003 行動開始



 脱出を開始するにあたり、まずは状況確認のため出入り口のドアに近付く。

 開け放たれたままなのは敵兵のせいだろう。まだその辺をうろついている可能性もある。

 なので焼けていない壁に張り付き、そっと外部の様子を窺った。


 左右に伸びる廊下だ。

 この廊下は幅が広く長い。

 城の大まかな間取りならキャルロッテわたしの記憶にある。

 左へ行けば謁見の間。右へ行けばこの部屋のような控えの間が並び、そこを越えれば大階段だ。


 目指すのは当然、右。

 大階段から一階に下りて外へ出るのが最短ルート……のはず。


 ただ、もしかすれば左の謁見の間方面に非常階段的なものがあるかもしれない。

 有事の際に使用する王族用の脱出口が用意してあってもおかしくはないからだ。

 しかし、キャルロッテわたしの記憶はそこまで鮮明ではなかった。


 謁見の間の周囲は、王と王妃である両親の執務に関連する部屋が多い。

 つまり、まだまつりごとなどわからぬキャルロッテが赴くことはほとんどなかったのである。


 寂しくなって両親の顔を何度か見に行こうとしたことはあったが、その都度近衛兵にやんわりと妨げられたものだ。

 『陛下はお仕事で忙しいのですよ、王女殿下』

 そう言われてしまっては幼いキャルロッテに返す言葉などなかった。

 一度泣きわめいてみたこともあったが、近衛騎士長ランドルに見つかって抱き上げられ、自室へ強制送還された記憶が鮮やかに甦る。


 なんでだろ?

 そんなに昔のことじゃないのに、なんだか懐かしく感じるよ……


 今のところ廊下に人影はないようだが、念のため耳を澄ますと、燃える音に混じって遠くのほうから金属音のようなものが聞こえた。

 何の音だろうと疑問に思った時、ギィン、キィンといきなり音が大きくなった。

 まるで耳元で鳴っているかのようだ。


 驚いて辺りを見回すが誰もいない。

 しかし音はまだ大きいままだ。


 この激しい金属音。

 【ディヴァイン・ゴッデス・オンライン】でも散々聞き慣れていた。

 剣戟である。

 音の出所は左方、つまり謁見の間かその近辺だと感じた。


 まさか、これがネメシアーナの言ってた『大抵のことはできる力』のひとつなの?

 確かに【DGO】のスキル、『聞き耳』に似てるけど…… 

 とにかく、どっちみち謁見の間のほうには行けないね。


 わたしは革製のベルト付きの剣を背負う。

 腰に下げると身長が小さいせいで引き摺ってしまうのだ。

 そして慎重に廊下を歩きだす。

 あちこちでゴウゴウと燃え盛る炎。

 そのお陰と言うのもなんだが、足音を気にせず進めた。


 気を向けるべきはどこに潜むかわからぬ敵兵。

 出会ってしまえば即時戦闘となるだろう。

 それはつまり、人を斬る覚悟をしなければならないと言うことだ。


『遠慮することはないわよミフユ。やらなければやられるだけなんだから。あなたの罪は女神であるこの私が許します。派手にブッ殺しちゃいなさい』


 わたしの心情を読み取ったのか、ネメシアーナがそんな声をかけてくる。

 でも、ぶっちゃけた話、こんなヘンテコ女神に許されたところでわたしの忌避感は消えやしない。

 そもそも女神が『ブッ殺しちゃいなさい』とか言ってもいいのだろうか。


(さすがに殺すのはまずいでしょ……)

『そ、お優しいこと』

(だけど、キャルロッテの無念もあるから、手足の一本くらいなら斬り落としてもいいよね)

『……あなたのほうがよっぽど怖いこと言ってるわよ。ミフユ、恐ろしい子!』


 一見冷静を装ってはいるが、わたしは相当怒っていたのだ。

 こんな幼い子を容赦なく殺害した敵に────!


