第7話 待ちに待ったデェトの日!(1)
いよいよ、今日が! 待ちに待ったデェトの日!
薫はバッと身体を跳ね上げる様にして起こすと、急いで髪に櫛を入れてから、ダッと台所に向かって駆け出した。
そしてちらほら起きだしてきて、食堂に顔を出す面々を抜けながら台所に飛び込み、使っても良いと言われた場所に滑り込んだ。
「良いか、まずは弁当だ。東雲嬢の豪勢な弁当とは違う味を出して、枢木隊長の胃袋を掴め!」
ぐわっと意気込む隆久が命じる姿が脳裏に蘇り、薫は「ハイッ」と小さく答えてからいそいそと弁当作りに取り組む。
隊一番の料理上手、村井先輩の元で修行を積んだ日々を思い出して……とびきり美味しい弁当を作ってみせるわ!
憤然とした薫は、まず卵焼きに取りかかった。
卵をぱかっ、ぱかっとぼうるに割り入れる……が。
「あっ、殻が入っちゃった! 早く取らないと!」
わたわたと殻を取り出すと、カチャカチャと素早く菜箸で溶き始める。
しかしまたすぐに「わっ、零れたっ!」と呻きを零し、小さなフライパンを用意して油を引こうとすれば「わわっ、多すぎたっ!」と悲鳴をあげ、熱々になったフライパンにじゅっと卵を流し入れると「入れ過ぎちゃったわ! どうしよう!」と涙声になり……卵焼き一つで、悲鳴や叫びが断続的にあげられていた。
四苦八苦して作り終えると、黄身と白身が美しく混ざり合って生まれる黄色の衣はぼろぼろに剥がれ落ちているばかりか、
「ま、まぁ。卵焼きは修行でも上手く作れた試しがないからね。うん、まぁ、こんなもんよ」
薫は訥々と目の前の卵焼きもどきに言い訳を述べてから、「次っ!」と颯爽と次のおかずに取りかかる。
だが、やはりどんなおかず作りでも悲鳴や呻きが弾けた。それも一つにつき一つと言う配分ではない。一つにつき、最低でも五回は「ああっ!」と悲痛な声が弾け、「これ、作り直した方が良いかしら?」と言う不穏な言葉も呟かれる位だった。
だが、何はともあれ、薫は二人分の弁当箱に手作りのおかずを詰める事に成功する。
「桜でんぶの乗ったご飯、卵焼き、唐揚げ、ほうれん草のおひたし、ジャガイモの煮っ転がし、トマト」
ビシッ、ビシッと作り上げたおかずを指さしていくと。薫の顔は「うーん」と苦々しく歪んだ。
ほうれん草のおひたしは上手く出来た気がするけれど。か、唐揚げがほとんど真っ黒だわ。それに卵焼きも焼きが甘かったのか、丸めるのが下手くそだったのか。包丁入れたら結構崩れちゃったし……。こんな弁当で大丈夫かしら……いや、あんまり大丈夫じゃない気がするわ。
顔に広がる苦みが、益々深刻になっていくが。刻一刻と待ち会わせ時間に迫っていく時計によって「ま、まぁ。愛情はたっぷりだから!」と、広がっていた悩みと苦みに終止符が打たれた。
薫は「よしっ!」と蓋をギュッと押し込み、パチンと紐で抑えてから風呂敷に包み込む。
そして包み込んだ弁当を大切そうに抱きしめて、薫は使わせてもらっていた台所から出て行った。
次は着替えと化粧ね! 葛の葉、もう準備万端かしら?
