不遇な聖女が死んだ、その後。
ごろごろみかん。
飼い殺される運命
その日、ステラティア公爵家の邸宅は炎に包まれた。
火は三日三晩消えず、ようやく火が消えた頃──あることが明らかになった。
公爵家の次女。
【聖女】グレースの妹、ソフィアの部屋は血で赤く染まり、さらには彼女の姿が見当たらなかったのだ。
この報告を受けた公爵は、事件をこう振り返る。
『あの娘は、憐れで不遇な少女だった。病弱で表に出ることもできず──ならず者の手に落ちてしまうとは。こんなに悲しいことはない』
公爵の涙ながらの告白に、社交界は沈痛な雰囲気に包まれた。
だから、だれも気づかなかったのである。
ソフィアの安否を誰よりも案じるているように見える公爵が、実はそれが娘を思う親心からではなかったこと。
そして──公爵家の邸宅に火を放ったのがソフィア本人である……ということもまた、知られていないのである。
☆
私はその日、お父様に書斎に呼び出されていた。
いつも、私は地下室で生活している。久しぶりのお日様の明るさに、私は眩しくて目を細めた。
書斎に向かうと、お父様が手を組んで私を待っていた。
「ソフィア、お前は今年で十五歳になったな」
「……はい」
このひとは、便宜上私の【お父様】ではあるが、彼を父だと思ったことはなかった。
私にとってこのひとは、この家の権力者、私に命令するひと。私に逆らう権利はなく、私はいつも彼に何を言われるのかとびくびくするだけだ。
それが、私、ソフィア・ステラティアの日常。
物事ついた時から、私は外から隠されるようにして生活していた。
私は生まれつき体が弱く、体調の優れない日が多い。酷い時は、ベッドから起き上がることもできなかった。
今も、体調は万全とは言い難いけれど、お父様の呼び出しには逆らえない。
結果、私はふらつきながらも書斎を訪れたのだ。
お父様は私が微かな声ながらも返事をしたことに満足そうに頷き、さらに言う。
「本来ならお前は社交デビューを果たす年齢だ。だが、お前にそれはできまい」
「…………はい」
お姉様とお母様が楽しそうに参加する舞踏会。
私も、いつか参加したいと夢見たことがあったけれど、それが無理なのはよくわかっている。
そもそも私の体は、夜会に参加できるほど健康ではない。
(それでも……夜会、行ってみたかったな……)
落ち込みながらお父様の話を聞く。
彼の話は、それだけではなかった。
「そして、お前の結婚の話だが」
「!」
私は驚いて顔を上げた。
(けっ……こん?)
私が?思わぬ言葉に瞬きを繰り返す。
自分が結婚など、考えたこともなかった。
驚いた私を見て、お父様が険しい顔で言う。
「諦めなさい。お前に結婚は無理だ」
「え……」
「その体ではどこにも嫁げまい。それに、出来損ないのお前を貰ってくれる家があるとでも?」
「そ、れは」
……お父様の言う通りだ。
私は、体はこんな状態だし、まともに外に出たことすらない。ステラティア家のお荷物に過ぎないことは、私がいちばんよく理解している。
そもそも私は、純粋な貴族ではない。
私の生みの母は、平民だったという。
お父様が視察先で、たわむれに遊んだ女性。それが、私のほんとうのお母様だ。
私の実の母は、お父様と別れてから半年ほど経ったあと、ステラティア公爵家を訪れたという。
彼女は金銭を求めた。
『子ができた。このことを新聞社に売られたくなかったら、金をよこせ』と彼女は言ったらしい。それにうんざりしたお父様は、私をステラティア公爵家で面倒を見るのと引き換えに、女性を追い払ったらしい。
もちろん、じゅうぶんな手切れ金を彼女に持たせた上で。
そういった経緯があって、当時お姉様を妊娠していた公爵夫人は私と、私の母を憎みに憎んだ。
公爵夫人にとって私と、私の実の母は、お父様──公爵を奪った憎き相手なのだ。
それでもお父様が約束した以上、私を邸宅から追い出すことはできなかったらしい。
私は、その日から地下室で過ごすようになった。
幼すぎて、実の母との記憶はまったくない。
気がついたら私は、この家の地下室にいた。
ステラティア公爵家にとって、私は汚点にしかならないのだ。
こんな娘をもらいたいと望むひとなど、確かにいないのだろう。
それでも──いつかは。
いつかは、誰かに求められ、結婚し、この家を出られると思っていた。
息苦しいこの家から逃れ、穏やかで平穏な、幸福を、私も……私
淡い期待を抱いていた。
それも無駄なものだったと、今になって思い知ったのだけど。
沈黙する私に、お父様はさらに言う。
どこか、満足したように。
「安心なさい。お前がいくつになろうとも、この家にいてかまわないから」
それは、一見優しいように聞こえる言葉だ。
だけど私は知っている。
お父様もまた、私を疎んでいること。
お父様は、お母様に私のことで責められるといつも
『仕方ないんだ。あの子を家から追い出すことはできないのだから』
と答えている。
そして、時々地下室に訪れては
『もっと妻とうまくやらないか。グレースとも仲良くするように。グレースは、お前と違い由緒ある貴族の血を引いているのだからな。お前みたいな、どこの馬の骨ともしらない血を引く女とは血筋が違うんだ。わかるな?』
と私に諭す。
私にとって【お姉様】とは、文字通り私の姉、という存在ではなく、私にとって誰よりも気を使い、敬わなければならない相手だった。
(私は……私は、この家で飼い殺されるんだ。死ぬまで、ずっと……ずっと)
何年、何十年と私はこの家にいるのだろうか?
いなければ、ならないのだろうか。
お姉様が結婚し、婿養子を取って……子供が生まれて。
それでも私は、地下室で生活しなければならない?
(そんなの……)
そんなの、嫌だ。嫌すぎる。
私は、胸がきりきりと掴まれたような意味を感じた。
(逃げたい……)
この家から。
でも、どこに逃げるの?
私は、絶望した思いに囚われた。
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