第20話 愛桜と朝帰り 下

 さて、本当にどうしよう。

 普段から掃除をしているおかげか、少し生活感があるながらもなんとか人を呼ぶことができるくらいの状態で助かった。


 なんか愛桜あいらは、すぐにビーズクッションに体を預けて今にも寝そうだし……。

 ひとまず、うとうとしている愛桜に、寝る準備をさせるために声をかける。


「とりあえず、シャワー浴びてこいよ」

「えー、めんどくさーい」

「そのまま寝たら風邪ひくかもしれんぞ」

「与一は私のお母さんかよぉ」

 

 一瞬、ラブホに入った直後の男女の会話みたいになって焦ったが、奇跡的にファミリー方面のほっこりエピソードに着地できた。

 母は偉大である。


 愛桜は、「よっこいしょ」と言って渋々クッションから立ち上がると、片手を僕の方に差し出した。


「与一、寝るときに着る服貸して」

「オッケー。どんな服がいい?」

「かわいいやつがいい」

「うちにあると思うか?」

「思わない。……だから、与一が私に着せたい服でいいよ」

「うるせ! このジャージでも着てろ!」


 愛桜がニヤニヤしてからかってきたので、色気も何もない高校の頃の体操着を渡しておく。

 よくある通気性と吸汗性に優れた白いメッシュ生地のTシャツと、同様の素材のひざ上丈の紺のズボンである。

 

 もしかすると、サイズ的には少し大きいかもしれないが、たぶん問題ない範囲だろう。


 その服を両手で受け取って、シャワールーム前の洗面所に向かった愛桜が、もう一度戻ってきてリビング(というほど大層なものではないが)のドアを開けて顔を出した。

 

「与一、クレンジングある?」

「あるぞ。洗面台の下の棚の奥の方を探してみて?」

「私から聞いといて何なんだけど、あるんかい。あー、あった。絶対これ元カノとかのやつでしょ」

「正解」


 愛桜の言う通り、昔元カノが置いていったものをまだ捨てていなくてよかった。

 まあ、未練があるとかでは全然なく、ただ単に怠惰だっただけではあるが。

 

 その後も、何回か「よいちー」と呼びかけられること数回。

 入浴前のすべての手順をクリアした愛桜が、ようやくシャワールームに入った。

 女の子というものは、シャワーを浴びるだけでも色々と大変なのだな。


 そこからシャワーの水音だけが僕の部屋を支配していた時間があって、その間に色々とちょっとした片付けや掃除を済ませておこうと思っていたのだが、どこか居づらい気持ちになってまったく捗らない。

 

 けっきょく、部屋の状態は何も変わらないまま、水音が止まって愛桜が元気よく出てきた。


「あがったよー!」

「はーい」

「なんか酔い覚めたかも! ありがとう、良いお湯だった!」

「……どういたしまして」


 僕が顔をあげると、裾がダボダボに余っている「鶴野」と左胸に書かれたTシャツに身を包んだ愛桜が、首にかけた白いタオルでまだ濡れた髪を拭きながら出てきた様子が見えた。

 メイクを落としたことで、いつもより幼気いたいけな愛桜をなんとなく直視できなくなって、その顔に押し付けるようにしてフェイスタオルを渡す。

 

「ほら、髪乾かしておいで」

「喉乾いた。冷たい水をください」

「はいはい。これ飲みな」

「できたら愛してください」


 ニコニコしている愛桜に水の入ったコップを手渡したら、何かをほざいてきた。

 ちょっとドキッとしたが、たぶん歌詞の一節をそらんじてからかっているだけなので、無視してシャワールームに直行する。

 

 透明な扉を開けると、当たり前だがまだ湯気が立ち込めていて、むしろ愛桜の残滓ざんしを感じて僕の心臓の鼓動が早くなった。

 心を落ち着かせるために、一分間くらい冷水でシャワーを浴びることにする。


 これで幾分か冷静さを取り戻すことができたように思う。

 これからどうするかを考える心の余裕を作ってから、シャワールームの外に出る。

 

 すぐに、無防備にビーズクッションの上に寝転がり、既に自分の家かのようにくつろいでいる愛桜に尋ねた。

 

「愛桜、今日は僕のベッドで寝るってことでいい?」

「いや、与一がベッド使いなよ」

「いや、愛桜がベッド使いな」

「いやいや、家主なんだから使いなよ」

「いやいや、お客さまこそ使いなよ」

「いやいやいや――」


 何度か押し問答をした後、けっきょく押し切って僕がビーズクッションの上で寝る権利を得た。

 それぞれ寝る準備をして、電気を消してごろりと横になる。

 

「コイバナしようよ、与一」

「修学旅行の夜じゃないんだから……」

「じゃあ枕投げしようか」

「修学旅行の夜じゃん! それ家でやったらダメなやつ!」

「人の家ならオールオッケーだよ!」

「いや僕の家だから!」


 暗闇のなか、思ったより近くから聞こえた愛桜の笑い声に内心驚きつつも、きっと愛桜はいつものように目を細めているんだろうなと想像する。


 部屋には時計の秒針の音だけが響くのみで何も見えないけれど、愛桜との心の距離が会話を重ねる度に近づいていくのを感じた。

 

 ――そのまま、どのくらいの時間が経っただろうか。

 

 気づくと、朝の柔らかな日差しがカーテンの隙間から漏れるなか、愛桜が僕の方に顔を向けた状態で寝息を立てていた。

 そっか、昨日はあのまま寝てしまったんだな。

 

 僕が愛桜の寝顔を眺めていると、そこから時間も経たないうちに愛桜のまぶたも開いた。

 

 そして横になったまま僕と目が合うと、ふにゃりと笑って寝起きのカスカスの声で「お゛はよう……」と、挨拶をくれたのだった。


 その後、眠そうに目をこすった愛桜は体を起こすと、気まずそうな顔をしながらもしっかり朝ご飯を食べて帰った。

 朝ごはんというか、時間的にはもう昼ご飯だったが。


 僕は、愛桜を最寄り駅まで送っていった後に、ベッドに倒れこんで足りない睡眠を二度寝で補おうと試みた。

 だが、マットレスに漂う愛桜の残り香に邪魔されて、全然寝つけなかったことを記しておく。


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今回もお読みいただきありがとうございます。

次の更新は、12/2の予定です。(たぶん番外編です!)

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