僕の犬におなりよ~恋をするならスパダリと茶道男子の恋愛願望~

きょん

第1話 一話完結です

桜の花びらが舞い上がる、春の嵐の中、高校の入学式が終わった。

 通学路になる長い並木道では、祭りのような賑わいを見せている。恒例の新入生への部活勧誘だ。様々なコスチュームを身に着けた先輩たちが道の両脇で待ち受けている。校内イベントも盛んで、他校や近くの大学とも交流があるこの公立高校は文武両道を掲げており、部活やサークル活動に力を入れていた。

「ちょっと、先に帰っていて」

二子貝寧は、二人の姉に荷物を渡すと、自作のパンフレットを手提げ袋から出して駆け出した。

最高のシチュエーションだ。チャンスだ。ここで部員を集める。

運動部の圧に屈しそうになりながら、隙間に身体を押し込み、流れてくる新入生たちに次々と声かけた。

「茶道部です。部員募集しています。よろしくお願いします」

ビラ配りも、見知らぬ人間に声をかけることも、こんなに緊張するものなのか。大声を張り上げるも、隣の柔道部に前を塞がれ、野球部のチームプレイの囲い込み作戦に、男子が全部すくい取られてしまう。夏場の流しそうめんの一番端っこみたいな感じだ。そうめんがほとんど残ってない、あの虚しさ。でも、と寧は思い直す。この高校をわざわざ受験した理由はなんだ。ここに茶道部を作るんだ。この地元の高校で新しい流れの茶道を広めていくこと。そして、女系に長い間押しつぶされてきた積年のわだかまりもあって、女人禁制。男子部員のみの募集という、時代錯誤と言われても構わない傍若無人なシステムだ。なんたって、部長特益だから、と寧は思う。

「すみませんっ、けど」

がっしりした双璧からようやく顔を出し、見上げると、目の前にやたらといい体躯をした男子生徒がいて、数々の運動部から囲まれていた。あ、と思った。入学式の前に先生からさっそく呼び止められて、パーマ禁止と注意を受けていた、これは天パだと弁解していた生徒だ。その低姿勢ぶりが思い出されて、寧はなんだか微笑ましくなった。もっさりした天パに太い黒縁メガネに黒マスク。周りのざわめきや笑い声にかき消される、静かな声に、穏やかな佇まい。運動部って、柄じゃない。受け答えもぎこちなく、明らかに、困惑している様子がある。先輩達に肩を叩かれたり、拝まれたりしてる。

「君、迷っている時は、決断してはいけないよ。こっちに」

もっさりメガネくん。

寧はさっと腕を引っ張る。がっちりした腕だ、なんせ自分と比べて硬い。咄嗟に手が出てしまう。出てしまったものは仕方ない。立ちはだかる運動部の喧騒から、ごつい腕から引きはがし、意外と大人しい大型犬のような彼を並木道の終わりの方まで引っ張って連れてきてしまった。

「あ、やっちゃった。冷静さが足りないって、よく言われるんだ。勘違いだったらごめん。無理強いさせられそう、って思っちゃって」

聞いて貰いたい気持ちも何もないはずが、不思議と言葉が出た。

「その、名札」

見上げる顔が首を傾げている。花のついた紅白の名札が付いたままだった。

「あぁ。ぼくも一年なんだ」

「勧誘してたよね。さっき」

「うん。茶道部を作るんで、部員集めていて。君は運動部に入りたいの?」

すごい人気だったね。中学は運動部で活躍したとか。

「茶道部。これから作るの?」

寧の質問には答えずに、彼はそう聞いた。

「そう。あのさ、これ。迷っているなら、見学に来てよ。ニ週間あれば、整えられると思うんだ」

パンフレットを渡して、名前を聞く。

「葵っていう。葵真中(あおい まなか)」

「へえ。変わった名前。あ、でもぼくも人の事言えないか。ぼくは二子貝寧(にこがい ねい)茶道家だよ。幼いころから、ずっと茶道を叩き込まれてきた。あ、こういうと誤解があるけど」

世間体を重んじる姉二人の顔が思い浮かび、背筋がゾワゾワする。

葵が少し笑ったような気がした。マスクに隠されているので分からないが、寧とこうして会話していることに対して、嫌ではないようだった。

「さっきは、ありがとう。わかった。行くよ。見学」

声が落ち着いていて、寧はこの強い風が止めばいいのに、と思った。もっとよく聞いてみたい。耳に心地がいい声だった。

見た目より声がいいな、それが葵の印象だった。



登校初日のクラス分けが張られた廊下で葵と遭遇した。

「おはよ。葵くん、だったよね。何クラス?」

寧は突出して背が高い葵を一瞬で見つけて声を掛けた。デカいって便利だな、と思う。

「おはよ。三組。二子貝くん。同じクラスだ」

目が少し細くなった葵の表情をみてとり、あぁ、今笑ったんだな、と分かった。

「やった。ぼく、地元の中学じゃないから、知り合いが誰もいなくて」

寧は葵と一緒に廊下を歩き、教室に入る。自分の席に荷物を置いて、入ってすぐの一番前の席の葵の元へ行く。賑やかな教室に廊下に、音声の洪水状態に、寧は息が詰まる。茶室に籠りたい。じっくりと濃茶を練り上げて、静かな時間を過ごしたい。所作や作法にとらわれていた頃にはそんなこと思いもしなかったが、今や、客人をもてなす精神は、そのまま、自身を癒し、和ませてくれるものになっている。

「茶道って、女子がやるイメージがあって。男もいいの?」

静かに語りかけられて、思わず、座っている葵のそばに身を寄せた。耳に優しい声だと思う。背の高い葵が椅子に座ることで、寧との距離がぐっと縮む。

「あっ、うん。家元は男性だよ。千利休の流れを組んでいるからね」

「そうか。」

葵は頷く。柔らかそうな髪の毛が揺れる。ふわふわしてるな、と寧は思う。自分の容貌と真逆の性質をもつ葵を物珍しく見てしまう。さらに、寧の容姿や家柄のことなどには触れずに、淡々としているところが気楽で好ましい。友達らしい友達など今まで一人もできなかった寧は、この自然体に嬉しくなる。

「葵くん、よろしく」

思わず、手を差し出した寧に、

「よろしく、二子貝くん」

と葵が手を握ってきた。大きくて、包み込まれるようだ。ほどよく温かくて、さらりとしていた。



 学校生活に少しずつ慣れ始めるより先に、寧はかねてからの目的を果たさんと準備を始めた。部活の入部希望提出期限は一か月後まで。その前に見学をしたり、入部体験という仮入部があったり、掛け持ち組みもいて、慌ただしい。

