第4話
メイリフローラとレイモンドが仲睦まじく屋敷に戻ろうとドアに近づくと、中が何やら騒がしい。
二人は顔を見合わせドアを開けば、玄関ホールで兄レクターとユアンが何やら言い争っていた。
「ユアン、もう妹に会いに来るのは止めてくれと、何度も言ってるだろ!」
「何故だ!もう、ひと月以上もメイと会っていないんだ!」
「あのなぁ、お前はメイの求婚を断っただろ?振られた相手に何で会わなきゃなんねぇんだよ!」
「求婚を断っていたのは、この十年ずっとじゃないか。今更何が違うというんだ」
「っ!お前なぁ!!メイはお前に見切りをつけたんだ!今後はこのような事はないとメイは言ったはずだ。だからもう、お前に会う必要が無くなったんだ!!」
「・・・・会う必要がない?」
「そうだよ。確かにこの十年、お前に断られてもメイはお前が好きだった。だがな、メイも成人した。お前だけを追いかける何の希望もない未来ではなく、視野を広め自分が幸せになる未来を掴もうとしているんだ。やっとお前から解放されてな!」
呆然とするユアンに、レクターは「何を今更」と吐き捨てる。
妹であるメイリフローラがユアンに見切りをつけ引きこもっている間、彼がメイリフローラに会わせろと何度かやってきた。
正直、クラーク伯爵家の面々はその訪問の意味が分からなかった。
これまでの十年間は、ほとんどメイリフローラが追いかけていた感じだったし、ユアンがメイリフローラを追いかけるなど、一度もなかったのだから。
「あの日も、聞けばいつもと変わらない断り文句だったそうじゃないか。あの日のメイの出で立ちを見て、お前は何も感じなかったのか?言葉を聞いて何も思わなかったのか?あいつは、あの日で気持ちを決めたんだよ。これまでは、メイはお前が好きだったから追いかけていた。だがな、もう終わったんだ。今、あいつは新しい出会いに目を向けている。邪魔しないでくれ!」
レクターの言葉にユアンは「信じられない」と呟く。
ユアンにとってメイリフローラは妹のように愛らしく、自分に執着してくれるかけがえのない人でもある。
彼女に初めて求婚された時は、ただびっくりし、本気で受け止めることは無かった。六歳と八歳の子供だから。
正直な所、結婚というものも漠然としか浮かばず、その年では考えられなかったというのも大きい。
それに、平凡な自分を美しいメイリフローラが本気で好きになると思わなかったから。
だから、ずっと断り続けていた。美しく成長しても、答えはいつも同じ。
だって、断らないと自分を見てくれないだろ?
あんな美しい女性が、自分だけを見つめ自分だけを求める。
彼女だけだから。俺を無条件で愛してくれるのは・・・
ユアンは十年も断り続けるつもりはなかった。求婚されて二年も経たないうちに彼女に惹かれていたから。
だが、レクター達と顔を合わせる度に、自分の容姿が凡庸で取り立てて何の能力もないつまらない男だと思い知らされていた。
そんな男を、美しいメイリフローラは愛してくれた。―――これほど優越感に浸ったことは無いというほど、心が満たされたのだ。
求婚を断った後にほんの少しだけみせる、悲しい表情。自分が帰った後に涙していることも知っていた。
結婚すれば、きっと毎日溢れんばかりの愛を注いでくれるかもしれない。
ちょっとした喧嘩に涙して縋り付いてくれるかもしれない。
でもきっとこれまでの様に、悲しみ悔しさ執着に
ユアンはそれに恋し、優越感に浸り、執着してしまった。
玄関ホールで不毛とも言える言い争いを聞きながら、メイリフローラは至極冷静にユアンを見ていた。
反対にレイモンドは、メイリフローラがユアンに対して恋情が戻ってしまうのではと不安だったが、彼女の表情を見てそれは要らぬ心配だと胸を撫でおろす。
ユアンを見るメイリフローラの瞳は、とても冷めたものだったから。
メイリフローラとレイモンドが近づいてくる事にも気づかぬほど、二人は睨み合い興奮している。
そんな中に、冷たい声がホールに響いた。
「お兄様、お客様ですか?」
焦がれていたその声に弾かれた様に振り向くユアンは、満面の笑みでメイリフローラへと駆け寄ろうとしたが、寄り添うように立つレイモンドを目にとめると、一瞬で表情が抜け落ちた。
「メイ、久しぶりだね。とても会いたかったよ。ところで、隣の方は誰なんだい?」
ユアンはメイリフローラに張り付けたような笑みを向けた。
これまで見た事のないユアンの笑みに、思わず眉を顰めるもメイリフローラはすぐに表情を戻した。
「ご無沙汰しております、ルソー卿」
冷たく他人の様な挨拶に、ユアンの表情が歪んだ。
「何故そんな他人行儀な挨拶なんだ。いつもの様に名前で呼んでくれないか」
