ウータにだけ聞こえたボルガン=クロッチ最後の挨拶

 「夫人がここにいるならボルガンの方もこの家のどこかにいるんだろうな」


 三人の人間と一人の死体がいる御屋敷の玄関で、エックさんは話しています。

 彼の声をしっかりと聞けているのは恐らく私だけでしょう。

 クロッチ夫人は……魂はもうお空へと登って行ってしまい、エーニャのお父様は目が虚ろで廃人のような有り様です。

 かくいう私も心臓がバクバクと鼓動し、正直にお話しすると泣き出したい気持ちであります。


 「わ、私たちはどうすれば良いのでしょうか? 早く警察の方にお知らせしないといけないのでは?」


 「ああ、そうなんだが……家の中を見てみないとな。死体がもう一個あるのか、それとも犯人が居座っていんのか。どっちだろうな」


 「そんな……エックさんはクロッチさんが夫人を殺したと思っているのですか?」


 「さあな。まあでも、あの夫人の格好はよそ者に会うような装いには見えないけどな」


 エックさんはズボンのポケットに手をつっこみ、空を見つめてました。

 これからの行動を考えているように思えます。

 私たちが声を出して話しているのに使用人やクロッチさんが顔を出して来ません。

 そのことがさらに不安や恐怖を増長させています。

 私は大きく息を吸って、覚悟を決めました。

 ゆっくりと振り返りました。

 玄関の奥、廊下にある階段のそばに横たわっている夫人を見ました。


 「……」


 階段の下には絨毯は敷かれていませんでした。

 こげ茶色の床の上に静かに倒れていました。

 頭の位置の床は赤くなっています。

 それが血液であると少し考えて分かりました。

 クロッチ夫人の表情はここからでは見えません。

 彼女はお出かけなさるような服装ではありませんでした。

 私のママの物よりもきっと高級な寝間着姿でありました。

 もうとっくにランチを食べるような時間です。

 クロッチ夫人はもしかしたら朝からずっとこの場所で倒れていたのでしょうか。

 じっとご遺体を見つめ、私は色んなことを考えてしまいました。


 「あんまり見ないほうが良いぞ。しばらく眠れなくなる」


 「でも……あの方の最後を誰かが見てあげないと……無念ですよ……」


 「そうだな……」


 夫人とは話したことなんかありませんでした。

 お金持ちの奥さまと一般庶民の子ども。

 言ってしまえば他人です。

 それでも……同じ時代を生きる仲間です。

 私の心は悲しみで満杯になってしまっていました。


 「俺は上を見てくる。お前もついてこい」


 「え? そ、そんな怖いですって」


 私はエックさんの誘いを断ろうとしました。

 何が潜んでいるか分からない場所になんか行きたくありません。

 断固として玄関で待つつもりでした。

 そのことを伝えると、エックさんは不敵な笑みを浮かべました。


 「へえ、そいつが殺したとしてもそこにいんのかねえ?」


 「はい?」


 エックさんは私の後ろで座り込んでいるおじさんを指さして言いました。

 