葵との約束もあった。寧は職員室にしょっちゅう入り浸り、なんとか顧問にと経験者の年配の教師を拝み倒した。様々な許可を得て、第二理科準備室だった場所に茶道部の部室を構えさせてもらうことが出来た。三階の廊下の端で、ほとんど生徒が通らないような場所だが、どうにか畳を運び入れ、早朝から汗びっしょりになって、葵を驚かせた。

「言ってくれれば、俺、手伝ったのに」

着ていたシャツが透けるほどの、寧の止まらない汗に、ハンカチを差し出して葵は言った。お、優しいとこあるんだな。「ありがとう、」と受け取ると、

「客人に手伝わせるわけにはいかないでしょう」

と言って、汗を拭く。簡易的な正方形の畳の組み合わせで、茶室の四畳半もどきを作り上げた。この時期に茶を沸かす風炉も用意した。茶器に茶菓子、床の間にはならないが壁に掛け軸、香を焚き、花も選んだ。

「葵くんをもてなしたい。亭主として、茶道部の部長として、友人として」

すっと背筋が伸びる。

「亭主?」

葵が不思議そうな顔をする。

「お茶に招く側の主人のことだよ」

簡単な説明に、葵は頷く。

「楽しみにしているよ。ご主人様」

からかうようでも、特にふざけているようでもなく、ふんわりと葵は言った。


放課後、部室のドアをおずおずと開けて葵は寧を見て、お辞儀をした。

「お招きいただきありがとうございます」

マスクを外してポケットにしまうと、靴を脱いで、葵は正座して、畳に指をついて礼をする。

「いいよ。葵くん、所作や作法も大事だけど、今はリラックスして、この時間を味わって貰えればいいから」

何かしら、調べてきたのか、葵の作法に嬉しくもあったが、寧は葵の緊張を解きほぐしたかった。

そうして、葵の好みを測りかねて、食べやすい、焼き菓子を数枚、平皿に重ね、二種類、盛る。桜をかたどった美しいものと、毬の可憐で小ぶりなものだ。

葵の前において、どうぞ、と声を掛ける。

「いただきます」

とお辞儀して葵がゆっくり食べ始める。ポリポリという小気味のいい音が聞こえる。ここは静かでいいな、と寧は思う。

風炉の前に寧は佇み、茶器に抹茶を三杯、入れ、柄杓で湯をすくうと、その半分を茶器の中に注ぎ込む。薄く湯気が立つ。ふっくらと卵型にカーブした茶筅で、抹茶を艶やかに練り上げた。

葵の前に点てた濃茶を置く。

正面を避けるように回して、葵が口をつけて、濃茶をひく。不慣れだけど、姿勢が伸びて、所作が堂々としている。いい筋の持ち主を見つけたのかもしれない。寧はじっとその姿を見つめる。

葵は濃茶の泡まできれいにひいて、茶器を眺め、置き、掛け軸に目を止める。

「あれは、何ですか」

「人事天命。人事を尽くして天命を待つ、だよ」

「二子貝くんが書いたの?」

「そう。書も大事なおもてなしに欠かせないものだからね。全部自分でやるんだ。ぼくの広めたい茶道はね。この茶菓子は頂きものだけど。次からは作るよ。いずれ茶器の制作も学びたい」

「……、すごいな」

葵が笑う。マスクをしていない口元は思ったよりも優し気で、ふわっと笑って、寧は思いがけずドキリとする。いやいや、もっさいメガネくんは、違うから、という心の声にどうにか宥められる。

「でも、葵くん、君さ、筋がいいよ。なんかサマになってる。葵くんから、和敬清寂の心が伝わってくるんだ」

「わけい……」

「和敬、静寂。和やかに、互いを敬う気持ち。清々しく、静寂な心。茶道の求めるところだよ」

「そう。確かに、ここにいたら、とても頭がスッキリして、モヤがかっていたものが解けていく感じがする、不思議だね」

思いがけない、葵の共感に、寧は天啓を受けたようになって、身を乗り出した。

「入らない?茶道部。ぼくと一緒にやろうよ」

「えっ」

驚いた顔をする葵に、いつもの悪いクセが出て、さっと手を握ってしまう。

「ねっ、大丈夫。ぼくがいるから」

手を握られたまま固まる葵に、もう有無は言わせない勢いで、寧は畳みかける。握った手をぶんぶん振って、葵の返事などお構いなしに大興奮している。幸先のいいスタートを切れたことに感動する。友人も出来て、茶道の部員も出来た。あとは恋人。寧の心にずっとある、一つの根強い願望をこの学校生活で叶えたい。是非とも。

巨体の葵が両手を寧に繋がれたまま、その笑顔をじっと見て、静かに頷いた。


茶道部に葵が入部したというニュースが学校中に知れ渡り、運動部から野太い悲鳴が上がった。急激に女子生徒が部室に詰めかけたが、そこはガンとして、寧が突っぱねた。

「男子茶道部、なんで。悪いけど、男子しか入部出来ないから」

「はぁ、BLかよ」

「葵くん、なんかコイツに騙されてない?」

などと心無い罵声とも批判ともとれる言葉をシャワーのように浴びながら、寧は平然としている。伊達に16年間も姉二人のスパルタと罵詈雑言に耐え忍んできたわけではない。

「女子茶道部をつくったら。そうしたら、お茶会でも開こうよ」

などと思ってもいない提案をして、女子茶道部までも作るきっかけを与えてしまった。向こうは大盛況だが、こっちは、入部見学さえもない。こころが鬱々としそうになる。

「二子貝くん、今度の茶菓子、カステラにしようか。俺作れそう」

葵だけが、俄然やる気を見せてくれる。週3回のお稽古をマンツーマンでしていくうちに、所作が自然になり、随分姿勢がよくなった。ため息がでる。忠犬のようでいて、なんてかわいいんだ、このもふもふのもっさいメガネくん。寧は、こんな風に人にも動物にも懐かれたことがなかったし、友情も恋も知らないが、居心地いいな、と感じる。

「いいね。葵くん。ザラメでコーティングされたやつなんか、ぼく好きだよ」

「へえ。美味そう。いいね。あ、夏場は寒天やゼリーなんかもアリだよね」

「アリだね」

昼休みに、簡単お菓子作り、と名打ったレシピ本を楽し気に眺めたりしている。いつも屋上や部室など、静かな場所を選んで、二人で昼食を食べる。このところ、なんだか、葵の友情に、まだ顔向け出来ていない、ある事が気になって仕方がない。葵を巻き込むつもりなど毛頭ないのだが、隠し立てをして、それこそ、騙して付き合わせているような気がしてしまう。