 惜しむらくは、このクーデターを企てた首謀者が誰なのか不明なことであった。

 まだ9歳の幼い王女であるし、政治の機微には疎いのだ。

 それに、あまりの恐怖だったせいか、殺害された瞬間の記憶がキャルロッテがの中から飛んでいる。

 わたしも別に凄惨な光景が見たいわけではないのだが、何かしらのヒントはあったのではなかろうか。


 ああ、もう!

 もどかしい!

 相手がわかっていたら絶対復讐してあげるのに……!


 またしてもわたしの心情が伝わったらしく、ネメシアーナが『ヒィ!』と悲鳴を上げた。

 女神を怯えさせるわたしって一体……


 いくつかの部屋を通りすぎ、目標の大階段へ向かおうとした時。

 ちらりと視界に入った控えの間にも、幾人かの近衛騎士が倒れ伏しているのが見えた。

 そしてその騎士の下には侍女の遺体もあった。

 ともすれば、このふたりは恋人だったのかもしれない。

 騎士が身を挺して侍女を庇い、諸共に槍か何かで背中から幾度も貫かれ────


 沸々と背筋から怒りが立ち昇ってくる。

 敵は女子供であろうと平気で手に掛けるような輩なのだ。

 争いとは、どんな時代でもどの世界でも理不尽が罷り通る。

 そしてその理不尽を蒙るのはいつだって弱者だ。


 わたしは悔しさを噛みしめながら廊下に戻り、歩き出した。

 気を落ち着けようと窓を見やる。 


 窓の外は黒い。いや暗い。

 つまり今は夜だ。

 なら、城を出さえすれば闇に乗じて逃げられるかもしれない。

 わたしの身体は小さいし、物陰に潜むことも容易だろう。


 ……ちっちゃいのは便利だよね……自慢の胸は無くなっちゃったけど……


『あなた、まだ気にしていたの!? 大丈夫よ、王妃は巨乳だったわ!』


 確かに記憶の中のお母さまは大きかった。

 だけど、なにが『大丈夫』だと言うのか。


『成長すれば、ミフユもきっと、ね』

(何年後の話よ!? それに大きくなる保証ないじゃん!)


 などとおバカっぽい脳内会話を繰り広げているうちに気も落ち着き、大階段へ到着した。

 階段は大きく湾曲しながら階下へと伸びている。


 よかったー。

 まだ焼け落ちてなかったよ。

 あれ?

 一階はあんまり燃えてないね。

 火を付けられたのは二階から上だけなのかな?


『違うと思うわ。ヤツらが退却する時のためよ』


 あー、なるほど。

 完全に火が回ったら自分たちも逃げられなくなるもんね……って、わたしの心を読まないでよ!


 油断も隙もない女神ネメシアーナであった。

 だけど、そんなネメシアーナに感謝もしている。

 もし、わたし一人がこの場へ放り出されていたなら、とても脱出するための勇気など湧かなかったであろう。

 きっと、わんわん泣いて動くこともできぬまま、転生したことを後悔しながら火に焼かれていたと思う。

 もしくは逆ギレして敵に特攻の末、死亡のパターンだろうか。


『あなた、そんなにか弱い神経してないでしょうが。【ディヴァイン・ゴッデス・オンライン】では『鬼無双』とか『迫りくる暴虐』とか『デッドリースマイル』とか呼ばれてたのではなかったかしら?』

(うっさいわ! 心を読まないでっていってるでしょーに! ってか何で知ってるの!? 恥ずかしっ!)


 終始こんな調子のやり取りがあったお陰で、落ち込んだり悩んだりしてる暇もないのはありがたかった。

 うん。やっぱりちゃんと伝えておこう。

 前世のパパとママは伝える前に亡くなったから、すごく後悔したもんね。


(でも感謝してるのは本当だよ。ありがとうネメシアーナ)

『なっ、ちょっ、そんな不意打ちズルいわよ。私だってミフユに出会えて良かったと思ってるんだから……』


 お互いにデレ期が来たのだろうか。

 いやいや、女の子同士でなにを……


「おい! 子供がいるぞ!?」

「あれは王女だ!」

「バカな!? 仕留め損ねたのか!?」

「即刻捕らえろ!」


 !?


 燃え盛る廊下の奥から複数の声が聞こえたのだ。


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