想いは不滅の恒星
ココむら
第1章 空の誕生
第1話 Introduction
リミットを告げるチャイムに、そっとペンを置く。
白と黒の退屈から一変、夏色が渦巻く世界へ景色が置き換わる。
やっとめんどくさい期末テストが終わった。こんなのがあと4回あると考えると……はぁ、やめよう。
点数取れるほうじゃないし。どっちかというと、勉強に苦しむ方だ。
とにかく夏休み前最大の課題は無くなった。今日からは目一杯趣味に時間を費やそう!
まず帰ったら予定を立てよう。半数以上、いやほとんどゲームと漫画、アニメその他で埋まる予感しかしないけど。
「
「! あぁ……ごめん」
前の同級生から、回収を急かされる。
まったく。せっかく未来を見据えた計画を立てていたのに、邪魔されてしまった。いいや、おかげで大まかな計画は決まったし。
「よし、全員分そろったな。担任の先生が来るまで席を離れないように」
担当の教師が退室したと同時に、皆ざわつき始める。当然か。テストを惜しむ生徒なんて地球上にいないはずなんだから。
聞き耳をたてると、もう夏休みの約束を立てる同級生がほとんどだった。
シャーペンと消しゴムを筆箱に押し入れ、わずかばかりの消しかすをまとめる。一秒でも早く帰るために。なんで担任なんか待つ必要があるんだろう? どうせお決まりを言うだけに決まってる。『明日明後日は土日で休みだが、来週木曜までは授業がある』『夏休みはその後だ、だから気を抜くな』とか。なんでもいいから、早く帰らせて。
手持ち無沙汰になり、ふと窓の外に目を移す。
快晴、穏やかな風、そして窓越しに伝搬する夏の熱。光り輝いている。
いくつもの木々が揺蕩う。じっと見つめていると、まるで……翠緑の海へ落ちたような感覚にさえ陥る。
自分だけの景色を見つけ独占欲を満たすほどに、こうも考えてしまう。
『誰かと共有したい』
素晴らしいものだからこそ、誰かに教えたい。私というものを知ってほしい。
我ながら、感傷深い景色というものに弱すぎる。その瞬間だけ、私はロマンチックな思想家に生まれ変わるから。
……
……で、いつになったら担任は来るの? 別にそこまで偉い立場ってわけでもないだろうに。
教室前方にある掛け時計を確認したと同時に、黒板側のドアが開いた。
やった、ようやく帰れる! と脳が活気づいたのも束の間、更なる落胆の事実が待ち受けていた。
立っていたのは、全然知らない別の教師だった。
「あー、皆さん。担任の先生がですね、『ちょっと問題が発生して手間取ってる。解決するまで待っていてくれ』とおっしゃっていました」
「ですので――まだ帰らないようにしてくださいね。では」
クラス中が激しい落ち込みを見せる。これには私も同意。あと何分かかる? 10分後? それとも100分後? こんな言葉は使いたくないけど……言わせてほしい。最悪。
自由な時間というものがどんどん失われてく感覚だ。限りある一日をなるべく趣味に充てたい私にとって、一分一分が惜しい。
お願いだから……早く戻ってきて。
はぁ、と心の中で一抹のため息をついた。皆の目が無かったらこっそり帰ってしまうのに。
そうだ。机の上にある一切を鞄の中にしまったら、担任が戻ってくるまで少しの間寝よう。
眠いわけではない。誰かに気づいてほしいわけでもない。時間が過ぎ去るのを待つだけ。
両腕を枕代わりに、頭を伏せ目を瞑る。これまでだってこうしてきた。多分、これからもそうしていくのだろう。漠然と、ただ漠然と納得してしまっていた。いつかは忘れてしまったけど。
強く燃えるような夏の太陽が、髪に温もりをくれる。
この季節、髪が長いといろいろと不便だ。だけど変える気はない。私の……唯一のアイデンティティだから。
イヤホンを持ってくればよかった。ついテストだからと家に置きっぱなしにした自分を呪うしかできない。
視界を埋め尽くす黒、徐々に遠く離れていくざわめき。気に入ってる曲を流せば、完全に断絶された世界の完成。