まだ、誰にも言ったことがない。これを寧の口から聞いても尚、茶道でいう所の本質を重んじる心が、葵にあるのか、どうか。もしかしたら、生理的に拒絶されるかもしれない。家から作ってきたサンドウィッチを寧に分けてくれる葵の横顔を見ながら、屋上で寧は逡巡する。空を見上げて、叫びだしたくなる。こんなに天気がよくって、清々しい昼時に並べたてられる内容じゃない。それだけは分かる。

「う~ん」

くるし気に、眉間に皺を寄せて悶える寧に、葵は心配気な顔をする。

「マスタードの代わりに和辛子塗ったんだけど、辛かった?」

メガネの奥で睫毛の長い目に見つめられる。

ごめん、そんな純粋なことじゃなくって、ってか、このハム・レタスサンド、辛子入ってた?こころここにあらず、って、こわい。

友情を試す踏み絵か、と寧は思う。このまま何も言わないで三年間過ごしたらいいはずなのに。でも、もし、この押しに弱い誠実な人間が、自分の理解者になって、かつ応援してくれる強力な味方になってくれるとしたら。そうしたら、きっとこの学校生活はかつてないほど楽しいものになるだろう、と寧は考えた。



誰もいない、空き教室に放課後葵を呼び出した。部室じゃ、語れない。なんだか、何かを汚すような気もするし、葵の逃げ道を作ってあげなきゃ、とも考えた。密室じゃ、ダメだ。気味悪がらせてしまうかもしれない。

葵に打ち明けようと決めて、昨夜は眠れなかった。付き合いは浅いけど急速に打ち解けて、今やほとんどの時間を葵と過ごしている。葵のバイトのない放課後に休み時間、昼も。体育の授業もランニングは隣だし、ストレッチもいつもペア。持久走は寧の最も苦痛な種目だが、葵がポツリポツリ話しながら一緒に走ってくれる。

「こんなに足遅いんだったら、運動部やめといて良かったね」

と寧が言うと、葵も笑って頷く。

「優秀な茶道部員なんで、俺」


そして、ついに、そんな牧歌的な毎日が壊れるかもしれない。でも、覚悟を決めた。

放課後の西日が入る、その教室は窓が開かれ、カーテンが膨らんだり、翻ったりしていた。

「呼び出してごめん。ずっと言わなきゃと思っていて。どうしても、君に聞いて欲しいんだ」

「……、うん」

葵は不思議そうな顔をする。食事と部活の時以外は花粉症だか何だかで、マスクはつけたままだ。でも毎日見ているから表情の変化には詳しくなった。

「あのさ」

心臓が凍るようだが、初めて出来た友人だ、そばにいるなら、言わないといけない。

大きく息を吸って、吐く。

このまま回れ右をしたい。

クイズを出して、茶化してしまいたい。何だと思う?じゃあ、五択ねって。葵くんなら、普通そこは三択じゃね、って言ってくれるはずだ。普段なら。

友情が壊れるかもしれない、踏み絵。また不穏な予感に、そんな言葉がよみがえる。

たった一人しかいないのに、なくすかもしれない、そう思うと怖くて堪らない。

この容姿だからこそ、余計誰にも言えなかった。やっぱりな、と冷笑される気がして。男というにはあまりに頼りない身体つきに、姉二人よりもさらに女性らしい容貌に色素の薄い肌。人形じみていると陰口を囁かれてきた目鼻立ちだ。寧はこの家柄の女系の呪いだと思ってきた。男に生まれたが、男としては生きていけないように仕組まれた呪いだ、と。この容姿だから避けられていたのかもしれないな、と苦い記憶が蘇る。同性から見ても異性から見ても、気持ち悪くて。でも、もう、いいんだけど、誠実な相手には誠実さでもって応えないと。

「どうした、二子貝くん」

今度は心配している。

そんな顔させたくない。

「あのさ、言ってないことがあって、ぼくの恋愛願望なんだけど」

「うん」

「ぼくさ、推し活すれば、全部推しはメンズで、少年漫画よりも少女漫画派で、動物でも何でも好きになるのは、全部オスなの」

「……、じゃあ、飼っているって言っていた猫も」

「オス。一択だよ」

「そうなんだ」

葵が寧の顔から一瞬目を逸らす。これ以上言わないほうがお互いのためなのかもしれないと、覚悟が根本から折れそうになる。

カラカラに喉が渇いて、気管が張り付きそうだ。呼吸が苦しくて、声が上手く出せない。

「それで、何?二子貝くん」

言い淀んでいる寧に視線を戻し、葵がメガネのズレを直して聞いてきた。

「それで、ぼくは、好きになる人が男で、恋がしたくて、出来れば、いや、そういう相手は、何でも出来ちゃうようなスパダリがよくって、そして、そんな気高い相手に、それこそ甘やかされて、傅かれていきていきたいの」

言い切った。かしずかれていきていきたいの。自分の頭の中で、今言った言葉がリフレインしている。

そう、それが、このぼくの願い。姉の少女漫画から多大な影響を受けた、揺るがない恋愛願望だ。

「へっ、なんて?」

顔を上げられないまま、静止してると、間の抜けた声を掛けられた。

今のこのぼくの一世一代の告白を聞いていなかったのか、ウソでしょう。もう一回言うの?脚も腕もワナワナと震えているのに。

「っ、だから、ね」

「あ、繋がった、意味繋がった。二子貝くんはいい男と恋愛がしたくて、その相手と主従関係を結んで、傅かれて生きていきたいんだね」

主従関係?ちょっと違うかもしれないけど、傅かれるってそういう意味か。

「……、そう。恥ずかしいけど、葵くんには、言っておかないと、って思って。」

恐々葵の顔を見ると、まだ呆然とした様子だ。

「男が、好きではあるんだけど、あの、ホラ、スパダリ限定だし、葵くんには、今のまま、応援してもらえたらなって、思ってるんだけど」

「いいよ。それが二子貝くんの願いなら」

葵の目が真っすぐに寧を見つめる。優しく受け止められたことに、寧は舞い上がる。いいよって、言ってくれた。自分の全てを肯定されて、認められたような高揚感と重たい荷物を降ろした時のような解放感が湧き上がる。一気に飛び立てそうなほどの凄まじい解放感だ。寧ははしゃぎ出してしまいそうになる。

