不遇な聖女が死んだ、その後。

ごろごろみかん。

飼い殺される運命



その日、ステラティア公爵家の邸宅は炎に包まれた。

火は三日三晩消えず、ようやく火が消えた頃──あることが明らかになった。


公爵家の次女。

【聖女】グレースの妹、ソフィアの部屋は血で赤く染まり、さらには彼女の姿が見当たらなかったのだ。

この報告を受けた公爵は、事件をこう振り返る。


『あの娘は、憐れで不遇な少女だった。病弱で表に出ることもできず──ならず者の手に落ちてしまうとは。こんなに悲しいことはない』


公爵の涙ながらの告白に、社交界は沈痛な雰囲気に包まれた。


だから、だれも気づかなかったのである。

ソフィアの安否を誰よりも案じるているように見える公爵が、実はそれが娘を思う親心からではなかったこと。


そして──公爵家の邸宅に火を放ったのがソフィア本人である……ということもまた、知られていないのである。









私はその日、お父様に書斎に呼び出されていた。

いつも、私は地下室で生活している。久しぶりのお日様の明るさに、私は眩しくて目を細めた。

書斎に向かうと、お父様が手を組んで私を待っていた。


「ソフィア、お前は今年で十五歳になったな」


「……はい」


このひとは、便宜上私の【お父様】ではあるが、彼を父だと思ったことはなかった。

私にとってこのひとは、この家の権力者、私に命令するひと。私に逆らう権利はなく、私はいつも彼に何を言われるのかとびくびくするだけだ。


それが、私、ソフィア・ステラティアの日常。

物事ついた時から、私は外から隠されるようにして生活していた。

私は生まれつき体が弱く、体調の優れない日が多い。酷い時は、ベッドから起き上がることもできなかった。


今も、体調は万全とは言い難いけれど、お父様の呼び出しには逆らえない。

結果、私はふらつきながらも書斎を訪れたのだ。


お父様は私が微かな声ながらも返事をしたことに満足そうに頷き、さらに言う。


「本来ならお前は社交デビューを果たす年齢だ。だが、お前にそれはできまい」


「…………はい」


お姉様とお母様が楽しそうに参加する舞踏会。

私も、いつか参加したいと夢見たことがあったけれど、それが無理なのはよくわかっている。

そもそも私の体は、夜会に参加できるほど健康ではない。


(それでも……夜会、行ってみたかったな……)


落ち込みながらお父様の話を聞く。

彼の話は、それだけではなかった。


「そして、お前の結婚の話だが」


「!」


私は驚いて顔を上げた。


(けっ……こん?)


私が?思わぬ言葉に瞬きを繰り返す。

自分が結婚など、考えたこともなかった。

驚いた私を見て、お父様が険しい顔で言う。


「諦めなさい。お前に結婚は無理だ」


「え……」


「その体ではどこにも嫁げまい。それに、出来損ないのお前を貰ってくれる家があるとでも?」


「そ、れは」


……お父様の言う通りだ。

私は、体はこんな状態だし、まともに外に出たことすらない。ステラティア家のお荷物に過ぎないことは、私がいちばんよく理解している。


そもそも私は、純粋な貴族ではない。

私の生みの母は、平民だったという。

お父様が視察先で、たわむれに遊んだ女性。それが、私のほんとうのお母様だ。


私の実の母は、お父様と別れてから半年ほど経ったあと、ステラティア公爵家を訪れたという。

彼女は金銭を求めた。

『子ができた。このことを新聞社に売られたくなかったら、金をよこせ』と彼女は言ったらしい。それにうんざりしたお父様は、私をステラティア公爵家で面倒を見るのと引き換えに、女性を追い払ったらしい。

もちろん、じゅうぶんな手切れ金を彼女に持たせた上で。


そういった経緯があって、当時お姉様を妊娠していた公爵夫人は私と、私の母を憎みに憎んだ。

公爵夫人にとって私と、私の実の母は、お父様──公爵を奪った憎き相手なのだ。


それでもお父様が約束した以上、私を邸宅から追い出すことはできなかったらしい。

私は、その日から地下室で過ごすようになった。


幼すぎて、実の母との記憶はまったくない。

気がついたら私は、この家の地下室にいた。


ステラティア公爵家にとって、私は汚点にしかならないのだ。

こんな娘をもらいたいと望むひとなど、確かにいないのだろう。


それでも──いつかは。

いつかは、誰かに求められ、結婚し、この家を出られると思っていた。

息苦しいこの家から逃れ、穏やかで平穏な、幸福を、私も……私でも・・掴めるのではないか……と。


淡い期待を抱いていた。

それも無駄なものだったと、今になって思い知ったのだけど。


沈黙する私に、お父様はさらに言う。

どこか、満足したように。


「安心なさい。お前がいくつになろうとも、この家にいてかまわないから」


それは、一見優しいように聞こえる言葉だ。

だけど私は知っている。

お父様もまた、私を疎んでいること。


お父様は、お母様に私のことで責められるといつも


『仕方ないんだ。あの子を家から追い出すことはできないのだから』


と答えている。

そして、時々地下室に訪れては


『もっと妻とうまくやらないか。グレースとも仲良くするように。グレースは、お前と違い由緒ある貴族の血を引いているのだからな。お前みたいな、どこの馬の骨ともしらない血を引く女とは血筋が違うんだ。わかるな?』


と私に諭す。

私にとって【お姉様】とは、文字通り私の姉、という存在ではなく、私にとって誰よりも気を使い、敬わなければならない相手だった。


(私は……私は、この家で飼い殺されるんだ。死ぬまで、ずっと……ずっと)


何年、何十年と私はこの家にいるのだろうか?

いなければ、ならないのだろうか。


お姉様が結婚し、婿養子を取って……子供が生まれて。

それでも私は、地下室で生活しなければならない?


(そんなの……)


そんなの、嫌だ。嫌すぎる。

私は、胸がきりきりと掴まれたような意味を感じた。


(逃げたい……)


この家から。

でも、どこに逃げるの?


私は、絶望した思いに囚われた。

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