032 地下水道



 カツンカツンと響く靴音。

 今はアニエスタからの脱出時に履いていた低いヒールの赤いパンプスではなく、アルカナちゃんからいただいたゴツいブーツが立てる足音である。

 およそ幼い女の子が履くような靴ではないと思うが、山道も荒れ地もぬかるみも軽々踏破できる冒険者が使うに相応しいこのブーツがすっかり気に入っていた。


 実はこれ、アルカナちゃんのお古らしいんだけどね。

 でも綺麗に手入れされてるし、思い出の品だったりしないのかな?

 ……大事に履かせてもらいますよ、師匠。


 カツーンカツーン


 足音はもう二人分ある。

 カンテラを前に掲げたミリシャと、ワンドの先にライトボールを灯したカイルのものである。

 二人ともおっかなびっくりと言った風にキョロキョロと周囲を見回していた。


 石造りの水路を挟むように通路がある。

 我々はその通路部分を歩いているのだ。


 さーて、というわけでね。はい、やってまいりました地下水道。

 えー、ここにね、件の依頼のペットちゃんがね、入り込んでるってね、話なんですよ。

 ……こら足! しっかり動きなさい!


 油断すればカクカク震えそうな膝に心で叱咤する。

 理由はひとつ。

 お化けが出そうなこの雰囲気のせいだ。

 前にも言ったが、わたしは母に似て幽霊の類が大の苦手である。


 うぅ~……ママは自分が怖いからってわたしまで怖がらせるから……


 とは言え、わたしが恐れるのは日本の怨霊であって、西洋のゴーストではない。

 この違いをわかってもらえるだろうか。

 なので、仮にこの世界のどこかでアンデッドモンスターと遭遇しても対処は可能である。

 ……多分。


 いやいや、【DGO】では大丈夫だったもん。

 ゾンビもレイスも倒したもん。

 それに……


「……なんかアンデッドでも出そーだな」

「そういうこと言うのやめなさいよバカカイル!」

「いてぇ! カンテラで叩くことはねーだろ! ビビりのミリシャ!」

「誰がビビリよ! あんたこそへっぴり腰じゃないの!」

「ちっちげぇよ! 慎重派といってくれ!」


 口では強がりを言い合うミリシャとカイルのほうがわたしよりもテンパッていた。

 まだ冒険者になったばかりの二人は、こうしたダンジョンっぽい場所も初めてなのであろう。


 初々しいね。

 わたしも【DGO】を始めたばかりの頃はこんな感じだったかなぁ。

 ……嬉々としてレベル上げに励んでた気もする。

 あの当時はリアルで溜まった鬱憤の全てをモンスターにぶつけてたからね……


 ゲームで暴れている時だけは浮世の憂さも忘れられた。

 両親が亡くなった時も、遺産目当ての親戚が群がってきた時も、学校でみんなから無視された時も。

 【DGO】が全てを忘れさせてくれた。


 まぁ、そのお陰(?)でトッププレイヤーにもなれたし、アミリンたちとも出会えたんだよね。

 ……まさかそのあと、わたしがポックリ死んじゃうとは思わなかったけど。


「ミーユも静かだなー。やっぱビビってんのか? ハンターベアを倒したなんつっても、やっぱ女の子だよなー」

「ミーユはあんたみたいに不必要なお喋りしないだけよ!」

「そーだよなー。ミーユはおしとやかだし可愛いもんなー。誰かさんと違って」

「!!」


 あっ、バカカイル(ミリシャのがうつった)!

 そういう軽口は言わないほうがいいって!

 前にアミリンとサヤッチが同じ男の子を……って、それは今関係ない!


「……もういい」


 そう言ったきり黙り込んだミリシャは、ズンズンと先へ進んで行ってしまった。

 あー、ほらみなさい。

 参ったなぁ、まさか自分が痴話喧嘩に巻き込まれる日が来るなんて……

 だけど、わたしはこの子たちより年上のお姉さん(魂年齢は)!

 なんとかしてみせましょう。


「ちぇっ、なんだよあいつ」

「ねぇ、カイル」

「?」

「好きな子をからかいたくなるのはわかるけど、時と場合を考えなよ?」

「ブッ!? な、なにいってんだ! オレはあんなヤツ……!」

「わざわざ煽らなくたってミリシャはカイルのことが好きだってわかるでしょ」

「!? わ、わっかんねぇよ! ちゃんと言われなきゃわかんねーよ!」


 おっとぉ。

 絵に描いたような両想いじゃありませんかぁ。

 うふふふ。かーわいい。

 まぁねぇ、わたしとて年頃の女の子ですから。

 やっぱり恋バナには興味がありますよ。

 いいなぁ。お互い初恋なのかなぁ。

 ……あれ……? わたしの初恋っていつだった……?

