朝の一幕

柔らかい感触。甘い匂い。すうすうという寝息。抗えない感覚に二度寝をした俺はゆっくりと目を覚ます。

今だに静香に抱きしめられていて動くこともできない。頭は彼女の胸にホールドされている。

下手に動けずにじっとするしかないのだが、こうしていても仕方ない。

トントンと背中を叩くと、んっと頭の上から声がして、やっと解放される。

そっと布団を彼女にかけて部屋を出た。


時計を見ると6時。まだ誰も起きてはいないようだ。正直助かった。

冷静になるためにコーヒーを入れる。

一口飲むと少し冷静になれた。

昨日のアレはどういうことなのか真剣に考える。もしかして彼女は俺のことが好きなのか?それとも懐いているだけ?

何もわからない。経験のなさが今出ている。

彼女と付き合ったらきっと亜美を優先してくれる。俺も彼女の事はいい子だと思う。

だけどいつかは俺との関係が嫌になるだろう。

誰だってそうだ。高校生という楽しい時間を他人の妹の子守に使いたいなんて思う人いない。

デートにだって妹がついてくるんだ。そんなカップルいないだろう。

だから結局は現状維持だ。彼女以外の異性の友達は千紗しかいないし、千紗は友達の彼女だ。たまに遊んでもらうくらいが丁度いい関係。

比べて静香は少なくとも3年間はお隣同士だ。

良好な関係を保ちながら助け合いつつ、亜美の事を聞ける間柄でいたい。

下手に付き合って別れたら…なんて考えたら引っ越しも考えなければならなくなる。

そうなれば亜美も悲しむし、おじさんにも迷惑をかける事になる。

だが付き合ってほしいと言われたらどうする…。断れば友人を一人失って、亜美も悲しむ。これ…詰んでね?がくりと下を向く。

とりあえず現状維持だ。まだ懐かれただけ。

彼女は異性が苦手だと聞く。仲良くなった異性が初めてなのかもしれない。きっと今異性との距離感を測ってる最中のはずだ。

彼女がその距離感を測れるようになるまで理性を保っていればいいんだ。

だが俺も年頃の男だ。あの感触はやばい。柔らかすぎる。それに甘い匂いがした。花のような香水?の匂い。その全てがもう理性への凶器と言って過言ではない。

そして母に抱きしめられてるような抱擁感と安心感。意識が刈り取られてしまうほどの魔力を持った抱擁だった。

普通がわからないけれどアレに耐えられる男はいるのか?もう何もわからない。

頭を抱えているとガチャリと音がした。

「智己くん?」

びくりと肩が上がってしまう。

昨日の今日だ。

意識してしまうのは当たり前だ。

「お、おはよう。静香。昨日はなんというか。申し訳なかった。ゆっくり眠れたかな?」

「おはようございます。私はぐっすりでした。智己くんはゆっくり眠れましたか?」

「あぁ。お陰様で。」

静香は俺の横に座って体重をかけてくる。肩に頭が乗って、生唾を飲む。心臓がうるさい。

千紗に抱きつかれても何も感じないのに、どうしてここまでドキドキしてしまうのか…。

寄りかかる静香に目線をうつすと豊満な胸と谷間が見えて目線を戻す。

着る服は自由だ。寝る時の服だし、楽な方がいいだろう。だから何も言えない。というか言ってしまえば見てしまったのがバレる。

「あー。なんだ。二人が起きてくるかも知れないから着替えたほうが良くないかな?」

