1-3.手に負えない相棒

 六ヶ月に及ぶ〝講習〟ののち、おれは正式に公安部に所属した。正確には例の「不特定対象事件捜査課」に入るのだが、対外的には総務課でよいことになっている。

 実際の業務についても、特に目立って出張ることは少なく、日々上がってくる関係各所の捜査情報や問合せ資料の回収といった、〝進捗管理〟とでもいうべき業務が多い。薗田警部補も同様のタスクで日々埋もれていた。おれたちが会話をするのは、おもに週に何度か行われる、度会わたらい公総課長に対する定例報告会を除いては特にない。


 もはや物量の多いデスクワーカーと化しているのが実情だった。


 だが──この業務を通じて知ることはとても多い。


 例えば霊能者や超常現象を取り扱う専門機関が、民間企業やマスコミには多数あった。一般的に事件化されていない〝事案〟は、もとはかれらの管轄だったのだ。

 かれらが独自調査した事故物件や禁足地、心霊スポットといった「怪談」の舞台となりそうな〝場所〟とその〝背景〟の調査資料については、おれたちがアクセス可能なデータベースとなっている。公安部にも、特筆すべき犯罪者や政治家、反社組織といった人物相関図の照合を行うためのデータベースが存在するが、それに似ていた。


 また陰謀論や偽史を扱う言論空間(主にSNSで発生する言説を対象としている)を監視するため、独自の検索エンジンも開発されていて、舌を巻いた。やれ〈闇の国家権力ディープステート〉だのやれ〈爬虫類人類レプリティアン〉だのとまことしやかにささやく界隈を、おれは冷ややかな目で見つめてはいたものの、その発生経緯を歴史的にたどると案外バカにできない。もちろん荒唐こうとう無稽むけいなものも多数あるが、こうしたモノを根拠に実際の政治やデモ、テロが組織されている実態があるのだ。必然的に〝不特定対象〟として情報収集の対象になる。


 おれたちの仕事は、こうした不特定多数の情報を分析し、照合することでさまざまな点を線に、線を面に変えていく作業だった。


「会議始めるぞー」


 平手係長が緩く声かけをし、おれと薗田警部補、ほか三名が会議室に入る。根っからの公安のやつもいれば、組対(組織対策部)から来たやつもいるし、警察庁技官もいた。全員階級は警部補相当。度会課長らが見繕ってきた人たちだから、それなりの腕があるのは間違いないのだが──得体がしれなかった。


 本日の会議では、米国に蔓延る陰謀論が〝輸入〟されるに至った背景の報告がなかなかアツかった。

 報告したのはかがみ新一警部補だ。出身は公安外事課一係庶務。アメリカからの帰国子女で米国英語から正統派の英国英語ブリティッシュ、フランス語にラテン語の読み書きまで、欧米圏の言説であればだいたいはフォローできる頭脳派だった。


 かれは銀縁メガネを整え、自身が作成した人物相関図と地図をもとに淡々と説明する──


「現与党:保守党のジョン・マッケンジーですが、彼を支持する〈QへのQ回答者アンサラー〉の勢力図について、協力者の情報提供がありました。それに拠ると、すでに日本にも複数支部が存在しており、主にSNSのクローズドサークルをもとに勢力を拡大している模様」

「言説は?」と平手係長。

「正直言って聞くに堪えないものが多いですが、内容は日米で共通しています。〝小児性愛者が権力を握っている〟だとか〝人喰いが夜中に徘徊し、良心的な市民を喰っている〟とか、そういう文面ですね。興味深いのは我が国ではこれが『鬼』といった人喰いに類する妖怪と混合し、独自の怪談に祭り上げられていることです。実際にそのような発言に該当するものを、補足資料Bにピックアップしております」

