11 魔法の講義

 ビアライド家に来て一週間。

 今までと全く違う生活に戸惑うばかりの一週間だった。


 生活に慣れることを優先してほしいというルシウス様からの言伝があり、私はまだ何もしていない状態だった。


 何もしていないのに、自分の駄目さばかりが気になり、全くのんびりは出来なかった。


 公爵夫人としての教育は、まだ一つもしていない。

 今日は魔法の講師が来てくれることになっている。


 魔法の講義が先になるのは意外だった。


「魔法を教えさせていただくダルバードです。よろしくお願いいたします奥様」


 魔法訓練用の部屋で挨拶をしてくれたのは、私の父よりもずっと年上の男性だった。顔半分が髭で、表情が分かりにくい。


 ローブを着ていて、絵本で見る魔法使いそのものの姿に少し可笑しくなってしまう。


「クローディアです。魔法は使ったことがありません。今日からよろしくお願いいたします、ダルバード先生」


 先生、と呼ぶとダルバード先生は目を細めた。


「先生と呼ばれるのは久しぶりだ」


「昔は教師をされていたのですか?」


「ルシウス様に魔法を教えていたのだ。今はもう、教えることなどないが」


「ルシウス様は、魔法も得意なのですね」


「……そうですね、今は魔法を使ったら国一番でしょう。戦争でも驚くほどの活躍でした」


「そうなのですね……!」


 見た目も素晴らしいのに、魔法も素晴らしいなんて驚きだ。

 ……社交界に出たら、皆がルシウス様の魅力に気付いてしまうんじゃないかしら。


 新しい結婚相手が出来ればお役御免だ。メイドスキルを磨かなくては。

 私は一層気合を入れる。


「まずは魔法の適性をはかるところから。これで適性はわかるものの、学ばなければ何も始まらないことを覚えておいてください。魔法は正確な魔力の扱いによって起こるものです。奇跡ではありません」


 魔法適性がわかるという魔導具に手をのせると、ダルバード先生はふっと息を吐いた。


「奥様はドードン伯爵家の、出身でしたね」


「ええ、そうです」


「……やはり、優秀だ」


「父が、ですか?」


 意外な言葉に驚く。私は社交界には出ていないけれど、ダルバード先生は我が家と親しかったのだろうか

 。

 しかし、お父様が優秀な魔法使いだったという話は聞いたことがない。

 領地経営が主な収入源であるし、優秀な魔法使いだったら公務があったはずだ。


 私の疑問にダルバード先生はにこりと笑い、答えなかった。


「まずは回復魔法からにしましょう。希少な聖魔法ですが、適性があります。初期魔法しか使えない程度だとは思いますが、逆に言えば初期魔法なので早く取得できると思います」


 代りとばかりに、方針を教えてくれる。


「回復魔法ですね、楽しみです」


「……その手は、今日治るでしょう」


「……!」


「大丈夫です。奥様は、肌が荒れやすいようですね」


 静かに続けられた言葉に、私は自分の手が傷だらけだった事を知った。


 ずっとこうだったので、気にも留めなかった。人前に出た時に気が付かれるかもしれない、危なかった。


 心づかいが、じんわりと温かくて、嬉しい。


「あの、回復魔法は、古傷も治りますか?」


「残念ながら、治ってしまった傷跡に関しては治りません。もっと高位の聖職者であれば可能でしょうが。私も使えません、あれは魔法とは別です」


 身体に残ってしまっている傷跡はどうしようもないようだ。

 ドレスで隠れる位置であるので、こちらは気を付ければ大丈夫だろう。ミーミアは、黙っていてくれているし。


「公爵様であれば、聖職者にも頼むことができます」


「……ありがとうございます」


 必要が時があれば、提案できる選択肢を教えてもらえるのは有り難い。


「さあ、まずは魔力の動きから学んでいきましょう」


 真面目な顔で手を叩いたダルバード先生に、やる気に満ちた私はしっかりと頷いた。

 ダルバード先生の講義は、非常にわかりやすかった。


 私は必死で質問を繰り返し魔法を習得することができ、そのまま綺麗な手を手に入れた。


 そして、同じような手のミーミアの手も綺麗にしたくなった。

 私は自分の思い付きに、どきどきとしながら自室に戻った。


 広い自室に、ミーミアが一緒に居てくれている事にも、なんとか慣れてきた。

 まだ、他の人に私がどうしようもない傷ものだということにも気が付かれてはいない。


 彼女には感謝しかない。


 色は見ないようにしているけれど、それでも今までの人たちと違うことが分かった。

 ミーミアがまとっていた黄色が何を示すかはわからないけれど……仕事中の色、なのだろうか。


 私の為に紅茶を入れてくれている、ミーミアの後ろ姿見つめる。

 いつもと同じように、無駄がない優雅な動きだ。


 毎日違う紅茶を入れてもらい、味の違いを覚えている最中だ。

 きっと彼女にとって変な注文だろうけれど、ミーミアは笑顔を崩さずに、疑問もこぼさない。


「ミーミア、こっちに来てくれる?」


「奥様、なんでしょうか」


 私が緊張した気持ちでミーミアを呼ぶと、彼女は完璧な笑顔でこちらに来てくれた。


「手をだして」


「……わかりました」



「そして、そのまま目をつむってくれる?」


「はい」


 不審そうにしたけれど、ミーミアは素直に目を閉じた。


 私は彼女の手をそっと握った。

 私の手と同じで、彼女の手はかさかさとしていて、細かい傷がある。メイドの手だ。


 仕事だとしても、私への心遣いを感じる。

 ミーミアなら、この行動を余計なことだと怒鳴ったり叩いたりはしないと思えた。


 ……もしされても、彼女の手がきれいになったらきっと嬉しい。


 ぎゅっと目をつむり、ぐるぐると回る思考を振り払う。


 私はダルバード先生に教わったように、自分の魔力を感じながら、集中する。


 呪文は短くていい、でも魔力を魔法に変換するための魔法陣を、はっきりと自分の中に描く。


『回復』


 呪文を唱えると、ふわっと優しい光がミーミアの手を包んだ。


「もう目を開けていいわ」


「えっ」


 一度も見たことがない彼女の驚きの顔に、思わずにやりとしてしまう。ミーミアの手は、すっかり綺麗になっていた。


 ミーミアは驚いた顔のまま、自分の手をまじまじと見つめている。


「ふふふ、私魔法の講義を受けたのよ」


「それは知っていましたが……、回復魔法が使えたなんて、知りませんでした」


 それはもちろん私も知らなかった。


「ダルバード先生が、教えてくれたの。適性があったみたい」


「素晴らしいです……! 回復魔法が使える人は、ごく少数だと教わっています」


「そうらしいわね。と言っても、初級であるこのぐらいが限界みたいだけれども」


「それでも素晴らしいです。……魔法を、私になんて使っていただいて良かったのでしょうか」


「ええ、もちろん。ミーミアにはとても感謝しているから。私がしたかったのよ」


「奥様……ありがとうございます」


 手荒れが治ると嬉しいよね。

 口には出せないけれど、私も使用人として働いていたからわかる。


 最初のころは、手荒れが痛くて、痛んだ手を見るのが切なくて涙が出た。いつの間にかそれが当然になってしまっていたけれど。きっとミーミアもそうだろう。


 忘れていても、意識しなくても、痛みはそこにある。


 すっかり綺麗になったミーミアの手を見て嬉しくなる。


「上手にできてよかったわ」


「奥様……ありがとうございます」


 ぎゅっと手を握り、ミーミアは、初めてとても嬉しそうに笑ってくれた。

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