ドッペル工事

あだむ

ドッペル工事 本編

 痛い。目に入った汗をぬぐう。

「ねぇ、本当に今日なの?」

 詩織の機嫌が悪い。僕は慌ててスマホで「お客様情報」を見せた。

「ほら。今日の2時から4時」

「あれ……部屋番号。ここ201なのに、101って書いてある」

「あ、間違えた」

「えーしっかりしてよ!」

 がらんとした部屋に、詩織の唾と僕の汗がしみこんでいく。新婚生活は楽しい?キラキラした日常が待っている?全部、嘘だ。少なくとも、今の僕らにとっては。

 詩織がスマホを耳に当てた。

「あ、もしもし、今日クーラーの設置をお願いしている高村ですが……はい……え、もう着いてる!?」

 詩織が僕の腕を引っ張る。抵抗する力も資格もなかった。部屋から出て、階段を降りていく。

「いや、あの、信じられないと思うのですが、部屋番号を間違えちゃって……」

 内廊下を突き進む。一〇一号室の前に来た。

 詩織に、物理的に背中を押された。今日の僕に選択肢は無い。

 その時。ドアが勢いよく開いた。僕の額にドアがクリーンヒットする。痛みに耐えかねてうずくまった。詩織が舌打ちをした。

「じゃあ、これで。ありがとうございました」

 男の声だ。

「あの」

 詩織の声が廊下に響く。ドアを閉める音がした。

「はぁ」

 男が間抜けた声を出した。痛みが引いてきたので、顔を上げた。視界に入ってきたのは、汚れた作業着に身を包んだ金髪の男と、長い髪を揺らした詩織が、にらみ合う光景だった。

 僕は固唾を呑んだ。

「ユジマデンキさん?」

「はい」

「クーラーを取り付けましたか?この部屋に」

「そうっすけど、何か?」

「それ、買ったの私たちなんです」

「はぁ?」

 詩織がいきさつを説明する。男がため息をつく。

「もう工事しちゃったんすよね。ここに住んでる人もすごく喜んでくれて」

「いや、おかしくないですか!?なんで、いきなりクーラーが届いて、それをそのまま受け入れるの!?」

「いや、俺に言われても」

 確かに。今だけは金髪の男に同情する。

 居ても立っても居られないというふうに、詩織がインターホンを押した。ドアが開く。中から、メガネをかけた男が出てきた。

 詩織がはっと息を呑んだ。僕と詩織はこの男をよく知っていた。太い眉毛も、くせ

がある髪の毛も、今の僕にそっくりだ。いや、似ているのではない。「同じ」だ。それは、額の傷……さっきドアがぶつかって出来た傷……の痕が物語っていた。瓜二つというわけではなく、シンプルに「同じ」。僕らは「僕」と邂逅した。

「懐かしいな」

 僕と「僕」の顔を何度も見比べる詩織を、「僕」は見ながら呟いた。そして、僕に向かって、

「引き返すなら今だ」

と言い残し、ドアを閉めた。いつの間にか、金髪の男はいなくなっていた。

 僕のスマホが鳴った。

「もしもし」

「あ、ユジマデンキです。すみません、道が

混んでて。あと一〇分ほどでお届けに参りますので」

「それって……」

「はい、ご注文のクーラーです」

 僕は詩織を見なかった。

「すみません、それ、キャンセルできますか?」


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ドッペル工事 あだむ @smithberg

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