その2


 しかもお勤めは夜だけではなかった。

 朝は義純のために朝食の用意を手伝い、学校から帰ったら部屋を片付け、夕飯の用意を手伝い、少し慣れてくるとその間に体操だエステだ習い事だと脩二がスケジュールを入れてきて休む暇も無い。


 くたくたの暖斗はとうとう学校で眩暈を起こして倒れてしまった。

「大丈夫かい?」

 気が付くと保健室だった。東原が心配そうに覗きこんで聞く。

「あ……、スマン。大丈夫だ。俺ちょっと寝不足で」

 暖斗が起きようとすると東原は暖斗を引き止めて「それなら少し休んでいたら。皆が心配していた」と言う。

 あれからもクラスの連中は暖斗を遠巻きにして近付いて来ない。心配されていると聞いて驚いた。

「皆が……?」

「ああ、如月はいかにも頼りなげで、儚げな、弱々しい美少年って感じだからね。皆近寄り難くて遠巻きに見ているようだ」

(俺が──?)


 明るくて元気な暖斗を知っている前の学校の連中が聞いたら噴き出しそうな台詞である。まあこの学校に来てから義純に毎晩可愛がられて疲れてはいたが……。

「先生には言っておくから暫らく横になってろよ。また後で来るから」

 そう言い残して東原は出て行った。


(睡眠不足だよなー)

 こう毎晩、あの絶倫男に可愛がられていたのではいくら暖斗といえども疲れる。そう思っている内にいつの間にかぐっすりと眠っていたらしい。


「暖斗……。オイ、暖斗。芳原!」と暖斗を揺り起こす者がいる。

(この声は聞いたことがあるなあ。どこでだっけ……)

 そう思いながら暖斗は惰眠を貪っていた。


 前の学校で暖斗はみんなのアイドルだった。色白の小顔と、茶色い少し長めの髪が耳のところで跳ねた、非常に愛らしい容貌の少年だった。皆がお姫様役を押し付ける程の美貌であったが、しかし、お姫様がいれば王子様もいるものだ。

 暖斗姫の王子様になりたい者は沢山いたが、至極当然のようにその役についていた奴がいたのだ。


「暖斗! 芳原!」

 暖斗は揺さぶられて昔の懐かしい名前で呼ばれて「ウン……?」と目を覚ました。目の前にいるのは前の学校のクラスメートだが暖斗にはまだ眠気が勝っていた。

「何だ、葉月じゃないか。俺、眠いんだ」

 寝かせてくれと、暖斗がごろりと寝返りを打とうとするのをガッシと引き止めて、葉月と呼ばれた男は暖斗の肩を掴んだ。

「オイ、暖斗! 寝るな!」


 葉月の必死の呼びかけが通じたのか、暖斗はようよう目をこすりこすり葉月を見て大欠伸をした。

「ふわあ~。よく寝た。今、何時?」

「お前……」

 のほほんとした暖斗の様子に葉月はやや鼻白んだが、気を取り直して言った。

「お前がヤクザに攫われたっつって……モゴ」

 暖斗はあわてて葉月の口を塞いだ。

「ヤクザっつったら、俺また転校させられるんだぞ。言うなよ」

 暖斗が葉月を睨む。葉月は口を塞がれたままウンウンと頷いた。

 暖斗が手を離すと、葉月は周りを窺うように首を動かして小さな声で続けた。

「俺はこうしてお前を探して、やっと探し出して、こうして転校までして会いに来たんだ。ああ暖斗、可哀想に随分と痩せて……」

 そう言って、芝居がかった様子で暖斗の方に手を差し伸べる。


 葉月舜はスポーツマンだが容貌はバタ臭い王子様タイプの男で、前の男子校でも男にモテた。細面の顔に少し茶色の髪が額にハラハラと散って彫りの深い甘い顔を際立たせる。お姫様役の暖斗と並ぶと非常にお似合いだった。


 今もベッドに横座りになって座っている暖斗の手を握り「俺は芳原がいなくなってどんなに心配したか。皆は引き止めたが俺はどうしてもお前に会いたくて、お前のいるこの学校に転校して来たんだ」と、切々と訴える様は、姫君を掻き口説く王子様そのものだった。


「如月君?」

 丁度そこに暖斗のクラスメートの東原が入って来た。暖斗と葉月の様子を覗き込んで「何をしているんだ! 君は誰だい?」と詰問口調で聞いた。

「俺は昨日転校して来た二組の葉月舜だ」

 葉月がすっくと立ち上がって東原を睨みつけて言う。東原は眼鏡のレンズをキラーンと光らせて葉月と睨み合った。


「僕は如月君と同じ三組の東原圭一郎。如月君は体調が悪くて休んでいたんだ。不調法な真似はしないで、ゆっくりと休ませてあげたらどうなんだ」

 にらみ合う二人に暖斗の方が慌てた。

「俺もう教室に帰るよ。葉月またな」

 そう言って東原を連れてそそくさと教室に戻った。

「何ですか? 今の人は。随分と親しそうに……」

 東原が納得がいかないように聞く。

「前の学校の知り合いだ」

 暖斗はそう言って誤魔化した。


 もちろん暖斗をこの学校まで追いかけてき来た葉月が、それで引き下がる訳が無い。昼休みにはまた暖斗の前に現れた。今度は正々堂々正面から。

「芳……、じゃなくて如月君。ちょっと話があるんだ」

 東原が出ようとしたが、暖斗は二人で話があるからと遠慮してもらった。教室の皆が非常に目立つ新しい転入生二人に好奇の目を向けている。



 暖斗を屋上に連れ出した葉月は「暖斗、お前なんで苗字が変わったんだ?」と恐ろしい事を聞いてきた。

「え、えと、それは……」

 暖斗はどうやって説明しようかと悩んだが、しかし葉月は勝手に答えを出した。


「分かったぞ。お前があんまり可愛いから、どこぞの隠れホモヤクザがお前を見初めて囲ったんだな。そして、お前にいけない事をああんな事やこおんな事まで教え込んで、どこぞの金持ちに売り払おうって魂胆なんだな」


(おい……)

「許せん!」

 葉月は勝手に想像して、勝手に盛り上がって、可哀想にと暖斗を抱きしめた。

「いい加減にしろ」暖斗が引き剥がすと「俺がお前を助けてやる」と任せろと拳を握り締めた。

「どうやって助けてくれるというんだ? どこかに逃がしてでもくれるのか」

 国内じゃあダメだろうなと暖斗は思った。第一もう籍は入れたし、身体は……。暖斗は義純との夜を思い出して少し頬を赤らめた。

 暖斗の気持ちには思いも至らない葉月は「いや戦う」と握った拳を振り上げた。

「オイ……、相手はヤクザだぞ」

「俺の親父は代議士だ」

(──どっちが強いんだろう)

 暖斗は一瞬マジで考えた。

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