第4話 姉貴のブラ
「姉貴?」
「うん?」
「これ?」と、汚らしいものを掴むようにトングで摘まんだのは、紫色の勝負下着――つまり、ブラジャーだ。
「いやぁぁぁぁぁぁ!!」
部屋に響きわたるソプラノの声。
姉貴はガシッと俺から下着を奪い取ると、ゼェゼェと荒い息をつきながら言った。
「もう!奏くん、ダメだぞぉ!」
「姉貴が悪いんだよ。そんなところに置いておくからだろ?早く洗濯機に入れてこいよ」
姉貴は恥ずかしそうに部屋を出ていく。つまり、今のうちに掃除が自由にできるということだ。素晴らしい。では、さっそく――。
まずはゴミをまとめようと思ったところで、また別の下着が出てきた。姉貴の癖は、下着を床に放置することだ。いつ着たのかもわからないものが散らばっているため、姉貴の下着はこの掃除の時にしか洗濯できない。風呂嫌いの姉貴は、シャワーを浴びるのも出かける時だけ。最大で一週間は風呂に入らない。ほぼ家に引きこもり、漫画、ゲーム、お菓子、弁当、カップラーメン、エナジードリンクが彼女の必須アイテム。引きこもりの「神器」とでも言うべきだろう。
「あねーき!」
「どうしたのー?」
「下着!」と言うと、ドタドタと慌てた足音が聞こえてくる。必死に走ってきた姉貴は、引きこもりにしては珍しく息を切らして肩が上下に揺れていた。
「ど、どこ?」
「ここ」
トングで掴まれたパンツ。赤色。俺は危険物を扱うようにして渡すと、姉貴は「そんなに汚くないからああぁぁぁ!」と怒りに任せて扉を強く閉めた。
なんだよ、そんなに怒ることないじゃないか。だいたい、姉貴が悪いんだろ……とは言えないけど、実の姉貴とはいえ片付けが苦手なのだ。仕方ない。俺以外に誰も掃除をしてくれないんだから。以前、クリーニング業者を頼んだこともあったが、ゴミ屋敷になった部屋を目にした業者は最初こそやる気満々だったが、段々とメンタルをやられてしまい、最終的には「やってられるかあぁぁぁ!」と叫んで辞めてしまった。それ以来、俺が掃除を担当している。最近は週一回を目安に掃除しているが、姉貴のメンタルによっては部屋に入れない時もある。「今はダメ!」と言われたら、仕方なく諦めるしかない。
「奏くん、そこに座りなさい」
「ど、どこに座ればいい?座る場所が見当たらないんだけど」
「片付けてからでお願いします」
「勝手に女の子の部屋に入っちゃダメなんだからね。これはね、女の子のルール。ガールズルールよ!」
「ガールズルール?」
訳が分からない。境界線も法律もないような曖昧でグレーゾーンなルールに縛られそうだ。
掃除は続く。というか、もう業者に頼みたいくらいにゴミが散乱している部屋だ。少しずつ片付けながら、スペース――つまり安全なセーフティゾーンを作っていく。やっと片足分のゾーンができたところで、姉貴が戻ってきた。手には冷蔵庫から取り出したプリンがある。
それは俺が掃除の楽しみに取っておいたプリンなのだが、姉貴は容赦なくゴミの上に座り、俺のプリンを食べ始める。
「どうしたの、奏くん?」
「いや、なんでもない」
俺のプリンだぞ!と言いたいところだが、俺は姉貴には甘いのだ。いや、甘やかしすぎているのかもしれない。
姉貴の口に運ばれていくプリンを横目で見ながら、俺は掃除を続ける。
「これいる?」
袋に入った何かを俺が見せると、姉貴は「いらない」と答える。
「これは?」
「いる」
よくこちらを見もせずに、いるかいらないかの判断ができるものだ。プリンを食べ終えた姉貴は、そのゴミを俺が片付けたばかりのセーフティゾーンに無造作に置く。
「ああああああああぁぁぁ!!」
「きゃ!?ど、どうしたの?虫の死骸でもあった?」
「いや、な、なんでもないさ、ははははっ」
気を取り直して、俺はゴミの分別に取り掛かる。セーフティゾーンに置かれたプリンのカップをゴミ袋に入れ、姉貴が食べたお菓子の袋も回収して、ジェンガのように積まれた漫画を本棚に綺麗に戻す。
姉貴は一度部屋を出ていくが、すぐに戻ってきた。手にはエナジードリンク。缶を開ける音がして、ごくごくと喉を鳴らす音が聞こえてくる。
「プッハあぁぁぁぁぁ!」
お前は風呂上がりの親父か、と言いたい。言いたいが、グッと堪えるんだ。堪えろ、呼吸だ。深呼吸。
「姉貴、新しい恋はできそうか?」
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