第二章 一話 『フィクションとノンフィクション』
『召喚術師と世界の果て』について、もう一度おさらいをしなければならない。
あくまで、自作の小説ということで細部まで覚えているわけではない。
設定はしっかり練ったものの、会話を含めた描写は、おおかた勢いで書いたものだ。
だから、話した内容、キャラクター同士の会話、立ち位置、すべてを正確に覚えていることはない。
むしろ覚えているのは熱心に読んでくれた読者たちだ。
彼らは心から作品を愛し、理解してくれている。
その場で思いついた展開やノリに対し、的確に想像してくれる。
物語というものは、読者たちという力が生み出してくれるものだと思う。
だから話すべきは物語の大まかなストーリーであり、キャラクターの意思なのだと。
「えー、コホン。『第一章 一話 スキャット・デルバルドの日常』」
そういうと、酒場の扉が蹴り飛ばされた。
音を立て土煙が舞う。
酒場の男たちは最初「なんだなんだ」と驚いていた様子だったが、扉と一緒にとんできたものをみて、再び酒を飲むことに専念した。
それは一人の少年だった。泥と埃をかぶった黒髪。涙で腫らした両目。殴られた跡のある口元からはまだ暖かい血が流れていた。
「クソ鬱陶しい! しつこいんだよ!」
蹴り飛ばした荒くれものの一人が少年に向かって罵声を浴びせている。
少年は起き上がることもせず、小さな嗚咽声で懇願していた。
「お願いします……そのお金は僕が働いて稼いだお金です……返してください」
「はぁ? 違法労働だろう? 違法なことしといて返してくださいは無理だなぁ!」
「お願いします……」
「しつけぇなぁ。なんだお前、俺とやろうってか?」
「いえ……その……」
「いいぜ俺は! 魔術勝負するか?」
「しない……です」
「ははは!だよなぁ! まだ十五になってもないんだろう? なら魔術は覚えてないか! がはは! おやじ! 麦酒ひとつ!」
荒くれものの前にジョッキが運ばれる。
それを一気に飲み干すと、
「あら不思議! 少年の持っていたわずかばかりのお金はおいしいおいしい麦酒となって俺の胃の中に入るのでした!」
だから帰れ、と。
くっくっくと笑う大人たち。
少年はぼろぼろの袖をぎゅっと強く握りしめた後、酒場を後にした。
その様子を傍から見ていたユグドラシルは、事実を言葉にしながらメモをする。
「スキャット少年は、貧しい生活を送っていました。ただでさえ、この町はガルディア国と魔神領との境目に近い。日夜国を守る騎士。命とお金を天秤にかけ、酒に傾く傭兵。戦争で生まれた数々の死体から金品を盗むものたち。この町は荒れていました。
お金も才能もないスキャットは、この町から逃げることができません。まだ幼い妹もいます。ですが――」
大きく、息をつく。
「フィクションは悲劇から始まり、ノンフィクションは喜劇から始まる……なんて言葉を受け売りに作った冒頭だけど……」
ゆっくりと席を立つ。
「漫画としてなら退屈な冒頭だし――現実として見るなら悲痛すぎる……物語を漫画で見るのと、実際にスキャットたちを見るとじゃ――大違いだな」
こんなに胸が苦しくなるとは思わなかった。第一話として、悲壮的な少年を登場させれば盛り上がると思っていた。可哀そうな人間に、読者は同情するから。
同情すれば共感し、共感すれば熱意が伝わる。そう考えて物語を作った。
そして、その考えはきっと正しい。
「いくか」
テーブルの麦酒を残し、少年のあとをひっそりと追った。
物語はいまもなお続く。
人で溢れる街を、少年は肩を落としながら歩いていく。
それも当然のことだ。戦争が近くにある場所には金が集まるものだ。
目と鼻の先を歩くスキャットにばれないようにしながらユグドラシルは独り言をつぶやく。
「第一話の中で、少年と妹の心の距離が分かる。たしかこのあとスキャットは全財産使って――」
そう呟こうとしたとき、少年はパン屋で立ち止まった。
店の外観は、決して良いものではなかった。安さが売りで質より量。
「なんだい……?」
不愛想な女店主はスキャットを睨みつける。ぼろぼろの服、汚れた手をしているスキャットを、店主は上等な客とは思わないだろう。
「あの……黒麦パンをひとつ」
「……あいよ」
スキャットは穴の空いた靴下に隠し持っていたへそくりを取り出しパンを交換する。
少年は紙袋を片手に町はずれの村へ帰っていく。
途中、紙袋を何度かのぞいては、大きく息を吸って楽しんでいるようだった。
そんな少年の行動を、ユグドラシルは影で驚きながら見守っていた。
「すごいな……」
少し意外だったのだ。ユグドラシルが書いた物語では、少年スキャットが黒パンをへそくりで購入するまでを描き、そこから自宅まではシーンを飛ばしていた。
「生きてるんだな、スキャットは」
