第4話 赤い糸と黒い糸は堅く結び合う(3)

「はぁい?」

「何故、あの時一人で勝手に持ち場を抜け出したんだ?」

 突然、幸せの絶頂に佇んでいた薫の足場が小さくカラリと崩れる。


 ギクギクッと身体が強張り、「えっ、えっと……」と目が右へ左へとバシャバシャと泳いだ。


 ……い、言えないわ。勝手に持ち場を抜け出しただけでも叱責ものなのに、その理由が躍っていた二人を見て嫉妬したからなんて。言えないわ、口が裂けても言えないわよ。


「そ、それはですね……あのぉ」

 薫は上手い言い訳を必死にひねり出すが。その前に「何故だ、言え」と、有無を言わさぬ声で重ねられてしまった。


 その為に、薫は直ぐさま「教官が東雲嬢と躍っていたからですっ!」と、明かす事に憚りを持っていた事実を吐き出す。


 い、言っちゃった。で、でも言わなきゃ、逆に怒られると思うから。仕方なかったわ、うん、仕方なかったのよ……。

 押し寄せる罪悪感と後悔に、薫は「仕方ない事よ」と白状してしまった自分を宥める。


「俺が東雲嬢と躍っていたから?」

 雅清はしゅんと肩を落とした薫に向かって、確認する様に繰り返した。


 その繰り返しに、薫は「そうです」と弱々しく頷く。

「ファーストダンスって言うのは婚約が決定している二人が行うみたいな事を聞いた事があったので『嗚呼、本当に二人は結婚するんだ』って、悲しくなっちゃって。それに何よりお似合いでしたから」


「そんな事で、持ち場を離れたのか?」

「そんな事って、恋する乙女にとっては結構傷つくものなんですよっ!」

 解せないと言わんばかりに眉根を寄せて腕を組む雅清に、薫は唇を尖らせて反論を噛ました。すると


「そうだったのか。なら、俺が悪かったのだな。本当にすまなかった」

 と、思いも寄らぬ謝罪がしっかりと紡がれる。


 枢木教官が「それでも一人で抜け出すなっ!」って怒るんじゃなくて、「悪かった」って謝るなんて何事……?


