第6話 養い親とフィス

第四騎士団は王城勤務を終え、次の任務の前に休暇に入ったが、会議場の一件はまだ解決していないらしい。


今日の兵舎は比較的静かである。フィスも外出の支度を済ませて、私服用のローブを肩に羽織った。


貴族や近隣に自宅がある者は昨夜のうちに帰宅したようだ。ルキウスの姿もないし、隣室の住人のうち、ラウヴァルトはどうやら女性を伴って観劇の予定があるという声が聞こえていた。


部屋を出ると、いつものように扉に印をかけて、兵舎を後にする。平民でもほとんどの者は家があり、休暇の際には皆帰っていくのでフィスも同じだと思われているが、家があっても、家族のいないフィスにとっては、より自由な時間である。


兵舎の警備をする兵士に挨拶をして、王城から出ると、王都でもあまり華やかではない地域にでた。


それもそのはずで、王城を中心とした王都の北門側は、王都を出るための門が他よりも比較的近く、貴族の家も多くはない。平民の家も賑やかな店や商家が多いわけでもない。


王城を出て少し歩いたところで乗合馬車に乗ったフィスは、しばらくすすんでから馬車を降りた。

身分を表す隊の徽章をローブの下から見せれば、代金はかからない。王城の騎士団に所属する者たちは、給料のほかにこうした王都内の移動に関して、隊の記章を見せれば無料で、乗り放題なのだ。


フィスは、賑やかな街道の近くで馬車を降り、乗り継ぎ馬車の行き交う場所へと緩い坂を上り始めた。


乗合馬車よりも少し立派な箱馬車がすぐそばを登っていく。その馬車を見送って、途中からわき道にそれた。少し狭い路地は、すぐそばに立っている建物の裏へと続く道で、知る人でなければあまり通らない場所だ。


王都で一番大きな、神殿の隣に立つ救護院の裏手に向かったフィスは、周りに溶け込むような目立たない扉を押し開けて中へと入った。


扉をあけた先は、神殿と救護院をつなぐ通路のすぐそばで、救護院の職員や神殿で働く職員たちの姿がちらほらと見える。


一般の人々や神官がいる場所とは違って、関係者しかいない場所を当然のように歩いていく。救護院の荷物が置かれている部屋や炊事場の傍を抜けて奥へ進むと、職員が詰めている部屋が並んでいる。

その一つ、両開きの扉の前でフィスは足を止めた。


ゆっくりと二回、扉を叩くと内側から扉が開く。


「おはようございます。ロフレスカ院長」

「まあまあ、待ちかねましたよ。お入りなさい」


救護院の院長、ロフレスカの後に続いて部屋に入る。


少し大きな執務用の机が一番奥にあり、その手前にソファが向かい合わせに置かれている。テーブルの上にはすでにお茶の支度がされており、「待ちかねた」という言葉は本当らしい。


ここに来るたびロフレスカは先触れを出しておくと、毎回待ってくれている。それがいつも、ほんの少しばかり申し訳ないような気にさせられるだけだ。


「いつもありがとうございます。お気遣いいただいて」

「いいえ、気を遣っているわけではなくて、わたくしの楽しみなのだから、どうぞ、気になさらないでね?」


少し悪戯っぽい笑みを浮かべたロフレスカは、可愛らしく少女のようだが、この救護院の院長になって長い。元は高位貴族の出らしく、元のままであればどこかの家に嫁いで、孫もいるかもしれないくらいだが、ここでは家名もないロフレスカ院長である。


「それよりもね。あなたときたら、学院に通っている頃から月に一度顔を見せてくれればいいくらいなのですもの。待ちかねるのは当たり前ではなくて?」

「そうおっしゃいますが、長くても月に一度は顔を見せているので、無沙汰をしているというほどでは……」

「ほら、そういうところですよ。わたくしの楽しみを取り上げようとする悪いところ」


フィスにソファを勧めながら、ロフレスカはお茶のポットに手を伸ばした。年の頃からすると白髪に近い銀の髪は、フィスが救護院にいた頃と変わらず、品よくまとめられている。


