033 すぐそこにある危機
急ぎ足で地下水道を進む。
辺りには二人分の靴音が派手に反響していた。
目指すはミリシャと思われる緑色のマーカーの場所。
幸いそれほど遠くはない。しかし悲鳴が聞こえた以上、彼女の状況は切迫していると考えるべきである。
なので大きな音を立てるのも構わず走っているわけだ。
「お、おい、ミーユ。こんなにうるさくしていいのかよ?」
カイルがおっかなびっくり周囲を見回しながら尋ねる。
腰は引けているものの、きちんとついてきていた。
あまり根性があるタイプには見えないが、そこはやはり好きな女の子のピンチとくれば奮起もするのだろう。
「足音のこと?」
「ああ。これじゃインビジブルラットに気付かれちまうだろ」
「ん、そうだね」
「そうだねって……もしや何か考えでもあるのか?」
「まぁね」
「……ま、まさか、わざと音を立ててる……?」
「あはは、察しがいいじゃないカイル。そ、大きな音でインビジブルラットをおびき寄せるの」
「はぁ!? バッカ! それじゃオレたちが危ねーだろ!」
「一人でいるミリシャのほうに鼠が行くよりいいでしょ?」
「ぐっ! そりゃそうだけどよぉー……おっかねーこと思いつくヤツ」
わたしの考えを聞いて途端に不安げな顔になるカイル。
無理もない。
まだ10歳の少年なのだから。
しかも冒険者になったばかりだ。
わたしがカイルと同じくらいの頃なんて、下校途中に知らない道を通ってみるだけでも大冒険だったもんね……
それに比べたらこっちの世界の子はすごいと思うよ。
しっかりした考えを持って、生活のためにこの年齢で働いてる。
あぁ……生前の自堕落なわたしに見せてあげたい……
ん?
チラリと視界の隅をヒョロ長いモノがよぎった。毛の生えていない尻尾である。
推測通り、音に引き寄せられたインビジブルラットがお出ましになったようだ。
普通の動物ならば大きな音で逃げるか警戒するものだが、インビジブルラットは透明化の能力で外敵からは非常に見つかりにくい。
なのでその透明化を利用し、彼らは逆に群れを成して外敵に襲い掛かると言うのだ。
倒せたならその場で食べ、最低限傷を負わせればラットフィーバーを感染させることが出来る。ラットフィーバーによって弱るか死んでから食べる、という戦法だ。
わたしはその習性を逆手に取ったわけだ。
「カイル」
「なんだよ」
「来た」
「!」
短いやり取りでカイルも気付く。
彼は察しがいい。
色恋沙汰以外は。
「で、どうするんだよ?」
「勿論やるよ」
「やるったって……結構数がいそうだぞ?」
「だね」
カイルに答えながら左手を一閃。
見事、近付いてきていたインビジブルラットを大剣で一刀両断。
そこには毒々しい色をした鼠の死骸が残されていた。
どうやら死ねば透明化は解除されるようだ。
死体をギルドに持って行けば素材として売れるのかもしれないが、ラットフィーバーを接触感染する恐れもあるため触れずに捨て置く。
「うえっ! ……はぁ……すごいなミーユは。こんな時でも落ち着いてら」
「場数を踏んでますから」
「今ならハンターベアを倒したって話も信じられるよ」
「あはは。ありがと」
「オレは何をすればいい?」
「火炎の魔術は使えたよね?」
「おう、中級までいけるぜー」
少し自慢気なカイル。
10歳で中級魔術を習得しているなら大したものだ。
大人ですら初級魔術しか使えぬ者もいるのに。
カイルには魔術の才能があるようだ。
「じゃあ、わたしが指定したあたりに撃ってもらうよ。走りながら詠唱してね」
「えぇ!? マジかー、無茶言うなぁ」
「なによ? 出来ないの?」
「出来らぁ!」
