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2025年1月23日 08:39 編集済
まずは拙作をお読みくださり、また詳細な感想をいただけたことに、厚く御礼申し上げます。『力加減がわからず、「やりすぎてしまった」部分が多い』『甘噛みの加減がわからず、肉を食いちぎってしまった感じ』というのは、まったくもってその通りで、あまりにも的確な表現に笑ってしまったほどです。過去最長の文量になったとのこと、こちらもありがたく思います。とはいえ、何から反応していったものでしょうか。気合の入った感想をいただけたからには、こちらも相応に受け止めた反応を、お伝えせねばなりません。まず、平安時代ディスについてですが。こちらは、私の主義信条によるものですね。というのも、私自身は『文明に甘やかされて生きてきた現代人が、古代や中世に転生・転移したと思ったら、あっさりその時代に順応した』といったタイプの物語に、強烈な違和感を持つためです。過去の世の積み重ねが、現在を築いている。それは間違いなくその通りでしょう。ですが、いつだってその瞬間が、その時代の最先端。古代や中世を生きていた人間にとっては、『現在』こそが、その時代の中で最も最適化された状態です。ですが、現代を生きたことのある人間は違います。もっと効率的で、より利便性の高い社会構造を、生まれた時から享受しているわけですから。その時代の人間が『今こそ最先端だ』と信じて現在を生きるのと、未来人が『未来と比較した上での不便さ』を自覚しながら過去を生きるのとでは、非常に大きな隔たりがあります。ですので、その時代の事実は事実であると列挙した上で、「とんでもない時代に生まれてしまったな」「不便だな」と、現代人としての感情を前面に押し出すことは、全く問題ないことであると考えます。むしろ、その方が自然な情動では? とさえ思うほどです。それが「未来人による過去の見下し」や「驕り」と見えてしまうのなら、それはもう仕方がありません。何しろ筆者としては、『より快適な現代社会を知っているにも関わらず、過去文明の不便さに一切言及しないような登場人物』の方に、遥かに違和感を持ってしまう書き手なものですから。確かに、過去の時代へのリスペクトは持つべきでしょう。ですが、「それはそれとして、不便なものは不便じゃん」「それを、未来の視点を持つキャラが言及することに、何か問題があるだろうか」と思ってしまうわけですね。むしろそこに全く触れない方が、「このキャラは、作者にいろいろと口封じされてそうだなぁ」「これは共感できそうにないキャラだなぁ」と、白けてしまうくらいです。この点を変えようとするならば、こちらも主義信条を曲げねばなりません。やはり、自分にとって思考が理解できないような登場人物を、作中に登場させたくはないですからね。これは、万人に批判なく受け入れられる物語など、この世に存在し得ないことの証左なのでしょう。人には人の主義信条がありますからね。さて「知識のひけらかし」と仰られる一方で、「物語の本筋とは直接関係のない薀蓄も勉強になった」ともあり、これが個人的には一番深刻な悩みどころに思いました。どこまでが〝知識欲を満たせる蘊蓄〟なのか。どこからが〝鼻につくひけらかし〟なのか。これをやはり自分では、全く判別することができないのです。こればっかりは、どうしたものでしょうね……いやはや、本当に。ちなみに『その辺にごろごろ死体が転がっている』という描写は、他の章で関わってくる伏線のために削れません。ですが、差し支えなければその他の「鼻についた」と感じられた箇所を、ざっくりで構いませんので教えていただければ、大変参考になります。続いて、補助動詞に関してですが、完全にミスでございます。ご指摘ありがとうございます。見つけ次第、駆逐して参ります。次に、地の文に散見される横文字に関してです。これには明確に、元にしている作品がありました。氷室冴子さん著の『なんて素敵にジャパネスク』(集英社コバルト文庫)という作品です。これは、たったの10巻で累計800万部を売り上げた、伝説の少女小説なのですが……。(一応、私の親世代で流行った小説です)これがまぁ、1巻の試し読みを数ページめくっただけでも、『スターダスト地区』『エデンの園のアダムとイブ』『イノセント』『ハイライト』『ゴールデンアワー』『ショックを受ける』と、カタカナ横文字のオンパレードなのです。