僕は愛で、妹は使命で
竜田ゼン
第一話 プロローグ
僕の一族は夢を見る。
その夢は、過去に生きた人の夢。そして、夢の終わりはその人が亡くなった時に終わる。
それはあまりに時に適い、夢から覚めるその刹那に僕達の心は重なる。
――ああ、なんて切ない夢なんだ。
僕が目覚めた今、彼は亡くなった。
彼が愛した娘も、優しい友人も憎むべき元妻もすべてを置いて彼は逝ってしっまった。
僕に、なんてものを見せるんだ。
僕に何をどうしろってんだ!
目覚めた僕は、彼の元妻の顔を思い出す。いや、もう思い出せないが、その恐怖だけは覚えている。
娘が生まれて間もない時、寝ている元妻と娘を彼女達の頭の上からさかさまに覗き込んだ。
ふと元妻が目を開けると、その目は怖ろしく垂れ下がり、この世の全てを妬むような暗い瞳。
『私、不幸だから。ねぇ、どうして私は幸せになれないの? 誰が悪いの? あ、全部周りが悪いんだ。私のものにして捨てていいよね? 最初に裏切ったのはこの世なんだから』
そう問いかけられた気がした。
怖い。なんなんだ。起き上がった元妻を見るが、いつもの笑顔だ。よく見ると多少吊り目だがさっき見たほど恐ろしいものではない。
なんだったのだろうか。
だが、答えはすぐに出た。
『私、この子を愛せない。全然好きじゃない。本当に私の子なの?』
生まればかりの我が子のことを元妻が彼にそう言った。
どうして? 彼には分からなかった。元妻の言ってることが理解できない。
『愛せるようになるよ。僕も手伝うから。一緒に大事に育てよう』
彼がいくら励ましても無駄だった。
母乳すらあげようとしない。それは仕方ないかと彼は思い、粉ミルクを娘に飲ませる。彼は仕事をやめ娘を一生懸命育てるが、元妻は関わろうとしない。それどころか『金がない』と彼を罵倒する。
彼もわかってはいるが、娘を見捨てるわけにはいかない。娘が一歳半になるまで育て、保育園に入れた。園の送りは彼がして、迎えは元妻に任せる。元妻は料理だけはしたが後は何もしない。その生活も長くは続かなかった。
元妻の不貞により離婚することになった。妻に育児の能力が無いことを示し、なんとかすべての人を説得し娘の親権を得た。
慰謝料なんかは貰わない。娘さえいればそれでよかった。
彼なりに精一杯娘を愛した。そんなある時、元妻の妹と出会った。
『もう、あの家に戻りたくない。あそこは怖い。何かが狂っている』
そう言って泣く元妻の妹に彼は自分を重ねた。
『帰らなくていいよ。よかったら一緒に住むかい?』
それから娘と彼女と三人の疑似家族が始まった。
それは本物ではないかもしれないが、娘にとってはそれこそが本物家族だった。
娘を愛する父と、不器用で失敗ばっかりするが笑顔のを絶やさない義母。
皆が幸せを感じていたが終わりは来た。
――それは僕が目を覚ますその瞬間だ。
その時彼は死んだ。いや殺された。僕だけが知る真実。
娘が十歳になるとき、元妻の妹は怯えていた。
『私を連れ戻そうとしてる。なんで! 私は役立たずって虐げてたくせに。なんで娘を奪おうとするの!』
『大丈夫だ。僕らの娘はを奪わせはしない。法的権利はこっちにあるんだから』
彼は元妻に呼び出され、そして死んだ。
彼の愛した娘も、義母になってくれた心優しい彼女も残して。
――なんで、こんなもの僕に見せるんだよ! 僕にどうしろってんだ。無理だ、僕は十歳だし誰一人として顔や名前、地名などは全く思い出せない。まるで物語の中で起こったフィクションのように、幻の中にある虚構のように臨場感はあるが現実じゃない。
僕はそう思いたかった。
だって何もできないじゃないか。僕の人生じゃない。不幸な、数ある不幸に一つに過ぎない。
僕は――忘れることにした。
「ぐっ、お、おえええーー」
僕は布団の上で吐いた。だが胃酸しか出ないそれでも僕は吐いた。見た夢を全部吐き出すように、全部全部出て行って欲しかった。あの元妻の恐ろしい顔も殺された無念も、そして娘――
「ああああああっああーー」
僕は泣いた。
顔も思い出せない夢の中の娘。だが彼と僕は愛していた。
その事実が僕の心を締め付ける。
諦めれるのか? 忘れられるのか? 僕には、……無理だ。
「お兄ちゃん! 大丈夫? お水、お水あるよ。飲んでお兄ちゃん!」
僕の隣であたふたする少女は……、そうだ僕の妹だ。コップを渡されて水を飲むと頭がクリアになってきた。
「か、
「そうだよ。お兄ちゃんが目を覚ましたー! うわーん、お兄ちゃんが死んじゃうかと思ったよー。ずっと起きないんだもん。怖かったよー」
ゲロまみれの僕を抱きしめる楓音に僕は不思議な気持ちになる。
少し気弱でよく笑う妹。少し抜けていることもあり、よく同年代の男子から揶揄われて泣いている妹。両親がいないためとても寂しがり屋で少し我儘。僕を兄として慕ってくれ少し依存気味かなと思うが、まっすぐな愛情を僕に抱いてくれる大切な妹。
「そっか。僕は、……そうだよな。手の届かない夢に囚われちゃダメだ」
「ど、どうしたのお兄ちゃん?」
「
「ん? なあに?」
「愛してる」
「……」
「……」
「キャーー! お兄ちゃんに告白された! ってことはお姉ちゃんになってくれるの?」
何がどう変換されたらそうなるのかわからないが、僕は楓音に微笑む。
「
「やったー! なんかお兄ちゃんがいい人になった。私、おじいちゃん達呼んでくるね」
やったーやったーと言いながら飛び跳ねていく妹の背中を見つめる。
僕が大切にするのは家族だ。妹が結婚するまで僕が大事に育てるんだ。我ながらキモイ考えだが、今の僕はそれが全てに感じる。
僕らの一族は夢を見る。そのほとんどがこの世に未練を残した人達の無念を見せられる。その思いに引っ張られると人格がおかしくなると言い聞かせられてきた。
先祖が経験したことってこういうことだったのか。
僕は夢に振り回されない。だけど、夢で見た彼を他人とは思えない。
だから、だからこそ僕は身近な人を大切にしたい。
ああ、こうして人の心は作られているのかな。
何かを経験しないと学べないし、感じる事ができない。
僕の中にある狂おしいまでの愛と憎悪は、夢を見るまではなかったもの。
この胸に宿る情動の炎を無いものにしたいとは思わない。
家族って、僕が思っていた以上に大切ものだったんだ。
彼が別れを決意した元妻も家族だったが、どうしても分かり合えない人がいるのも確かだ。
僕の心に入り込んだ愛という感情は贈り物だと思う。
彼の娘のことを思うと、切なくなるがそれ以上に愛が溢れる。
「これが愛なのか。愛ってヤバいな」
普通に過ごし、普通の人生を歩み祖父母に大事に育ててもらったこの七年。
まだまだ愛を知らない子供が強制的に愛を知り持て余していく。
そんな物語。
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