「そうですね。でも、もう少しこのまま…。」

すりすりと顔を擦り付けてくる。その行為にある事を思い出して納得する。

これマーキングだ。猫が頭を擦り付けてくるアレに近い。小学生の頃まで家で昔飼ってた猫が同じことをしていた。

きっと無意識なのだろう。彼女は俺が思ってる以上に甘えん坊なのかもしれない。

もしかしたら一人暮らしのストレスが上乗せされてこうしているのかもしれない。

だから優しく頭を撫でてあげる。

頭を撫でるのは妹で慣れてる。

昨日彼女がしてくれた事へのお返しだ。俺も久々にぐっすり寝れた感謝もある。

その手が握られて、引っ張られて彼女の頬に添えられてしまう。流石に動揺する。ちょっとこれ本気で恥ずかしい。

俺を見て微笑む。カーテンから差し込む朝日が彼女を照らす。静香が目を閉じる。

その時、ガチャリと扉が開く音が聞こえた。

びくっと静香が離れる。そして動揺した顔をしてパタパタとリビングから出て行った。

呼び止める暇もなかった。

えっ、今の何?いや本当に今のはどういう事だろう。キス…ではないよな?

「あれ?パパ。早いね!」

顔を向けると千紗がいた。

実家のような安心感。ちょっと安心する。

「おはよう。コーヒー飲むかい?」

「カフェオレで!苦いのは無理!」

「はい、はい。」

立ち上がってキッチンに移動してお湯を沸かしていると、千紗が戻ってきて首を傾げた後に俺の臭いを嗅ぐ。

「声はしなかったけど…やっちゃった?」

千紗がニヤリと笑い、顔が赤くなるのが自分でも分かる。

「やってねぇよ!?」

はははと千紗が楽しそうに笑う。

「そんなにしーちゃんの匂いを漂わせて、白々しいにも限度がありますよー?」

「アニメのセリフをもじるのはやめなさい!いや本当にやってないから…。」

クンクンと自分の匂いを嗅ぐと甘い香りがする。完全にマーキングされてるわ。

「いいね!オタクネタが通じるパパ最高!でも冗談はさておいて、昨日の夜しーちゃんがパパの部屋に来たよね?だから私達やらなかったんだけど。」

バレてるじゃん。まぁ扉の開く音は流石に聞こえるか。

「人の家をやり部屋にするのやめてよ。声我慢してくれるなら我慢はするけどさ。」

「それは土下座で謝る。ごめん。でもついつい盛り上がっちゃうんだよね。というかあのゴムの箱は何?」

ゴムの箱はこの子達の両親から土下座で頼まれたものだ。彼らといるのは楽しいからついつい泊めてしまうが、二人はそういう仲なのだ。だから準備はいる。仮に子供ができて中退とかは友達としてさせられない。

「君たちの両親からプレゼントです。カートンで。そんなの置いて部屋を提供するのは友達としてどうかと自分でも思う。でも出会って1ヶ月だけど、正直君らとは相性が良いんだよね。君たちもそうでしょ?光輝なんてどこにいても俺を見つけると駆け寄ってくるんだよ?犬かよって。だから受け入れちゃうんだよなぁ。最初は嬉しくなかったけど、なんか君にパパって言われるのも慣れてきちゃったし。」

ぷっと吹き出す。

「何それ!流石に笑う!素直に受け取ってあの部屋に置いとくパパも面白い!こーちゃんは本当にパパの事大好きだからね。口を開けば智己が智己がってさ!なんなら親友の域に来てるよ。私もパパの匂いを嗅ぐと安心するし、しーちゃんなんてメロメロじゃん。なんかフェロモン出してるー?」

