王立魔法研究所

冷静パスタ

プロローグ

第1話 新人受付嬢の受難

「これは……まさか!」


 王都郊外にある魔法研究所。

 所長室と書かれたその一室の前までやってきたチェルは、室内から聞こえてきた大きな声に体を硬直させる。


「つ、ついに。完成したのですね!」


 一体何の話をしているのだろうか。興奮が隠せないといった様子の声色。

 今入るのは邪魔になるかと入室を躊躇い、扉を叩こうとしていた手を引っ込めた。


「まあ落ち着け。まだ――が、足りない」

「なるほど。では――」


 そのまま静かに扉を眺めていると、断片的な会話が耳に入ってくる。


「それも構わんが、やはりここは――」

「ええ! そうですねそうですね!」


 話を遮り入室の許可を得ようとしたチェルだったが、随分と盛り上がっているようで気が引けた。

 自分の用件が大して急ぐことではなかったというのもある。

 そしてこのまま会話を盗み聞きするような真似もよくないだろうと思い、一度出直そうかと扉に背を向けた瞬間。


「人体実験が――」

「ええ。若く、健康的な――」


 不穏な単語が聞こえ、咄嗟に息をひそめ聞き耳を立てた。

 静かに扉に近寄り、出来る限り扉に耳を近づける。

 猜疑心と好奇心。そして僅かな期待。

 心臓がいつになく高鳴るのを感じた。


「ここにいるやつらは――」

「どいつもこいつも駄目でしょうね。それに先生の崇高なお考えを――」


 先ほどまでよりは幾分ましになったものの完全には聞き取ることは出来ず、もどかしさから顔をしかめる。


 悩んだのは一瞬。

 室内の会話から何か歪なものを感じ取っていたチェルは扉を少しだけ開けてみることにした。

 元々訪れる予定ではあったのだ。

 気づかれればそれはそれ、何食わぬ顔で挨拶でもして誤魔化そうと考えた。


「くく。期待値も低いしな」

「街へ出た方がよさそうです」


 それなりに広さのある薄暗い部屋に男が二人。

 両者共に若く、種類は違えど顔立ちは整っているように見えた。

 若くして魔法研究所の頂点に立った天才とその助手。

 どちらがどちらかかまでは分からないが、どうやら評判は間違っていなかったらしい。


 幸いにもチェルが扉を開けたことには気づかれなかったようで、二人は楽しそうに会話を続けていた。

 扉の隙間からはたくさんの工具が置かれた机の他、薬品類のようなものが並べられた棚が見える。

 全体的に散らかっている室内は、チェルの想像していた所長室とはどこか違っていた。


「……まずは、この王都からだな」

「ええ」


 王都で何をするつもりなのだろうか。

 一人は愉悦混じりの暗い笑みを浮かべ、もう一人は興奮からか顔を上気させていた。


「その後は、世界に目を向ける」

「ええ、ええ」

「被験者は多ければ多い方がいいからな」

「ふふ……被験者ですか。被害者、の間違いでは?」

「ばぁか。我々の最先端技術が凡人共に理解できるかよ」

「確かに」


 狂気に満ちた表情。

 ヒトの皮を被った化け物にしか見えない二人が、チェルの前で笑い合う。

 薄々と感じてはいたものの、自分は聞いてはいけない会話を聞いているのではないかと今更ながらに冷や汗を流す。


「……ふう」


 チェルは小さく深呼吸をして、握ったこぶしに力を入れた。

 責任感か、はたまた正義感か。

 二人の狂人に怖気づきつつも、小さな暖かい何かが胸の中に沸き上がりつつあった。


 きっとこれから何か恐ろしいことが起ころうとしている。

 荒れた大地に荒廃した街。

 たくさんの人が不幸になる未来が脳裏に浮かび上がる。

 止められるのは自分しかいないかもしれない。

 いや、今ここにいる自分だけが止めることができる。


「いやぁ。想像が膨らむな」

「こんなにワクワクするのは久しぶりですが、一体どうなってしまうのか僕には想像もできません」

「見える景色が変わり――」

「おお?」