「嬉しいよ。ありがとう。引かれたかもって、恐かったよ~」

葵の手を掴んで両手で硬く握る。ぶんぶん上下に振って、寧は笑う。

「葵くんがいてくれて嬉しいよ、ぼく」

今まで言えなかったことをみんな、葵に聞いて貰いたくてたまらなくなる。

「二子貝くん、ちなみに、今、好きな人いるの?」

葵が寧の手を握り返して聞く。

「イタタ、そんな力込めないで。いないよ。スパダリレベルをチェックして、ぼくの条件をクリアする人が今までいなくて」

「ハードル高そう」

葵も寧につられたように笑う

「葵くん、今から暇?作戦会議に付き合ってよ」

と寧は葵から手を離すと教室の窓を閉めて言った。友人と推しについて語る日がくるかもしれない。片思いの切なさなんかも聞いてもらったりなんかして。最高の高校生活だ。

「まぁ、ここに、こうしているわけだし。聞くよ。スパダリの条件とか」

葵はいつものマスクを外して、そう答えた。


あの日は、結局、葵の友情が嬉しくて、どれだけ緊張したか、とか眠れてなくて眠いとか、そんな舞台裏を話して、手を振って帰宅してしまった。

そこで、今回、スパダリチェックノートなるものを寧は作った。最終的に三人に絞っていくのだが、その過程で、スパダリと呼ぶにふさわしいかどうかチェックさせてもらう、と説明書きが書かれている。

「葵くん、スパダリはさ、まず、イケメン、文武両道、さらに、優しくて、品行方正で、気高く、凛としていて、特技とかあって、あと何かな」

「えっ、俺にきくの」

「はははっ、なんか葵くんとスパダリの話が出来るとか、嬉しくて浮かれちゃって。ぼくのこと嫌じゃない?本音は?本音は?」

「本音で嫌じゃないよ」

葵が頬肘をついて、答える。一世一代の告白をしてから、葵との距離が前より近づいた気がする。花粉症がだいぶ治まったのか、あれから葵はマスクを外して、寧と話しながら柔らかい笑顔を見せてくれるようになった。静かでずっと聞いていたくなるようなイケボにその笑顔、癒される~と寧は思う。

「えへ。それはそうと葵くん、迫る、クラス対抗スポーツ大会、いい機会がありますなぁ。スパダリチェックの」

「あぁ。だね。二子貝くんは何の種目に出る予定?」

「あ、ぼく、大縄跳びの、カウント係」

「へっ」

「ギネス狙ってるらしいから、責任重大だよ」。

「すごいね。絶対に出ないんだ、体力つかう種目には」

「ぼくには茶道の未来がかかってるからね」

「関係ないじゃん、それ」

葵が笑う。ずりーな、と言う。



さて、一日葵とスパダリチェックと恋バナでもして盛り上がろうと前々から楽しみにしていたのに、葵がいない。一種目くらい義理で出て、途中交代くらいが関の山だろうくらいに思っていたが、朝から姿を見ない。丸一日スポーツ大会で、それぞれがプログラム事に体育館や校庭に集合して始まる。事前に配られた日程表を取り出して、1-3を探す。第二体育館でバスケか。三年のバレーボールを見学しながらスパダリを探そうかな、と思っていた寧はしぶしぶ移動する。休んだ誰かの代わりに試合に出ることにでもなったのか、今日はそもそも休みなのか。

体育館の開かれたドアから歓声がどっと押し寄せてきた。もう始まってるのか。男子は午前中で終わるから、ここで油売ってる場合じゃないんだけど。

人垣をかき分けて、背伸びをする。クラスの女子に見つけてもらって、

「二子貝、おせーな」

と応援席に連れて行かれる。確かこの口の悪さは、花巻さん。双子で、女子茶道部員で、あとはよく分からないが。

「あのさ、葵くん見なかった?」

花巻がいかにもバカにしたような顔で寧をみて、前方を顎でしゃくる。そんな、女子にあるまじき乱暴な所作と思いつつも、普段の姉二人の諸行が思い出されて、納得する。好きでもない異性には女子というのは残酷な生き物だということに。

「えっ」

ひと際歓声が上り、寧はコートに目をやると、Tシャツの上にカラー分けのビブスを着た葵がパスを受けていた。あちゃあ、悪いことは言わないから、そのボール早く誰かに渡しちゃって。寧の願いとはうらはらに葵は相手の動きを見ながら、ドリブルで切り込んで行く。え、ウソ。寧が目を離せないでいると、軽々とディフェンスをかわしてシュートを決めた。

「花巻さんっ。あれ、葵くんだよね、認識あってるよね」

「うるせーな、二子貝。寝ぼけてんのか。どう見ても葵くんだろーが」

耳に暴言を吐かれてるが、それどころじゃない。寧は葵から目を離さないまま、この奇妙な現実に思考が追い付かないでいる。

「中学の時、葵、バスケで全国行ってる」

そばで観戦していた、葵と中学が一緒だった佐竹が言う。この人はたしか野球部のめっちゃ明るい人だ。普段、葵とばかり交流していて、クラスメートもうろ覚えという寧だった。

「えっ。うそだ~体育の持久走でぼくと一緒にビリ競っていたじゃん」

「ははっ、してたな。高校入って、何か変わったんだよな、アイツ」

あのドン臭さはお芝居だったってこと?何のために。

50点先取で試合が終わる。もしくは30分の時間制限。そのルールの中で、葵にボールが集められ、相手チームは為すすべなく翻弄されている。

長い笛が鳴り響き、開始20分で、試合が終了した。チームメイトに揉みくちゃにされる葵が知らない人間のように見える。寧は応援席から動けない。ここからでも、葵の首筋や額から流れる汗が見える。それがコート上の照明で余計に光って見えた。

呆然自失の寧に、唯一、応援席から動かなかった花巻が、舌打ちする。

「二子貝さ、どんな逸材を茶道部に入れたか、わかったか。あと、茶会の約束忘れんなよ、って聞いてんのかよ」

花巻に肩を揺さぶられながらも、寧は、衝撃と謎に滅多打ち状態のまま、動けない。

風景を眺めるように葵をみていると、ふいにこっちをみた葵と目が合った。どういう顔をしていいのか分からなくなって、寧はさっと目を逸らした。

「見ててくれたんだ。二子貝くん」

寧の前に立つ葵は、まだ息を切らしている。Tシャツの胸元を引き上げて、汗を拭くと、葵は笑った。

「今日、クラスで参加する競技に全種目出るから。二子貝くん、応援してくれる?」

明るい声に、何も聞けなくなって、寧は頷いた。

「次、隣でバレーボール。相手は三年。バレー部もいるってさ」

「がんばって」

ようやく絞り出した声が自分でも弱々しい。葵にそばにいられることもなぜか恥ずかしい。

「ありがと。二子貝くんも、スパダリ、見つかるといいね」

声のトーンを落として、葵が寧にだけ聞こえるように言う。

スパダリチェック。そうだ、本日のメインイベント。このために学校にきたんだった。茶道の稽古が出来ないのにも関わらず。なのに、葵の吐息にのった静かな声に、呼吸がくるしくなる。さっきまでの葵の俊敏な動きや、ダイナミックなプレーが頭の中で反芻されて、思考がうまく働かない。