「こないだ流行ったアニメの影響だなあ」


 斜向かいの男──組対出身の弓削ゆげ晴彦警部補が椅子の背もたれを軋ませながらつぶやいた。


「それネットでぼやいたら絶対盛り上がるわ。〝フィクションと犯罪は無関係です!〟──なんてね」


 茶々を入れたのは、おれの隣りに座っていた乃木坂穂希ほまれだった。彼女は元は警察庁の技官、特にホワイトハッカーとしてさまざまな作業を担当してきたとか、なんとか。


「だが流血を伴う暴力シーンが個人の暴力性を助長するかどうかは犯罪心理学上、一定の見解が出ているだろう? その手の論文・書籍は山ほど出ている」

「そういうこと言うともっと盛り上がるんだけどねぇ。もっともわたしたちは職務上公けに発言することはないですけど」

「解せないな。勉強してればわかるだろう」

「そこ私語はほどほどにしとけ」


 平手係長が淡々と差し込む。


「で、続きは」

「はい。まあ、弓削さんが言ったとおりですよ。漫画とかアニメ、ドラマとかで拡散したイメージってバカにならないもんです。陰謀論者のほとんどは日常生活においては善良でまじめな会社員やアルバイトだったりするんで、彼らが〝それ〟を語りなおすとき、図らずもみんなが見たであろうコンテンツの表現を又借していくことがあります。今回もおおむねそのケースにあたるんですが──」


 資料の二十一頁目を開いてください、と鑒が言った。


「ネット怪談でポピュラーなものに『八尺様』っていうのがあるんですが、こいつは名前の通り八尺──メートル法換算で二.四メートルの巨体で夜中を徘徊する女の妖怪だと言われてます。このうちの『子供をさらって喰う』という箇所からリンクして、今回〈Qへの回答者〉が喧伝している陰謀論との符号の一致が見られます。先日浅岡さんから捜一経由で報告が上がった〝同一手口と思しき青少年/児童の連続失踪事件〟について、これに関連するものとして一部情報整理をしました」

「浅岡、所感としてはどうだ?」


 平手係長がこちらを見る。


「正直なところ、おれにはそれを同定する手立てがないのでなんとも言えません。捜一のツテで得た情報はたしかにその怪談と一致します。付近を警邏けいら中の所轄警官が聞いた『ぽぽぽ』なる鳴き声や被害者家族から聞いた〝背の高い女〟にまつわる目撃情報とも一致しそうです」

「ほう」

「ただ、気になるといえば、事件は現都知事が国政時代に地固めしたエリアで頻発してるってことですね。練馬区、豊島区、新宿区……特に新宿ですかね。通報を受けた所轄も、昨今の新宿なら何が起きても──とこの線を見落としていた経緯があります」

「そういえば、都知事選があったか……」


 弓削が壁のカレンダーを見る。


「都民党に対する選挙のネガキャンか?」とぼやく弓削に対して、乃木坂が「ネットの政治議論は、どんなにまともなことを言っても求心力がないもんねえ」と返す。現都知事は無数の美辞麗句を公約に掲げたわりには、そのどれひとつとして実現に向けた行動を取らなかったため、ネット世論は否定的だった。


「それよりは、いまの都知事が妖怪で畜生外道というほうが、政治的には最適なのかい」

「だね。少なくともそれに反応する〝光の戦士たち〟の支持は得られるよ」

「馬鹿げてる」

「そうだ。ばかげてる。だが、これが現実だ──」


 平手係長が表情を変えずに言う。


「おれたちは〝嘘みたいな現実〟を相手にしている。だからどんなにばかげていてもその線を真っ先に外すことは許されない。たいていの〝ありそうな線〟はほかの部署がやってくれるから、遠慮なく破茶滅茶なことを捜査の卓上に載せろ──というのが度会さんの訓示だ」


 会議室が静まりかえった。全員で平手係長のほうを見る。


「〝多摩川事変〟のようなできごとを繰り返さないためにも、情報収集はどんなくだらんことでも、それこそ便所の落書きからSNSは残らずチェックする。『木を隠すなら森の中』とはよく言うが、今となってはその〝木〟は一見理解し難いトンデモの中から出てくると思っておくんだ。いいな?」