「世界観が変わる」

「おお!」

「そしてそれが、今後の武器になる」

「なんと!」

「上で待ってるぞ」

「先生……僕はどこまでもついていきます」


 終いには武器という単語まで飛び出した。

 何を作ったのかは知らないが、ろくでもない二人が、ろくでもないものを作ったことはもう間違いない。

 チェルは気持ちを落ち着かせ、冷静に魔力を練り始めた。


「よし。じゃあ準備ができたらさっそく街へ向かうとしよう」

「はい先生」


 二人の狂人がいよいよ街へと向かう。


「……いくぞ」


 小さく呟き、気持ちを奮い立たせる。

 ここ王都はチェルの生まれ育った場所だった。

 世界でも名高い王立魔法学園に入学し、その後も優秀な成績を残しつつ順風満帆な学生生活を送ってきた。

 家族に友人、お世話になった人々。

 大切な人たちや思い出が数え切れないほど頭に浮かぶ。


「……私が」


 そんなチェルが唯一悩んだのが卒業後の進路。

 成績を考えれば、国お抱えの魔法師になる道もあったが、主な仕事は魔獣退治や身辺警護。

 魔法は好きだが、戦うことに恐れを抱いているチェルにとってその道は難しかった。


「……私が、やらなきゃ」


 卒業を控え、悩んでいたチェルに紹介された仕事は冒険者ギルドの受付嬢だった。

 姉から紹介されたその仕事に、最初はどこか気乗りしなかったのは事実である。

 ただ、ここ王都冒険者ギルドの受付嬢と言えば、ギルドの中でも花形も花形。 多くの女性が憧れ、優秀かつ運がないとつけない仕事であった。

 卒業が迫っていたこともあり、チェルはその提案を受け入れた。


「私が、やるんだ!」


 そして今日、チェルはこの場に来た。

 姉から直接引き継いだ、魔法研究所と冒険者ギルドを繋ぐ担当者として。


「うわあああああ!」


 小さかった呟きは、いつの間にか大きく声に出ていた。

 いや構わない、とすぐに思い直す。

 すでに魔法の準備は整っていた。

 チェルはそのまま目の前にある開きかけの扉を勢いよく開け放った。


「な、なんだぁ?」


 金髪の男から先生と呼ばれていた黒髪の男が素早く振り向いた。


「あれじゃないですか先生。今日からシャルの代わりに来るっていう……」

「こんにちは。冒険者ギルドから参りましたチェルと言います」


 笑顔で挨拶。

 そして手のひらを二人の男に向けた。


「そういえばそんなこと言ってたか」

「ええ。しばらくの間、担当者が変わるとか」


 チェルが自然と笑顔になっていた理由は明白だった。

 気づいたのだ。自身の存在理由、その運命を。

 結局ずっと悩んでいた。自分の選んだ道は間違いではなかったのかと。

 本当は悔しかった。好きだった魔法研究、その先が見られないことに。

 燻ぶっていた。自身の高めた魔法技術、その力を奮う場さえなくなることの虚しさに。


「彼女の妹だって話です」

「確かに少し似てるか……それはそうと、なんでこいつは魔法を練り上げて――」


 魔法を勉強してきたのは決して無駄ではなかった。

 冒険者ギルドの受付嬢になったのも、姉に代わり魔法研究所の担当者として任じられたのにも全てに意味はあったのだ。

 チェルは理解した。

 自分が今紆余曲折を経てこの場所にいるのは、王都を破滅に導くであろうこの巨悪を滅ぼすためなのだと。


「くたばれええええええ!」


 二人が何かを話しているような気はしたが、言葉を遮ったチェルはそのまま魔法を撃ち放った。


「あ、あははぁ!」


 視界を覆いつくすほどの眩しい魔法の輝き。

 驚愕に目を見開いた、二人の男。

 どこか誇らしく、やってやったという気持ちが昂り、喉の奥から嬌声のような高笑いが飛び出た。


 その記憶を最後に、人生の集大成とも言える一撃を放ったチェルは、気付けば床に転がされていた。


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