(ちなみに、この作品の主人公は現代人ですらなく、平安時代生まれ・平安時代育ちのお姫さまです。しかもその文体は、なんと主人公の一人称小説です。とんでもない離れ業というほかありませんね……すみません、話が逸れました)ともかく、ミリオンセラーを優に超えて爆売れしている先行作品があるために、それに倣ったという形でした。とはいえ、このたび『なんて素敵にジャパネスク』といった先例を通っていない、まったくフラットな一般読者としての感想を知ることができたことは、非常に有意義でした。確かに「現代語で説明した方が、平安時代に馴染みのない読者でも理解しやすいだろう」といった、安直な試みでもあったのですが。気にされる方は、そこまで嫌悪感を覚えるものなのですね。これは正直、盲点でした。とはいえ、これを改めるかどうかについては、いったん保留とさせていただきます。というのも、本作は『キャラクター文芸』ジャンルとして書いております。ですが、このキャラクター小説というジャンルは〝コバルト文庫をはじめとするような、かつての少女小説を読んでいた層〟がメインターゲットであるのだそうです。(といったことを、某レーベルの元編集長さまがYouTubeで言っておられました)さて、800万部を10巻で単純に頭割りすれば、一冊あたりは80万部。2023年の総出生数よりも、ちょびっと多いほどの数です。(そんなに単純な話では、間違いなくないのでしょうけれど)それでも、当時の少女小説を好んで読んでいた層は、だいたいが上記の作品を通ってきているのではないかと思われます。なので、もしもターゲット層の想定として間違っていないのであれば、もう少し様子見をしてみたいというのが本音ですね。そもそも作品の大工事は間に合いそうにないため、今後もし幸崎さまの意見を容れて改稿するにしても、カクヨムコンが一通り落ち着いたあとになるかと思われます。続いて、地の文に関してです。合わないと思われたのであれば、これもまたどうしようもないことですね。本作は地の文中に、視点人物の内面/思考のみを記載できる『三人称一元視点』で進めております。ですが、どうやら幸崎さまは、地の文の人格と主人公とを分けて捉えられているご様子です。しかし残念ながら、地の文の人格は主人公である脩子のものです。なので、嫌いな登場人物(地の文)に対する印象は、そのまま主人公に対して抱くものへとシフトするでしょう。そして、この先を読み進めていただいても、主人公への悪感情が覆ることはないと思われます。ところで、この視点の誤読は、主人公の内心の呟きを時折()で囲ったりしていたことが原因によるものでしょうか?一応、商業作品でも同様の(つまり地の文で視点人物の内面を掘り下げながらも、時々()内で心中の呟きを記す)手法を取っているものがあるので、それを採用しているのですが……。もしも、それ以外に混乱を招いてしまった要因があったのであれば、そちらもお教えいただければ幸いです。本作においては、常に主人公を視点人物として固定しているため、この誤読が起こった原因は非常に気になるところです。以下、総括になります。おそらく幸崎さまにとって、本作の主人公は決して好ましいキャラクターではなく。また、地の文に含まれる横文字は、世界観を損なうものでしかなく。おまけに、平安時代に関連する描写は、今後も現代人の驕りとして映ってしまうことでしょう。とはいえ筆者としても、曲げたくない主義信条に関わってくるところもあれば、意図があるものもございます。以上の点を加味した上で、『合わないからリタイアしよう』と判断されるのであれば、それも巡り合わせかと思います。はたまた、『確実に合わないけれど、もう少し様子見してみるのもいいか』と判断されるのであれば、それはそれでありがたいことです。いずれの判断を下されたとしても、こればかりは『誰が悪い』というものでもないのでしょう。本作が、幸崎さまにとって『合わない作品』であると推察できる以上、今後の選択は幸崎さまのご判断におまかせいたします。当然ながら、読書は負荷をかけてまで行うようなものでもないでしょうからね。改めまして。このたびは詳細かつ真摯な感想を、ありがとうございました!!