「そうは参りません。ルソー卿にはこの十年間大変ご迷惑をおかけしておりました。先日の謝罪だけでは足りない事はわかっておりましたので、今この場をかりて謝罪させていただきます」
そう言って、頭を下げた。
「やめてくれ!メイが謝る事は何もない!」
「いいえ、私が無知だったのです。相手の事も考えず、自分の気持ちを押し付けていただけだったのだと。それに気づくのに十年も時間がかかってしまうほど、私は無知で愚かでした」
「違う・・・・違うんだ・・・」
「十年もの間、私の所為で婚約者を決める事も出来なかったのでしょう。重ね重ね謝罪申し上げます」
深く頭を下げようとしたのを止めたのは、レクターだった。
「それは違うよ、メイ。ルソー伯爵にはユアンが十三歳になった時点で、メイの事は気にせず婚約者を決めてくれと当家から申し出ていた」
これにはメイリフローラも聞いていなかった事なので驚く。
「その頃からユアンには縁談の話が結構あったはずだろ?」
レクターの問いにユアンは視線を逸らした。それだけで、レクターの言葉が真実なのだと示している。
真実を知ったメイリフローラは、ぐっと拳を握り込む。
自分の知らない真実。もう、何年も前から大人達は冷静に自分達の行く末を見極めていたのだ。そして、その通りになった事に、いかに自分が馬鹿だったのか改めて突きつけられたようで、胸が苦しくなる。
そんなメイリフローラの肩を抱き寄せ「貴女は何も悪くありません」と、優しく微笑むレイモンド。
「その通りだ。メイは何も悪くない。婚約者も決めずメイに対しあやふやな断り文句しか言わないユアンが悪い。メイの事を思うのならはっきりと、迷惑だ好きになれないと言えばよかったんだ」
「っ・・・それは・・・」
今更、愛していたからだなんて言えないし、言える訳がなかった。
言葉を詰まらせるユアンを見つめながらメイリフローラは、この十年は何か意味はあったのだろうか、と考える。
いくら愚かだったとはいえ、無駄だとは思いたくなかった。例え何の生産性も無かったとしても。
だが、目の前のユアンの行動や言動を見ていて、彼に対する想いに区切りをつけられた事だけは、この十年の成果だと思いたい。
それほどまでに、目の前のユアンの姿、表情は初めて見るもので、自分が追いかけていたユアンと言う人物は自分自身が都合の良いように作り上げた偶像だったのだと気づく。
本心や素の表情を見せられるほど、親しくもなかったし好かれてもいなかったって事なのでしょうね・・・・
「ルソー卿、婚約者をいつでも決める事が出来ていたのにそれが出来なかったのは、私が邪魔をしていたのでしょうね。私も今知らされたもので・・・申し訳ありませんでした」
「違う!メイは何も悪くない!」
「いいえ。きっと私がしつこいが為に対応に困っていたのでしょう。ですが、この先はそのような事はありませんので、どうぞルソー卿を支えてくださる方と素晴らしい家庭を築かれる事を祈っております」
「メイ・・・・」
「私もこちらのレイモンド・グリーン侯爵令息と素晴らしいご縁を結べそうなのです。ルソー卿も、私のような視野の狭い人より『もっと素敵な人がお似合い』だと思いますわ」
ユアンの断りの常套句をメイリフローラなりに返し、レイモンドにエスコートされながら軽く会釈をしユアンの横を通り過ぎた。
あぁ・・・私ってやっぱり冷たいのかも・・・
ユアンに会えば、もしかしたら気持ちが戻ってしまうのではと思っていたが、胸の奥に鈍い痛みを感じはしたが驚くほど全てを冷静に見る事が出来た。
本当に、終わったんだな・・・と、納得する自分を改めて感じ、レイモンドを見上げた。
レイモンドもメイリフローラを見ていて、目が合ったとたん嬉しそうに目を細めた。
彼が傍にいてくれたことが心強く、ユアンとちゃんと決別出来たような気がする。
「氷の騎士」だなんて言われているけれど、とても温かい人だわ・・・・
レイモンドと繋ぐ手に少し力を籠め、彼に見せたのは花の綻ぶ様な笑み。
一瞬にして、またも心を奪われたレイモンドは、歓喜の思いを抑え込むように天を仰ぐのだった。
二人揃って父でもある伯爵へ会うため歩く後ろ姿を見ながら、レイモンドは無事妹を堕としたのだろうと、レクターはホッと安堵の息を漏らした。
呆然と立ちすくむユアンを馬車に押し込み、馬鹿な幼馴染に良き出会いがありますようにと、そっと心の中だけで祈る。
そんな祈りが届いたかどうかはわからないが、数年後ユアンはどことなく一途だった頃のメイリフローラを思いおこさせる雰囲気を持つ令嬢と出会うのだが、彼女がレイモンドを一途に思い続ける彼の
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