0件目の事件の顛末 ウータの夢と決意
クロッチ邸で悲惨な事件が起きた夜から私は熱を出して寝込んでしまいました。
駐在さんを連れて御屋敷に戻ってからの記憶は曖昧です。
ずっとエックさんのそばにいたと思います。
質問されたことに素直に答えるだけでした。
結局、私は魔法のことは話せませんでした。
自分のことがなによりも大切なんだと気づいてしまい、気分がさらに沈んでしまいました。
その頃から既に具合は悪くて、とうとう私は立っていられなくなりました。
噂を聞きつけたパパが御屋敷にやって来て私は家に帰ることが出来ました。
それからずっと寝込んでいました。
寝ている間、私は色んな夢を見ました。
最初は私がこの世の全ての魔法を扱える魔女になった夢でした。
魔女である私は世界の全てに復讐をしていました。
どんな国にも行って、大人であれ子どもであれ魔法使いとして復讐をしていました。
「こんな夢、見たくない」
魔女である私は泣きながら暴れていました。
思う存分酷いことをし終えるまで夢は続きました。
次に見た夢では、私はエックハルトさんと夜の草原でピクニックをしていました。
「わあ、見て下さい。お月さまがまん丸です」
「そりゃあ今夜は満月だからな。当たり前だ」
「知っていますか? お月さまには人が住んでいるそうですよ」
「馬鹿かお前は。いい年してホラ話を信じるんじゃねえよ」
「だって……私はまだ子どもですよ。子どもだからエックさんは女性として見てくれないし、記者にだってなれませんもん。だから童話のことを信じちゃいます」
この夢はなんなのでしょうか。
私は自分自身のことを恥ずかしく思ってしまいました。
私を見つめるエックさんの表情が氷ついてしまっています。
「記者に本気でなりたいと思うなら……勉強しろ。本を読んで簡潔に思ったことをまとめろ。それを繰り返せ。あとはそうだな……人をよく観察してみろ」
「貴方の恋人になるなら?」
止めて!、と叫びたいのですが夢の中の私は止まりませんでした。
「それは……」
エックさんが何か言おうとした所で私は目を覚ましました。
「おや? ウータごめんよ。起こしちゃったかな」
「……パパ?」
ぼんやりとした視界の中にいたのはエックさんではなく、パパでした。
パパは私の様子を見に部屋に来たそうです。
私はようやく起き上がれるほどには回復していました。
クロッチ邸の事件から二日が経っていました。
私が目を覚ましたことをパパがママに知らせてくれて、ママは軽い昼食を用意してくれました。
「ねえ犯人は捕まったの?」
野菜のスープをゆっくり飲みながら、私はパパに聞きました。
パパはただ首を横に振りました。
「目星はついているらしいが……遠くへ逃げたようだね」
「エックハルトさん……じゃないでしょ?」
少しだけ不安になりました。
でも、パパは今度は首を縦に振りました。
「ああ。彼は無関係だそうだよ。随分疑われていたけど、馬車の御者や君の証言は強かったみたいだね」
「良かった」
おぼろげな記憶でもエックさんは御屋敷で駐在さんからかなり疑われていました。
隣街からやって来るという刑事の方々もきっと彼を疑うだろうと心配していたのです。
「もうランディウムへおかえりになられたの?」
「どうだろうか。私は知らないな」
「そう……」
出来ることならばもう一度会って話したい、私はそう思っています。
いつもの私ならば家を飛び出してエックさんを探したでしょう。
でも流石にそんなことが出来る気力ではありませんでした。
スープをたいらげた私はまた眠りにつきました。
次に目が覚めた時はもう夜になっていました。
月明かりがうっすらと自室を照らしてくれていました。
私はベッドから這い出して、窓に近づきました。
ぼんやりと夜空を眺めます。
満月……ではありませんでした。
飽きるまでお空を眺め、その後はただ階下の道路を見つめていました。
ぼうっとしていた訳ではなく、色んなことをちゃんと考えていました。
その時でした。
私の家の前を人影が通り過ぎました。
後になっても何故分かったのか理解出来ません。
でもその時の私はその人影がエックハルトさんだと確信出来たのです。
私はカーディガンを羽織って外に出ました。
道路に出て、その人影を探しました。
まだ遠くへ行っていませんでした。
「エックさん」
大声を出してしまうとご近所さんに迷惑なので、小声で叫びました。
私の声はしっかり届いてくれました。
人影が振り返り、立ちどまりました。
私は小走りで駆け寄ります。
「なんだお前か。もう起きて大丈夫なのか?」
「はい。熱はもう下がりました。どこへ向かっているのですか?」
「別に。散歩だよ」
「じゃあ私も散歩します」
私はエックさんの横に並びました。
エックさんは何も言わず、再び歩き出しました。
夜風が涼しくて気持ち良いです。
暗くて狭い道も怖いとは思いませんでした。
エックさんは無言でゆっくりとした速度で歩いています。
もっと早足で歩きましょうよ、という言葉を私は必死でのど奥で抑えています。
せっかちそうな性格なのに、夜のお散歩はのんびりとしています。
「あれから大変だったそうですね」
私は上品さを心がけて口を開きました。
「容疑者扱いだったからな」
「もうご自由に動いてよろしいのですね」
「そうだから散歩しているんだろ。まあ、お前や駅員それに御者の証言が一致してりゃあ容疑者からは外れるよ」
「犯人の目星がついているってパパがおっしゃっていました」
「ああ。使用人がどっかへ消えてる。あの日の朝、屋敷から出ていく使用人の男を近所の奴が目撃してたそうだ」
「その方が……クロッチご夫妻を拳銃で殺害したのですか」
