第6話 東雲優衣子の想い

 東雲優衣子は、父があまり好きではなかった。穏やかでおっとりとした優衣子と比べて、彼女の父・誠造せいぞうは常にピリピリと苛立ち、ズバズバと物を言う御仁であった。


 そうした性格の差異もあるのだが、彼女が一番に父を厭う部分は家での姿である。


 長らく家を空け、顔を合わせない事が多いにも関わらず。家ではひどく尊大になって彼女や彼女の母に喚き散らし、口を挟んで欲しくないと思う所でいつも詰め寄ってくるのだ。


 だからこそ優衣子は彼を厭う様になり、なるべく顔を付き合わせない様にしているのだが。運悪く、彼女が聖陽軍基地から帰宅すると、彼の姿がそこにあり、自然と話をする流れになってしまったのだ。


 優衣子は嫋やかな所作で手にした、紅茶が入ったティーカップにふーっと息を吹きかける。


 もくもくと立っていた白煙が、ゆらりゆらりと大きく揺らめいた。

 彼女は小さくカップを傾けて一口飲み、音を立てずにカップを受け皿に置く。


「それで……お父様、お話とは一体何の事ですの?」

「決まっているだろう、お前と枢木中佐の事だ」

 誠造は物々しく告げてから、「優衣子」と彼女を厳しく射抜いた。


「私はね、嫁入り前のお前をあんな所には行かせたくはないのだよ。とは言え、そのおかげで彼もお前に惹かれたのも事実だろう。だからいい加減、縁談を纏めるべきじゃないのか」

「……惹かれた、のでしょうか?」

 優衣子は小さく息を吐き出し、憮然と腕を組む父親を弱々しく見つめる。


「お父様。私、雅清様のお心がすでに別の所にある気が致しますのよ」

「馬鹿を言うな、お前ほどの良い女に惹かれない男がいるものか」

 誠造は「全く、お前は昔からうじうじと考え過ぎなのだよ」とピシャリと言い返した。


 だが、それでも優衣子は「でも」と弱々しく食い下がり続ける。

「今度の非番の日にだって、一緒に過ごせませんわ。私、雅清様と一緒に過ごしたかったのですけれど。先約があるからと、お断りされてしまいましたの」

「先約だと? どうせ下らん事のくせに、そんなものでお前の誘いを断ったと言うのか!」

 ぐぐっと一気に誠造の目が吊り上がり、ぐわっと気色ばみ始めた。


「軍人風情に、いつまでも大きい顔をさせる訳にはいかん!」

「で、でもお父様。私の事で、彼の先約を潰してしまうなぞいけませんわ」

 優衣子は怒り心頭になり始める父をおどおどと宥めるが。「駄目だ!」と、彼女の弱々しい宥めを一蹴し、誠造は憤然といきり立った。


「優衣子、奴の非番はいつだ! 言え!」

 優衣子は目の前の剣幕にビクリと身体を縮込ませて、「あ、明日のはずですわ」と白状してしまう。


 日付を聞いた誠造は「よし!」と息巻き、優衣子にニコリと笑みを向けた。


「安心しなさい、優衣子。私があの男と終日過ごせる様に計らってやる」

 数秒前の怒声とはガラリと打って変わった、不気味な程に優しい声音。


 そんな甘い囁きに、優衣子は「どうしましょう」と佇んでしまう。


 このままでは、私のせいで雅清様の先約を潰してしまう事になってしまう。そうすればきっと雅清様は私の事をあまり良く思わなくなってしまうかもしれないわ。


 ぶわりと罪悪感が広がるが、彼女の心にふつと想いが湧いた。


 ……でも、私、雅清様と過ごしたい。出来るならば、二人きりで過ごしたいわ。


 ぐーっと込み上げる想いに押し上げられ、優衣子は「お願いしますね、お父様」と頼み込んでいたのだった。

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