 この後、二、三の捜査方針を固めてから会議は終わった。薗田警部補はその間ほとんど口を開かなかったが、散会して部屋を出る直前、だしぬけにおれの袖をつまんできた。


「お?」とおれが思わず声を出すと──


「すみません。会議が長すぎて要点が見えなかったんですが、結局どうなりました?」

「あ。え?」

「ですから、これ立件するんですか?」

「いやそれはわからん」

「あー、糞。役立たず」


 あまりに流れるように口を衝いて出た罵倒だったので、一瞬聞き逃すところだった。


「おい、いまの言い方はなんだ」

「思ったことを口にしたまでです」

「おまえ仮にも警視庁の年上に向かってだな……」

「警察組織における年功序列は聞き及んでますが、それと実力との相関はありません。わたしは心理的事実を口にしたまでです」

「なら言い方……」


 言いながら、自分でもこんな年下女性相手に本気で怒るわけにもいかず、やるせない気持ちになっていった。


「とりあえず、結論を言うと、たぶんまだ立件するには証拠が揃ってないからやらない。で、もしちゃんとこれをイジるなら捜二(捜査二課)と連携してことに当たるはずだ。これで答えになってるか」

「ありがとうございます。ひとまず疑問は解消しました」

「あのな、だったらもう少し笑顔とかなんか──て、おい、どこ行く?」


 しかし薗田茉莉花はどこ吹く風で、すたすたと歩み去っていった。

 おれはすっかりモヤモヤしていた。


「なんだよアイツ……」


 これが薗田茉莉花との長くて面倒な付き合いの始まりになるなんて、だれに予想がついたことだろうか。



     ※



 週明けて、この前会議の俎上そじょうにあがった『八尺様』の件は、民間の〝清掃業者〟に駆除を依頼すると決定した。もちろん発注元は公安ではなく、その協力者を噛ませた間接的な受注となる。


「本件に関わる『八尺様』を流用した政治的アジテーションについては別途調査を行うが、もっか被害者が出ていることを考慮し、内密に処理するようにした」


 平手係長に拠ると、この手の「闇の票田ひょうでん」を耕すために近年陰謀論を積極的に流通させている選挙コンサルタントがいるらしい。過去に「選挙ブローカー」と揶揄された存在の名残とも言えるだろう。

 だがそれ以上に厄介なのが、この「闇の票田」を示唆した〝業者〟の存在だった。


「陰謀論とはよく言うが、結局のところは〝お話〟にすぎない。で、〝お話〟ってのにはそれなりに信憑しんぴょう性とかリアリティがないと人の耳には届かねえ。飯ログも、映画の時評も、結局のところそれを確かめた人間にしか出せない言葉がある。みんなそれを信じるから言説は力を持つんだ。

 だから要らんことも根も葉もないことも広まるわけだが──今回の件も、『八尺様』なんてことを根っから信じてるやつはそうはいなかった。一部の界隈で話題になっていたフィクションを、リアルなものだと信じられるよう仕組んだヤツがいただろうと見ている」


 ついでに平手係長が話したのは、かつて反社会的企業──端的に言うとヤクザの地上げ屋のことだ──が、原子力発電所の建設予定地を(大手ゼネコンの委託を受けて)買い上げるために、野生のツキノワグマを何頭か捕まえて山林に放ったと言う逸話だった。放火や火事だと消防や警官が出てくるから、案外役に立たない。しかし野生動物なら、そこに人の手が加わったことを疑う人間は少ない。その盲点をついて、原子力発電所の建設予定地を押さえ込んだ連中がいたという。

 もっともいくつかの筋を経て事は露見し、その一番裏にいた経済産業大臣の現職逮捕に到った。かなりの大事件だったので、公安内でも繰り返し語り聞かされるいわば武勇伝みたいになっていた。


