5 漆黒の屋敷と暗闇の主
月の光さえ乏しい暗闇を歩く怪物が一匹。いや二匹。ドルジ兄弟の足取りは重く、足の役目を担う弟のゴルジは、その一歩を踏み出すのも躊躇うほどだ。
「おい、ゴルジ!きびきび歩かねぇか!いい加減腹くくりやがれ」
そう怒鳴るドルジの声にも震えが混じる。
「俺たちゃ二度もやらかしちまったんだ。それ相応の罰が下るだろうよ。だが兄ちゃんに任せな。いい案がある」
二匹の前方で異様な威圧感を放つのは、この暗闇ではその輪郭がはっきりとしない漆黒の屋敷だった。地震でもあったのか窓という窓が割られ、石造りの壁は至るところで崩壊し、屋敷の二階部分はほとんどその面影がない。二匹は目の前の錆び付いた鉄の門扉に手をかける。門がギギギギと不快な音を立てて開き、二匹は荒廃した中庭を進む。この屋敷がこうなる前は、それはもう荘厳な見た目だったのであろうが、今は見る影もない。中庭も、以前は専属の庭師によって綺麗に刈り揃えられ、季節の草花が咲き乱れていたに違いないが、それも過去の栄光に過ぎない。
かろうじて崩壊を免れたエントランスに着いた二匹は、躊躇いつつも両開きの扉をゆっくりと開いた。屋敷の中は外よりもさらに暗く、湿度が高いのかジメジメとしており、かび臭い空気が流れ出てくる。二匹は恐る恐る中に入り音を立てないように扉を閉めた。と同時に、全身を締め付けるような重圧が二匹を襲った。
「ぐっ……。ががっ……」
それは上から押さえつけられるだけではなく、深海で押し潰されるペットボトルかのごとく、全方位からの圧力。心臓を鷲掴みにされるような恐怖。息は上手く吸えず、だらだらと冷や汗が止まらない。片ひざを付き、今にも意識が途切れようとしたとき、二匹はその苦痛から解放された。
「ハァハァ……」
二匹は肩で息をしながら、顎を伝う汗を拭う。
『こっちへ……』
頭痛を伴う、低く氷のように冷たい声がドルジの頭に直接響いた。まだ呼吸は荒く、全身の震えが止まらないが、ゴルジを無理やり立ち上がらせ、二匹は真っ暗闇を奥へと進む。
『止まれ……』
再び声が頭に響き、ふらつきながらも二匹はそこで足を止めた。眼前の闇は一層濃く、まるでそこから全ての闇が発生しているかのようにどす黒い。突然、二匹の両脇の篝火に炎が点り、辺りが少しだけ明るくなった。篝火が照らしだしたのは、二匹が立つ床よりも一段高く造られた円形の舞台と中央に置かれた中世ヨーロッパの王が座るような背もたれの長い豪華な椅子。そしてそれに座る人影。シンプルな黒のドレスを身に纏っていることから女性だと分かるが、心許ない灯りでは顔まではよく見えない。
「こ、これはこれは我が君。我が主。永久なる女王。御機嫌うるわしゅうございます」
『黙れ……』
ドルジのお世辞では効果がなく、二匹は再び押し潰されそうになる。
『ひざまづけ……』
二匹は無理やり両ひざをつかされたが、押し潰されまいと懸命に両腕で上体を支えている。
『なぜ戻ってきた……』
「お、お伝え、したいことが、ございまして……」
ドルジは息も絶え絶えに続ける。
「た、確かに、俺たちは、二度も、失敗しましたが、ゆ、有益な情報が、ありまして……」
そこまで話すと、二匹への締め付けが緩んだ。
『申せ……』
ドルジは呼吸を整えてから話しだした。
「俺たちが、捕らえ損ねた奴らですが、奴ら五人のうち二人が『授かりし者』でした。一人の行方は現在調査中ですが、もう一人は、三人の『持たざる者』と共に角の国へ連れてかれて、今頃角の国の奴らも『授かりし者』の存在に気づいている頃かと」
ドルジは一度そこで話を切り、目の前の主の反応を確かめる。
『それの……どこが……』
「ほ、本題はここからでして。どの国も『授かりし者』が二人もいることには気づいていねぇんで。しかも偶然にも奴ら、あっちじゃあ仲間だったようで、それも俺たちだけが知る情報なんでさぁ」
『どうしようと……言うのだ……』
「近づけねぇと、どっちが『鍵』か分からねぇんで、初めに逃がした奴をもう一度捕まえてきますんで。逃げた先もおおよその見当はついてます。今度はぜってぇに逃がさねぇ。んでもってそいつをエサにして釣れば、もう一人も楽に捕まえれるって寸法で……ががっ」
二匹にかかる圧力がより一層強まる。
『二度も逃したお前が……また捕まえるだと……』
もはや二匹は地面にめり込むほどに押し潰されている。
「こ、今度こそ、今度こそは、ぜってぇに、失敗しねぇんで。た、魂に誓って……」
『魂か……。ふっ、良かろう……』
ふっと、今までのが嘘だったかのように二匹を襲う圧力は解かれたが、うつ伏せのまますぐには立ち上がれないでいた。
『失敗したときは……誓いの通りお前の魂をもらうぞ……』
「お、仰せのままに」
『念のためだ……残骸を十匹ほど連れていけ……』
「あ、ありがたき……」
『行け……』
その言葉を最後に篝火の炎が消え、辺りは再び闇に包まれた。二匹はゆっくりと立ち上がると、フラフラと覚束ない足どりで外に出た。二匹の背後で勢いよく扉が閉まり、カチャリという鍵が閉まる音がした。
「行くぞゴルジ。牙の国へ」
ドルジの甲高い声には、恐れと覚悟が入り交じっている。二匹は急ぎ足で、命からがら屋敷を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます