序幕

嘘ツキとかわせみ

第1話

あまねの前に立つ少女はうつむいて、困ったように表情を曇らせている。困惑した彼女の表情は無邪気さを彷彿させる稚いとけない部分が残りつつも、ほのかに艶っぽさが垣間見えている。その色っぽい空気は、ほんの数日前まで彼女が知ることもなかった、大人びた女性らしさとも表現できた。


 黄金きん色がかった栗色の髪に、とろみを帯びた青黒い瞳。母方の祖母が西欧の人間だからだという話をどこかで聞いたが、いまさら彼女の出自自体に興味はない。


 周にとって大事なのは、彼女のような希少なうつくしい少女はこの小さな島国では滅多にお目にかかれないというところと、それゆえに自分が彼女を護らなくてはならないというところにあった。


 膨らみかけた胸元をはじめ、身体の線がくっきり映える薄絹のワンピースからすらりと伸びた手足は陶器のように真っ白で、穢れを知らない新雪のようだ。震える指先に視線を向ければ、桜貝のような爪が丁寧に磨き上げられていて、淡く光を放っている。初夜がくるまで結ばれることが叶わないのは悲しい限りだ。それまでは逃げられないように快楽の檻に閉じ込めて、甘い啼き声で歌わせよう。このあいだの夜のように。




 どこから見ても完璧な。

 ほんとうにうつくしい、西洋人形のような乙女。


 自分の花嫁になるかもしれないと連れてこられた彼女を初めて見たあのときから、自身を偽りながら快楽の淵へ誘い、容易く溺れるようになるまでの時間は思っていたよりも短かった。


 けれども周にとっての誤算は、それだけではなかった。利用できるだけ利用して、棄てようと思っていた。だからわざと嫌われ者になろうと、いつものように演技をしようと試みて、失敗した。


 彼女の面影ばかり追い求めるようになってしまった自分が隠していた素顔。こんなところで教えるつもりはなかった。それでもようやく彼女はこちらを向いて、本来の自分を見てくれた。



 ――すこし、いや、かなり怯えてはいるけれど。




「……彼方、アマネなの」


「信じたくなさそうだね? だけど、そう呼ばせるときもあるんだ」




 そう呼ぶ、ではなくあえてそう呼ばせる、と応えれば、少女はすこしだけ安心したように表情を緩ませる。




「貴女が自分のことをかわせみと自嘲するように……愛の間に揺蕩う音色、愛間音アマネとして」




 声色を変えて言葉を紡げば、かわせみに例えられた少女はくすりと笑う。




「そうね……だけど」




 周の闇に染まった漆黒の双眸を睨みつけるように、少女は夜空のような瞳で彼を射る。




「舞台の上から降りてまで、役をつづける必要はないと思う」




 真摯な彼女の呟きに、周はぴくりと頬を引きつらせる。




「――俺がまだ貴女に対して演技をしているとでも?」




 そいつは心外だと周は頬を膨らませて、少女に告げる。




「ようやく貴女が気づいてくれたんだ。もはや、演技をする必要などどこにある?」




 本気で憤りはじめた周を見ても、少女は動じることなく、先ほどとは打って変わって毅然とした態度で彼に言い返す。




「いいえ。彼方は未だ。演技をしつづけている。舞台から離れていても、周囲の期待に応えるために、自分自身をも偽って」


「やめろ、翡翠ひすい


「わたしを求めているのは歌姫と呼ばれたアマネではなかったのね。だけどおあいにくさま。わたしは彼方、金城朝周きんじょうともちかが嫌いと言ったはず……」




 周は翡翠の甘い拒絶する声から逃れるように耳を塞ぐ。けれど、翡翠の鈴のような声は彼の耳底を震わせながら通り過ぎ、心の奥のそのまた奥へと突き進んでいく。


 鍵をかけた秘密の部屋を暴くように。






「周囲を得意げに欺いて、自分をも騙し続ける彼方なんか嫌いです……こんな風にわたしを惑わせたのはどうしてなの、なんで彼方は――……」






 真意を問う翡翠の声。

 そのあとにつづくのは罵倒か、拒絶か、慟哭か……


 周はそれ以上の追求を避けるため、無防備な彼女の顎に手をやり言葉を遮る。




「これでも我慢していたんだよ……でもね、やっぱりあきらめられないや。嫌いでも構わないから、俺のものになって?」




 そして強引に翡翠の言葉を奪い取る。




「いやっ――んっ……!」




 荒々しいまでの接吻で。

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