素直に腰を下ろしたフィスは、目の前の美しい所作を眺めるのが小さいころから好きだった。

温められていたポットからお茶を注ぎ、二つのカップにお茶が満たされるまで、じっと薄茶の瞳が追い続けていると、小さく笑った気配がした。


「あなたはいつも、お茶を淹れるとそうやって見ているわね」

「はい。お茶の淹れ方を教えていただきましたが、いまだに足元にも及ばないなと思います」

「そんなことはありませんよ。あなたはとても優秀な生徒でしたからね」


救護院にいた時だけでなく、学院を卒業するまで貴族の所作やマナーはすべて、ロフレスカから教わった。

覚えておいて損はないからと教わった様々なことは、フィスの頭の中の知識とフィスを正しい形に結び付けてくれた。


こうするべき、こうあるべきを知っていても今のフィスは平民である。本の中にしかない知識を、手の届く場所に引き寄せてくれたことに今でも感謝しかない。


「いまも自分は、院長先生の生徒のままですよ」

「またそんなことを言って。とうにあなたは卒業していますとも」

「まだまだです。ロフレスカ様の生徒であることを誇りに思えるよう、精進したいです」


自分の口から言えるようになる日が来るかどうかも分からないが、少なくとも後ろ指さされてしまうことがないのは確かだ。

大きな感謝が乗っている天秤を少しでも返せるように、手にしていた小さな包みを差し出した。


「少しばかりですが、王城に出入りの商人から買い求めました」


カラフルなマカロンはロフレスカがとても好きなものだ。

救護院の院長が貴族のように贅沢をしているわけにはいかないと、普段は我慢していることも内緒話として聞いたことがある。ロフレスカの立場なら誰もそんなことは言わないだろうに、頂き物以外は控えていると宣言していた。


我慢すると言っても、頂き物だけでもそれなりになるはずで、フィスがわざわざかってこなくても十分、味わっているとは思う。

それでも、少しではあるがおいしいと評判が良いものを聞いて、手に入れてきた。フィスの事を気にかけてくれることへのお礼の気持ちでもある。


「あら、嬉しい。あなたの天秤が傾くのではなくて?」

「いえ、まだお返ししきれないので足りないくらいです」


からかうような口ぶりではあるが、ロフレスカはとても嬉しそうに受け取ってくれた。立ち上がってすぐ、皿を用意してフィスが持ってきたものを並べる。


天秤をまっすぐにするには、まだまだ返し足りないものがありすぎだ。


テーブルの上に置かれた皿は、用意されていた菓子からすると気持ちばかりというのも恥ずかしくて、フィスは申し訳なさそうに頭を下げた。


「少しばかりですみません」

「そんなことはないわ。このくらいが一番いいのよ。ありがたみを感じながらいただくから、なお一層おいしいものだわ。それに、あなたに面倒だとか鬱陶しいと思われていないことがわかるのだもの。十分すぎるくらいよ」