前方の敵はわたしが切り開き、鼠の集団には少々たどたどしい詠唱でカイルが火炎魔術を放つ。
付け焼刃にしてはなかなかのコンビネーションではなかろうか。
まぁ、正直に言えばわたし一人でもどうにかなるとは思う。
ただそれは、わたしがソロだった場合に限る。
周りを気にせず大きい魔術をぶっ放せば大抵は片が付くだろう。
今回の場合はミリシャとカイルというパーティメンバーがいるし、依頼されたペットを巻き込む恐れがあるためそれは不可能である。
だが、わたしは【DGO】でアミリンたちと長きに渡りパーティーを組んできた。
故にこういったパーティープレイも得意なのだ。
ともあれ作戦は成功し、ミリシャのいるほうへ徐々に近づいていくわたしとカイル。
しかし思ったよりもインビジブルラットの数が多く、歩みは遅々としてきた。
既にカイルの魔力は尽きかけ、今は炎を纏わせたワンドで肉弾戦に移っている。
「ミリシャ!」
焦りからか、カイルが大声で呼ばわった。
わたしは特に咎めない。
気持ちはわかるから。
今はただ、無心に鼠を斬り捨てるのみ。
「カイル!? カイルなの!? 来ちゃダメ! 早く逃げて!」
ミリシャの声は思っていたよりも近辺から聞こえた。
チラリとミニマップに目を向ければ、2~3度通路を曲がった先に緑色のマーカーが二つある。
そうか。
ミリシャは依頼のペットを見つけたんだね。
遠くからではマーカーが重なってひとつに見えていたんだ。
「待ってろミリシャ、すぐ行く!」
「ちょっ、カイル!?」
「うおわぁああああ!」
止める間もなく脱兎の如く駆けだすカイル。
奇声を上げながらワンドを振り回していた。
明らかに無謀であり、蛮勇である。
「バカ! 一人じゃ……くっ、邪魔よ!」
わたしもすぐに追おうとするも、群がるインビジブルラットを片付けぬわけにはいかない。
仕方ない。
一人になったことだし、ここは魔術を使おう。
大剣を左手一本に切り替え、握りしめた右拳に魔力を集中。
魔力は炎に元素転換され、広範囲を焼き払った。
一網打尽に燃え上がる鼠。
進路クリアー、前進だ。
わたしは地を蹴った。
自慢のアジリティ偏重な脚力を以てすれば、ちょっとくらい離されてもすぐに追いつける。
ほらね、追いついた。
そこは少し広めの空間となっており、上から光が差していた。
袋小路の空気穴なのだろう。
その奥の壁にミリシャが張り付いている。
まるで何かを庇うように。
彼女の眼前には無数のヒョロ長い尻尾、尻尾、尻尾。
大量のインビジブルラットだ。
しかし、おかしなことに、インビジブルラットはミリシャを襲おうとはしていない様子。
むしろ駆けつけたはいいが、攻めあぐねて呆然と突っ立つカイルのほうへにじり寄っている。
だがカイルは無謀にもミリシャのほうへ歩を進めようとした。
「下がりなさいカイル。もう魔力が残ってないんでしょ」
「……ミーユ」
カイルの悲壮感に溢れた顔が、無理矢理笑みに変わる。
そこからの時間は歪に感じた。
引き延ばされたような、スローモーションのような……
「男にはなー、やらなきゃなんねー時があるんだよ!」
「ッ!」
「うおおおおおおおおおお! ミリシャーー!」
咄嗟に声が出なかった。
しかし身体のほうはどうにか反応してくれた。
が、伸ばした手は虚しく空を掴む。
カイルは愚かにもミリシャ目掛けて真っ直ぐにインビジブルラットの群れへ突っ込んで行ったのだ。
鼠は新たな獲物へ即座に襲い掛かる。
当然だ。
カイルの雄叫び。
ミリシャの絶叫。
……カイルの断末魔。
わたしは全力で飛び出し、鼠を薙ぎ払いながらカイルを抱え、ミリシャのいる場所へ。
