乙女ゲームの世界にモブ転生したようですが、始まる前に王子がドロップアウトしました

藤原チワ子

第1話 婚約破棄 1

 これはやばい、と目の前の光景を眺めながら、僕は背中からだらだらと冷や汗を流していた。

 顔からは流さない。そういう訓練を受けている。

 何も知らない他人から見れば、今の僕は表情を動かさずに第一王子の護衛という任務に就いているはずだ。本音は聞きたくなーいーと耳を押さえて、部屋を飛び出したいんだけど。


 ここは王立ロマンシア学園の生徒会室。

 あめ色に輝くほどに磨きこまれた家具が配置された、学園の重厚な歴史と伝統を感じさせる部屋だ。

 僕にとっては”前世”から、それなりに親しみのある場所だった。

 なぜなら二度目の生を受けたこの世界は乙女ゲームの舞台なのだから。



 『愛のプレリュード~ロマンシア学園へようこそ~』



 それが、”僕”ことアレクシス・アーヴィングが異世界転生したゲームの名前だ。


 ラノベのお約束、異世界転生。

 前世の名前や死因を含む個人情報はほぼ思い出せないんだけど、気づけば僕は地球とは異なる世界に転生していた。

 どことなく漂う既視感に首を傾げながらも成長し、今から入学するぞという段階でロマンシア学園の門を前にしてようやく気付いた。

 ここは乙女ゲームの世界だ、と。


 だって、仕方ないじゃないか。

 前世も男だった僕、オタクだったという記憶はあるが、さすがに乙女ゲームまではやりこんでいない。

 気づいたのは、『愛のプレリュード~ロマンシア学園にようこそ~』略して『愛ロマ』がアニメ化していたからだ。


 『愛ロマ』のストーリーは覚えていた。

 同名原作ゲームのスピンオフで、悪役令嬢を主人公にしたアニメだ。そんなに興味のないジャンルだったけど、アニメ制作会社のファンだったので見ているうちにハマった。なんなら映画化したのでスクリーンでも見た。

 しかしはっきりと思い出したのは二年前。舞台となる王立学園への入学直前。

 これは多分、大いなる強制力とやらが働いていたに違いない。僕の立ち位置はモブだけど。


 ……うん、モブ転生のはず。

 なんだかがっちりストーリーに食い込んでいそうな気がなきにしもあらずだが、モブのはず。




 アレクシス・アーヴィングなる登場人物は、アニメにはいなかった。

 おそらく、護衛Aか従者AかクラスメイトAあたりで最後のエンドロールに紹介されていたのではないかと思う。名でも姓でもAになるし。


 僕が攻略対象でないのは確か。

 それは既にいる。欠けずに五人、揃っている。

 アニメヒロインである悪役令嬢もいる。原作ゲームでは見事な縦ロールだったらしい銀髪を、あえて巻かずにゆるく背に流している姿はまぎれもなくアニメヒロイン。


 ……そういや第一王子の婚約者たる悪役令嬢だが、アニメの設定どおりに、転生した日本人っぽい。


 断定しないのは、僕と彼女に個人的な交流が皆無だからだ。

 僕は自分が前世持ちだと周囲には教えていない。

 積極的に原作改変をするつもりはないもの。


 アニメ内で前世持ちは、ヒロインの悪役令嬢と、原作ゲームヒロインの転校生だけだった。

 二人だけが前世持ち。ストーリーにほぼ無関係の僕が、『僕も覚えてまーす』とでしゃばる必要はないだろう。

 出しゃばるのも怖い。だって自分、悪役令嬢とは敵対陣営に所属しているので。


 アレクシス・アーヴィングの――僕の主は第一王子セドリック・カニンガムだ。

 悪役令嬢の現婚約者。黒髪金瞳の、俺様系男前王子。


 ゲームは知らないがアニメでは、途中で転入してきたゲームヒロインにころっと騙される。

 悪役令嬢をいびり倒し、学園生活最後の卒業式パーティーで婚約破棄騒動を起こしたはいいがそのまま返り討ちにあう咬ませ犬キャラ。

 そこまで”ざまあ”の強い作品ではなかったので、”病弱”を理由に内定していた王位継承権を失い、一貴族として田舎の領地で療養生活を送るという結末を迎えていた……要するに廃嫡&追放&幽閉の三コンボ。

(でも死んではいないんだから、ざまあ要素弱めでしょ……前世の自分、よく覚えていないがいったいどんなラノベを読んでいたんだろう?)


 セドリック王子は前正妃の忘れ形見だ。

 僕ことアレクシスはそんな彼につけられた、護衛兼従者兼クラスメイトのモブだ。

 主君と臣下という間柄なので、しっかり忠誠心は持っている。王家の忠実なる犬である養父も、洗脳する勢いで言い続けてくるし。命がけでお仕えしろって。


 だからストーリーに積極的に介入するつもりはなかったが(変な強制力がありそうだし)、アニメと同じ展開に進みそうなら、王子の耳元で小言を唱え続けるつもりはあった。


 気を確かに、セディ様! しっかりして!

 相手は男爵家令嬢、それも孤児院から迎えられた養女。血統的に王族の嫁は無理です!(と、同じように孤児院から養父に見いだされて貴族になった僕が言えるものじゃないけど)

 それにあなたは婚約者がいるんだから、悪役令嬢の存在を無視しちゃダメー! ざまあ待ったなしになっちゃう!

 ――男爵令嬢と運命の恋に落ちたいのなら、まずご自身の婚約をなんとかしましょう。

 浮気はダメ、絶対。


 ……実際はこんな口調じゃないが、唱え続けるつもりだった。

 セドリック王子が学園の最上級生である三年生となり、ピンク髪のゲームヒロインが転入してきたら。


 悪役令嬢ヒロインが第二王子と結ばれるのは多分、世界の強制力で決定事項だ。アニメがそういう展開だったので。

 なら破局の前に円満に別れていたら? 断罪の理由がなくなり、当て馬第一王子は破滅しない。

 アニメ本筋に関係ないモブだからせめて、王子の不利になる点だけでも潰しておきたかったんだよー。

 

 だが、現実はアニメの展開通りに進まなかったらしい。強制力が存在しない疑惑浮上。


 いよいよゲームが始まる年の、新学期が始まる四月。ロマンシア学園の生徒会室。

 現生徒会長であるセドリック第一王子は、呼び出した悪役令嬢こと婚約者のベアトリス・ウェナム公爵令嬢と、彼女に付き添ってやってきた異母弟であるデイビット第二王子を前にして告げた。


「ベアトリス……いや、ウェナム公爵令嬢。

 おまえとの婚約を破棄する」

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