いや、本来は完成だったはずだったけど。忘れたものは仕方がない。別に無くても劇的な変化があるわけじゃないし。退屈になるだけ。
……考えを巡らせている間に、だんだんと眠気が近づいてきた。もう、一時の眠りに身を任せてしまおうか。
担任が戻ってきたとき、何かが、もしくは誰かが私を起こしてくれることを切に願う。
一陣の風が吹き抜けた。確かな感触、匂い、温もり。全ての残響、全ての色彩、全ての絶佳。夏日の背景にある全て。
かの風がもたらしたものは――特別な夏が訪れることの証明。
そしてもう一つ。
「やっほー、碧月さん」
久しく呼ばれなかった私の名前。
静謐な深緑を具現化したような瞳が、こちらを覗く。
「ねぇ、どうしてみんな帰らないの」
編み込みされたバーントアンバーが揺れる――同時に、ほぼ全ての同級生の視線を一身に引き受けた。私と彼女どちらに向けられたものかは分からない。いや。考えなくてもわかるだろう。一つ、なぜ他クラスの人間が入ってきたのか。二つ、なぜ私に話しかけたのか。三つ、なぜ……私の名前を知っているのか。
つまり、答えはどちらにも。
覚悟を決めなければならない。学校にいる間口を開けるのは指名されたときだけ。もうとっくにキャラ付けされてしまっている。それを今断ち切るんだから。
「あぁ……ごめん、人間違えてない?」
「いーや。わたしは碧月さん――あなたに会いに来たんだよ」
「ほ、本当に……?」
「うん。本当に」
机に体重を預け、彼女は首をかしげながらさらに問い続ける。慣れない状況が続いているけど、顔に出ていないだろうか。それだけ……いや他にもっと心配すべきものが多くある……とにかく心配。
「で? なーんで誰も帰ろうとしてないの、何か知ってる?」
「えっと……担任の先生が帰ってくるまで待つよう言われてて……」
「ふーん。めんどくさいね」
「まぁ、うん」
あまりにも率直な感想を言われたものだから少しそっけない返事をしてしまった。悪い印象になってないことを祈るしかできない。
一応言っておくと。彼女とは完全なる初対面……なはず。
そして、おそらく本当の友達になることはないと思う。けど、もしかしたら知り合いという関係にはなっていくのかもしれない。
なぜなら一瞬のうち理解したから。彼女は俗にいうコミュ力の塊。物怖じせず一人で他のクラスに入る勇気。何の接点も無い人間に気安く話しかけられる無邪気さ。作り物ではない、あるいはそう解釈されない笑顔。まぁ、普通の人間なら誰でも持っている標準装備なんだろうけど。例外たる私からすれば全てがコミュ力の証明。
「じゃあ、教室の外で待ってるから。また後でね」
「えっ、ちょ、ちょっと待って!」
彼女は去った。そう台詞を残し、足早に。過ぎ去る台風のように。
一方の私はというと、ほんの数分前からの、非日常の連続にすっかり呆気を取られていた。
自分の置かれた場面に立ち尽くすほか選択肢が無かった。
同級生の好奇の視線は強まるばかり。一人取り残された私を見ないで。自分も何がなんだかわかっていないんだから。
……今この時間を乗り切れば――明日からはいつも通りの日常が待っている。
繰り返される退屈な日々。なんの苦難もなく、なんの刺激すらない。起きて、登校し、下校し、寝る。そのループ。
ずっと、永久に、いつまでも時計回りに走り続ける日々。おかしい。なんでこんなにも沈んだ感情になるんだろう。
そっか。期待しているんだ。
彼女が――この無味無臭の毎日を救いあげてくれることに。言い残した通り、教室の外で私を待っていることに。
この期に及んで、足掻こうとする自分に嫌気がさした。分かっている。答えは単純明快。
『孤独なままでは見ることのできない景色を見てみたい』
きっとそれだけ。
*
いくつもの考えと言い訳が脳内で錯綜していた。時間が経つのも忘れて。
「すまん。遅くなった。まさか名前忘れが3つもあるとはな」
担任が戻ってきたことにまったく気が付かなかった。心の中で、珍しく感謝を表す。これでやっと帰れるのも理由としてある。