彼女にカイルを預け、足元にまで迫った鼠の群れに無詠唱の火炎放射。
非常時のせいか、加減が出来ない。
自分でも驚くほど大出力の炎だ。
後ろで咳き込むミリシャ。
この場の空気まで焼き尽くす勢いだった。
だが、全てのインビジブルラットを倒すことに成功したと思われる。
動く尻尾は視界内に無しと判断。
結果など確認せず振り返った。
「カイル! カイルー!!」
ここでようやく正常な時間の流れがわたしに戻ってきた。
ミリシャの悲痛な泣き声が嫌な予感を掻き立てる。
彼女に抱えられたカイル。
彼は全身を鼠に咬まれていた。
特に酷いのは柔らかい腹部。
腹が裂け、出血し内臓がはみ出している。
意識はなく、呼吸は浅く速い。
わたしはすぐにしゃがみ、治癒魔術の詠唱を開始した。
「ねぇミーユ! カイルは助かるんでしょ!? あたしなんかを救けに来たこのバカを治して!」
グイグイとわたしを揺さぶるミリシャ。
大粒の涙が幾度も頬を伝い落ちている。
彼女の気持ちと期待に応えたい。
「キュアライト!」
右手から溢れる光がカイルの傷口に吸い込まれて行く。
出血が少し減ったように思う。
だがそれだけだった。
カイルが鼠に咬まれた傷口は青黒く変色し始めている。
ラットフィーバー感染の兆候だろうか。
いや、それ以前にこのままではまず間違いなく助からない。
わたしは長いタオルを取り出し、カイルの腹をきつく縛った。
一刻も早く医者に診せるべきだ。
「ミーユ! カイルは!?」
「わたしの魔術じゃダメみたい」
「嘘……ミーユでも無理なの……? うあああああん! カイル! カイル! ごめん! ごめんね! あたしが冒険者になろうなんて言ったから! あたしのせいだ! あたしのせいだ!」
石床に突っ伏して泣きだすミリシャ。
まだ冒険者になったばかりな10歳の彼女。
大好きな幼馴染の男の子が今、死の淵に立っているのだ。
地上へ戻るのにどのくらいかかる?
担いで走れば1時間くらい?
それじゃとても間に合わない。
どうする?
何か手はないの?
一瞬で移動できるような……あっ……『幽明門』! いや、無理だよ。絶級魔術なんてわたし使えないし……
やっぱり走ろう! うだうだ考えてる暇はないもん!
「ミリシャ。間に合うかわからないけど、急いで戻ろう。カイルはわたしが背負っていくから」
「うわあああああ! カイルが死んじゃうー!」
泣き喚き、この場から動こうとしないミリシャ。
絶望に囚われてわたしの声も届いていないのだろうか。
ああ、もう!
時間がないってのに……!
この時、突如わたしの胸中にあり得ない思考が鎌首を
それは……ここで二人を見捨ててしまえばいいのではないかと言う恐ろしい考えだった。
まるで面倒なイベントを引き起こすNPCに抱くような感情だった。
NPCなら別に死んでもさして胸は痛まない。
イベントは失敗扱いになるだろうが、こんな序盤ならたいしたイベントでもなかろう。
ならばさっさと放棄して、新しく実入りの良さそうなイベントを発生させる方が得だ。
そんな危うい感情だった。
なっ、何考えてるのわたし!?
これはゲームじゃないんだよ!?
転生してだいぶ経つのに、まだ娑婆っ気が抜けてないの!?
バカバカ! 時間がないんだってば!
頭を振って馬鹿な考えを追い出す。
そうだ。
ウダウダしてる暇はない。
こうなったらミリシャもわたしが担いでいくしかあるまいと決心した時────
「あのー? ここはどこです?」
なんとも場にそぐわない声がしたのである。
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