「そんなことは……」


ふふ、と笑いながら薫り高いお茶を差し出したロフレスカは悪戯っぽい笑顔を向けてくる。

フィスの芯の強さや負けず嫌いの性格は、間違いなくロフレスカの影響だ。


フィスを育てたといってもおかしくはない相手を前にすると、騎士団では生意気な新人、学院でも変わり者と言われたフィスも幼い子供に戻ったような気がする。


「あら。そう簡単に天秤の傾きを直せるとは思っていないでしょう?」

「それはもちろんです。いくつになってもお返しできるとは思えませんよ。今のところは」

「それは素敵ね。いつまでもあなたにこうして我儘を言えるということでしょう?」


品があるのに、ぽろぽろと辛口なロフレスカには敵わない。

人に構われることが苦手なフィスが困った顔をすることも含めて、いつもの流れである。


そうこうしている間にテーブルの上が、ロフレスカの手によって完璧に整えられる。そして、女主人の様にロフレスカはフィスにお茶を勧めた。


「さあ、フィス。どうぞ召し上がれ」


ロフレスカの声に促され、躊躇なくフィスはお茶を一口飲んだ。薫り高い紅茶は、茶葉が大きい分ちょうどよく淹れるのが難しいものだ。

心地よい香りが広がり、味わいも申し分ない。


「美味しいお茶ですね。いつもありがとうございます」

「どういたしまして。あなたが来てくれる日は特別だから、わたくしのとっておきよ」


実家にいた頃は当たり前のように飲んでいたものらしい。

フィスにお茶のマナーを教えているときに、いつだったかそんな話をしていた。少しばかり遠い目をしたロフレスカを思い出す。


フィスの物思いを吹き飛ばすように明るい声が問いかけた。


「さて、最近のあなたのことを教えて頂戴?お仕事は忙しいのかしら?まだ見習いから卒業していないのよね?」

「はい。今は訓練が中心なのでこれといったこともなく、あまり自由な時間が取れないことくらいでしょうか」


学院時代も今と同じように寮に住んでいたが、あまりフィスに構う同級生は多くなかったから、一人の時間は好きなだけ確保できた。


今は、同じようにはいかないことに三か月たってもなかなか慣れない。フィスの戸惑いを見透かしたようにロフレスカは頷く。


「そうね。騎士団の皆さんは普段から親しくされていて、それがお仕事にも関わるものね」

「う……、ん、自分にはまだよくわからないことが多いです」


仕事は仕事。

やるべきことは決まっているのではないか。


誰かと仲がいい、悪いで流れが関わることは頭ではわかっていても、いつまでたってもフィスには感覚として理解できない。

仕事と、関係性は同じ天秤に乗るところが想像できないのだ。



誰かと関わることにどこまでも抵抗があるフィスに、ただ黙って微笑んだロフレスカは話を変えた。


「そういえば、時間がないと言うけれど、この前来た時に話していた、ローブの刺繍は進んだのかしら?」

「完成にはまだまだ……、気長に作っております」

「ローブの裏、全体に大きな図案を描いているのだったかしら?」

「ええ、全体ではないですが、まあ、それなりに大きいと思います。前にくる、この裾のあたりにも中くらいのものをいれたいと思っていますし」


手振りでその様子を示しながら、説明する姿はロフレスカから見ると、随分大人になったなと思う。刺繍も貴族の嗜みだという事を教えた時は、初めてのはずなのに、ゆっくりではあったが、一針ずつ丁寧に描いた図柄はなかなかのものだったことを思い出す。


「少しずつ進めていますが、一針一針、図案が形になるたびに、刺繍の腕も上がればいいなと思っております」

「いつか、手巾にもしてみたらいいわ」

「魔法印を、ですか?」

「まさか。普通の刺繍を、よ」


お茶とお菓子を楽しみながら、饒舌に話すフィスをみたら隊の皆は驚いただろう。学院時代を知っている者がいれば、話すときは止まらないほど話すことを知っているかもしれないが、騎士団に入ってからの印象が強いかもしれない。


「魔法印はね。いまだに、わたくしは使いこなせないわ」

「そうでしょうか?自分は、ロフレスカ様のような、魔法使いの方が不思議です。感覚だけで使いこなすところがすごいです」


魔法使いは魔力を感覚で魔法に変換させ、短い呪文や印で行使する。

魔導士は、魔力を使って物質や生物の構造や仕組みを理解し、魔法陣や呪文をつかって方向性、威力を制御する。


大多数は、学院で学ぶことで魔導士になるが、一部の者だけは生まれ持つ感覚だけで魔法を使うことができる。これは、個人の能力によるものだけに努力や訓練でどうにかなるものではない。