少年が安い傷んだパンのにおいを嗅いで楽しむなんて思ってもみなかった。
当然のことを、いまさらながら思い直した。
飛ばしたシーンの間も、彼らは生きている。
「少年がパンの匂いを嗅いで楽しんでいる。これらは描写としてなかった行為であり、逆に言えば書いていないことはある程度自由に動くようだ。これはとても重要なことである」
独り言をはなし、物語を記録していく。
町はずれの村につく。そこは小さな集落であった。
さすがにこれ以上近づくと危険と考え、ユグドラシルは遠目からスキャットを追った。
「これじゃ会話は聞こえないな……」
ポケットからある道具を取り出す。
それはこの世界にあるおもちゃのようなもの。
「神の玩具No.006。
そういうとユグドラシルの前に果物が浮かび上がる。大きめ黒ずんだ乾燥レーズンのようなフルーツはぱっくりと二つに割れ、一つはユグドラシルの右耳に、もうひとつはスキャットたちの家の壁へと張り付く。
「よし」
会話さえ聞こえていれば、おおかた行動もわかる。ただでさえ自分の描いたものなのだから。
そうこうしているうちに、スキャットは玄関へたどり着いた。
開ける前に、大きく深呼吸をする。
そして暗い顔を無理やり笑顔に変えて勢いよく戸を開けた。
「ただいまクーイ!!」
「おかえり。お疲れさま」
「いやー今日も働いた! 朝からバリバリきっちり働きつくしました!」
「お水飲む?」
「ぜひいただこう!」
「今日はどんなお仕事だったの? はい、お水」
「お! ありがと! 今日はガルディア国と敵の境界線に壁をつくる仕事だった!」
「すごいねお兄ちゃん!」
「そうだぞ! お兄ちゃんはガルディア国を守る手伝いをしているのだ!」
「すごいなぁ……。私も働きたいなぁ」
「大丈夫! クーイも体がよくなったらすぐ働けるさ! お兄ちゃんでも働けるんだぞ? お前もすぐだ! あ、そうだ」
ガサゴソ、と『主婦の耳より早い実実』から紙袋の音が聞こえる。
「今日の飯! ちょっと傷んでるけどでかいパンだ! うまいぞ!」
「ありがとう!」
この会話を聞いて、ユグドラシルは思い返す。
スキャットは病気の妹のために毎日働いている。日々得ることのできる賃金は飢えをしのぐ程度で、いいように大人に使われているのだ。
スキャットは頭がいい。もちろん正当な手当てではないことはわかっていた。
ただ、子供を働かせてくれるような場所も知り合いもいない。
妹が腹いっぱいになればそれでいい、そういうキャラクターだ。
「あれ、パン一個しかないけど、おにいちゃんのは?」
「お兄ちゃんは帰ってくる途中お腹がすいたので食べちゃいました! ごめんね! 一緒に食べる予定だったのに!」
「もう!」
わはははは、と笑い声が聞こえる。
「第一章 一話 スキャット・デルバルドの日常。スキャットは毎日ひたすら妹の健康を願って働いた。本当は病院にも行かせてやりたい、おいしいものを食べさせてやりたい、可愛い洋服やおめかしだってさせてやりたい。そう思い毎日を生きている。――ごめん」
ユグドラシルは謝った。
彼らをおいやったのは自分自身である。決してクーイとスキャットが招いたことではない。
物語に重みをのせ、魅力的なキャラクターにするためだけに作り出した。
だがどうだ。
夢や創作と違い、目の前に二人がいる。
空腹を堪えながら笑う兄と、病気になりながら支える妹。
せめてなにか――愛している二人にしてやりたい、そう願った。
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ユグドラシルは、一人酒場の裏道で待っていた。
今回『第一章 一話 スキャット・デルバルドの日常』を見たことでわかったことがいくつかある。
それは物語が作られたとおりに進んでいくこと。
そしてなにより、物語で語られていない部分に関しては各キャラクターたちが自在に動き物語に合わせていくことだ。
酒場から笑い声が聞こえる。
スキャット・デルバルド。
クーイ・デルバルド。
千切り姫ミレ・クウガ―。
フェアリーのリズレット。
彼ら彼女らには今後の物語が存在する。ある時はラスボスのために誕生日プレゼントを一日中考える副官、ワンピースのしたで悶々とする妖精、はたまたラスボスを倒す主人公。
そう彼らには動く道というものがあり、そこを大きく外れることはない。
では――それ以外の者は?
パンを売っている女店主。
ぽっと出の酒場の主人。
なにより――
「ふぅ! 飲んだ飲んだ! さて……どっかでねぇちゃんをひっかけてるか! それかまたあいつから金をむしるのも――」
「やぁ……登場人物A」
なにより――今後登場する予定のない、クズな荒くれものは?
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