第21話 愛桜ちゃんと踏み出す勇気 下
さて、しばらくの間、行くべきか行かないべきかを悩んでいると、誰かを探した様子の
「あ、鶴野くん! 山崎さん知らない?」
「山崎さんなら、いま顧客へちょうど訪問に出かけましたよ」
「そっか。ありがとう。そりゃ見つからないわけだ」
賀来さんは、合点がいったという顔をして頷いた。
そのまま、手元の社用携帯を見た後に、「そういうことか」と再度納得した様子でつぶやく。
「あ、ほんとだ。山崎さんから連絡来てるの気づかなかった」
「そうだったんですね」
「うん。もともと私の資料を確認してもらう時間の予定だったんだけど、急な訪問が入ったみたい」
「あー、それは残念ですね」
「そうそう。もう、色々探したんだよ。向かいのホーム、路地裏の窓、こんなとこにいるはずもないのにね」
「いや、人探し下手ですか!」
弾き語りのシンガーソングライターである『山崎まさ〇し』は、人違いである。
でも、言われてみれば山崎さんの下の名前って何なんだろう……。聞いた覚えがない。
だから、山崎さんの下の名前も「まさよし」である可能性も捨てることはできないんだよな……。
きっと絶対に最初に聞いているはずだが、今度もう一回聞いてみよう。
そんな機会が巡ってくることを祈って。
ワンモアタイム。ワンモアチャンス。
――こんなどうでもいいことを考えて頭を埋めてみても、心はちっとも晴れない。
別のことに集中しようとすればするほど、これからどうするべきかを勝手に頭が考えてしまう。
賀来さんは、そんな僕を「んん?」と怪訝そうに見つめると、優しく尋ねてくる。
「なんか、悩んでる?」
「そんなに顔に出ていましたか?」
「うん。……もしかして、急に山崎さんが外回りの予定を入れたのと関係している感じ?」
「……どう思います?」
「『はい』『どちらかといえばそう』『どちらかといえばいいえ』『いいえ』で答えて」
「唐突のアキネ〇ター止めてください」
目の前でケラケラと笑う賀来さんは、わりと周囲の人をよく見ていて、色々とアドバイスをくれる人だ。
僕も周囲の人の考えや変化に気づくには気づくのだが、それを相手に伝えるかどうかはまた別問題だと思う。
でも、そんなハードルを軽々と越えてくるのが賀来さんなので、僕は観念して状況を細かく話した。
「鶴野くんの感じてることはわかるよ。でもね、私は行った方がいいと思うな」
「でも……」
「もし、あの子たちに会って去年の後悔を知ったとしても、それは今の愛桜ちゃんの接し方に生かせばいいのよ」
「それはそうですけど……」
「人は失敗から成長できるんだよ。でもね、きっと悪いことにはならないような気がしてるんだ。だって、鶴野くん去年頑張ってたこと、私は知ってるから」
「あ……。ありがとうございます」
たしかに賀来さんの言う通り、逃げていても何も進まない。
それだったら、自分から飛び込んで失敗を糧にした方がずっと建設的だろう。
――そうやって挑戦し続ける限り、自分のことを見守っていてくれている人たちがいることが分かったのだ。
それなら、一歩進んでみよう。
ふと、賀来さんがキリっとした表情を崩して、ふにゃりと笑いながら肩をすくめて言った。
「それにさ。山崎さんの前で鶴野くんを批判するようなことが、あの二人にできる気がしないのもあるけど」
「……それはたしかにそうですね。僕も逆の立場だったら無理です」
「でしょ? だから、気楽にいけばいいのよ。ドーンと構えてね!」
これまで真面目な話をしていたのに、急にユーモアを交えて僕を励ましてくれた。
それに妙な説得力があるのも、まあ賀来さんらしいといえば賀来さんらしい。
その後、賀来さんは「まあ、最後は鶴野くんが決めることだしね」と言って、山崎さんの帰りを待つまで自由時間と洒落込むらしく、コーヒーを淹れに給湯室へと去っていった。
今日も楽しく人生を生きているようで、正直少しうらやましい。
さて、行くべきか。行かないべきか。
賀来さんから励ましてもらったものの、まだ踏ん切りがつかない僕の脳裏に、先ほどの
僕が来るということを、決して疑っていないかのような澄んだ瞳。
それを思い出したと自覚した時には、僕の手は顧客のオフィスに向かった愛桜と山崎さんへ、「行きます」という内容のメールを送っていた。
賀来さんを見送って誰もいなくなったデスクを見渡すと、気合を込めて立ち上がる。
もしかしたら、二人とも商談中で見れない可能性が高いような気もするが、その時はその時だと割り切ろう。
快晴の秋空の下、パソコンを抱えて会社を出た僕は、午前中のひんやりとした心地いい風を感じながら走り出した。
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今回もお読みいただきありがとうございます。
次の更新は、12/9 or 10の予定です。
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