ロフレスカは魔法使いで、フィスの使う魔法とは根本的に大きな差があるのだ。


「フィスの方がよくやっていると思うわ。わたくしは学院でもね、成績が良かったわけではないのよ」

「ロフレスカ様は魔導士科ではなかったはずではありませんか?」

「あら、負けず嫌いが自分だけだとは思わないでちょうだい。淑女科とはいえ、わたくしも選んだ課目としては、きちんとしたかったのよ?」


そこで自慢げな顔をするところはお茶目だが、淑女科では優秀だったと聞く。

もともと、貴族令嬢として言われっぱなしの性格ではなかったようで、それは言葉のあちこちだけでなく、行動にも表れていた。


救護院を出てからも、学院に通っていた頃も、面倒を見てもらっているがその気の強さは健在という事だろう。

ロフレスカと比べれば、フィスはまだ違うと思いたい。


「負けず嫌いだという自覚は、自分はないですが……」

「わたくしだけが負けず嫌いだとでも?」

「いえ、あの……」


じっと眺められると、ロフレスカから目線を外してしまう。それさえも、ロフレスカにはおもしろがられているようで、どうにも敵わない。

時にフィスをからかい、辛辣なことも言う。品よく、救護院にくる者たちには優しく、時に厳しく救護院を出て立ち行けるように皆の面倒を見る。


フィスも随分厳しく教えられたが、少しも嫌ではなかった。人と距離を取りたがるのは幼いころから変わらないフィスだったが、ロフレスカのことは信頼できると感じていた。


「ずっとあなたのことは心にありますからね」

「ロフレスカ様?」

「騎士団に入って、貴方が望むとおりに生きていけるならそれはよいことではあるわ。でも、あなたがたとえ、誰かの為であっても傷ついたり、危ない目にあったとしたらわたくしはその誰かを恨むかもしれないわ。そのことだけは覚えておいてね」

「それは、随分……、というか、無茶苦茶じゃありませんか?ロフレスカ様」


時には無茶も言うロフレスカだが、ここまでめちゃくちゃなことを言うことはない。唐突な言葉に、いつものようにフィスをからかっているのかと思ったが、ロフレスカはフィスの顔を見ようとはしなかった。

視線を逸らしたその表情は何事もないようにみえたから、逆に心からの言葉に思えた。


「何か、ありましたか?」


不思議に思ったフィスに、目を伏せたロフレスカは何も言わず横に首を振った。

数少ないフィスが慕う相手のいつもと違う様子に、不安を覚えたがそれを断ち切るように、ロフレスカが立ち上がった。


「さあ。いつまでも話していたいところだけど、あちらにもいかなければならないのでしょう?」

「はい。ご挨拶に伺うつもりです」


院長の部屋の中には今、フィスとロフレスカの二人しかいない。もう一か所、ここに来たら必ず、顔を出す先を言われてはフィスも立ち上がらなければならなくなる。

ロフレスカに向かって、フィスは深々と頭を下げた。


「では、今日もありがとうございました。確かに、待たせしすぎだと叱られてしまいますのでそろそろ向かいます」

「楽しかったわ。いつも、二人に同じ話しなければいけないのは、申し訳ないわね」


ふふ、と笑うロフレスカに、首を振る。フィスにとっては養い親と言える相手に、面白くもない日常を話すくらい大したことはない。


先に立ったロフレスカが、執務席のすぐそばの本棚の一冊を引く。

かしゃん、と何かが外れる音がしたあと、本棚を手前に引くと通路が現れる。


王城にもある、緊急時用の避難通路の一つだ。こういうものは、あると言われていても、なかなか実際に目にすることはないものだが、神殿にもいくつかある。


ここはそのうちの一つであり、救護院の避難通路でもある。院長室にあるのは、救護院が神殿の一部だからだろう。


「ではまた来月ね」

「はい。また来月もよろしくお願いいたします。」

「次も楽しみにしているわ。月を待たなくても来てくれていいのですからね?」


いつもの挨拶を交わして、薄暗い通路の中にフィスは踏み込んだ。


背後で扉の閉まる音を聞きながら、薄暗い中を進む。普段は使われていない場所だけに、埃っぽさと、あちこち傷んだ場所がある細い通路だ。ロフレスカもこの先の部屋の主も、この通路を使うことはあまりないらしい。


それもあって、余計に放置されているのだろうが、通るたびにフィスは土魔法で修理をして進むことにしている。学院の頃から、使わせてもらっているから、随分手を入れてはいるが、それでも間があくとあちらこちらと、ひび割れが目につくようになるものだ。


他の場所なら、決してそんなことはしないのだが、この通路を一番使う可能性が高い人物二人ともがフィスの養い親ともいえる人たちだけに見て見ぬ振りができないのである。


薄暗い中でも足を止めて、直しては進むからただ歩くよりも時間がかかってしまう。通路の行き止まり、一番暗いはずの場所にうっすらと灯りが差し込むくらいには隙間が空いていた。


気休めのノックをして、扉を押し開けると、ロフレスカの部屋と同様に本棚に見せかけた扉の先は誰かの執務室である。


「ようやく来ましたね。とても待ちくたびれて、さすがに文句の一つも出てしまいそうになりましたよ」


部屋の主の声が聞こえてきて、フィスの口角が上がった。


「申し訳ありません。お待たせしてしまいました」

「ロフレスカの話が長いのでしょう?フィスは付き合いがよすぎますよ」


グレイヘアの紳士が両腕を広げてフィスを迎えた。背が高くて、比較するならグレンフィルと同じくらいではないかと思う。

初めて出会った時からあまり変わらない灰色の目が、優しく穏やかにフィスの目を覗き込んでくる。


「元気そうで何よりです。フィス」


長い腕にゆるりと包み込まれて、ぽんぽんと頭を撫でられる。身長差を考えるとすっぽり包み込まれるようで、軽くハグする程度のものだが一瞬身構えてしまう。

これほどの距離感の相手は他にいないのだから仕方がないが、抱擁される瞬間、ゆるりとした魔力に包み込まれるような気がする。


フィスが公言している魔力量よりももっと多い人はたくさんいるが、他の誰からもこんな風に魔力で覆われるような感覚は感じたことがない。

表面を覆うような不思議な感覚である。


「疲れてはいませんか?無理をしてはいませんか?怪我などして隠していないでしょうね?」

「ロフレスカ様以上に質問攻めではありませんか。ソトラスト大神官様」

「それは仕方がないでしょう。ロフレスカと比較されるのは少しばかり気になるところですが」


養い親のもう一人、ソトラスト大神官はフィスから離れてソファをフィスに勧める。ここは、救護院の隣に立つ王都の神殿で最も輝かしいはずの大神官の部屋だ。


自分の部屋は豪華ではなくていい、というソトラストは歴代の大神官の中でも高潔な人物と言われている。


その大神官を前に、フィスは少しばかり困ったように笑った。


「疲れてはおりません。無理もしておりません。怪我をするような仕事に見習いはまだ同行しておりません。あとは、相変わらず隊の中では浮いています。そして、お二人がご心配されるようなことがありましても、ご報告いたしません」


いつものように、いつも通りの言葉を繰り返す。そして、ようやく慣れた胸に手を当てて、騎士の礼をとると、その姿に残念そうなため息が聞こえた。


「……あなたをには違う姿が似合うと思っていたのですが、残念ですねぇ」

「ようやく、魔法が堂々と使える魔導士になれたので、騎士姿を褒めていただきたいです」


決して好きに魔法が使えるわけでもない上に、魔力量も使える魔法も偽ってはいても、それでも騎士団となればやはり違う。

限られた人に使われたり、利用されるのではなく、誰かの為に役に立てる仕事についたのだ。

ずっと願っていた立場にようやく立ったことを褒めてほしい。


「相変わらずですねぇ」


そんなフィスの想いをわかっていてあえて、ということをソトラストの表情が語っていて、小さく頭を下げた。


ロフレスカとソトラストの二人以外がこんな風に接して来たら、フィスははっきりと線を引いて接していただろう。


そんな二人だから、もし何かあった彼らがフィスの望まないことを要求するようなことがあっても、きっと自分は仕方がないと思う。


絶対の信頼を置いているわけでもない。ただ、なかなか返せないくらいの恩は確かに天秤の上にある。だから、もし何かが起きてもそれを取り立てられたのだと思うくらいだ。


そんな養い親との対面にフィスは手土産に持ってきた小さな包みを差し出した。


「これは少しばかりですが」

「……ああ、ロフレスカが好きなのですよ。これは」

「存じております。それを教えてくださったのはソトラスト様ではありませんか」

「そうだったかな」


ソトラストとロフレスカの関係は、いまだによくわからないところがある。どうやら、フィスが救護院に来た時にはすでに長い付き合いだったようだ。付き合いは長くお互いのことはよく知っているようなのに、どこか張り合っているような、独特の緊張感のようなものがある。