作者からの返信
コメントいただき、ありがとうございます。そして、ご返信の内容を拝見するに、これ以上の感想を述べさせていただいても意味がないであろうと判断いたしました。したがいまして、以降の投稿は打ち切らせていただきます。なぜならば、伊井野さまは自作に対する価値と方向性と性質を、正確に見定めておられるからです。読み手がどう思おうと、「こう書きたいんだから仕方ないでしょ」といったものですね。確固たる信念があり、こだわりがあり、目標としている書籍もあるというのであれば、私が入る余地はございません。すでに企画概要にも記載してあるとおり、こうして自作の価値を見出しておられる方の参加は、お断りしております。そうした作品に対しては、「お好きなようにどうぞ」としか申せませんからね。また、私は企画をとおして「殴り合い」をするつもりもございません。上辺では感謝と仰っておられますが、伊井野さまのコメントの端々には攻撃的な意思を感じます。ですので内容への返答も控えさせていただきます。たかが「参考」程度のために、時間を割くわけにもまいりません。こちらこそ、このたびはご参加いただき、ありがとうございました。
編集済
まずは拙作をお読みくださり、また詳細な感想をいただけたことに、厚く御礼申し上げます。
『力加減がわからず、「やりすぎてしまった」部分が多い』
『甘噛みの加減がわからず、肉を食いちぎってしまった感じ』
というのは、まったくもってその通りで、あまりにも的確な表現に笑ってしまったほどです。
過去最長の文量になったとのこと、こちらもありがたく思います。
とはいえ、何から反応していったものでしょうか。
気合の入った感想をいただけたからには、こちらも相応に受け止めた反応を、お伝えせねばなりません。
まず、平安時代ディスについてですが。
こちらは、私の主義信条によるものですね。
というのも、私自身は『文明に甘やかされて生きてきた現代人が、古代や中世に転生・転移したと思ったら、あっさりその時代に順応した』といったタイプの物語に、強烈な違和感を持つためです。
過去の世の積み重ねが、現在を築いている。
それは間違いなくその通りでしょう。
ですが、いつだってその瞬間が、その時代の最先端。
古代や中世を生きていた人間にとっては、『現在』こそが、その時代の中で最も最適化された状態です。
ですが、現代を生きたことのある人間は違います。
もっと効率的で、より利便性の高い社会構造を、生まれた時から享受しているわけですから。
その時代の人間が『今こそ最先端だ』と信じて現在を生きるのと、未来人が『未来と比較した上での不便さ』を自覚しながら過去を生きるのとでは、非常に大きな隔たりがあります。
ですので、その時代の事実は事実であると列挙した上で、
「とんでもない時代に生まれてしまったな」「不便だな」と、現代人としての感情を前面に押し出すことは、全く問題ないことであると考えます。
むしろ、その方が自然な情動では? とさえ思うほどです。
それが「未来人による過去の見下し」や「驕り」と見えてしまうのなら、それはもう仕方がありません。
何しろ筆者としては、『より快適な現代社会を知っているにも関わらず、過去文明の不便さに一切言及しないような登場人物』の方に、遥かに違和感を持ってしまう書き手なものですから。
確かに、過去の時代へのリスペクトは持つべきでしょう。ですが、
「それはそれとして、不便なものは不便じゃん」
「それを、未来の視点を持つキャラが言及することに、何か問題があるだろうか」
と思ってしまうわけですね。むしろそこに全く触れない方が、
「このキャラは、作者にいろいろと口封じされてそうだなぁ」
「これは共感できそうにないキャラだなぁ」と、白けてしまうくらいです。
この点を変えようとするならば、こちらも主義信条を曲げねばなりません。
やはり、自分にとって思考が理解できないような登場人物を、作中に登場させたくはないですからね。
これは、万人に批判なく受け入れられる物語など、この世に存在し得ないことの証左なのでしょう。人には人の主義信条がありますからね。
さて「知識のひけらかし」と仰られる一方で、「物語の本筋とは直接関係のない薀蓄も勉強になった」ともあり、これが個人的には一番深刻な悩みどころに思いました。
どこまでが〝知識欲を満たせる蘊蓄〟なのか。
どこからが〝鼻につくひけらかし〟なのか。
これをやはり自分では、全く判別することができないのです。
こればっかりは、どうしたものでしょうね……いやはや、本当に。
ちなみに『その辺にごろごろ死体が転がっている』という描写は、他の章で関わってくる伏線のために削れません。ですが、差し支えなければその他の「鼻についた」と感じられた箇所を、ざっくりで構いませんので教えていただければ、大変参考になります。
続いて、補助動詞に関してですが、完全にミスでございます。
ご指摘ありがとうございます。
見つけ次第、駆逐して参ります。
次に、地の文に散見される横文字に関してです。
これには明確に、元にしている作品がありました。
氷室冴子さん著の『なんて素敵にジャパネスク』(集英社コバルト文庫)という作品です。
これは、たったの10巻で累計800万部を売り上げた、伝説の少女小説なのですが……。(一応、私の親世代で流行った小説です)
これがまぁ、1巻の試し読みを数ページめくっただけでも、『スターダスト地区』『エデンの園のアダムとイブ』『イノセント』『ハイライト』『ゴールデンアワー』『ショックを受ける』と、カタカナ横文字のオンパレードなのです。