 思い当たる人物がいない……!

 嘘でしょ……? わたしってまだ初恋もしてないじゃん!

 NO! 初恋も経験しないうちに死んじゃったわけ!?

 な、情けなさすぎる……


 キャアアァァ


 無能なわたしが煩悶していた時、遠くから木霊のように悲鳴が聞こえてきた。

 ハッとして顔を見合わせるわたしとカイル。

 間違いなくミリシャの声だったのだ。


「ミーユ! 急ごうぜ!」

「待ってカイル! 闇雲に走っても見つからないよ!」


 声の響き具合からして結構距離があると思う。

 しかしこの憶測は通路が一本道だった場合だ。


 ファトスの街の地下に張り巡らされた水道網は、国境付近にある川からの水を各家庭の井戸へ送っている。

 その構造上、かなり複雑なんだそうだ。

 下水はまた別にあるらしく、汚水や悪臭は無いのが救いである。 

 とは言え綺麗な水場には違いなく、今回のようにペットが迷い込んだり、外の獣が紛れ込んだりもすると言う。

 普通ならば鉄柵などで侵入を阻むものだが、水道網入り口付近の小屋にいた管理者のおじさんによると、この間ようやくその予算が認可されたと語っていた。

 新規に建造された街なので、まだ細かいところが行き届いていないのだろう。


 そしておじさんはこうも言っていた。

 時々、外から厄介なヤツも入ってくるんで気を付けな、と。


「魔物だよ! きっとあのおっさんがいってたインビジブルラットが出たんだ!」


 そう、厄介なヤツとは今カイルが言ったインビジブルラットである。

 基本的には川辺に住むラットという認識で間違いない。

 しかし体長は数十センチにのぼるうえ群れを成し、更には何と姿を見えなくさせる特性を持っているのだ。

 この世界では、こうした普通の獣にはあり得ない特性を持つ者を総称して『魔物』と呼称する。

 つまり、わたしの前世で言えば『モンスター』である。


「ミーユ! 尻尾を見逃すなよ!」


 カイルの言う通り、姿を不可視化するインビジブルラットであるが、何故か尻尾だけは丸見えのままなのだそうだ。

 なので対処自体は割と簡単だろう。


 だが、それよりも恐ろしいのは咬まれた場合である。

 彼らは病原菌を保有しており、ラットフィーバーと言う疾病を引き起こすのだ。

 罹患者は急激な高熱を発し、病状によっては死に至る。

 もっとも、多数のインビジブルラットに襲われた場合、発症する以前に肉片ひとつ残さず食い尽くされるであろうが。


「なにのんびりしてんだミーユ! 早く見つけないとあいつが……あいつが食われちまうよ!」

「わかってる。カイル、もうひとつかふたつ、ライトボールを出せる?」

「あ、ああ」

「前方と後方に配置して。暗いと不利だから」

「わかった」


 カイルがライトボールの詠唱をしている間に、わたしは視界の隅のミニマップを確認する。

 大まかな地形の中に、ミリシャは見当たらない。


 もう少し先へ進まないとダメか。

 お願いだから無闇に動かないでねミリシャ……


 冒険者ギルドで出会い、探索のためのお買い物、ついでに武具屋のおばさんに生存報告、そして地下水道侵入。

 ここまでにいっぱいお喋りし、ミリシャとは幼馴染のように仲良くなっていた。

 無論カイルとも。

 今や臨時とは言えパーティーメンバーだ。

 助ける義務がある。


 わたしは抜剣し、後ろのカイルに向けて安心させるようにニコッと笑みを見せてから歩き出す。

 石造りの地下水道は、自然洞窟より何倍も歩きやすかった。

 一段低い水路部分と歩道部分が分かれているのも大きい。


 しばらく行くと、水路は左右の二手に分岐していた。

 まずい。

 ミリシャはどちらへ向かったのか。

 ここで行き先を間違えれば間に合わなくなるかもしれない。


「ど、どっちなんだ? なぁ、ミーユ!」

「ちょっと待ってて」


 その場にカイルを残し、試しに右へ進んでみる。

 反応無し。

 戻って左へ────反応有り!

 ミニマップにミリシャの位置が緑のマーカーで映し出された。

 マーカーは動いていない。彼女はじっとしているようだ。


「左だね。急ぐよカイル」

「マジか!? すげーやミーユ!」


 わたしは大剣を下段に構えて走り出すと、カイルもワンドを両手で握り締めながらついてくる。

 希望が見えたのか、彼の足取りは少し軽くなったようであった。


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