「警察はそう決めてるみたいだな。俺も反対はしない」
いじめっ子のアルのお家を私たちは通り過ぎました。
もうアルは寝てるかしら、と一瞬だけ考えました。
「どうしてエックさんはあの御屋敷にやって来たのですか?」
私はそういえばエックさんがシミュレーにやって来た理由を知りませんでした。
私とエックハルトさんはあの日の午後、偶然出会えたのです。
「はぁ……お前もそれを聞くのかよ。何回警官に説明したと思ってんだ」
「へへ一回ですか? っいたぁい! 酷いですよ。弱っている乙女を叩くなんて鬼です!」
「馬鹿、元気になったって宣言したのはどこのどいつだ」
「うう、私です……」
「たくっ、本社に手紙が届いたんだよ。ボルガンからな。話したいことがある、是非インタビューしてくれってな」
「そのお手紙はまだ持っているのですか?」
私は自分の魔法のことを考えました。
そのお手紙を読めばまたボルガンさんの声が聞こえるかもしれません。
「警察に押収された。まったくとんだ無駄足だったな。一銭の金も稼げてない」
エックさんは顔を歪めて言いました。
私と出会えたじゃないですか!、と言いたいところでしたが我慢します。
「事件のこと…をランディウムタイムス紙は扱わないのですか?」
「余った紙面の片隅に小さく載るってとこかな。ランディウムの人間は地方に興味ない奴ばっかなんだ」
あんなに悲惨な殺人事件がそんな扱いなんだと思うと、私は少し悲しくなりました。
ボルガンさんの最後の言葉、私しか聞いていない言葉を思い出しました。
あの方は魔法使いが生き残っていることを知っているようでした。
私もパパもママも魔法使いであります。
それぞれ使える魔法は一つだけで、パパが使える魔法を私は絶対に習得出来ません。
魔法、というのは生まれ持つものです。
そんな力を生まれ持ったせいで私たちは、心の奥底で怯えながら毎日を生きています。
「エックさん。私には夢があるんです」
そう言って私は横を歩くエックさんの顔を見上げました。
彼は前を向いたままでこちらを見てくれませんでした。
「その夢を実現するには私一人では無理なんです。ルルデン王国の皆さんに支持されないといけません」
「へえ。議会で演説でもすんのかよ」
「あ、その手がありましたね……」
「馬鹿。女は政治家になれねえよ」
「そうですか。良いんです。もっとやりたい仕事がありますから」
「あっそ。残念だけどウチは今は人手が足りているからな」
「!?」
私は目を見開いてエックさんを見つめてしまいました。
新聞記者になりたい。
私の夢、なりたい職業を宣言する前にエックさんにバレてしまいました。
「市民を動かしたいんだろ? 政治家でないのなら新聞記事で民衆を焚きつけるしかねえだろ。これまでも何人もの人間がやって来たことだ」
「はい……」
そうです。
私の夢、それはルルデン王国や周辺国に当たり前のように存在する制度の一つを撤廃することです。
魔法摘発。
魔法を保持する者はいかなる事情も考慮せずに処刑する。
魔法使いたちとの戦争に勝利した人間が作った世界で、残党狩りのために作られた制度です。
魔法使いはもういませんよ!、と宣言した魔法根絶宣言以降の世の中にまだ残っている悪法であります。
この制度のせいで私たちは怯えながら暮らしています。
数少ない魔法使いが今さら世界をひっくり返せるはずなどありません。
というか私はそんな意志を持っていません。
生き残りの魔法使いたちが世界中の人と仲良く暮らせるようにすることが私の夢であります。
その実現のために新聞というものは役に立ちそうだとずっと考えていました。
私は新聞記者になっていつの日か、紙面全面を使って魔法摘発の是非を問いたいのです。
「何考えてるのか知らないが、一人で作るものじゃねえんだぞ。記事一つ一つに何人ものチェックが入る。適当な危なっかしい意思表明なんざ弾かれるからな」
「それは……分かっています。でも挑戦したいんです。今はまだ……学校にも通っているし、もう少し成長したら絶対にランディウムに行くつもりです」
私はやってやるという意志を込めてエックさんを見ました。
長身で筋肉質な男性は私の視線を今度はじっと受け止めてくれました。
鋭い瞳が私を見据えています。
「ランディウムタイムス紙を買い続けて貰うんだな」
「え?」
「ウチはな、募集は紙面でしかしていないんだ」
「は、はい!」
それはスカウトも同然、だと私は感じました。
心がポカポカになっていきます。
顔が自然とにやけてしまいました。
「もうっエックさん、私の素質に気づいたんですね?」
「は? 調子に乗るなよ小娘が」
「いたぁい! また叩いた!」
言葉ではそう言いましたが、実際は全然平気でした。
無性に嬉しくてスキップしたい気分です。
エックハルトさんはぶっきらぼうで偉そうで、暴力的で口調も悪いお方です。
でもどうしてか。
私はこの人のことが気になって仕方ありません。
ずっと毎日新聞記事を通して、彼の文章を読んでいました。
もしかすると私はエックさんの文章の虜になっていたのかもしれません。
「もう十分だろ。俺は宿に帰るからな。お前も家に戻れ」
「ええ!? もう少し歩きましょうよ」
「今度は俺が風邪を引く」
そう言ってエックハルトさんは私の家とは逆方向に歩いていってしまいました。
私はその後ろ姿が見えなくなるまで立ち止まって見送りました。
絶対にこの散歩のことは忘れない、と心で誓いました。
そして四年後、私は夢への第一歩としてランディウムタイムスの新人記者になりました。
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