手先の冷えが来たら冬の始まり(※仕事の話あり。苦手な方はUターン願う)
めっきり寒くなりましたねー。まだ10月入ったばかりだっていうのに。冷え性の私。もう手先の冷えが始まりました。こうしてキーボードを叩いている指。指の付け根から指先まで冷蔵庫並みの冷たさ。……まだ10月ですよね?
職業柄、故人様(ご遺体っていう表現が嫌いなので、故人様という言い方をします)に触れたり、故人様にドライアイスをあてたりするのですが、ときどき故人様より私の指先のほうが冷たいときもあって。「あ、ごめんなさい。冷たいですよね」って、故人様に謝ることも多々……。お亡くなりになられた方より、生きている人間の指先が冷たいなんて、なんだか申し訳なく感じます……。
よく手が冷たい人は心があたたかいなんて言われたりもしますが、実際はどうなのでしょうね。陽だまりのようなあたたかい手をした人の心が冷たかったら、すっごく嫌だな。冷え性だからさ、手があたたかい人ってだけで惹かれるし、あたためてくれる人みんな神様みたいな感じよ。その人たちの心が冷たいなんて信じたくないなぁ……。どうか、心もあたたかであってくれ!
手も冷たくて心も冷たかったら、もはや機械。そうはなりたくないね。手の冷たさの時点で、そこに片足は突っ込んでるんだから。心まで冷たい人にはなりたくない。
いつだって、人の気持ちが分かる人間でありたいし、考えが至らないこともあるけど、そこは想像力でカバーできるはずだから。どんな状況でも、人から目をそらすことはしたくない。それは生きてる人でも、亡くなってる人でも同じ。どちらも【人間】だから。
亡くなると、人間は【貨物】に分類される。だから、寝台車や霊柩車は貨物ナンバーの緑色をしている。でもさ、さっきまで息をしていた人よ。同じ時間を生きていた人よ。「亡くなったので、貨物として扱いますね」は、おかしいでしょ。たまにいらっしゃるみたいです。そういう扱いをされる業者さん。同業者としてもだけどさ、人として信じられないし、嫌悪しかない。
よくご家族の方から「亡くなった人(遺体)とか、平気なの?」という質問をいただくけど、迷うことなく即答してる。
「はい。生きている方も亡くなった方も同じ人間ですから」
そういう考え方だから、亡くなったからといって人への接し方が変わるわけじゃない。返事は返ってこないけど、それでも気にしないで話しかけてる。「おはようございます。めっきり涼しくなりましたねー」「帰りますね。また明日」って。
自分が亡くなったと想像してみてよ。誰からも話しかけてもらえない、家族すらよそよそしくなる、亡くなった瞬間から人として接してもらえない、すっごく悲しくないですか?
私は、絶対に嫌ですね。自分がされて嫌なことは相手にもしないって決めたから。故人様に対しても私は人として接してます。返事が返ってくるかこないかは、どうでもいいんです。人として接することをやめたくない。自分だけしかそう接しないとしても、それでもいい。故人様に嫌われているかもしれないけど、それでもいい。最後の砦じゃないけど、最後まで人として送り出してあげたい。
それが私の仕事であり、人の最後に携わることへの私なりのけじめ。
凍える自分の指先を組むたび、亡くなった方のことを思う。ドライアイスをあてられ、棺の中で同じように手を組んでいる。
自分に残された時間がどのくらいあるのか分からないけど、後悔のないように生きないといけない。そのことを亡くなった方から常に教えられている。
今年も冷たい指先で冬を迎えよう。ホットドリンクで暖を取りながら……。
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