ダレガタメニ

猫宮いたな

悲喜


「あなたと歩む為なら何の犠牲も構わない」


***


少し開けた窓から注がれるそよ風によって揺れるカーテンの音、蝉の声とジリジリと音を立て揺れる陽炎に包まれた町は夕陽に沈む。

畳の敷かれた部屋の隅で本を読む少年と、スマホをカタカタと操作する少女それは彼らの日常であった。


「私、アセビに感染したらしい」


爽やかな空気を切り裂き、日常が崩れる凶兆となるその声は世界を無音へ引き込むようだ。

幼なじみの中村香織なかむらかおりからそう告げられたたった1つの最悪の事実。


アセビ、島民1000人程の泉五島いずみごしまで蔓延する感染率、死亡率ともに90%を超える感染病

その高い死亡率から別命「別れ花」と呼ばれる。


この病気の治療法はなく、感染を防ぐ術もない。

唯一の救いは生物同士の感染は無いと認められたこと。

しかし、それは感染元が未だ分からないということでもあった。


アセビの感染。

それはその人との別れを意味するものとなっていたのだ。


俺、山口葵やまぐちあおい数年前にアセビにより両親を失い、それ以降香織の家に居候として住まわせてもらっていた。

香織の親と俺の親は昔馴染みで数十年の関係だった。

だから昔から家族ぐるみで関わりはあったし、香織とはずっと一緒だったし、親は仕事で忙しかったから多分香織と一緒にいた時間の方が長かった。


俺からしたら香織は俺の唯一の姉のような存在だった。

香織の笑顔が、ハツラツとした元気の溢れるあの姿が、

その全てが俺にとってとても大切な記憶のひとつ。


そんな香織との別れを俺は飲み込める筈がなく、頬に涙が伝う。俺は助からないとわかっているのにどうすればいいのかと永遠と思考をめぐらせていた。

考えれば考えるほど涙が溢れる。呼吸が粗くなる。


俺も一緒に死のう。


そんな思考にすらさせてしまう。


「何泣いてるの、別に今すぐ死ぬってわけじゃないしこの島に生まれた時点で覚悟はしてるよ」


俺と対照的に香織は異常と捉えられる程に落ち着いていた。

さっきまで聞こえていた蝉の声も風の音も青い空も鮮やかに彩られた町の色々も全てが無くなっていた。


***


香織がアセビに感染したと伝えられた次の日。

俺は一睡もせず延々と香織に泣きついていた。香織は嫌な顔ひとつせず、本当は泣きたいであろう本心を隠して、俺を慰めてくれていたんだろう。


止まらない涙を無理矢理抑え込み、俺は家を出た。今日は病院に行かないといけないと行けなかったからだ。


相変わらず街の景色は白黒の世界のように写り、周りの木々は揺れているのに風の音も木の葉がぶつかり擦れる音も何も聞こえない。

ただ、1つ頭の中に残る香織の笑顔と透き通って綺麗なあの声は絶対に消えなかった。


「山口葵さんどうぞ」

俺は今島にある唯一の病院である泉五島総合病院いずみごしまそうごうびょういん

1分1秒ですら、長く感じる待合室。

頭の中には香織のことが離れることはなかった。



俺の両親は自分たちが死んだ時に遺体を病院へ提供し、アセビの解明、治療に繋がるようにと遺書を残していた。


俺はその遺書に従い2人の遺体をここに提供した。


そして両親が死んでから俺は島唯一の医者である赤羽紫苑あかばねしおんさんがアセビの解明に尽力し、

俺も紫苑さんの手伝いをしながら一緒にアセビについて勉強をしていった。


「アセビでも、それ以外でも医者の仕事はその苦しみから助けてあげること。少しでも亡くなる人を減らしていつかは病院なんか必要ない世の中になって欲しいよね」


重病で苦しむ妹さんを助けるために努力し続ける紫苑らしい考えで、紫苑さんはそれを口癖のように毎日話をしていた。


お父さん達の遺体のお陰で生物同士の感染は無いと断定ができ、紫苑さんはこれはアセビに抵抗するための第一歩だ。と俺に感謝を述べていた。


「今日は来てくれてありがとうね、葵くん。今日は君に伝えたいことがあって呼んだんだ」


今日病院に呼ばれた理由は紫苑さんが俺と話がしたかったかららしい。大切な話があると。


「実は君のご両親の協力もあってアセビの治療薬が完成したんだ。」


アセビの治療薬については紫苑さんが


「専門知識がないとダメだから申し訳ないけど葵くんにできることは無い」


と、俺は薬の調合中は部屋にも入れさせてもらえなかった。


今まで優しかった紫苑さんが初めて俺を否定した時だったから俺は少し違和感を感じていたが、その治療薬という単語は俺の心の傷を揺するかのようだった。


だから、その言葉を聞いた時、俺は、

何を言っているのか一瞬理解出来なかった。


「でも、ひとつ問題があって、今の状態じゃ量産がとても難しくてね今使える薬は5つだけ。もちろんこの薬を作るきっかけを作ってくれた葵くんには無料で提供するつもりなんだけど残りを誰に提供するかなんだ」