薫は今頃自室で待ち構えている葛の葉の姿を想像しながら、スタスタと足早に歩を進めた。
葛の葉は、有事の時のみに姿を現す監視式神だが。このデェト作戦に、彼女も参加する事になったのである。
これには、男達が服と化粧と言う難点にぶつかり「そんな所までは知らねぇからなぁ」と、お手上げ状態に陥った背景があった。「どうした方が良いのか?」と悩んでいた時に、薫が「そこは知り合いに当たってみます、良い人が居るんです!」と、葛の葉に白羽の矢を立てたのである。
「葛の葉、話を聞いていたわよね?」
彼等の会議から、戻った薫は直ぐさま葛の葉を呼び出して問いかけた。
姿を現した葛の葉は「勿論でございます」と、口元をにこやかに綻ばせて首肯する。
「お嬢様、この葛の葉に一切をお任せ下さい。必ずや、枢木様がお嬢様の魅力により惹かれる容相へと仕立ててみせましょう」
葛の葉は言うや否や、パチンと華奢な指を滑らせ、ポンッポンッとどこからともなく服を取り出した。
和装だけでなく洋装まで揃えており、そのどれもが上質で実に見事な誂え。そして薫の良さを際立たせる鮮やかな色合いばかりであり、薫の意向に沿った形ばかりであった。
「凄いわ、葛の葉。こういう事で貴女の右に出る者は、この世にいないわね」
「もったいのうお言葉にございます」
葛の葉は婉然と謙ると、「さぁさ、お嬢様」といそいそと薫に服を合わせ始める。
「如何致しましょうか。お嬢様のお体には、洋装であれ和装であれ、大変お似合いになると思いますが……葛の葉と致しましては、お嬢様は和装の方がよろしいかと」
薫は葛の葉の笑みに含められた真意に気がつき、ハッとして「そ、そうね。流石、葛の葉だわ」と頷いた。
その頷きに、葛の葉は「では」と微笑み、パチンと指を鳴らして洋装を消してからぽんっぽんっと新たに上質な着物を薫の前に並べる。
「この他にも、まだ沢山ございますので。お嬢様のお気に召す一着が見つかるまで、じっくりと選びましょうね」
そうして服を決めると、化粧と髪結いは葛の葉に当日一任すると言う流れになったのだ。
「早く行って用意してもらわなくちゃ!」
薫はできたての弁当をギュッと抱きしめながら、階段を駆け上る。
その時だ、「「あっ」」と驚きの一言が重なった。
「柚木」
「おはようございます、枢木教官」
薫は前から急いで駆け下りてきた雅清に挨拶を述べるが、すぐに「あれ?」と小さく戸惑いを零す。
「せ、制服で出かけるのですか?」
いつもの軍服姿に困惑しながら問いかけると、雅清から「すまん」と苦しげな謝罪を述べられた。
「火急の用が入ってしまった。終わり次第すぐに戻ってくるつもりだが、午前のうちに戻るのは厳しいだろう。本当にすまん」
滔々と流れる言葉に何一つ付いて行けず、薫は「え、えぇ?」と呆気に取られる。
だが、雅清はそんな薫に一言一句説明する時間もないと言う様に小脇を駆け抜け、颯爽と昇降口へと向かっていってしまった。
その姿で、ようやく薫は目の前の事態を飲み込み「ま、待って下さい!」と、声を張り上げて駆ける足を慌てて引き止める。
「今日は非番だったじゃないですか! それなのに火急の用って、一体どんな用事ですか! 先に約束したのはこっちですよ! ?」
ギュッと風呂敷を抱きしめながら詰問すると、雅清はくるりと振り返った。
そして目を伏せながら「本当にすまない」と、謝罪を述べる。
「次の非番には必ず」
「そうじゃなくって! 一体どうしてですかって、私は聞いているんです!」
もう謝罪も結構ですから訳を話して下さいよっ! と、薫は前からの言葉をバッサリと遮って、声高に責め立てる。
「……それは」
「雅清様っ!」
口ごもる雅清の言葉に重なる様にして、可愛らしくも切羽詰まった声が彼の背後から飛んだ。
そして立ち止まる雅清の後ろから、タタタッとドレス姿の優衣子が慌てて駆け寄ってくる。
薫はいつも以上に可愛らしく整えられた彼女の姿にハッとして、呆然と彼女を見つめた。
現れた優衣子は雅清を一瞥してから、薫の方をまっすぐ捉えて「ごめんなさいね、薫さん」と申し訳なさそうに眉根を寄せる。
「雅清様は、私と急いで出かけなければいけませんの。ご用件でしたら、また帰ってきてからにしてくださいます?」
優衣子はおずおずとしながらも、きっぱりとした口調で口早に告げてから、立ち止まる雅清の腕を「さぁ、お早く!」と引っ張った。
その姿に、プツンッと弾ける。薫がひたすら大切に持ち続けていたものが、パンッと堪らずに弾けてしまったのである。
嗚呼、何だ。そういう事……。
薫はグッと奥歯を噛みしめ、雅清をギロリと睨めつけてからクルッと背を向け、一気にダッと駆け出す。
「柚木っ!」
雅清の口から鋭い声が飛ぶが、いつもはすぐに止まるはずの足が止まらなかった。それどころか、更にその足は加速し、どんどんと彼から離れていく。
どこに向かっているのか、薫は分からなかった。ただひたすら、彼等から離れていきたかったのだ。
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