次の世界でも、私を探してくださいね。いいえ、次は私があなたを見つけます
九月ソナタ
一章
1. 晩餐会へのご招待
「ぼく、最終のひとりに選ばれました。だから、報告に来ました」
えっ。
なぜって、憧れの
あの冬氷が杉の木のようにまっすぐに立って、こっちを見ている。
「はい、あのう」
竹香は答えなくてはならないと心が急ぐけれど、こんな時には、何と言えばよいのだろうか。気ばかり焦る。
冬氷は近頃急に大人っぽくなり、遠い人になってしまったように感じていたのに、その彼が目の前にいてこちらをじっと見ているのだから、緊張して、脳が動こうとしない。
「おめでとうございます、キャプテン」
ようやく言えた。
冬氷が子供の時のように笑った。大きな四角い口から、白い歯が見えている。
それは竹香が、大好きな笑顔。
竹香は思わず、胸の前で両手を握りしめた。
いつもは冷たく見える彼の瞳にも、今はうれしさがあふれている。
冬氷は子供たちのリーダー的存在なので、みんな彼を「キャプテン」と呼んでいる。
竹香は子供の頃、キャプテンには何でも言えたのに、最近では、彼の姿を見るだけで緊張して、口がきけなくなる。同じ年頃の男子が、誰でも彼に見える時があり、勝手にどきどきしてしまったりする。この頃の自分はおかしい。顔がすぐに赤くなる。
竹香は冬氷が横を向いた瞬間、その顔に見入った。
こんなに近くで、彼の顔を見るのは初めてなような気がした。
今さらながら、キャプテンってこういう顔をしていたのだと思う。知っているはずなのに、知らなかった気がする。なんてすみずみまで、ていねいに作られているのだろう。
冬氷の顔の向きが戻った。
目が合った時、自分の頬が赤くなっていくのを感じてあわてて下を向き、また彼の顔を見た。まだこちらを見ている。心臓が水車の粉ひき機のように、大きな音を立てている。
「来週の晩餐会には、一緒に来てくれませんか」
と冬氷が言った。
えっ。
竹香はあまりに驚いて、呼吸の仕方を忘れてしまった。
ここは人間の住む都から遠くはなれた
幾重にも白い霧が覆う山岳の一帯には、何千年にもわたって、仙師(仙人)たちが住み続けてきた。仙師の本家は仙門宗家と呼ばれ、200以上もあるのだが、大きな騒乱が起きていないのは、その中の三大宗家が、それぞれの役割をしっかりと担い、他家との均衡を保ちつつ、統べているからである。
その三大宗家のリーダー的存在は知修世家チシュウセイカ、その長男が17歳の冬氷、実務担当が
2年に1度、全仙門宗家の16歳と17歳の中から、特に優秀な30人が選ばれて、智修世家の道場に集められ、厳しい研修を受ける。今回は選ばれた女子がおらず、10人全員男子だった。その中で、特によい成績を収めた10人だけが、最終日に開催される晩餐会に、好きな相手を同伴してよいのである。
冬氷は一緒に行く相手に竹香を選んだのだった。
冬氷の髪は黒く長く、うしろ髪の一部は青い組紐で縛られている。この青い組紐は智修家の伝統である。そして、緑の上に白い仙人服を着ている。似合いすぎている。
ところが竹香ときたら古い仕事着だった上、手に雑巾を持っていたことに気づいてさらに赤くなり、水がしたたる雑巾を後ろに隠した。今、玄関の掃除をしていたところだった。顔がますます赤くなっていくのを感じる。手で冷やしても、全然効果がない。赤が取れるのには、時間がかかる。どうしよう。
「だめです」
竹香が唾をのんで、冬氷を睨んでしまった。
自分の言葉の強さに、自分で驚いた。
「どうしてですか」
「わ、わたし、まだ子供です。14歳です」
姉の
「年齢に制限なんか、ないよ」
「ああ、そう……なんですか。でも、……だめ、なんです」
彼の顔が悲しそうに歪んだので、竹香は泣きたくなった。
「そうか。だめなのか」
冬氷は下を向いて唇を一文字にした。
「わかった。邪魔をして、ごめん」
冬氷は軽く礼をして、引き返して行った。
……待って。
竹香は手を上げたのだが、彼は気がつかない。怒ったのかもしれない。そうよね、怒るよね。わたしの、態度、よくないもの。
待ってください。
わたし、なんということを言ってしまったのだろう。
晩餐会の誘いを、キャプテンからの誘いを断る女子なんかいるはずがないのに。
この口が、勝手に断ってしまった。
竹香は自分の部屋に駆け込み、冷たい床に腹ばいになり、ばたばたと手足を動かした。
「バカバカ。わたしの馬鹿。この口の馬鹿」
わたしはいつもそう。肝心な時に、ヘマをする。
なぜ「はい」と言わなかったの?
「はい」なんてたったのふた言、簡単なことじゃないの。
どうしてなのか、わからない。でも、言ってしまった。
止まったはずの心臓が、今度はまるでお湯が煮えたぎるみたいにばくばくして、何も考えられないうちに。
次の瞬間、竹香は立ち上がった。
まだ間に合う。キャプテンに追いついて、本当の気持ちを言おう。わたし、晩餐会に行きたいです。連れて行ってください、と。
竹香は無我夢中で、木々の間を走って行った。
どこまで行っても、冬氷の姿は見えない。そうか、修行中といっても仙師だもの、空を飛んで帰ったのかもしれない。彼の悲しそうだった顔が思い出されて、心が絞られるように痛い。
ごめんなさい、キャプテン。
あんな笑顔で、わたしを誘うために来てくれたのに。
泣きたい。
その時、竹香は木の根に足を引っぱられた。
きゃー。
木の根が、魔法を使ってその悪い女子の足首をつかみ、放り投げたとしか考えられない。
灌木が岩肌に蛇のウロコのようにへばりつき、その下ときたら光を遮るほどの黒い蔦、竹香は地獄みたいな谷底に落ちていった。
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