大地

第1話

 Aは自分の脳をアルコールで壊しながら、心中で赤く揺らめく火を瞼の裏に描いていた。

 彼が自らの火をその色に染められるのは、酩酊したときのみで、そのために彼は酒を呑んでいた。

 Aの携帯が鳴り、彼は目を開けて机に置かれた端末を見た。画面には、「四条河原町のラブホテル HOTEL Sha Shaにて火人間ひにんげん発生。おそらく女が一人死んでいる。至急現場に急行し、対象を処分せよ」と表示がある。

 酔った頭で対処できるか分からなかったが、彼は仕事のためにスーツの内ポケットから小さなビニール袋を取り出した。その中には、いくつか青い錠剤が入っている。

 その中の一つを取り出して飲み込むと、先ほどまであった強い欲望が赤い火とともに消えていくのを感じた。

 席を立って、居酒屋を出ようとすると、店員の男が彼を引き留めた。金を払わずに出ようとしたので、支払えとの要求だ。

 Aはスーツから黒い手帳を取り出すと、男に向かって突きつける。それを見た彼の顔に恐れの色が浮かぶ。

 手帳には、「火人間防止協会 防火実行士」の後にAの名前が記載されており、その下に「上記の者は、火人間防止法58条 及び 防火実行士職務執行法15条 により、火人間処分にかかわる広範な職務執行が認められる」と記載がある。

「金は払う。あとで払う」

 店員にそう告げると、そのまま店のドアを開けた。払ってもよかったのだが、彼は急に反社会的な行動を取りたくなることがあったのだった。

 店を出ると京都の夏夜によくあるじとりとした空気と歓楽街のざわめきが彼を包んだ。辺りには、居酒屋や風俗ビルが立ち並び、数多の人が往来している。

 感情の抑制が法定されている現代では、このような施設は法律上許されていない。しかし、ガス抜きの意味で、各都道府県に一地区、そのような存在が黙認されており、京都の場合は四条河原町だった。

 不意にAの右斜め向かいに立つ雑居ビルの窓に赤い光が揺らぎ、その窓の内側が血で染まった。悲鳴の後に数発の銃声があったが、それもすぐに止んだ。通行する人たちはちらりとその方を見るだけで、大して気にとめている様子もなかった。

(俺と本質的な同族か)

 Aはそう思うと、その場を後にした。

 

 現場のホテルに着くと、建物の前には規制を行う警察と野次馬が蠢いていた。

 ホテルは七階建てで、最上階の一室の窓が完全に吹き飛び、中で赤い光が明滅している。

 人間の情欲が絡む場面で最も火人間が発生しやすいため、ラブホテルなどは事件現場として最多だった。

 Aが近くの警察官に身分証を見せると、警察官は安堵の表情を見せた。火人間に通常兵器は通用しないため、警察では対応できないからだ。

 警察から部屋番号を聞いて中に入ると、通常の火災と違って、煙は一切発生していなかった。彼らの火は、その欲望を満たすためにのみ物や人を破壊する。そして、赤色の火は、「攻撃、独占、支配」などの欲望に起因していた。

(おそらく今回の被害は女のみだ)

 Aはそう分析しつつ、火人間のいる「701号室」の前まで来ると、左手を扉の前に向ける。しばらくすると、手の周囲に緑のオーラが現れ、それは同色の火に変わり、扉に移るとまるで火が紙を燃やすように消し去った。

 彼の視線の先に、窓の方に体を向けた処分対象がいた。その姿は、男性のシルエットの周囲に赤い火が揺らめいているといった形だ。揺らめく火は、床や天井に触れているが、それらに延焼することはなかった。他に燃えている物は、ベッドの上で炭化した人間の死体のみだ。

 火人間はAの方に振り返り、彼の方に両手を向ける。間を置かずして、周囲の火がその両の手に集まり、すべてが集中して彼の方に押し寄せる。

 Aの心にも、一瞬赤い火が揺らめいたが、薬がその色を再び緑に変えた。

 彼は火人間の火に対抗して、自身の火を左手から現出させると、襲い来る赤にその手を向けた。


 勝負は一瞬だった。今、Aの前には四散した火人間が広がっている。その破片は緑の火で覆われていた。

 火人間にも人間と同じ血が通っているため、部屋は赤とAの火の色に染まっていた。

「ひどくやったな」

 背後から声がして、Aは振り向いた。

 黒い作業着を着た初老の男がいた。その手には、銀色のバケツとトングのようなものが握られている。彼は、火人間処分後の後始末をする火人間防止協会の職員だった。

 彼はAの方を見ずに、淡々と燃える破片をトングでつかんではバケツに入れていく。

「お前、酒を飲んでいるな。警戒当番の際のアルコールは禁止されているぞ。それに、やはり能力の加減ができていない……。これは、酒のせいか、それとも別の理由か?」

 何も言わずに、Aは男の作業を見ていた。

「お前は、赤の火の方がいい。無理矢理に欲望を作って、本来の欲望を抑えるのは無理がある」

 Aは少し間を置いてから、

「ほとんどの火人間の火は赤い。緑の火は、赤い火より強いじゃないか。だから、俺は緑を作っている」と反論した。

「お前は大丈夫だろう」

「何が?」

「お前の赤は異常だから。緑か赤かに関係なく、結果は同じになるのさ。それなら、全てを消してくれる赤の方がこちらとしてはいい」

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