第2話
流灯凛花が、フェイブル・テイルで法条計介に会っている頃だった。
凛花の友人である夏川一葉は、使われていない部室の壁に押さえつけられ、首を絞められていた。
太くごつい手のひらが、一葉の細い首を締め上げている。奇妙なことにそれは、宙に浮く右腕のみだった。そして、苦しむ一葉の右腕を押さえつけているのも、宙に浮く左腕だった。彼女はなんとか左手で首を締め上げている右手を取りのぞこうとしている。
「……明日までに金を用意しろ。出なければ、これを学校やインターネットに流す」
低い男の声だった。宙に浮いている左腕は、彼女の右手を離すとすぐに腹を殴りつけた。一葉は悶絶する。
そして、宙に浮いた左腕は、何もない空間から携帯端末を取り出した。宙に浮いた右腕は一葉の首を絞めているままだった。
一葉は、強烈な力に抑えられて息が苦しく、逃げることができない。
宙に浮く左腕が持っている携帯端末で、動画が流された。それは、一葉とわかる人物が更衣室で着替えているのを撮影したものだった。
「……!?」
一葉は、自らの着替えを盗撮されていたことに驚く。
「明日までに、二十万円用意しろ」
彼女は、殴られた痛みと息苦しさで、涙を浮かべている。突如、首根っこを抑えられていた腕から解放された。その瞬間に、今度は脇腹に蹴られた衝撃が走る。一葉はその勢いで床に倒れた。
「ゲホッ、はぁ、はぁ」
痛みに堪えながら、呼吸をする一葉。彼女が浮かべた涙の先に、透明で何もない空間から人の姿が浮かび上がる。
保健体育の教師、
「……誰でもよかったんだ。運が悪かったな。金がいるんだ。用意しろよ。できなければ、お前の家に行って、今のようなことを家族にもしてやる。もちろん、誰にも言うな」
そう言った賭崎は、再び透明になる。そして、部室のドアが一人でに開く。立ち去る足音が、倒れている一葉の耳に入った。
*
「法条くん、顔色悪いよ。ちゃんと寝てる?」
凛花は、カフェのテーブルに座ると、対面にいる法条の顔を見て告げた。
「……いや、あんまり」
その返事を聞いて、凛花は右手を伸ばす。テーブルの上で彼の左手を握った。
「まだあの悪夢を見るの? 言ってくれれば、お菓子を焼いてきたのに。とりあえず、今晩はこれで」
「ああ。ありがとう」
法条は、繋がれた手を見て応えた。
彼は、凛花の異能のことを知っている。そして、彼女も法条の異能のことを知っている。
ウエイターが来たのも気にせずに、恥ずかしがる様子もなく、二人は手を繋いだままだった。凛花は、ミルクティーを注文する。
「じゃ、しらゆきからの連絡を確認しようか。たぶん、動画だと思う」
法条の言葉に、凛花はうなずいた。彼は、ノートパソコンのディスプレイを凛花も見える位置に変える。りんごが描かれた金色のメダルをつまむと、ノートパソコンの端にあてた。金色だったメダルは次第に銀色になっていく。それにあわせるかのように、ノートパソコンの画面にはプログレスバーが表示された。ファイルをインポートしているのだ。
法条がインポートされたファイルをクリックして開く。パスワードの入力が求められたが、法条はさっと右手だけで入力した。動画が再生される。
動画では、黒いサングラスをして赤茶色の長い髪を下ろした大人の女性が現れた。着ているものはフリルブラウス。映っているのは上半身のみ。カメラに向かって話し始めた。
「やあ、L&L。仕事を頼みたい。私利私欲のために、異能を使っている悪漢の退治だ。ターゲットは、賭崎剛。都城高等学校、保健体育の教師だよ」
その名を聞いて、凛花と法条は驚きながら目を合わせた。自分たちの学校の名前が出たこと、そして、ターゲットもすでに知っている名前だったからだ。
「二人揃ってこれを見ているなら、一緒に驚いてそうだね」
しらゆきは、二人の行動を予見していたようなことを発言した。
「で、その賭崎だが、どんな異能を使うかはわかっていない。だが、それを使って脅迫し、暴力をふるって、汚く金を稼いでいるようだ。君たちの学校の生徒も餌食になっているかもしれない」
しらゆきのその言葉を聞いて、凛花の切れ長の目がいっそう鋭くなった。
法条は、左目を閉じる。考える時のクセなのだ。もっとも長く伸ばした前髪で左目は元から隠れていて、人目につくことはほとんどない。
「どうやら賭崎は、女神ヶ丘市楽星区の歓楽街で違法なギャンブルに手をつけて、多額の借金を抱えてしまったらしい。それを返すために、異能を犯罪行為に使っているようだ。借金を抱えてから、異能に目覚めた様なのが気になる」
動画の中のしらゆきは淡々と情報を凛花と法条に伝える。
「さて、依頼の完了条件は、異能の封じ込み。いつもどおり、雪の結晶のメダルを彼の首から上にあてて、異能の使い方を記憶から取り除く。次に、りんごのメダルを同じようにして、異能に目覚めた経緯の記憶を手に入れる。二週間以内によろしく頼むよ。ああ、報酬は成功を条件に振り込む」
こうして、しらゆきの一方的に話す動画は終了した。
「さてと、どうしたもんかな。通っている学校でってのがやりづらい」
法条は、また左目を閉じて右手で頬杖をついて考え込む。凛花は告げる。
「賭崎先生が何か悪さをしているとしたら、放課後だよね。日中は授業があるから」
「まぁ、そうだろうな」
「じゃあ、放課後なら、私たちも自由だよ。法条くんの異能で尾行というか監視して、悪さしているところや異能を暴こう」
「それじゃ、脅迫行為や暴力行為をしているところを、ぼくは見過ごすことになる。できることが限られるから。気分が乗らないな。その場の状況によっては、手段はあるかもしれないけれどね」
凛花は、それを聞いてうなずいた。
法条の異能は、かなり特殊なのだ。何より寝ていないと使えない異能なのだから。
「保健体育の教師っていう時点で、体格や体力面でこちらが不利だ。おまけに異能は不明。正面対決は避けたいな」
法条の言葉に、凛花が応じる。
「じゃ、なんとかして寝かして、メダルを当てるのが良さそうだよね」
二人は目を合わせてうなずいた。
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