぎでしょ…。ボクがどれだけ深刻に悩んだと思ってるんですか…。」

「って言ってもさ、これがいちばん要領いいやり方じゃん。てか、普通そーするでしょ。しない?しないか。」

「しませんよ、あきらめますよ、普通…。」

「かもしんないけどさ。でも『禁じられた恋だ、やめよう』って結論に飛びつく方が、四角四面過ぎるっていうかさ。そう馬鹿にしたものじゃないと思うんだけどな。」

「けなしたんじゃないですよ。褒めたんです。すごくテスさんらしいって。」

「それ褒めてんの?」

 まあなんにせよ、絶望顔してたミレイちゃんが、ちょっと元気になったようでよかった。

 で、結局、「そんなすぐに決めれることじゃないよね」ということで、この話は保留になった。どーにもシリアスになりきれないね、私らは。


 ところで。

 別に私は、むやみやたらに恋の後押しをしたわけじゃなかった。無謀なチャレンジをけしかけているつもりはなかった。

 恋が成就しそうな予感。

 そいつを感じたから、背中を押す気になったのだ。そこまで無責任じゃないさ、私だって。

 ミレイちゃんはなんだか、恋が叶うこと自体、最初からあきらめている感じだった。どうせ妹として見られている。そんなムードがあった。

 でも私は思ったのだ。

「いやいや。実際のところ、ミレイちゃん脈あるんじゃね?」

と。

 さっき彼女は、「本当の妹みたいに優しくしてもらったのに」と漏らした。

 しかし、そうだろうか。

 本当の妹みたいにしちゃ、ちょいと仲が良すぎなんじゃないの。と私は思ったのだ。

 正直に言えば私は、エレナさんがミレイちゃんをみつめる目つきや触る手つきに、性的なニュアンスを感じ取っていた。

 ゲスの勘ぐり呼ばわり覚悟で言えば、エレナさんの姉妹スキンシップは、エロい気持ちが混じってる気がした。

 それに、例の、絶対内緒の願いの件も気になる。

 シトリィミラーでばらされかけ、超強引に秘密死守したあの願いだ。

 美しい義理の妹だけには絶対知られたくない、秘めたる欲望。

 そんなんもう、言わずもがななんじゃないの。やらしいことしたいと思ってるんじゃないの。両想いなんじゃないのお二人さん。と、ゲスで楽観主義者な私は思ったのだ。

 しかしまあ、断言はできない。

 こんなこと言ってて、真実は

「妹の腹かっさばいて、臓物をムシャムシャ喰らいたい!それがあたしの真の望みだったのさクケケー!」

という可能性だってある。人は見かけによらないって言うし。

 まあそこまで突飛なやつであれば、ミレイちゃんもあきらめがつくだろう。恋心も冷め果て、「そうだったんですか、どうぞご勝手に」となるだろう。「探すか。次の恋を。」ってなるだろう。

 まずいのは

「あたし、妹と離れて一人暮らししたいの。」

みたいな、生々しい願いだった場合だ。

 シスコンのミレイちゃんにとって、そういうリアルな「距離取りたい」的なやつは大ダメージ必至。二度と立ち直れないだろう。

 いずれにしても、今の時点で、軽率に何か言うのは避けよう。いらん期待を抱かせるのはやめよう。

「絶対大丈夫だよー。だってエレナさんのあのリアクション見たでしょ?あそこまでキミに見せたくないってことはさーにやにや」

みたいな思慮に欠ける応援は、控えるようにしよう。

 とにかく、これは他人の人生に関わる大問題だ。

 慎重に、極めて慎重にことを運んでいこう。絶対に。私はそう決意した。

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