「ありがとうございます。、、その治療薬ってすぐ使えますか」


「明日なら大丈夫だよ」


「じゃあ、俺の大切な人にそれを使って欲しいんです」


「それって、中村香織ちゃんのこと?」


「えぇ、そうですね。今の俺にとっては唯一の家族みたいなもんですよ」


俺と香織はお互い両親を失っていて、

いまは2人で島の人に助けてもらいつつも何とか生活をしていた、


「そうなんだ、じゃあ明日の10時に2人でおいで」


この人は本当にすごいことをした。

香織を、この島の未来を、救ってくれたのだから。



俺はありがとうございますと深々と頭を下げ病院を後にする。

紫苑はいえいえと笑いこちらを見ていた。

気がついたら、白黒だった世界がカラフルに彩られ、様々な音に溢れていた。

これが普通なのに、不思議と落ち着かない。

香織とまた一緒にいられるってわかったからかな、


「、、、」


***


「ねぇ、葵。」


「どうしたの、香織」


「なんかいい事あった?家に帰ってからずっとニコニコしてるけど」


「今は秘密、明日になったら分かるよ」


「明日何かあるの?」


「明日の10時に一緒に行きたいところがあるんだけどいい?」


「まぁ、いいよ。暇だったし」


「じゃあ決まり!」


紫苑さんに治療薬の話を聞いた日の夜。

俺は幸せの中、香織と家でご飯を食べていた。

今日のご飯は、ハンバーグと豆腐とわかめの味噌汁と麦ご飯だ。


俺達は2人で家事を分担して行っており、今日は本当は俺がご飯を作らないといけなかったのだが、

病院での用事が少し長引いたことで、香織が代わりに作ってくれたのだ。


明日は俺が作らないとな。


「ねぇ、葵。私アセビに感染したって話したじゃん」


幸せな俺とは対照的に、香織は段々と暗い雰囲気を纏っていく。


「昨日、アセビに話した時葵がいっぱい泣いてくれて本当に嬉しかった。」


「葵は、多分これから私の為に色々頑張ろうとしてくれると思うの。今までもそうだったし」


その時、俺は昔のことを思い出していた。

香織は昔、いじめられていた。その時に俺は香織をいじめていた奴らと殴り合いの大喧嘩をした。

いじめっ子達は口裏合わせで俺を悪者にして俺一人怒られたけど、香織へのいじめは無くなった。


「あの、いじめのやつとかほんとに辛かったんだからね」


香織も同じことを思い出していたらしい。

まぁ、それまではただの幼なじみと言うぐらいの関係だった俺達を深く結びつけてくれた出来事だったから、印象に残るのだろう。


「あの後、香織が先生に私いじめられてて助けてもらったんです!って先生に泣きついてたの今でも覚えてるよ」


「そりゃ、葵だけ傷つくのが嫌だったから。それにさ、」


「それに?」


「、、、好きな人に助けて貰えたんだもん。恩返しぐらいしないとさ、」


「なんて?」


ボソッと話していたか聞き取れなかった。


「はい!この話は終わり!さっきの話にもどる!」


そう言って、香織は脛をガシガシと蹴ってくる。

少し痛い。


「私は、アセビに感染して。正直もう長くないと思うの。でも、だからといって特別なことはしたくないの、私は葵と一緒にいたい」


「急に恥ずかしいこと言うじゃん」


「いや?」


「嫌なわけないじゃん。俺で良ければいつでも一緒にいてやるよ」


「ありがとう。でも、一緒にいるとさ、色々制限されちゃうじゃん?」


「制限って?別に香織と一緒にいて不便な事なんてなんもないよ?」


「ふーん。じゃああの本とかも読まなくていいの?」


あの本?俺には全く検討もつかないが、香織は俺の読書の邪魔になってしまうなんてことを考えているのか?


「葵の本棚の奥にある、エッチな本とかも本当にいいんだね?」


俺はブッ!っと口の中に含んでいたお茶を吹いてしまった。

だって、あれはバレないようにしっかり本棚の奥にしまっていたのに!


「なんのことかなぁ、、」


「この家の家事は分担制なんだから私が葵の部屋掃除するって考えなかったの?」


「考えたけど、考えた上で、本棚の奥にしまったんだよ、」


「バカだね」


そう言って笑う香織の顔にはさっき見えた暗い表情はなくどことなく幸せそうだった。


「うるせぇ、」


「でもさ、私いいよ?」


「いいって?」


「私、葵とエッチなことしてもいいよ」


またお茶を吹いた。


「香織、何言ってるか分かってる?」


今日の香織は少し変だ。いつもならこんなこと言わないのに。

やはり、いつも通りがいいって言っていたけど、やはり心のどこかでアセビによる死の恐怖からか、いつもとは違う感情が出ているのだろう。


「あぁ!もう!男気ないな!」


そう言って立ち上がると、いきなり香織は俺にキスをしてきた。

しかも、舌を入れてきた。

近い。香織の髪の匂い、呼吸の音、そして、唇の柔らかい感触。全てが俺の鼓動を荒くさせる。


そのまま、しばらくキスをしていた。

ずっとこのままでいたい。苦しいけど、この苦しさの中で一生いたい。

そんな思考が出てきたが、香織はその唇をはなしてしまった。


「私、本気だから!」


香織は、本気で俺の事を好きでいる。

なら、俺の気持ちは?


もちろん、そんなこと考えるまでもなく決まっている。


「さっき、ずっと一緒にいたいって言ったよな?じゃあさ、一緒にお風呂入ろ。それと、一緒に寝ようよ」


少し、やりすぎた感じはあるが、俺のお宝のことを隠さなかったことへの反撃としてもらってくれ。


「いいよ。じゃあご飯食べ終わったら一緒お風呂入って背中流してあげる」


反撃に反撃で返された。

こいつは人の気も知れずになんたことを言うんだ。



そうして、俺と香織は一緒に風呂も入って、

一緒に、初めての経験を終えることとなった。


香織のその素肌はとても綺麗で、絶対に他の人には見せたくない。渡したくない。という独占欲が湧くこととなった。

でも、しょうがないことだ。それほどまでに香織は綺麗だったのだから。


***


次の日の朝、紫苑さんが遺体となって発見され、治療薬も全て無くなっていた。

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