1 無能なクローディア

「クローディア、あなたにはなんの力もない。私のすべてを引き継がなかった。何もできない子なのよ。良く覚えておきなさい」


 十歳の時に他界した母が、幾度となく私に言い聞かせてきた言葉。


 その言葉と共に、母は私の目を見つめ、哀れむように頬を撫でた。


 病弱な母にはほとんど会うことができなかった。会えた時も、母はいつもベッドの上で、痩せ細った身体でぼんやりと空を見つめていた。


 そして、私に繰り返した。

 時には涙を浮かべながら、あなたは無能だと。


 母は特別な力があったらしい。

 どんな力だったかは、私には教えられなかったけれど。


 それでも母の手は温かく、会えることが嬉しかった。


「お母さま、わかりました。無能でごめんなさい……」


 母の期待に応えられない自分が、母に涙を流させる自分が、嫌だった。


 これが私と母の思い出だ。



 ……今のこの状況も、私が無能であることへの罰なのだろうか。


 あの時も私は、目の前で冷たい笑みを浮かべる義妹フラウを見つめながら、そんなことを考えていた。

 母が亡くなって、すぐに新しい家族が急にできて、それでもなんだか嬉しかった、十歳のころの私。

 人の悪意など知らなかった、十歳のころの私。


「あなたみたいな人がお義姉さまだなんて、私は認めない」


 義妹のフラウが言う言葉が全く理解できず、私はどこかぼんやりとしていた。

 ギラギラとした目が怖くて、叩かれた頬が熱くて痛くて、私は驚いて立ち尽くすことしかできなかった。


 騎士として父についていたはずのグリアラが、フラウの後ろでただ成り行きを見ている。


「……フラウ……どうして、なの」


 一週間前我が家に来たフラウは、緊張した面持ちで、それでも微笑んでくれたのに。こんな風に、私の事を見つめたりしなかったのに。


「この家を継ぐのは、私が相応しいわ。私は魔法も使えるし学園での成績だって優秀だわ。……お義姉様のような無能じゃないの」


「……無能」


 フラウにはっきりとそう断言され、私は反論できずに俯いてしまった。

 確かに、私は何も引き継がなかった無能だと言われ続けてきた。


 それでも、可愛い義妹だと思っていた彼女に言われると、ぐらりと世界が揺れるように思えた。


 王都近くに領地を持つ、ここドードン伯爵家の長女に産まれた私は、無能だと言われる以外特筆すべきことがないような貴族の令嬢として暮らしていた。


 身体の弱い母と、仕事が忙しく家に帰らない父。

 家族との関係は薄かったけれど、それで問題はなかった。


 十歳の夏、私の母が亡くなった。もともと病弱で子どもどころでなかった母には、特に思い入れはなかった。


 ただ、家の中が広くなった気がした。


 しかし三ケ月後、喪が明けるとすぐに義母と義妹ができた。

 義妹であるフラウは、私と三歳しか年が変わらなかった。


 でも、歓迎していた。仲良くなれそうだと、思っていた。それなのに、どうして。


「そうよ! 無能よ! お父様の役に立つのは、私だわ」


 もう一度強く叩かれ、今度は倒れ込んでしまった。

 横に見える視界の端に、父が見えた。


「……お父様、助けて」


「お義姉さま、そんな事したって無駄よ」


 良くわからないフラウからの悪意に、私は必死に父に手を伸ばした。

 私の声が聞こえたのか、父は振り返った。私は、良かったと思った。


「お父様……!」


「クローディア、お前は確かにあれから何も引き継がなかった。フラウを見習って、私の役に立つように努力しなさい」


 しかし、目があった父は、私が倒れ込んでいることなどまるで気にならないというように、冷たく言い放った。


「お父様……?」


 どうして、助けてくれないの? 冷たく私を父の周りには、何故か青い光がぼんやりと見えた。

 それが何かを考えるもなく、もう一度衝撃が走る。


「残念ね、お父様は私の味方よ。グリアラ、お義様には罰を。こんな風に何も考えずに生きてきた、罰を与えてちょうだい」


 私の手を踏みつけたフラウの周りにも、いつのまにか紫の色が漂っている。

 見たこともない、なんだかとても不吉な感じのする色に覆われた彼らに、私は恐怖を覚えた。


 いったいこれは何なのか。

 私の目がおかしくなってしまったのだろうか。


「クローディア様、立ってください」


 グリアラは混乱している私の腕を握り、乱暴に引き起こした。


「……グリアラ、どうして」


「フラウ様は、この家を継ぎたいのです。無能であるクローディア様が居ることによって、それが叶わないとお思いなのでしょう」


 私が名前を呼ぶと、グリアラは冷たい声で言い放った。グリアラからも、先程父に見えたものと同じ青い色が見える。


 なんだかすごく嫌な予感がする色に、私はぎゅっと目を瞑った。


「……そんな、私はこの家を継ぎたいなんて考えた事なかった」


「それが罪なのです」


 グリアラは変わらず青い色をまといながら、物を見るような目で私の事を見ている。

 私の腕を掴んだまま、どこかへ向かうフラウの後に続いた。


 家族の優しさや、使用人や騎士たちとの交流は今までもなかった。けれど、こんな風に扱われるのも初めてだ。


 意味がわからなくて、惨めで痛くて苦しくて、涙が出てくる。

 けれどそれを拭う気力も出てこない。


 引きずられるように進んでいくと、目的地に気が付いた。


「……この先は」


「地下室よ。立場が分かるまで、こちらに居てちょうだい」


 フラウはどこか泣きそうな顔をして、私の事を地下室に閉じ込めた。


「フラウ助けて! ねえ、どうしてなの!」


「助けないわ。……私はずっと、努力してきた。あなたと違って。お父様だって、認めてる」


 私の声は届かず、使用人として生きフラウに逆らわないと約束するまで、私は地下室に閉じ込められ打たれ続けた。

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