聖なる刃は神の心を穿てない

鷹九壱羽

Stabbing 1|その少年は悪魔祓い

1-1

「勘弁してカンベンしてかんべんしてぇ!」


 明かりの消えた夜の校舎を駆ける靴音のリズムに合わせて少年の声が響く。

 直線だけの廊下は全力疾走するには短く、すぐ突き当りにぶつかった。


――コツ……コツ……コツ……


 背後に座す暗がりの向こう側からはまた別の足音が聞こえる。

 廊下を走っていた少年の音と違いゆったりとしたものだ。状況さえ違えば優雅にすら感じられただろう。

 しかし、少しずつ大きくなるそれは音の主が近づいていることを残酷に教えてくる。


「鬼ごっこかなぁ? 遊んでくれるんだあ……嬉しぃ……」


 普段とまるで違う同級生の口調を聞いた少年は振り返る。

 歩み寄ってくる少女の顔はよく見えないけれど、口角が上がっていることだけは分かった。


(それにしても、何度見ても度し難い外見だな……)


 少女の後ろにいる2メートルを超える半裸の男を見て少年が内心でつぶやく。

 雄々しい筋肉が浮かび上がる真っ青な肌、剥き出しの大きな牙、ヤギのような角。

 明らかにこの世のモノではない。


「その人、お父さんかな? あんまり似ていないね」

「バカなこと言わないで」


 から回るほどの緊張で軽口をたたく少年の言葉を少女は冷たくあしらった。

 月明かりに照らされた少女の表情から笑みが消える。


「少し、だまろうか……」


 少女がそう言って右手を少年の方へ差し出すと、大男がその前に出てくる。

 あのバケモノはその外見に反して質量がほとんどないらしく、物音はしない。

 荒々しく静かに両手を床につけたバケモノが顎を開いた。


「やって…………」


 少女のその声を合図にバケモノの口内に光が溜まっていく。


「ヤッベェって!」


 危険を察知した少年はそばにあった階段の踊り場へと飛び降りた。

 寸前までいた校舎の2階全体が妖艶な紫色で満たされる。


「はっ……はぁ……っ…………」


 少年は尻もちをついてただ息を乱すことしかできなかった。

 閃光による校舎への損壊は一切ない。

 だが、あの光を喰らった人の心が無事では済まないことを彼は知っているのだ。


「なんでこんなことになったんだよ……」


 それは打開策のヒントを探るためなのか、あるいは現実からの逃避なのか。

 少年は記憶を遡っていく。


 この物語の始まりを決めるとすれば、そう、きっと昨日がそこになるだろう――。


◆◆◆


「はあぁーーーっ」


 大きなため息をついて机に突っ伏す。

 御崎みさき蒼矢そうやは部室に一番乗りで着いていた。いつものことだ。

 帰りのホームルームの後に話すような相手がいなく、すぐに教室を出るため、自然とそうなる。


「どうせ今日も土いじりなんだろーなぁ」


 誰もいない部屋の中でひとりごちた。

 蒼矢が所属する鹿星高校生物部の主な活動内容は、畑仕事だ。

 部員の総意として決定されたそれを彼は心底嫌っていた。


(どうすればここを畑部に改名させて新しい生物部を作れるだろう……)


 少しは生物部らしい活動がしたい蒼矢はたびたびそんなことを考える。


「おつかれー。一番乗りご苦労さま」


 そう言って部室に入ってきた男子生徒が蒼矢の肩を揉んでくる。

 神田山かどやま文楽ぶんらく。蒼矢と同じ2年生の生物部員だ。


「何考えているんだ、蒼矢?」


 挨拶も返さずに考え込んでいた蒼矢に文楽が問いかけた。


「ここを畑部にしてちゃんとした生物部を設立する方法を考えてた」

「そんなに畑がキライかー」


 ケラケラと笑う文楽に対して蒼矢は「あたり前だ」と言う。

 去年、蒼矢たちが新入生だった頃、生物部は部員ゼロで廃部寸前だった。

 部活紹介の時に顧問の先生が「だから今なら自由に活動内容を決められる」と言っていた。それが蒼矢にとっての決め手になったのだ。


「でもいざ入ったらひたすら畑仕事なんだもんなぁ……」


 初めは顧問の趣味である畑作業をしながらでも、まだまともに活動をしようという意思がみんなにもあったと記憶している。

 それがいつから畑一辺倒になってしまったのかは蒼矢にも分からなかった。


「まあそう腐るなよ。ほら、うちの部の華たちの登場だ」


 文楽の言葉に蒼矢は耳をすました。

 廊下から聞こえる女子たちの話し声が近づいてくる。

 キャッキャとはしゃぐ声が部室の前で止まり、やがてドアが開かれた。


「オッツー。2人とも早いね~」

「ぁっ……お疲れ様です」


 部長の円藤えんどうれんがカバンにつけたカラフルで派手なアクセサリーたちをジャラジャラと鳴らしながら軽く手を振る。

 その傍らで身体を縮こまらせながら会釈した女子は1年生の垂海たるみ清汐良きよらだ。

 蒼矢と文楽はバラバラに挨拶を返す。


「そんじゃ、もうタケっちから今日畑でやること聞いてっから着替えよっかー」


 蓮が言うタケっちとは生物部顧問の竹元たけもと先生のことだ。

 本人は部活動にほとんど顔を出さないのに、畑作業については蓮を通してしっかり指示を出してくる。


「やっぱ今日も畑なのかぁ……」

「いいから早く動けー! 部室は女子が着替えるんだから男はさっさと出ていけぇ」


 男子2人を追い出そうと蓮が蒼矢のカバンを取り上げて不貞腐れてる持ち主をバシバシと叩く。

 たまらず蒼矢は体操服を持って廊下に出た。


「あーあ、世知辛い世の中だよ」


 廊下でダラダラと体操服に着替えながら蒼矢が言った。

 テキトウに相槌を打つ文楽はテキパキと着替えてしまう。


「今や女尊男卑の世なんだもの。あぁ、時代は変わってしまったもんじゃ……」

「お前いったい何歳なんだよ」


 文楽にツッコまれながら蒼矢も着替え終える。

 しかし部室の中で話し込んでいる女子たちはいつまで経っても着替え終わらず、なかなか入れてもらえないのだった。

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