(ちなみに、この作品の主人公は現代人ですらなく、平安時代生まれ・平安時代育ちのお姫さまです。しかもその文体は、なんと主人公の一人称小説です。とんでもない離れ業というほかありませんね……すみません、話が逸れました)
ともかく、ミリオンセラーを優に超えて爆売れしている先行作品があるために、それに倣ったという形でした。
とはいえ、このたび『なんて素敵にジャパネスク』といった先例を通っていない、まったくフラットな一般読者としての感想を知ることができたことは、非常に有意義でした。
確かに「現代語で説明した方が、平安時代に馴染みのない読者でも理解しやすいだろう」といった、安直な試みでもあったのですが。
気にされる方は、そこまで嫌悪感を覚えるものなのですね。
これは正直、盲点でした。
とはいえ、これを改めるかどうかについては、いったん保留とさせていただきます。
というのも、本作は『キャラクター文芸』ジャンルとして書いております。
ですが、このキャラクター小説というジャンルは〝コバルト文庫をはじめとするような、かつての少女小説を読んでいた層〟がメインターゲットであるのだそうです。(といったことを、某レーベルの元編集長さまがYouTubeで言っておられました)
さて、800万部を10巻で単純に頭割りすれば、一冊あたりは80万部。
2023年の総出生数よりも、ちょびっと多いほどの数です。(そんなに単純な話では、間違いなくないのでしょうけれど)
それでも、当時の少女小説を好んで読んでいた層は、だいたいが上記の作品を通ってきているのではないかと思われます。
なので、もしもターゲット層の想定として間違っていないのであれば、もう少し様子見をしてみたいというのが本音ですね。
そもそも作品の大工事は間に合いそうにないため、今後もし幸崎さまの意見を容れて改稿するにしても、カクヨムコンが一通り落ち着いたあとになるかと思われます。
続いて、地の文に関してです。
合わないと思われたのであれば、これもまたどうしようもないことですね。
本作は地の文中に、視点人物の内面/思考のみを記載できる『三人称一元視点』で進めております。
ですが、どうやら幸崎さまは、地の文の人格と主人公とを分けて捉えられているご様子です。しかし残念ながら、地の文の人格は主人公である脩子のものです。
なので、嫌いな登場人物(地の文)に対する印象は、そのまま主人公に対して抱くものへとシフトするでしょう。
そして、この先を読み進めていただいても、主人公への悪感情が覆ることはないと思われます。
ところで、この視点の誤読は、主人公の内心の呟きを時折()で囲ったりしていたことが原因によるものでしょうか?
一応、商業作品でも同様の(つまり地の文で視点人物の内面を掘り下げながらも、時々()内で心中の呟きを記す)手法を取っているものがあるので、それを採用しているのですが……。
もしも、それ以外に混乱を招いてしまった要因があったのであれば、そちらもお教えいただければ幸いです。
本作においては、常に主人公を視点人物として固定しているため、この誤読が起こった原因は非常に気になるところです。
以下、総括になります。
おそらく幸崎さまにとって、本作の主人公は決して好ましいキャラクターではなく。
また、地の文に含まれる横文字は、世界観を損なうものでしかなく。
おまけに、平安時代に関連する描写は、今後も現代人の驕りとして映ってしまうことでしょう。
とはいえ筆者としても、曲げたくない主義信条に関わってくるところもあれば、意図があるものもございます。
以上の点を加味した上で、『合わないからリタイアしよう』と判断されるのであれば、それも巡り合わせかと思います。
はたまた、『確実に合わないけれど、もう少し様子見してみるのもいいか』と判断されるのであれば、それはそれでありがたいことです。
いずれの判断を下されたとしても、こればかりは『誰が悪い』というものでもないのでしょう。
本作が、幸崎さまにとって『合わない作品』であると推察できる以上、今後の選択は幸崎さまのご判断におまかせいたします。
当然ながら、読書は負荷をかけてまで行うようなものでもないでしょうからね。
改めまして。
このたびは詳細かつ真摯な感想を、ありがとうございました!!
作者からの返信
コメントいただき、ありがとうございます。
そして、ご返信の内容を拝見するに、これ以上の感想を述べさせていただいても意味がないであろうと判断いたしました。したがいまして、以降の投稿は打ち切らせていただきます。
なぜならば、伊井野さまは自作に対する価値と方向性と性質を、正確に見定めておられるからです。読み手がどう思おうと、「こう書きたいんだから仕方ないでしょ」といったものですね。確固たる信念があり、こだわりがあり、目標としている書籍もあるというのであれば、私が入る余地はございません。
すでに企画概要にも記載してあるとおり、こうして自作の価値を見出しておられる方の参加は、お断りしております。そうした作品に対しては、「お好きなようにどうぞ」としか申せませんからね。
また、私は企画をとおして「殴り合い」をするつもりもございません。上辺では感謝と仰っておられますが、伊井野さまのコメントの端々には攻撃的な意思を感じます。ですので内容への返答も控えさせていただきます。たかが「参考」程度のために、時間を割くわけにもまいりません。
こちらこそ、このたびはご参加いただき、ありがとうございました。