稼ぐ

その1


 その町にその一家は昔からでんと根を下ろしていた。その一家には清濁併せ呑んだ男達が集まっていた。地元の役に立つ事もした。口利きも便宜も図った。そういう奴らだったがヤクザがいらなくなった時、機を見るに敏な奴が会社組織を作った。そういう才能を持った奴もいたということだ。裏で汚い事をしながら表では真面目に稼いでいた。


 ここ如月家の奥座敷の一室では夫夫喧嘩が勃発しようとしていた。

 暖斗は畳にのの字のの字を書きながら義純に話しかけた。

「ねえ義さん」

「何だ、はる。ガキでも出来たか」

 まるっきり夫婦の会話である。

「出来るかよっ!」

「おかしいな。そろそろ出来てもいい頃だが」

(こいつ、本気で言ってんのか……?)

 暖斗は暫らく自分の一応は旦那である男の顔を疑いの眼で見た。それから気を取り直して切り出した。


「何でいっつも送り迎えするんだよ。俺もう道順も憶えたし、たまにはクラスの奴らと帰りたいし、迎えに来なくてもいいよ」

「ダメだ、ダメだ」

 義純の返事はにべもない。暖斗はぶぅーと膨れて上目遣いに義純を睨んだ。

「いいじゃないか。それなら迎えが来ないうちに帰る」

「いかんと言っているだろうが。お前の守が大変だ」

「何でだよ。ガードなんかいらないよ。俺、普通の高校生だよ。因縁なんかつけられるような事何もしてないし」

「アホウ。火の無い所に煙を立たせるのがヤクザだ。因縁なんざ、いつだって何処だってひねり出せる」

(自分で言うか……? 大きな顔をして。それも呑気に茶ァーを啜りながら)

 睨む暖斗に義純は手をヒラヒラと振って「もう風呂に入って寝ろ」と向こうを向いた。


 ヤクザは義理を欠かしちゃならない。それに愛情表現の一環としてこのイベントを見逃す手はない。その内あの亭主関白男を尻に敷くためにも──。

 義純には本当の事が言えない。暖斗はイベントを成功させるべく他を当たる事にした。



「姐さん。働かざるもの食うべからずだ」

 脩二の怖い顔を見ながら暖斗はこいつに相談してよかったのかなと不安になった。

「姐さんも十六歳であるからには、きっちりと仕事をしてもらいやしょう」

 歳がどう関係あるのか知らないが、勿論きっちりと仕事はしたい。仕事をして働いて得たお金で買いたい物がある。


 もうすぐバレンタインデーである。義さんに何かプレゼントをしたい。甚だ女の子っぽい考え方だが暖斗はこれでも義さんの嫁なのだ。

(イベントはちゃんとこなさないといけないよな)

 と、そう思っている。しかし暖斗はお小遣いなどは一切貰っていなかった。着るものや身の回りのものは知らぬ間に調えられているし、欲しいと思ったものは義純が持って帰る。仕方が無いので何かバイトはないかと脩二に相談したのだが……。



 暫らく脩二が包丁とにらめっこして考えたバイト先は何と塗り壁の大姐御のところだった。

「真夜中の動物園? 何だよそれ」

「オカマバーです」

「……俺そんなところにバイトに行ってもいいのか?」

 暖斗は甚だ疑問に思いながら聞いた。義さんが聞いたらもろ肌脱いで暴れだすんじゃないだろうか。いや、それくらい怒るんじゃないだろうか。

「大姐御のとこだったら大丈夫です」

 何が大丈夫なのか脩二は太鼓判を押してくれた。脩二に内緒でバイトなんか出来ないから仕方がない。

 暖斗は次の日学校の帰りに塗り壁の大姐御のところに相談に行った。


 大姐御は大喜びで出迎えてくれた。

「義に内緒なのかい? ホッホッホッ……。じゃあ、バレないようにしてあげようかねえ」と暖斗の為に特別な時間を組んでくれた。

「週に三日、八時から九時まででどうだい」

 それなら何とか義純にバレずに済みそうだ。暖斗は翌日から大姐御の所でバイトすることにした。



 翌日、暖斗が塗り壁の大姐御のところに行くと、大姐御は待ち構えていて暖斗を化粧室に連れて行った。

 広い部屋の真ん中に三面鏡がでんとあり姿見が三つ隅に置かれている。ハンガーにかかったピンクのミニのワンピースが姿身の横にかかっていて、あれを着るのかと暖斗は少し顔を顰めた。


 大姐御は暖斗を三面鏡の前に座らせてせっせとお化粧を始めた。

「暖ちゃんは綺麗だから口紅とシャドウくらいでいいねえ。あら、可愛い事」と楽しそうに化粧をした後、ピンクのワンピースを暖斗に着せた。

「ほら、この鬘を被って出来上がり」


 三面鏡の前に可愛い女の子がいる。お姫様の格好もしたしお嫁さんの格好もした。

 しかしお姫様はクラスメートが遊び半分でメイクをしてくれたから宝塚みたいに誇張されたものだった。義純との結婚式のときはこてこてに塗られた。それに花嫁衣裳だし着物だし自分とはかけ離れて現実味がなかった。

 しかし、今は違う。化粧は薄いし頭には鬘を被っているがまるで本当に普通の女の子だ。


(ううむ……。こんなに似合うというのも正直頭にくるというか……)

 暖斗は悲しんでいいやら喜んでいいやら分からず複雑な気分で、鏡の中の綺麗な女の子を眺めた。

「うっふっふ。似合うねえ」

 塗り壁の大姐御はもう大はしゃぎである。殆んど用意の出来ていた自分の支度を手早く終えると暖斗を伴って自分の店に繰り出した。

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