それを感じ取っているから、フィスも決して仲がいいとは指摘したことはないのだが。


「あちらで、すでにお茶を飲んで来たのでしょう?」

「それはまあ……。あの、お気遣いなくて構いませんから」

「気遣いではありません。これは負けられない話なのですよ」


ソトラストの執務室は白を基調とした部屋で、救護院とは違い、王城の一角のようだ。うっかり汚したらと思うだけで毎度、気を遣うのだが、他に座る場所があるわけでもない。

何の勝ち負けだ、と言いそうになるが、何度来ても緊張する白いソファの上で大人しくするだけだ。


白木の執務机の傍、フィスが入ってきた隠し通路の本棚の隣から、華奢な透かしの入ったカップが出てきた。


普段、ソトラストが自らお茶を入れることなどまずないのだが、ごくたまにお気に入りのセットを使うことがある。それがでてきたので、ますますフィスとしては気を遣うことになる。


「あの人の事ですから、とっておきの紅茶をいれたのでしょう?」

「ええと、……まあ。美味しいお茶をいただきました」

「確かに、あの人が、お茶を淹れるのがうまいのもあって、とても美味しいですからね」


フィスが知る限り、ソトラストの為にロフレスカがお茶を淹れたことはない。もちろん、フィスの知らない場で、お茶を飲み合うような時間があるのかもしれないが、少なくともお互いに誘い合って茶を飲む様な間柄ではないのは知っている。


なのに、ロフレスカのとっておきのお茶を知っているのだから、養い親二人の関係は本当によくわからない。

よくわからないが、フィスとしてはどちらかというとロフレスカの方についてしまいがちである。


「ロフレスカ様は、私の色々なマナーの先生ですから、淹れてくださるお茶はとてもおいしくていらっしゃいますよ」

「おや、フィスはあの人の肩を持つのですか?」

「そういうわけではありませんが、ソトラスト様とはそもそもあのー……」


ソトラストも元は貴族出身だという。

貴族であれば男性でも女性でも、お茶を嗜むことは確かにマナーというべきか、身に着けている一つではある。二人の貴族時代を知らないフィスにとっては、何をもってどこまでを判断すればいいのかわからない。

歯切れの悪い呟きをしりすぼみに呟いて、視線を逸らせば、ソトラストにじろりと睨まれる。


ソトラストの手からふわりと水の気配が走り、こぽりと音がした。フィスの見ている目の前でポットを傾ければ温かい湯がカップに向かう。


「あっ……」


カップに注がれたのは紅茶ではなく、淡い緑色の緑茶であり、これもまた高級品である。カップ二つを満たしたソトラストが、目の前に座った。


「東の方の国から入ってきた緑茶というものだそうですよ。紅茶の様に熱くはありませんからどうぞ?」

「あ、はい。あの、これはとても珍しいものなのでは……?」

「ああ、まあたいしたことではありませんよ」


フィスが驚いたことに満足したソトラストは、たいしたことではないと言ったが、絶対に高いものだ。なんなら、他国から王族や貴族でもほんの一握りしか手に入れられないものではないだろうか。


噂にしか聞いたことがないそれを口にするのは迷ったが、滅多にない機会である。素直にカップに手を伸ばすことにした。


カップを手にすると、ふわりと優しい香りが鼻先をくすぐった。

熱くないと言われてはいたが、口にすると、思いのほか温くてとろりと微かな甘さと喉を通り抜けていくさわやかさが広がった。


「美味しい、です」

「それはよかった。私もとっておきを出した甲斐があります」

「とても貴重なお茶をありがとうございます」

「いえいえ。あなたが少しでも喜んでくれたらいいのですよ」


程よい温度のお茶は、初めの一口の後、ごくごくと飲んでしまいそうだ。貴重なお茶に対して失礼だろうと、踏みとどまりかけたが、その喉越しに我慢ができず、半分ほど飲んでしまう。


貴重なお茶をいただいて喜ぶフィスに、ソトラストは嬉しそうに微笑んだ。ほんの少し、恥ずかしくて、カップに視線を落としていると、ソトラストが立ち上がる。


「気に入ってくれたのなら気にせず飲んでください。お湯はいくらでも出しますからね」

「ありがとうございます」


手を伸ばしたソトラストがポットにお湯を足して、ゆっくりと揺らす。紅茶を淹れる時とは違う所作に目を丸くしながら、いつの間にかフィスは残りを飲み干してしまっていた。


ポットを軽く持ち上げたソトラストに、フィスはカップを差し出した。

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