極夜~月と野蛮人たち~

長谷川吹雪

第一章「道の先で」

第一話「国への抵抗」

ある11月の寒々しい夜だった。冷気が骨の芯まで染み渡り、一度侵入した寒さは、決して手放そうとしないような晩であった。外では、重々しい雪がゆっくりと舞い、古屋敷沙保里(フルヤシキ・サオリ)の質素な家の窓辺に小さな雪の山ができ始めていた。薄暗いリビングルームには、大きな時計の針が時を刻む音が響き、短針はゆっくりと九時へと向かっていた。古屋敷瑠奈(フルヤシキ・ルナ)は、年老いた師の前に立っていた。弱々しい明かりが、彼女の白髪を淡く照らしていた。瑠奈は今、共産党を離れようとしていたが、去る前にどうしても伝えなければならないことがあった。沙保里は彼女の教師であり、導き手であり、家族でもあった。


「長い間、あなたにはお世話になりましたね……。本当に長い間」瑠奈は静かながらも確かな声で言い、ぎしぎしと音を立てる木の椅子に腰を下ろした。沙保里は60代を過ぎた今も、かつて瑠奈の人生において、圧倒的な存在感を放っていた。彼女は、厳しい軍部時代を生き抜いた女性だけが持ち得る、厳格な規律で瑠奈を導いていた。しかし、時はすでに多くのものを変えていた。沙保里のかつて鋭かった顔立ちは年齢とともに柔らかくなり、灰色の髪は古びた毛糸のショールの上に無造作に隠れていた。しばし二人は黙り込み、空気は言葉にされない思い出で満ちていた。沙保里は、若かった瑠奈を受け入れた。日本社会の硬直した構造の中で、明確な方向性を見失った少女を。彼女は教え、鍛え、今の瑠奈を作り上げた。そして今、それはすべて過去のことになっていた。


「私はこれまで多くの生徒を育ててきたが、家族だと言ってくれたのはお前だけだ。それには意味がある」沙保里は、ゆっくりとした言葉で言った。その声は荒く、言葉は慎重に選ばれていた。瑠奈はかぶりを振り、視線を小さな部屋の中へとさまよわせた。茹でたキャベツの匂いと古びたカーペットの臭いが混ざり合い、彼女を一瞬で沙保里との最初の日々へと引き戻した。壁には、忘れ去られた男たちの肖像画が飾られており、その中にはスターリンの厳しい表情をした写真もあった。もう一つの、少し控えめな肖像画が瑠奈の目を引いた。70代の男で、短い口ひげと、スターリンを彷彿とさせる表情をしていたが、年老いた顔の輪郭は少し和らいでいた。しかし、瑠奈は他の者とは違っていた。世界は、政治を超えた形で彼女に印を残していた。彼女の身体は10代のまま時が止まり、異質な存在感を放っていた。淡い青い瞳は黒い角膜に縁取られ、部屋の暗がりを突き抜けるように光っていた。それでも、彼女の心は深く人間的なものであり、その部分は、長年の闘争に埋もれていた。


「弾圧はまだ続いています」瑠奈は、憤りに満ちた声で言った。「民主主義などは存在しない。私はただの無知な女に過ぎないし、何を言っても変わることはないんです。でも明日、党の大会があります。私はそのために何かを準備しておきました」瑠奈は言い続けた。


沙保里は少し眉をひそめ、前の生徒をじっと見つめた。「それって?」彼女は尋ねた。瑠奈は言葉を発することなく、バッグから黄色く変色した手袋を取り出した。それは汚れており、腐敗したような異臭が微かに漂っていた。沙保里は好奇心から警戒心へと変わる表情で、瑠奈がそれを手にはめるのを見守っていた。手袋は、彼女の手にぴったりと張り付きながら、ぎしぎしと音を立てていた。


「それで、何をしよっていうのか?」沙保里は鋭く尋ねたが、瑠奈は答えなかった。彼女は廊下に消え、数分後、大きな密閉された容器を抱えて戻ってきた。その容器は、何重にもプラスチックで包まれ、何かが漏れ出るのを防ぐように厳重に封がされていた。沙保里は手を伸ばし、容器の表面を軽く触れ、中身を推し量ろうとしたが、何が入っているのか分かる手がかりはなかった。しかし、その真実は、沙保里が想像するよりもはるかに奇怪なものだった。瑠奈が沙保里の家に来る数時間前、彼女は忘れられた日本のアパートの湿った地下室でしゃがみこんでいた。彼女の恋人、悠斗が隣にいた。二人は一緒にその容器に生の汚物を詰めていた。始めは腐敗した悪臭に気付いたが、それはすぐに、もっと不快なものへと変わった。汚水が古びた錆びたパイプから、崩壊しかけた浄化槽を通って通りへと流れ出していた。悠斗は顔をしかめながら、プラスチックのバケツをその流れの下に差し出し、震える手でそれを必死に支えていたのだった。


「なんてこった、気が狂いそう……。気持ち悪いな……」悠斗(ハルト)は、鼻と口に巻きつけた布越しにぼそりとつぶやいた。しかし、瑠奈は冷静だった。その淡い青い瞳は、目の前の作業に鋭く集中していた。彼女は悠斗の隣にしゃがみ、手袋をはめた手で汚れた泥のような排泄物を容器に掬い入れていた。その悪臭は彼女の肌にも、髪にも、服にも染み付いていたが、彼女は微動だにしなかった。汚物を一杯に掬うたびに容器は重くなり、中身は音を立てながら波打っていた。瑠奈と悠斗は黙々と作業を続け、悠斗は何度も吐きそうになりながらも、手袋に跳ね返る汚物に耐えた。だが瑠奈は諦めなかった。これは彼女なりの反抗であり、意思を示すための行動だったのだ。耐え難い臭い、呪われたようにまとわりつく汚物の感触、それでも彼女は止まらなかった。ようやく容器が満杯になると、悠斗は急いでそれを幾重にもプラスチックで包み、しっかりと封をした。瑠奈は迷わずその容器を持ち上げ、沙保里の家へと向かった。今、沙保里の小さな居間の暖かさの中に立つ瑠奈は、つい先ほどまでの苦闘の痕跡を一切見せず、ただ静かに年老いた師を見つめていた。


「これがこの国のためになることを願っています」彼女はただそれだけ言った。瑠奈のやり方はいつも人々を驚かせたが、今夜も例外ではなかった。しかし、彼女は深く自覚していた。もうこれしか道は残されていないと。彼女はあまりにも長い間、戦い続けてきた。そして今、ようやく休むべき時が来たのだ。長年の過去が彼女を押しつぶそうとするのを感じながら、瑠奈は一旦立ち止まるべきだと悟った。

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