 薫は「えぇ?」と呆気に取られてしまうが。雅清はそんな薫に気がつかず、「でも、一つ言わせてくれ」と、弱々しい口調で言葉を続けていた。

「仕事があるからと断ったんだが。東雲嬢に恥をかかせる訳にもいかなかったし、怜人にも「今は躍るしかない」と窘められて仕方なくの事だったんだ」

「そ、そうだったんですか」

 呆気に取られたままではあったが。薫は紡がれた弁明をまっすぐ受け取り「それなのに、私ってば……申し訳ありませんでした」と、謝罪を述べた。


 雅清は「いや、お前が謝る事はない」と、優しく口元を綻ばせ、握りしめている薫の手をキュッと優しく握り直す。


「それに俺は、もうこの手しか取らないから。安心してくれ」

「く、枢木教官」

「そこは名で呼ぶ所だぞ、薫。今の俺は教官じゃないからな」

 瞬く間に、呆然としていた心がきゅううんと深まるトキメキに塗り変わった。


 その加速ぶりについていけず、薫はボンッと上気し、パクパクッと何度も口を開閉させる。


「む、むむ、無理です。こんな急に、そんな笑顔で促されても」

 やっとの想いで、パクパクと繰り返す口から、あまりにも素っ頓狂な声がか細く震えながら発せられた……が。


「お前、始めの頃は平気で名前呼びしてただろ。あと、偶に呼んでいなかったか? 雅清さんって」

「今は教官・隊長歴が長すぎて無理ですし、その時は危機的状況で咄嗟に出たやつですからっ!」

 それに、こう、羞恥心が襲ってくるのでっ! と、薫は呆れ混じりに打ち返す雅清に全身をわたわたとさせながら噛みついた。


 するとまたも、雅清の口から「お前なぁ」と呆れたため息が吐き出される。

「結婚したら必然と名前呼びになるんだから、そんな恥ずかしがる事じゃないだろ」

「けっ、結婚? !」

 薫は目をカッと大きく見開き、大絶叫をあげた。そればかりか、信じられないと言わんばかりの顔で雅清を見つめ「結婚なんて、誰と誰が」と、口早に突っ込む様に訊ねる。


 雅清は急な大興奮を見せる薫にやや面食らいながらも「するだろ? 俺とお前が」と、優しく答えた。


 その答えに、薫の興奮が格上げされ「わっ、私と! ? ほっ、本当ですかっ!」と、土御門邸を大きく揺るがす程の声が弾け飛ぶ。


 雅清はその声に苦笑を浮かべながら「あぁ、駄目だったか?」と、問いかけた。


 その問いに、直ぐさま「駄目な訳ないじゃないですかっ!」と、猛々しい突っ込みが噛みつく。

「断る理由なんて何一つない位に、幸せな提案なんですからっ!」

 薫は大興奮をそのままぶつける様に訴えた。


 雅清はその大興奮に「そうか、なら良かった」と、フッと笑みを零してから「でも、今すぐと言う訳じゃないからな」と、釘を刺す。


「お前が中尉になったら位の話だ」

 幸せから一転。薫は淡々と告げられた事実に愕然とし、「中尉なんて、今の私じゃ総帥になる位の壁があるんですけれど」と、大きく肩を落とした。


 だが、雅清は「頑張れ」と端的に打ち返し、彼女の嘆きを一蹴する。


 ……この鬼教官め。鬼畜過ぎるわよ。頑張れの一言だけであとは取り合わないって、どういう事よ!

 中尉なんて遠すぎる。と、紡いでいた悲嘆が、ガラリと禍々しい恨み言に変わった。


 悲嘆の時よりもつらつらと速い速度で、内心に恨みが募っていく……が。


「勿論、お前が頑張っている間に俺も頑張る。だから共に頑張っていこう」

 優しい声音が紡ぐ力強い宣言と、ポンッと優しく頭を撫でる手に、薫の恨みは直ぐさまピタッと止まった。


「枢木教官が頑張る? 教官は、もう何も頑張る事なんてないじゃないですか。地位も名声もあるし、充分強いし」

「そんな事はない。俺はまだまだ弱い、それを此度の一件で痛感した」

 雅清は薫の言葉を力強く否定し、グッと苦々しい面持ちで吐露する。


「今回は葛の葉や竜胆、お前に付く式神達が居たおかげでお前を救えた。だからその力がなくとも、影王を止められる力をつけておきたい。最低でも、囲う闇からお前を引き上げられる力は持っておきたい」

 そうでないと、花影の夫としてお前の横に立てないからな。と、微苦笑を浮かべて告げた。


 その宣誓に、薫の胸にぎゅううっと熱い想いが駆け広がっていく。


 花影を罵るでも、気持ち悪いとも受け取らなくて。影王がついて居ても、いつだって彼は私を私として見てくれて、こんな私を優しく受け止めて、護ってくれる。


 ……嗚呼、もう本当に好き。大好き、大好き、大好きっ!


 こんなにも想ってくれる愛しい人の想いに、何一つとして応えない訳にはいかないわっ!


 薫はキュッと唇を結び直してから、「雅清さん!」と声を張り上げた。


「私、頑張ります! 絶対に、絶対に中尉になってみせますっ!」

 朗らかに、そして高らかに告げられた宣言に、雅清は顔を柔らかく綻ばせる。


 そしてつつつと流れる様に頭に置いていた手を首元に下げ、ぐいっと薫の顔を自身の方へ引き寄せた。


「その時が来たら、結婚しよう」

 眼前で甘く囁かれる、プロポーズ。

「ハイ」

 喜びと嬉しさでいっぱいに緩んだ口で答えるや否や、薫の唇は甘く塞がれる。


 惚けて、蕩けて、二人の世界は幸せに溶け合ったのだった。

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