三年に葵くんをボコボコにするスパダリが現れますように。

カッコいい葵くんは、落ち着かない。

寧は、スパダリチェックノートを広げて、こう記した。

バスケの試合、1-3、50得点先取で勝利。得点王、葵真中。


バレーボールの試合は接戦だった。センターの葵のスパイクは決まるが、一年の守りが弱い。葵にトスが上げられないほど、相手のサーブが速く、とらえ切れず、弾いてしまう。応援の声がため息交じりになる。三年のスパダリをチェックするつもりが、葵の真剣さに初めてみる焦燥感に寧は胸を掴まれたようになって、気づいたら、人一倍大声で葵の名前を呼んでいた。

「葵くん、こころを落ちつけて。冷静に」

一瞬の判断を求められる場面で、茶道は絶対に裏切らない。今に集中することも、揺るがないマインドも、茶道のお稽古で身についてきているはずだから。迷いが解けて、クリアになった感覚が、実感できた葵なら大丈夫だ。寧は背筋を伸ばし、大きく息を吐いた。応援する自分が揺れ動いていてはいけない。

そう思った直後、ブロックで飛んだ葵の顔面上部に相手のスパイクが直撃した。

周りの悲鳴と同時に葵が倒れる。交代か、という声が聞こえる中、吹っ飛ばされたメガネを拾い上げ、ヨタヨタと、葵が寧のいるベンチ席に向かってきた。

「これ、持ってて」

生え際のあたりを揉みながら、クスリと笑う。眼鏡を渡されて、

「コブなったかも。後で見てくれる?」

と言う、葵の目に射抜かれたようになり、寧は、さっきから心臓がうるさいことに気づく。

葵くんのくせに、メガネしてないほうが断然いいじゃん。でも見えるのか。ド近眼そうなのに。

「……、見てあげる。でも、負けたら、見ないよ」

「うわ、スパルタ」

葵は試合に戻る。寧は落ち着いたな、と葵の表情を見て悟る。

こういうマインドの人間が近くにいるだけで、相乗効果が生まれる。ラフに、楽しむ姿を見て、チームメイトの身のこなしが軽くなる。笑いが起き、こころに余裕が生まれる。こんなとき、いい流れがやってくるのだ。


「だ~っ、から、葵くんが勝っちゃったらさ、スパダリ認定出来なくなっちゃうでしょう」

教室で休憩する葵に思わず大声で詰め寄った。

「あ、そか。ごめん」

メガネを受け取って、掛けた葵に、ちょっともったいないような気がしてしまうが、こころの平安のためには、メガネ姿のもっさい感じを出していて欲しくなる。

「聞きたい事いろいろあるけど、次、リレーで、その後、綱引きね」

「そう、また応援してくれる?」

この男は何で疑問形でお願いしてくるんだ、とヤキモキしてしまう。

「応援して欲しいんでしょ。スパダリチェックはもう、ムリ。このまま葵くんの活躍するとこばっか見てたら、葵くんがスパダリってことになっちゃうじゃん。ははは。ないない」

自分で言って、寧はハッとする。友人がスパダリってことになったら、スパダリと恋愛したい自分はどうしたらいいんだ。それこそ、気持ち悪がられるだろう。初めて出来た癒しの友人であり茶道部部員の葵に、邪な感情は抱きたくない。そういうこと抜きで、葵くんは始めから対象外だから安心してね、って前提で応援してもらってるのだから。この恋愛願望も、セクシャリティーも。

「……、終わったらさ、昼休み、寝たいから静かなとこ行こう。今日はお稲荷さん作ってきたよ。二子貝くん」

いつもの、穏やかで静かな声で囁かれる。

なんか、デートの誘いみたいに聞こえて、寧は顔が熱くなる。


午前中の男子の競技が終わり、着替えた葵が第二理科室に入ってきた。部室の隣で日当たりもいい。開け放した窓から入る風が気持ちがいい。

「お待たせ。二子貝くん」

そう言って、すぐ隣に葵は腰掛けた。

「お疲れさま」

リレーも、綱引きもうちのクラスダントツだったな、とため息が出る。白熱したいい時間を一緒に体感させてもらったが、寧のスパダリチェックノートには、活躍したスパダリ候補の欄に葵真中、としか書かれていない。リレーもアンカーで綱引きもアンカーね。素晴らし。呆れる程に、葵はスポーツマン中のスポーツマンだった。

「はい。どうぞ、いっぱい作ってきた。二子貝くんの茶道は全部自分が携わる茶道でしょう。見よう見まねで茶菓子作りしてたら、最近、料理が楽しくて」

お稲荷さんの他に卵焼きやから揚げ、きんぴらなんかが入ってる。

「美味しそう」

寧は自分のお弁当を出して、葵にすすめる。

「オムライス作った。葵くんも食べて。スプーンもあるよ」

「二子貝くんのお弁当って色合いがキレイだね。いつも。原色がぱっと飛び込んでくるっていうか」

「そう?あ、そうだ、今度、お花、見に行こう。季節のものなら、この辺で野の花を摘んでもいいね。華美じゃなくていいんだ、茶道はね。それから、花壇の空きスペース、活用させてもらえるか頼んでみるね」

「うん。それいいかも」

葵が咀嚼しながら、うんうん頷いて言う。

「二子貝くん、めちゃくちゃ美味い」

こんな風に一緒に昼休みを過ごして、お弁当を分け合い、茶道の話からスパダリの話まで出来る存在を失いたくないな、とボンヤリ寧は思った。

「ホント、さっきまで活躍しまくっていたアスリートと同一人物だとは思えないよ」

無防備にもふもふの頭を揺らしながら、ゆったりマイペースに咀嚼している。

「そう?」

「で、何で今まで黙ってたの?スポーツ万能なこと。ぼくに気を遣ってた?足遅いふりとかしてさ」

ちょっと怒っていますよという顔をしてみせて、寧は葵に向き合う。

「いや、その、高校ではバスケも他の競技もどうするか、迷ってて。うち、母親一人だから、あんま部費とかで負担増やしたくないっていう気持ちもあって。中学は全国まで行ったし、結構大変そうで。だから、一回離れて考えようかなって。」

「そう、なの」

「うん。体育の授業は二子貝くんといると面白いから一緒にやってただけ。騙すつもりはなかったし。ごめんね」

そんな紳士的にとうとうと説明されると二の句が継げなくなる。

「二子貝くんに、入学式の後、迷ってるときは決めるなって言われて、はっとして。無理に答え出さなくてもいいかなって思ったんだ」

あの時の葵の困惑した姿が思い出される。優しい葵のことだ、母親のことも考え、自分の気持ちにも迷いが出てしまったんだろう。

「その後、お茶を点ててもてなされて、静かな時間に、気持ちが落ち着いて、これから先の進路のこととかも考えるようになれた。どうしようかなって。二子貝くんはもう決まってるし」

「何か、浮かんだの?やりたいこと?」

「うん。母親が看護師っていうのもあるんだけど、医療関係の仕事しようかなって。」

「すごいよ」

なんて、かっこいい。こんなぼーっとしたような外見からは想像できないほど、しっかりしたことを考えていたのか、と寧は感動する。膝に手を置いて真剣に話す姿もとてもいい。

「葵くん、応援するよ」

「ありがと」

「茶道部も部員集めなきゃ。葵くんが本当に打ち込みたい部活が決まったら、そっちに専念できるように」

「ふふ、でも、今は俺しかいないから、やめられたら困るでしょう。二子貝くん」

「ま、そうだね。茶道部が軌道に乗るまで。葵くんがいないと、」

いないと、何だ?困る、だけじゃなくて、もっと奥のほうにある感情を見なきゃいけなくなりそうだ。侘しいとか、虚しいとか……。

「そんな寂しそうな顔して。うちのご主人様は」

葵が寧の肩を小突いてくる。軽くそうしたつもりだったのだろうが、椅子から転げ落ちそうになって、寧は慌てて机を掴もうとして、その腕を葵に引っ張られる。軽々、その身を引き戻されて、安堵のため息を吐いた。

「本当、優秀だよ。主人を椅子から落とそうだなんて」

冗談のつもりが、葵を驚かせたのか、ごめん、とそのまま抱きしめられた。

「えっ、葵くん?」

「茶道をしているとさ、大事なものだけ、見てればいいってわかってきた。」

「だ、大事なもの?」

こういうハグも友情のうちなの?葵の身体に包まれるように抱きしめられる。ふんわりと大事なものを包むように。花束を抱えるみたいだ、と寧はぼんやり思った。葵の身体の熱が上がっている。

「二子貝くん、どうする?俺、何でも出来ちゃうと思う。目的のためなら。二子貝くんの条件クリアして、スパダリってことになったら、俺と付き合うの?」

寧の身体が反射的にビクッと跳ねた。

「そんな、葵くん、どうしたの?変なこと言って。疲れた?それとも、眠い?」

この話をこれ以上続けられない、何かが壊れてしまいそうで。自分でも見たくないような、ワガママな独占欲を葵にさらけ出しそうで。

葵の重たい腕から身をよじると、あっけないくらい、あっさりと解放された。

「言わないんだ。いいよ。いくらスパダリの条件をクリアしても、そんな簡単に好きになんてならないか」

葵が痛々しく笑う。

寧は気が動転していて、葵の言葉の意味がうまく飲み込めない。

「葵くん、君をスパダリって認定なんてしないよ。あ、安心してよ。友達なんだから、さ」

「……、ふうん。友達ね。だったら、特別な友達がいい。もっといっぱい友達らしいことしてくれる?」

葵の視線がさっきから痛い。なんだか、自分の知らない葵がいるような気がする、と寧は感じた。

それは、とても手に余るような、掴みどころのない感じで、落ち着かなくなる。

「友達らしいことって?」

動悸を落ち着かせたくて、ワザと明るい声で聞くと、葵は身を乗り出して、寧の手を掴んで、自身のおでこに当てる。

「コブ、出来てるか、触って、確かめて」

そう、友達なら、当然だよねって、内心の動揺を悟られまいと、寧は、はいはい、と返事をして、葵の額から生え際まで、指先で触れていく。葵は目を閉じて、されるがままになっていた。



葵の石頭にはコブらしいコブなどどこにも見当たらず、さすがだ、と寧は一人ごちる。あれから、体育の授業じゃいつもと変わらず、寧に合わせるし、茶道部の活動にも尽力してくれる。ただ一つ変わったのが、葵からの距離感だ。スポーツ大会以来、葵が寧に対して、じゃれついてくる。

穏やかじゃない。全くもって穏やかじゃない。

いつもの第二理科室で昼食を食べながら、寧は叫びだしそうになっている。

「葵くん、自分で食べられるから」

フルーツの盛り合わせの入ったタッパーから、フォークの先にキウイを刺して、葵が、はいっ、と待っている。はじめ、よく分からないまま口を開けて食べたら、それから、ずっと昼食の度に、寧にあ~ん、と食べさせようとする。最近はお弁当も葵の手作りで、寧は手ぶらで学校に通っている。姉二人には購買で買うといっているが、かなり怪しまれている。

「二子貝くん美味しそうに食べてくれるから、食べさせたくなって、ごめん」

しゅーんとされると、こっちが申し訳なくなって、ま、いいか、と寧は思い直す。毎日弁当まで作って来てもらって、さらに、優しくされている。友達らしい友達がいなかった寧は、この葵が仕掛けてくる友情に、まだ、慣れない。ただ、葵が嬉しそうな顔をするので、段々と、その、ま、いいっか、の回数が増えてきた。

「俺も食べたい。食べさせてくれる?」

いつもお願いを疑問形でしてくる葵に、はいはい、とカットされたイチゴを口に入れてあげた。

部室の小型冷蔵庫で冷やされたフルーツは瑞々しく、なんだか物凄い甘い時間を過ごしているような気がして、恥ずかしくなる。

「二子貝くん、そろそろ期末試験あるね」

フルーツを交互に食べさせ合いながら、ふいに葵はそう言って笑った。

「スパダリチェックしないとだね」

葵の目に企みがあるようで、寧は前のように、スパダリチェックに積極的になれない。好みのイケメンがいても、それを言うと葵がわざわざ部室に連れてきて、お茶に招く。なんて交渉したのか知れないが、相手はだいたい運動部で、ドカリと胡坐をかいて、お茶菓子をお替りしたり、濃茶に口をつけなかったり、散々だ。部室に連れてこない場合は、もっと悪くて、双子の花巻の口から、どれだけクソか、見る目がないかを語られる。なんで花巻と結託しているのかは知らないが、双子花巻姉妹を調査役に仕立てているらしかった。つまり、寧がいいな、と思うスパダリ候補は次々と葵の手によってつぶされていっている。

「はぁ。スパダリに傅かれていきるという、ぼくの願いが、」

思わず口に出すと、

「そんな、ゴロゴロいないんじゃない。スパダリなんて。いたとしても、二子貝くんに傅いて生きてくれるかなんて謎だし」

楽しそうにいうところが気に食わない。

「夢壊さないでよ。いるって信じてれば、絶対にいるんだから」

「……、傅かれたいっていうけどさ。それって、どうされたいの?」

「なんていうか、えへ、ぼくの言う事なら何でも聞いてくれて、いつもイチャイチャして、そばにいてくれて、癒してくれるような感じかな」

「それでいいなら、ハイスペックいらなくない?」

「そんなことないよ。それをしてくれるのが、好みの凛とした気高いスパダリってところがポイントなの」

「そうかな。よく躾けられた犬といるのと変わんないって」

「犬?まぁ、犬も癒しの存在だけどね」

「なら、ご主人様、俺にしたら」

そういうと、葵はベタベタ寧の肩にすり寄ってくる。

「えっ、何?」

「犬のまね」

葵は寧の身体を引き寄せて、匂いを嗅ぐ。髪の毛や鼻先が寧の頬や鎖骨らへんに触れて、くすぐったい。笑い声を上げて抵抗する寧の腕を掴まえて、顔を背けて耐える首筋を舐め上げた。

「うわっ、葵くん、今、舐めた」

「そう、犬だから。癒しの存在でしょう」

葵の手が寧の制服の上からもぞもぞ動き出して、シャツの中に忍び込もうとする。

「躾けなくていいの?このまま直に触ってくすぐっちゃうけど」

葵の強い眼差しに捉えられ、どこまで冗談かわからなくなる。

「でも、かわいいかも。犬の葵くん。結構いいかも。葵くんさ、ぼくの犬におなりよ。この、もふもふの頭一生可愛がってあげるから」

寧が葵の頭をわしわしともふる。

「へっ、……、本気で言ってんの、二子貝くん、こんなの、」

葵が顔を赤くする。

「一回してみたかったんだよね。葵くんの頭もふもふしたら気持ちよさそうで」

楽し気な寧の手にされるがままになって、葵は固まったまま、はい、と言った。

「一生、か。……なら俺も、二子貝くんに一生傅いて生きてもいいよ」

葵は寧の手をゆっくり、自分の口元に持っていくと、カプリとその親指の付け根を甘噛みした。



物の弾みで、言った一言が、言質をとられてしまっている。

葵をかわいいな、と思ったのは本当だが、一生可愛がってあげる、なんて。今思えばプロポーズみたいだ。おまけに、ぼくの犬におなりよ、なんて人権無視も甚だしい。なんてことを。

内心、慌てふためく寧を尻目に、葵は絶好調という感じで、いつも以上にホンワカ、にこやかで、機嫌がいい。

「主従関係結んじゃったね、ついに」

なんて、ニンマリ言われる。

「俺がスパダリじゃなくても、いいってことなんだね」

「いいって、何が」

「付き合ってくれるんでしょう」

ん~っ。悩ましい。でも、葵がいると、いつもこころが晴れわたる。それに、葵はきっと物の弾みで、一生傅いて生きてもいい、なんて言わない。そういうところは、なんかわかる。

「はぁ~、スパダリにっ、ていう夢は遠のいたけど、優秀な助手兼癒しワンコがそばにいてくれるのか」

ぼそっと、言った寧の言葉をしっかり漏らさず聞いて、

「二子貝くんにスパダリって認められるように、日々精進します」

と葵は言って笑った。

友情も恋も知らないけど、この形の決まらない感じも寧には自分らしくていいかな、と思う。迷いのない葵に押されて形になっていくだそうし、癒しと甘えに満ちたマイペースな関係を築けそうだ。

葵と二人きりになると、またかわいいワンコに変身されてしまい、寧もまた、条件反射で可愛がって、もふってしまう。

穏やかだけど、穏やかじゃない。

葵に触れられると、嫌でも自覚してしまう。寧の指先までもが、心臓になったように、打ち震えていることを。



期末テストの勉強を図書館で一緒にしながら、寧は、これはもはやマズイ展開では、と危惧する。花巻双子と野球部の佐竹もなぜか一緒だが、葵が聞かれるままに、何でもあっさり答えて、教えてあげている。頭もいいとか聞いてないし。

「葵くん、中間は、そんな良くなかったって言ってたよね」

と、寧が聞くと、

「二子貝に気を遣ったんだろ。葵くん」

と花巻に先に返される。本当、見た目も、姉か妹かどっちが自分のクラスメイトなのか謎なのに、さらに口調まで似ている。なんで初めから呼び捨てなのか。

「中学の時も学年で順位上だったよな」

佐竹が言う。葵は、そうだっけ。バスケばっかで、受験危うかったけど、と静かに言う。

「二子貝くん、わかんないとこ、ある?」

葵に聞かれて、笑顔がムカつく。なんか素直になれない。

花巻双子が、葵の両隣を陣取っていることにも腹が立つ。

「いいよ。自分で考えるし」

「時間の無駄だって。二子貝。葵くんの厚意に失礼だろ」

と、花巻に睨まれる。

「いいの。葵くんはぼく甘いから、いつでも教えてくれるし、優しいからお弁当も作ってくれるし、茶道の準備もぼくの言う事何でも聞いてやってくれるし、都合も時間もぼくに合わせてくれるし、今日しか教えて貰えない花巻さんたちが教えてもらえば」

一瞬、図書館全体が静まり返った感じがしたが、寧はフンっ、とそっぽを向いた。

「何いまの。超むかつくスパダリ自慢?」

「葵くん、やっぱコイツの見た目に騙されてる。悪魔だって。謎の生物じゃん。葵くんを手足のように使って高飛車に命令してるし」

高飛車、久しぶりに聞いた。そんな悪口。

「本当、すごい独占欲なんだな。葵、大丈夫なのか。弱みとか握られてんのか?」

佐竹まで反二子貝連合に加勢してきている。葵はまさか、と首を振る。

「へん」

腕組みする寧に葵は笑って言う。

「俺、スパダリなんだって」

「え、違うでしょう。葵くんは、どう転んでも、かわいいワンコ気質じゃん。」

スパダリなんて認めない。もともとこんなに人がよくって、押しに弱くって、大人しいんだから。寧の癒しのわんちゃんでずっといたらいいんだ、と思う。

腹が立って、気まぐれでも言ってみたくなる。

「さてと、部活でお作法のテストするよ、今日。勉強なんてしなくていいから、あと、テスト前だけど、これ読んでおいて」

葵の前に鞄から取り出した雑誌に文庫、新刊を次々と並べる。

「千利休と茶の湯の世界、利休を深ーく知る、歴史とあの人物、え、まだあんの?」

「葵くん、主人のぼくよりいい点取ったら承知しないよ。さあ、行くよ部室」

唖然とする周りに、個包装の茶菓子を配り、お茶会は来月にでも、と声をかけると花巻双子がニヤリとする。

「付き合いよくなってきたじゃん。二子貝。稽古もつけて欲しいんだけど」


思いがけない花巻の言葉に驚いて、寧は、上げかけた腰をゆっくりおろした。

自分に稽古を頼む人間がいることに喜びが湧く。寧は茶道を広めたい、もっと日常的に茶道に関わってほしい、という気持ちを思い出す。今だ男子部員が葵のみ。女子茶道部30人以上いる。