メロメロかどうかは置いておいて、そんな物は断じて出してない。

「なにそれ。臭いって意味?怒るよ?」

カフェオレを差し出すと千紗が受け取る。

「違うってー!褒めてるんじゃん!」

いや全然褒められてる気がしない。

まぁいいかとキッチンから移動した。


二人でソファーに移動する。二人っきりの時は彼女はちゃんと適切な距離を取ってくれる。

抱きついてくるのは光輝が一緒の時だけだ。だから向かい合って座る。

「どうする?トランプでもする?」

ガサガサと千紗がテレビ台を漁る。今日を含めると3回泊めてるので、最早勝手知ったるというやつだ。俺もあまり気にしない。

「二人しかいないのに?やるなら光輝起こしてきてよ。」

「こーちゃんは起きないよ。朝弱いし。しーちゃんは?」

そういえば戻ってこない。

「多分亜美のところにいるんじゃないかな。それか着替えに行ったか。」

「ふーん。しーちゃんてエロい体してるじゃん?流石のパパも反応した?」

男みたいなノリで聞いてくるなぁ。

「…ノーコメントで。」

「へぇ…。枯れてなかったんだね!」

はぁとため息をつく。

「相談させてくれ。」

「いいよ。私は恋愛強者だからね。」

ニヤリと笑う。頼りになるなぁと思う。

「懐かれてるのか好かれてるのか、その違いが正直わからない。好かれていたとしても俺は彼女に手は出せない。亜美の方を優先しちゃうから。彼女を一番にしてあげられないのは間違いない。亜美のために彼女には仲良くしてほしい。もしかしたら勘違いかもしれないから、今は現状維持。俺の判断って間違えてるかな?」

千紗は少し考えた後に真面目な顔になった。

「それって智君の主観だよね。恋愛って一人じゃできないんだよ。自分と相手がいて成立するの。だから一人で判断したらすれ違うよ?お互いの気持ちを擦り合わせて少しずつ時間をかけて近づいていきなよ。君たちには会話が足りてない。付き合うのは簡単だよ?告白してOKを貰うだけだもん。だけど付き合うことはゴールじゃない。その先も関係を続けたいなら嫌なところも見ないといけない。我慢してても続かない、遠慮しても続かない、治すだけでも続かないの。大事なのはお互いの許容範囲まで擦り合わせること。自然体でいれる塩梅を探す為に話し合わないといけない。どうしても我慢できないことがある時には傷つける覚悟も持たないと。傷つくこともある、泣きたくなることもあるよ?でもね。それが恋だと私は思う。だけど最終的にお互い幸せならいいんだよ。大事なのは最初でも途中でもなくて、最後なんだから、幸せにしてあげればいいんじゃない?亜美ちゃんだっていつかは大人になるんだしね。」

そうかと思う。ならいつかそうなったとしても最後に幸せにしてあげればいいのかもしれない。それにしても…。

「きみ、本当にそのアニメのセリフ好きな。」

「あの話は泣けた!私の中の名言集が今このセリフを使えと叫んでた!」

「なんだよそれ。」

思わず笑ってしまう。ひとしきり二人で笑う。

「まぁでも私達だってこんなに仲はいいけれどまだ1ヶ月しか一緒にいない。きっとこれから喧嘩とかもすると思う。そういうところ友情って恋愛に似てるよね。だからこうやって二人で語り合うのはいいことだと思う。こーちゃんと智くんはよく二人で語り明かしてるけどさ、たまには相手してね?」

あ千紗の言葉に頷く。

「あぁ。そうだね。俺も君たちとは長い付き合いをしたいと思う。でも2人っきりって難しいよな。一応男女だし。」

「おやおやぁ?智君は男女の友情は成立しない派ですかぁ?」

「いや、そういうわけじゃないよ。でも光輝がセットの方が圧倒的に多いから。それに光輝は気にしないけど周りの目はあるじゃん?嫌だぞ?君に二股疑惑とか出るの。」

俺がそう言うと千紗が噴き出す。

「それはない!だって智君にはしーちゃんの匂いがベッタリついてるもん!私以外は近づけないんじゃないかなぁ。誰も噛みつかれたくはないだろうし。」

意味がわからず首を傾げる。

「匂いなんてすぐ取れるだろ。シャワーにでも入れば一発だ。」

「違うんだよなぁ。匂いってそういうことじゃないの。まぁそのうち分かるよ。すでに既成事実で外堀を埋められてるんだからさ。」

そう言って千紗が立ち上がる。時計を見ると1時間は語り合ってたらしい。

「じゃあこーちゃんを起こしてくる。情熱的なキスでね!」

「朝から盛んないでくれよ?気まずいから。」

「それはこーちゃん次第かな!」

はっはっはと笑って去っていく千紗の後ろ姿に、俺は苦笑するのだった。

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