 だからなのか、途中から会議の場がシラけていたのだが──それはまあいいとして。


「それで、だ。ことのついでだから、その駆除の現場に薗田と浅岡、二名で〝見届け〟を行うように」

「えっ、外出ですか」

「そうだ。残業代はツケとく。終電後の実行になるから帰りのタクシーも経費だ」

「はあ」


 おれはチラッと薗田茉莉花を見たが、彼女は到って冷静な優等生ヅラをしていた。


「わかりました」


 会議が終わったあと、おれは薗田に説明しようとしたが、「さすがに今回はちゃんと聞いてましたよ」と言う前に制された。


 このやろう──と思ったのは内緒だ。


 で、当日の深夜。


 新宿駅の終電は午前一時台まで残っているため、それよりもあとの、深更よふけとも言える時間帯に、おれたちはそこにいた。


「寒ッ」


 いちおう上着は着てても、季節はすでに十一月──空気は冷え切っていて、吐く息すらも白く濁る。

 もともと民間の〝業者〟に対する委託は、会議でも言ったとおり警察組織とは無関係であるよう丁重に間を挟んでいる。だからおれたちは〝警官〟であってはならず、結果的に私服で立ち入ることになる。


 おれは安物の黒のウィンドブレーカーを羽織り、スキニーのデニムを履いていた。イヤーマフをして、内側にはヒートテックタイツを着ているものの、ビルから吹き下ろす風は刺すように冷たい。

 いっぽう薗田は黒髪をほどいたロングヘアーにニット帽をかぶり、ベージュ色のトレンチコート、ブーツといった衣装いでたちだった。気温は決して高くないが、ふだんから表情が読みにくいので、暑がってるのか寒がってるのかもよくわからない。


 これではだれがどう見ても、ふたり並んでいるのが不自然な組み合わせだった。


「頼むから、近づかないでください。バレます。お互い連絡は無線でしましょう」


 合流してまず最初に言われたのがこれで、さすがにへこんだ。

 いやだって、おれの私服ってレパートリー少ねえんだもん。


 いちおう無線経由で弁明はしてみたものの「そもそもそれなりの私服を着た男女が深夜の新宿を徘徊してる時点で論外なんですよ」とフォローになってないフォローをもらう。「じゃあなんでおまえはその服にした?」と言うと「寒くなければなんでもよかったですよ。どのみち怪しいことには変わりないので」となんとも言えない回答だった。


 結局──新宿歌舞伎町にはいた。


 そんな時間にいるのは、夜更けまで遊びふけってるだめな大人か、家に帰りたがらないキッズたちだけだ。

 だが異変はすぐにわかった。風の温度が変わったのだ。


 都会では排気口などがあるので、突然吹く風が生暖かいということがある。しかしそれではない。なんというか、暖かいのに背筋が凍るような、イヤな感じなのだった。


「〈場〉が、拡がりましたね」


 薗田警部補から、無線で連絡があった。言い忘れていたが、昨今の無線はワイヤレスイヤホンのかたちをしている。非常に隠しやすく、大声を出さなければ通話中だってこともわからない優れものだ。


「〈場〉……?」

「超常現象調査界隈の専門用語です。そんなことも知らないんですか」

「いや、知るわけないだろ」


 無線越しに、絶句してるのはよくわかった。


「あの。さすがにこれは失礼だと思ったので聞かなかったんですが……装備はお持ちなのでしょうか」

「拳銃は一応持ってきたが」

「そんなもんお化けに通用すると思ってるんですか」

「思っちゃダメなの?」

「はー、はこれだから」


 なんでおれが叱られる側なのだろうか。返事の仕方に迷っていると、すかさず薗田警部補から追撃の連絡があった。


「なにかあると困るので。いまからそちらに向かいます。動いちゃダメですからね」


 結果から言うと、おれは動かざるを得なかった。『ぽぽぽ』という声が、背後から聞こえたからだった。

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