第一章 八話 『死んだこともないのにどうして言える?』
何万という魔族が住む国、庭園都市アミュレットは和風テイストの空中要塞でもある。雲よりも上にあり、ゆっくりと移動する大都市。
あらゆる異形の仲間たちが家を構え、ユグドラシルを神と見据え信仰している。
風切り音と一緒に歯車が織りなす機械音が心地よく聞こえる。
すっかり夜も更け、大勢の仲間たちは寝床(ねどこ)についた。
「本当にやるのか?」
心配そうな声で、ミレ・クウガーは問いかけた。ユグドラシルが立っている場所は庭園都市の端。だれも近づかぬ空と国との境界線。
大きく深呼吸をする。冷たい空気が肺に入り、少しだけ落ち着いた。
「あぁ。これが大事なんだ。俺にとっても。これからにとっても。ミレ、君にとっても」
そう、世界で一番大切なこと。
「いまの主殿はよぉ。『死なねぇ』ってだけの、ただの人間とほぼ同じだぜ? 痛覚も当然ある」
「分かってる」
「まともな判断ならそんなことはしないと思うが――この高さから落ちたら死ぬほどいてぇぞ?」
「確かにね。けど最後の確認と現状把握が必要なんだよ」
「最後の確認と現状把握?」
「これが夢じゃないっていう、最終確認」
「まだ言ってんのかこのタコ頭は」
「ミレ。ひとつ頼み事をいいか?」
「バカの頼み事なんか聞きたかないが、言うだけは勝手にしろよ」
「俺が地面に激突して、会話できるまでに何秒か数えていて欲しい」
「あ?」
そういって、数千メートルはある上空から、ユグドラシルは飛び降りた。
夢で目覚める方法を聞いたことがある。
夢を夢と認識し、理解し、現実に戻る方法。
それは死ぬことだ。
夢で死ねば、実際の人間の肉体は現実に引き戻される。
「わあああああああああああああああああああああああ」
雲に飛び込む。
「ささささっさささむいいいいいい! 上着着てこればよかった!モフモフのコート。断熱材が入っているやつ!」
よくよく考えれば今の服装を理解していなかった。
薄手の上下黒の服。どうも寒さに対する耐久はないだろう。
「あぁ! 戻りたい!」
落ちながら上を見上げる。空へ飛び降りたのだ。
庭園都市アミュレット。雄大な都市が少しずつ小さくなっていく。
「あぁ」
なんてきれいなんだ。自身で考えた空想の産物。ラスボスの城。
ユグドラシルが殺される場所。
「夢なら――覚めるな」
そんなことを思いながら、数千メートルを下降し、地面に激突した。
ー---------
結局のところ、ラスボスと呼ばれるユグドラシルの強さは、永遠に繰り返される命である。
魔神として長年を生き、特定の条件を満たさねば殺すことのできないイレギュラー。
自身の命を七つに分け、すべてを殺さなければ死ぬことがない。
だからもし夢ならば、地面に激突した瞬間死に絶え、現実で目を覚ます。
「いててて……」
ゆっくりと目を開ける。
見えるのは星空。
暗い夜の中だ。
「覚めない、か」
この感情に名前をつけるのならなにがいいだろう、と思う。
自分の作った世界に迷い込んだのだ。
それがいま確定した。
「気が済んだか?」
視線を横へ向けると、当たり前のようにミレがそこにいた。
哀愁漂うその表情からは――いや、なにも読み取れない。
「何秒だった?」
「六、いや五秒ってとこだな」
「はは、落下死から五秒足らずか。すごいねこれは」
骨折した手足から煙が出ていた。修復されている途中なのだろう。
ミレの言う通り、この体の基本ベースは人間の時と変わらない。骨密度から内臓強度、痛覚も含めて昔の感覚に近い。
意識が途切れて、おおよそ五秒で意識が回復。
そこからさらに十秒ほどで手足は完治した。
「十五秒もあれば即死級の怪我でも回復するのは分かった。これは大きな収穫だな」
どんな痛みでも十五秒さえ耐えられればフル回復。それは今後の作戦の上でとても重要なことだ。
「そもそもよぉ、主殿がケガするっていう前提がおかしいんだが。大将ってのはよ、前線に出るべきじゃないだぜ」
「分かってるよ。けど、今後やるべきことのためには必要なんだよ」
「……どうすんだよ」
「簡単。人間を虐殺する。それだけだ」
それが正しいことだ。この世界には。
この世界には役割がある。
主人公はユグドラシルを倒すこと。
ユグドラシルは主人公に倒されること。
「何考えてるんだよ主殿」
不安そうな顔をのぞかせる。今度は、言いたいことが読み取れた。
「不安か? らしくないね。人造兵器、神殺しのミレ・クウガ―」
「不安? 違うね。心配だ」
「そりゃすまんね。けど大丈夫。おかしいんじゃない。これが正常」
「正常って言ったってよぉ、いまの顔は……どこかその……」
「死にそうだって?」
「……ああ」
「それこそおかしな話だぞミレ。俺は死ねないだろ?」
「そういうことじゃない。死ねないのと――死にたいのは別だ」
そんな言葉を聞いて思い出した。
この哀愁の顔を。
ミレとはユグドラシルに恋をした『人造兵器』だ。永遠に時を生きるユグドラシルに寄り添うべく作った仮初の家族。
この表情は愛なのだ。
大切な家族が、まるで死ぬことを悟ったように見える。そんな時そっと傍にいて励ましたくなる。苦しさと心配を混ぜたような顔。
ユグドラシルはありったけの愛をミレに注いだ。
「大丈夫だよ」
そんな言葉しか、かけることはできなかった。
自身にとって、ミレとの時間はまだ一日も経っていない。なのにミレの中には一緒に過ごしてきた数千もの時が刻まれている。
いい加減な言葉も、安易な安心も伝えることはできなかった。
うそをついて生きている。それは事実だ。
ではここで明かすべきか?
この世界は作られたもので、ユグドラシルは今朝死に、代わりの人間が入ったのだと。
否。明かすことは、自身が楽になる方法だ。
この独りぼっちの世界で、誰も理解者がいない中もがくことこそ、贖罪ではないか。苦しいから寂しいから助けてなどと、決して口にしてはならない。
だからせめて、発する言葉に偽りがないよう気を付けた。
「俺は最後まで死なないから」
最後まで死なない。そんな言葉を彼女が聞きたかったのではないとわかっている。
ただいうしかなかったのだ。
それが、ラスボスとしての使命だから。
「はぁ。答えになってねぇよ」
ミレは呆れた顔でため息をつき、
「けどまぁ……しゃーねぇ。付き合ってやるよ」
とだけ言った。
「大抵の無茶は、私らでなんとかしてやるよ。まずは城に戻ろう」
「あーその、それに関してさっそくお願いがあるんだけど」
「なんだ。しゃーねぇから聞いてやる」
ミレはまたわがまま聞かされるのか、と思いつつ頼りにされることに悪い気はしなかった。さすがに一人で出歩きたいだの、戦争の前線に出せなど言われたら全力で断り、さらに怒鳴り散らすつもりではいたが、さすがにそこまでの脳足りんの阿呆ではないだろう。
仮にも、この男は城主、国をまとめるトップなのである。三十年ほど不在だったとはいえ、彼に対する民衆からの信仰心は厚い。
確かめたいから、という理由で庭園都市アミュレットから出ていい存在ではないのだ。
まぁそんな馬鹿ことを言いだすような――
「人間の国、ガルディアに入国したいんだけど」
ミレはここで悟った。
この三十年で、わが主君はアホになったのだと。
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