「花巻さんたちの他にも、ぼくから茶道習いたい人いる?」

「そんなの全員だろ。二子貝だぞ。習いたくても、月謝も敷居も高くて、高校生ではなかなか習えない」

花巻双子の言葉に励まされることがあるなんて。

それでも、女子茶道部員からこの学校に広まれば、興味を持った男子部員も集まるかもしれない。ここはひとつ、長年の女系の恨み云々は脇において、活動らしい活動をしていきたい。

「わかった。今さ、いろんなこと閃いて、」

寧はノートを取り出して、書き始める。

週に一回、人数を分けて、女子茶道部との合同稽古を開催する。さらに、その後は書道部と家庭科調理部と合同で、書や茶菓子の制作をするのも面白いかもしれない。その作品を展示したり、茶道の活動にいい影響をもたらすかもしれない。閃いた寧は、花巻に書道部と家庭部のクラスメイトに連絡してもらい、時に茶道部と合同で活動してもらえないか、と伝えてもらった。総合芸術を愛で、見る目を養う事、季節感を大事にして、人を敬う心をもつこと。どの部にとっても大事な精神だと思う。

「いい閃きをありがとう」

「別に、連絡しただけ。あと二子貝、幼稚園では一緒だったからな。こっちは苗字変わったけど。茶道バカは、変わんねーな。思いつきで、急に走ったり立ち止まったりして、危ないから、二人でボディーガードしてたのに、コイツすっかり忘れてて」

「えっ。りなちゃん、ちえちゃんっていたけど、えっ、もっと可憐な双子だったよ」

「こいつ、やっぱ、一回シメとくべきだった」

双子花巻は寧のほっぺを両端から引っ張った

「いでででっ、イタイってば」

「かわいいからって、誘拐されそうになったりして、助けた恩を今返せよな。茶道、習いたかった。お前のねーちゃん二人はきつそうだから、パス。バイト代は家にいれなきゃなんないから、少ししか出せない」

「そんなことまで、ごめん。りなちゃん、ちえちゃんがいなかったらって、今だに姉にも言われてる。引っ越したんだね。そっか。あ、稽古代はいいよ。茶菓子用意してもらえれば。手作りでゼリーとか寒天なんかあればいいし。お作法と所作の基本を覚えたら、あとは、ゆったりしたいい時間を過ごすことが目的なんだ」

「ふうん。で、どっちがちえだと思う?」

「こっち?」

「ばーか。こっちはりなだよ」

「あ、ごめん」

「うそ、ちえで合ってる。二子貝、わたしが同じクラスだからな。茶道部の部長で。ちゃんと覚えろ」

またほっぺをつねられる。これ、覚えてる、と寧は思う。幼稚園でも寧がおかしなことをするとよくやられていた。家では姉二人がいて、幼稚園ではりなちえちゃんがいて、遊ぶ相手も女の子だった。

「あのさ、」

ずっと話を聞いていた佐竹が、口を開いた。

「俺野球部なんだけど、一年かスタメンだけでも茶道の講習会やってもいいんじゃないかって思っていて、プロのアスリートがメンタルヘルスを整える中で、座禅とか瞑想なんかしてるじゃん。茶道もそういう、いい効果ありそうだなって思うんだよね。二子貝がやったらいいんじゃない。葵みたいないい広告塔がいるんだしさ。葵が茶道を続けているっていうのも、多分その辺に理由があるんだと思うし。葵に憧れてるような奴も多いしさ」

「へ~。葵くんにね~。もっさりメガネだけどね」

「おい、新聞や雑誌に載るような、スーパースターなんだよ。中学では本当凄かったし」

佐竹がフォローする。

「なんか始めるんだろうなって周りは思ってる。まだ運動部は諦めていないから」

「まぁ、でも、要望があれば、マインドフルネスと絡めた、アスリートが喜びそうな話は出来るかも」

寧は面白いかもしれない、と思う。

む、む、む、と変な声が上がって、葵を見ると、唇を軽く突き出してむくれている。

「これ、花粉が酷いときに使うガード用メガネなんだけど、外すタイミングなくて。二子貝くんが嫌なら外すけど」

「いいよ。そのままで」

メガネ外すと、なんか心臓がうるさくて。やたら目も大きく見えるし。そばにいる相手にこれ以上ドキドキさせられたくない。

寧はカレンダーを開いて確認すると、

「十月頭にある文化祭までには、何か形になってればいいなって思うから。それまで、あと三か月くらいか、いろいろやってみようか。部員だけじゃなく、交換留学生とか、外国人の先生たちをおもてなししても、喜ばれそうだし」

寧はノートに様々なプランを書き出した。書いていくうちに、頭がスッキリして、全てが実現可能だとわかる。寧は心が軽くなった。茶道に関わりながら、自分の世界が広がりを見せてこようとしている。さらに、もしかしたら自分の窮屈な思い込みや苦い記憶に縛られているだけで、世界はもっと優しいのかもしれない。寧が何かをやりたい、と言ったら、協力してくれる仲間や面白がってくれる人がたくさんいるのかもしれない。


この高校に入って良かった。未来がこんなに楽しみだなんて。言葉には出さないけれど、これから忙しくなる茶道部に、カンパイ!と声を上げたくなる。もちろん、艶やかに練り上げた濃茶で。いつもそばにいてくれるであろう葵と。



 あれは、どう聞いても、プロポーズの言葉だったと葵は思う。


 「ぼくの犬におなりよ」

 一生可愛がってあげるから、と。無自覚にも放り投げられた言葉の責任は、ちゃんととってもらわないと。



 あの入学式後の出会いが葵の全てを変えた。何度も何度も反芻して記憶に刻みつけた。

 あの時、自分を掴んで、道を切り開いて進む姿に、華奢な腕や背中に逆らえなかった。桜並木の一番端まで引っ張られて、迷いのない目が、凛とした声が自分に向けられていることに陶酔に似た喜びがあった。 


春の嵐がこのまま続けばいいのに、と葵は思った。かき乱されているこの鼓動を隠し通すためにも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕の犬におなりよ~恋をするならスパダリと茶道男子の恋愛願望~ きょん @19800701kyoko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