もっとも、最大の理由はそれじゃない。このまま考え続けているとどんどん悪い方向に進んでしまいそうで。本当によかった。
「はぁ。すでに分かっていると思うが……長期休暇まであと数日ある。気を抜くな」
「それじゃあ下校してくれ。本当にすまなかったな」
ようやくの許可が下りたところで、すぐさま荷物をまとめる。誰よりも早く教室を出るために。小走りを超え、全力疾走したい気分だった。
扉を前にし、一度きりの深呼吸。前だけを見据えながら。……今一度、行こう。次は必ず何かが変わると信じて。
天頂から刺す陽光に抱かれた廊下。強く踏み出した一歩が響き渡る。
音の行末に、かの人はいた。こちらを見つけるなりスマホから目を離し、柔らかに話しかけてくる。
「や、碧月さん。久しぶりだね」
「数分ぶりでしょ……言っても」
「ふふっ、そりゃそうか」
壁にもたれかかるのをやめ、彼女は続ける。
「さっきはごめんね。テスト終わったってのもあってテンション上がっちゃってさ」
「いや、私のことは気にしないで」
「そーお? 意外と優しいんだね」
「意外とって……」
歩きながら話そう、という提案に乗り、正面玄関へ歩進める。初めてで――夢のような体験だった。
窓という窓から溢れ出す淡い光が、隣に立つ可憐かつ気高き人をより際立たせる。
荘厳にも近い雰囲気に、思わず口を開いてしまう。最後まで無口を貫きたかったけど、仕方ない。
「あー、なんでさっき私のところに来てくれたの?」
間髪を入れずに、答えが返ってくる。
「ん、だって碧月さん放課後すぐ帰っちゃうでしょ。昼休みも教室いないし。テスト終わってすぐ向かったらいるかなーって思ってさ」
「……ごめん」
「謝る必要はないでしょ? なんかこっちが悪くなっちゃうから」
なるほど、と納得した。わざわざ注目される中私のところまで来た理由。もし関係が続いていたなら今度話そう。色々なことを、としか今は言えないけど。
校門の側まで歩き切ったとき。彼女は私へと振り向き、こう言葉を綴った。
「あ、そうだ。一番言いたかったこと忘れてた」
それまでの会話の流れを止めたかと思えば、彼女は手を差し出した。
純白に近い細身の指が光を受け輝く。一方、上に視線を移すと……爛漫な微笑みをそっと私に届けてくれた。
「わたしはね、あなたと友達になりたくて話しかけたんだ。もし……あなたが良いなら……ううん、同じなら」
「……」
「この手を取って」
瞬間、ささいな何かが音もなく崩れ落ちた。それは枷か、それとも安楽か。
いずれにしろ、期待が確信に変わった。彼女こそ……この退屈な日常を救ってくれる存在であると。なら、答えはとうに決まっている。
触れた手に確かな熱が伝わるのを感じる――安眠を誘うような優しさ。それでいて、力強い。このまま触れているだけで、不安も何もかも拭き取ってくれるような。
「手、冷たいんだね」
「まぁね。自覚はある」
「ふふ、そうなんだ」
「わたし、
「
「いいじゃん。細かいことは」
7月の気候はあらゆる場所、あらゆる時間帯に熱を帯びる風を生み出す。ただし、今日に限っては違った。
心地良い風が何度も吹き抜ける。地球の気まぐれか。あるいは……
「さて、このあと何時間か空いてるわけだけど。碧月さん、ちょっと寄り道してかない?」
「もちろん。帰ってもやることないし」
「やった! じゃあわたしから提案ね。まず昼ご飯たべにいきたい! それから、それから――」
「……まぁ、いいか」
あるいは、身体が更なる熱を帯びているからなのか。
「これから2人で……遊びまくろう!」
いつもとは明確に異なる下校路。青空は果て無く上空に居座っているし、花々の色彩もより一層の輝きを放っていた。
初めての高揚に、どこまででも、いつまでも歩けるような気さえした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます