10 夢じゃないといいな
後はメイドに聞くように、とルシウス様は出て行った。
次に会うのはいつになるのだろう。
「ミーミルです。クローディア様の専属メイドとなりますので、よろしくお願いいたします」
「クローディアです。よろしくお願いします」
「私に敬語など使わなくてよろしいですよ、クローディア様」
「わかったわ、ミーミル」
私の専属メイドと名乗ったミーミルは、義母と同い年ぐらいの落ち着いた女性だった。
ふわりとした笑顔で、私のことをじっと見ている。
感情が見えない、模範的な笑顔だ。
……もしかして、私の能力なくなってたりするのかな。
先程はルシウス様の感情がまったく見えなかった。じっとミーミルを見てみる。
薄い黄色が彼女の周りに見えた。
見たことのない色だ。
でも、能力がなくなったわけではなさそうだし、危険な色でもなさそうだ。
危険なのは紫。
これが見えた時は叩かれるのはいい方で、水をかけられ何日も閉じ込められたりすることもあった。
たぶん憎しみの色だと思う。
「移動でお疲れでしょうから、お茶を入れましょうか?」
「ありがとう」
人に頼むのはむずむずする。
自分でも当然入れられる。
けれど、メイドとして仕事をさせてもらえないのが困る、という気持ちもわかる。それに、私がメイドとして暮らしていたと知られるのは良くないだろう。
攻めて粗相がないように、と椅子に座ってじっとする。
「わっ。すごく、美味しいわ」
口に入れる前からふわりと紅茶の香りが広がる。驚くほどおいしい。
それに、甘い。
甘いものを口にするのなんて、いつぶりだろう。
目をつむって、ゆっくりと味わう。
「お口に会ってよかったです。好みがわからなかったので、教えてもらえればご用意いたします」
「……ありがとう」
どうしていいかわからなくなって、私はもう一口紅茶を飲んだ。
紅茶の名前は給仕をしていたのでわかる。淑女教育でも、リストを見た。
でも、好みかどうかなんて考えたこともなかった。
今後はこういうことも気を付けないと、ルシウス様に恥をかかせてしまうことになるかもしれない。
気を付けよう。
「奥様。お茶が終わりましたら、お食事前に湯あみをしましょう。道中長かったので、マッサージをして疲れを癒しましょう」
「……お湯を用意してくれれば、自分でできるから気にしないで」
お風呂の世話なんてしてもらったら、傷を見られてしまう。
お金で買った妻が傷ものだなんて知られたら、返品をされるかもしれない。
それはとても困る。
この先どうなるかわからなくても、ルシウス様は私の待遇は保証してくれると言っていた。
「いえ、奥様は公爵夫人なのですから、そういうわけにはまいりません」
身体は見られたくなかったけれど、きっぱりとミーミルにそう言われてしまえば、断るすべはない。
彼女をちらりと見る。
先程と同じように、目を細め微笑んでいる。
……私は、公爵夫人だし、彼女は職業人だ。
きっと大丈夫。
「ミーミル、湯あみをお願い。けれど、あなた以外の人は入れないで。そして、見たものについては口外しないで」
私のお願いに一瞬驚いた顔をしたけれど、ミーミルはしっかりと頷いてくれた。
見えないところの傷は、あざのように残っているし、青くなっていたり黄色くなっているところもある。
躊躇った私の着替えを、彼女は落ち着いた様子で手伝った。
湯あみの間も、その後も、私の傷について彼女は、一言も口にしなかった。
湯あみの後は、食事だった。広い食堂に一人通される。
後ろにはミーミルがついてくれ、給仕は別で行ってくれるようだ。
広いテーブルに、一人座る。
テーブルマナーは学んできた。問題はないはずだけれど、やはり緊張する。
ルシウス様と一緒じゃなくて良かったぐらいだ。
しかし、その緊張は食事が運ばれてきたらすぐに忘れてしまった。
「おいしそう……」
「お褒め頂き、光栄でございます」
私の前に、一人前のサラダや前菜が並ぶ。
……私のために用意された、食事。
じんわりと涙が出てきそうになって、慌ててぎゅっと目をつむった。
サラダをフォークに刺し、ゆっくりと、口に運ぶ。
しゃっきりとした野菜が、美味しい、凄く、美味しい。
マナー講座でも、私には実際の食事は使われなかった。文字で覚えて、布を食事に見立てて実践していた。
お腹がすいた状態で行うそれは、精神的に苦しかった。
野菜はこんなに、美味しいものだったんだ。
ただ、知識として知っていても、実際のこれが何の味なのかがわからない。
……いや、今は余計なことを考えるのはやめて、美味しいということだけ考えよう。
「……ごちそうさま」
食事は大変に美味しかった。
前菜のサラダからして食べたことのない味で、感動してしまった。主菜のお肉も食べた記憶がない大きさなのに、柔らかくてすごくすごく美味しかった。
食べたい気持ちはあったのだけれど、普段満足に食べれていなかったせいで、サラダと主菜半分で苦しくなってしまった。
大変に申し訳なく、心残りだ。
それでも美味しすぎて食べすぎてしまったのか、あっという間にお腹が痛い。
腹痛を悟られると大変なので、早々に部屋に戻る。
ミーミルに寝巻に着替えさせてもらい、ベッドに腰掛ける。
「こちらおいておきます。ご用があればベルでお知らせください」
「ありがとう。助かるわ」
「それでは、失礼いたします」
ミーミルが出ていくと、広い部屋に一人になった。
サイドテーブルには、氷が入ったグラスが置いてある。氷だなんて、贅沢で驚く。
その隣には、氷の入っていないものも置いてある。
氷はもったいないけれど、私は入っていないほうを手に取った。
ミーミルにはお腹が痛くなっていたのがわかっていたのかもしれない。何も言わない彼女の心遣いが、有り難い。
「……美味しい。これ、果汁が入ってる。かんきつの香りがするわ」
いい香りで少し酸味のある水は、身体に染み渡るようだった。腹痛も少し落ち着いた気がする。
ベッドに倒れ込む。
天蓋のついたベッドは、横になるとレースが見える。とても優雅だ。
「……これ、本当に夢じゃないのかしら」
なんだか信じられない気持ちだ。
人外公爵と結婚だと言われ、散々フラウからは蔑まれていたのにこれはいったいどういうことだろう。
……夢じゃないといいな。
しばらく色を見るのはやめよう。
嫌な色を見てしまったら、この夢がはじけてしまいそうだ。
今日移動にルシウス様と対面、屋敷での色々。
身体はすっかり疲れている。いつもの床とは違う、ふわふわで柔らかいベッドに沈み込むと、あっという間に眠気に襲われる。
しかし、寝ると夢から覚めてしまいそうで、私はいつまでも天井を見ていた。
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