第6話 突然の婚約騒動(1)

 く~、朝練がない朝って本当に最高。それだけでもかなり幸せな始まりなのに、こうして食堂から香ばしく漂う味噌汁の良い匂いよ……う~ん、最高。


 薫はうーんと背筋を伸ばしながら、食堂に入っていく。


「おはようございまぁす」

 幸せに満ちた声でふわぁんと挨拶した、刹那。ダダダッと荒々しい足音が徐々に接近し、「おいっ! 大変な事になったぞ!」と、目の前で悲鳴混じりの大声を浴びせられた。


 薫は突然の猛々しい囲いにビクッと飛び跳ね、幸せな夢見心地の気分が引き裂かれてしまう。

「あぁ、もう、ビックリしたぁ。先輩達、朝っぱらからそんなに騒がないでくださいよ」

「そんな悠長な事を言ってる場合か!」

 囲いの中央に居る岡田史彦が薫の批判じみた文句をピシャリと封じてから、「見ろ、コレ!」と荒々しく薫の眼前に突きつける。


「今朝の朝刊? え~岡田先輩、新聞取って読む人だったんですね。意外です」

「あぁ、俺ってこう見えても実は結構知的で……って、そうじゃねぇんだよ!」

 関東出身ながらも、史彦は立派なノリ突っ込みをしてから「さっさと読め!」と、バシバシッと紙面を叩いた。


 薫は「はいはい」と小さく肩を竦めてから、「どれどれ」と読み始める。

 が、その紙面全体に目を通すまでもなく、でかでかと飾られた大見出しの一文で絶句し、一気に顔から血の気が失せた。

東雲優衣子しののめゆいこ嬢がご婚約、お相手はあの氷炎の貴公子・枢木雅清……?」

 先程まで感じていた幸せが内から霞となって消え失せると、新たに絶望がどっしりと空いた座席に居座る。

「嘘」

 薫はボソリと呟く様に吐き出すと、史彦は「俺等もよく分かんねーんだよ」と慰める様に答えた。


 その慰めに続き、彼女を囲っている面々が次々と口を開き始める。

「こんな浮ついた話は間違いだと思うけどなぁ」「そうそう、柚木がウチに来てから殊更女泣かせになってるからな」「んな。だから女嫌いで男好きって言うとんでもない噂も飛び交う位だ」「だからコレも何かの間違いだと思うが」「お相手が、あの内務大臣のご息女だからなぁ」「どうなんだろうなぁ」

 徐々に不穏混じりになってくる声達に、薫にのしかかる闇が更にズシンと重さを増し始めた。


 すると「先輩等」と、囲いの少し後ろから声が飛ぶ。

「それじゃあ、慰めになってませんよ。薫の不安を煽ってるだけですって」

 皆がバッと声の飛んだ方を見つめると。数多の視線を一身に集めた篤弘は、薫だけをまっすぐ見つめて言った。


「こんな文字じゃなく、俺はあの人の口から並ぶ言葉を信じる。だからお前も、あの人から話を聞くまでこんな話を鵜呑みにすべきじゃない」

「……篤弘」

 薫は前からまっすぐ飛んで来た言葉に、胸をグサリと貫かれる。


 嗚呼、そうよ。篤弘の言う通りだわ。こんな新聞なんかより、私はあの人の口から語られる真実を信じるべきだし、あの人から語られるまで落ち込むなんてすべきじゃないのよ。


 薫は生まれた絶望を「情けない!」と一喝してから、外へと叩きだした。

 そしてキュッと唇を結んでから、自分の間違いを正してくれた同期をまっすぐ見据える。

「ありがとう、篤弘」

「いやぁ、お前格好良いじゃねぇか!」「流石、枢木隊長大好きっ子だな!」「でも、コレでお前がモテる理由が分かった気がするわ」「まぁ、そう言う訳で柚木! 前を向こうぜ!」「おい、後輩の格好いい言葉が台無しだろ!」

 薫の感謝に続く、朗らかな野次。そんな野次に囲われ、篤弘は「辞めて下さいよ」と照れ臭そうにいなし続ける。


 緊急事態に切羽詰まっていた枢木隊が、朗らかに団らんし始めた。

 その時だった。


「全く、食堂でこんなに騒ぐなんて。ウチの隊は本当に賑やかになったものだね」

 薫の背後からヌッと現れた怜人の姿に、騒いでいた面々は皆飛び上がり、薫を生け贄に差し出す様にしてからザッと整列した。


 押し出された薫は「ちょっと、ズルいわよ!」と先輩達に噛みつきながらも、「お、おはようございます! 柊副教官!」と挨拶を述べる。


 怜人は「うん、おはよう」と苦笑交じりに返してから、一気に息を潜めて顔色を悪くする自隊の面々を見据えた。


「それにしても何の騒ぎだったのかな? まぁ、柚木さんが居るから雅絡みだよね?」

 雅が今この場に居なくて良かったね、お前達。と、薫の背後に冷ややかな眼を向ける怜人。


 そんな怜人にヒュッと息を飲んでから、おずおずと「い、いやぁ、あの実はですねぇ」と、新聞を手にしている史彦が切り出した。


「ほ、本日の朝刊に、こ、こんな記事が一面となっておりまして……そ、それで、こ、この騒ぎになっていた次第でして」

「記事?」

 怜人は怪訝に眉根を寄せて、差し出された朝刊を受け取る。そして「わお」と小さく驚きを零した。


 その姿に、薫は「あれ?」と首を傾げ、「あ、あの」とおずおずと切り出す。

「ひ、柊副教官もご存じなかったのですか?」

「う~ん、知っている様で知らなかったって所かな」

 何とも曖昧な言い方に、薫の傾げた首は更にカクンッと角度が付けられ、顰められた眉根も更にギュッと寄った。


「どういう事ですか?」

 怪訝一色に染まった問いかけに、怜人は「うーん」と苦笑を浮かべて答える。

「昨日の夜にね。雅が総帥に呼び出された後に俺の部屋に来て、ちょっと話をしたんだけどさ。その時に」

「これは一体、何の騒ぎだ」

 怜人の苦々しい答えに、物々しい威圧が重なった。

 

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