 「いいから来い! その方がまだ安全なんだよ」


 「あっちょっと……」


 私はエックさんに腕を掴めれて、強引に連れて行かれました。

 私は歩きながらおじさんをもう一度見ました。

 私たちのことなんか眼中になく、ただ壁の一点を眺めているようです。

 ご遺体に触れないようにして私とエックさんは階段を上がっていきます。


 「おじさんが殺人犯には見えませんよ……」


 「演技だったら? 俺とお前よりは犯人の可能性が有ると思うがな」


 「また、お前に戻ってます……」


 私はなんだか頭が痛くなってきていました。

 一体何が起きているのか、もう夢か現実か判断がつかないようです。

 エックさんは私の右手をぎゅっと掴んで階段を上がっています。

 彼の手はひんやりと冷たいです。

 階段を登りきり二階へ上がりました。

 いくつもお部屋がありました。

 どこのお部屋に行けば良いのかはすぐに分かりました。

 一つだけ入口のドアが壊されているお部屋があったのです。

 エックさんは迷わずそのお部屋へと向かっていきました。


 「……っ!」


 「ひっ……」


 私たちは揃って小さな声を漏らしました。

 そのお部屋は書斎のようでした。

 ボルガン=クロッチさんの書斎であると確信しました。

 左右の壁一面に本棚があり、窓辺には作業をするための机が置かれています。

 その机の前に椅子が一脚。

 椅子の下は赤い海が出来ていました。

 白髪混じりの髪の毛。

 恰幅の良いその体型は私の記憶通りでした。

 ボルガン=クロッチさんは椅子に座って亡くなっていました。


 「これは酷いな」


 「ぐすっ……なんで……こんな……」


 とうとう私の目から涙がこぼれ落ちてしまいました。

 クロッチ夫妻が病気でお亡くなりになったのではないことは明白でした。

 病で倒れられたのならば、こんなに血が出ているはずがありません。

 殺人事件。

 そんな言葉が私の頭に浮かびます。

 平和な田舎町、ミシュレーでは駐在さんが毎日あくびをして過ごしていました。

 私はそのことを誇りに思って生きていました。

 毎日読んでいるランディウムタイムス、新聞記事の中のような出来事がミシュレーで起きてしまったのです。


 「おい、しっかりしろ。立ってられなさそうならそこで座ってて良い」


 エックさんが私の顔を覗きこみました。

 私は腕で涙を拭い取りました。


 「平気です」


 エックさんは何も言いませんでした。

 ゆっくりとボルガンさんのそばに近づいていきます。

 私も後を追いました。

 椅子に座るボルガンさんは私たちに背を向けています。

 机の前にある窓は開いていました。

 心地よい風がお部屋に入ってきます。

 椅子の下、血の海の上に凶器が落ちていました。


 「これで撃たれたのですね」

 

 「そう見えるな。だけど決めつけては駄目だ」


 「え? どういうことですか?」


 「俺たちは警察じゃないってことだよ。調べるのは警察の仕事だ。俺たちはただの新聞記者と生意気な小娘でしかない」


 「そんなこと言わないで下さい……」


 「でもこれは興味深いな。くそ、ランディウムならカメラ屋を呼ぶんだがな」


 顔から血の気が引いてしまった私とは違い、エックさんの表情は活き活きしているように見えました。

 彼は机の上に顔を寄せています。

 ペンや紙は端に追いやられ、机の表面に赤い文字が書かれていました。


 「触りたいとこだが……ち、我慢するしかねえか。現場を荒らすと怒られるからな。なあウータ、この町の駐在所まで走って行ってくれ」


 「……」


 「……おい。聞いてんのか?」


 「……」


 私はエックさんに返事をすることが出来ませんでした。

 机の上にはボルガンさんのメッセージが彼自身の血で書かれていました。

 赤い文字で、偉大なるルルデンよ、と書いてありました。

 その血の文章を見た瞬間から私の頭にボルガンさんの声が流れこんできました。


 『魔法使いたちよ。君らの幸福を祈りながら私は魔法使いに殺されようじゃないか。それで本望である。戦地で見たあの光景は墓場まで持っていく。魔法使いたちよ、安心して暮らすが良い。そして……アンジュ……私を愛してくれてありがとう』


 初めて聞くボルガン=クロッチさんの声は威厳に満ちた声でした。

 きっとこの文字を指で書いている時は激痛が体に走っていたはずです。

 なのに……私の魔法を介して届くボルガンさんの声はそんなことを感じさせませんでした。

 私の魔法は文字や絵から書いた方のその時の意志が伝わってきます。

 手紙や紙、スケッチに手で触れると魔力を介して伝わってきました。

 でも、今は私はボルガンさんの血のメッセージに触れてなどいません。

 ただ目で眺めただけです。

 それなのに魔法が発現してしまいました。

 こんなことは初めてでありました。

 

 「……エックさん……駐在所まで行って来ます」


 「ん? ああ頼む。俺はあのおっさんのそばで待っておくよ」


 私は走り出しました。

 階段を駆け下り、玄関を飛び出します。

 悲しみ、怒り、驚き、色んな感情がぐるぐると頭の中で回ってしまいます。

 ボルガンさんの言葉を信じるならば、犯人は魔法使いです。

 そのことを警察の方やエックさんに言うべきなのはもちろん分かっています。

 けれどそんなことをすれば私も捕まってしまいます。


 魔法使い、であることはバレてはいけない。

 魔法使いは誰であれ処刑される。


 この世界の誰もが知っていることです。

 道路を走る私はまたしても涙を流してしまいました。

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