後宮の花守典侍

佐槻奏多

第1話 序:花守の典侍

「花守の典侍はなもりのないしのすけ?」

 冬継(ふゆつぐ)は一歩前を歩く男に尋ねた。

 春の闇は深く、近くの桜の香りがふわりと届くものの、その姿さえ見えない。

 そんな中、冬継と正道は手燭の明かりをたよりに内裏の渡殿を通り、目的地へと歩き続ける。

 目的は、花守の典侍という聞いたこともない存在に縋るためだ。


「木や花の声がわかる不思議な存在なのだとか。時には神羅万象から失せ物についてまで主上に助言を求められる、と聞いています」


「そんな話は聞いたことがありませんが、少し占いができる典侍(ないしのすけ)がいるだけでは?」

 冬継が言えば、緑の袍を着た正道が笑う。

「実態は占いができる典侍、というものでしょうね。ただ主上が呼び出したことがあるのは、本当なのですよ」

 長く勤めている六位の蔵人である正道がそう言うのだから、『花守の典侍』が呼ばれて主上の側に上がったことは確かなのだろう。

「そして冬継様がご存知ないのは仕方ありません。御父君が政敵に追い払われ……こうして呼び戻されるまでの間、内裏のこんなにもささいな出来事は、噂すらお耳に触れる機会がなかったはずですから」


 正道の言葉には、冬継も納得する。

 冬継の父、源兼達が時の関白の謀略によって遠ざけられた。

 そうして国守を長年務めることになったのだが、子である冬継は京の都に残っていたのだ。

 それは元服直後の冬継のことを父が考えたからだったが、出世の道が絶たれたせいで殿上の声などかからず、上達部とはほとんど交流がないまま時は過ぎた。

 正道自身も、殿上については諦めきって、大学寮に通うことで表向きの体裁をととのえつつ、いずれは父と同じ地方へ行き、そこの国学で教える側に立つつもりでいたぐらいだ。

 そんな日々が一変したのは、つい先ごろのこと。

 父が復権した。

☆ それもこれも、父を政敵とみなした時の関白が亡くなったからである。

 長く藤原関白家の圧力を脱したがっていた帝は、ここぞとばかりに関白家から遠い者達や、自身の意に賛同する者を重用した。その結果、冬継の父が復権した。

 様々な役職の代替わりのどさくさに紛れて、父は都の参議に。

 冬継は先の除目でようやく五位の蔵人に抜擢されたばかりだ。

「なんにせよ、私達はどうあっても鍵を探さなければなりませぬ。そして朝まで時間がございません。ならば頼れるものは全て頼るべきでしょう」


 そう言って冬継を先導する正道は、父と同じ派閥にいたせいで、六位の蔵人のまま出世の芽が全くなかった人物だ。


「しかし未だに信じられません。典侍に鍵が探せるのですか? もしその者の占いが外れたら……」


「滅多なことを申されませんよう」


 正道は人差し指を口に当て、声を潜めるように冬継に願う。


「もうすでに後涼殿(こうりょうでん)にいるのですよ。どの局にご当人がいるのかわかりませぬ。疑っていることを耳にした典侍に、へそを曲げられては困ります」


 正道の言葉に、冬継は素直に口をつぐんだ。

 簀子縁からは|蔀格子(こうし)で隔てているとはいえ、声を潜めなければ、眠りについていない女官に聞きとがめられる可能性は高い。


 そうして冬継達は、後涼殿東庇の局の一つへ近づいた。

 そこに、正道の知り合いがいるらしい。正道はその人物から、典侍へ話を通してもらおうとしているのだ。

 灯りがまだついていて、御簾を隔てても中に人影があるのはわかった。その人物はまだ起きているのだ。


「もし、先に文をお出しした者です」


 声をかけた正道に、内側から応じる声がした。


「お待ちしておりました。この度は何の御用でしょうか?」


 答えた声は、まだ若い女人のものだ。その人物は御簾を開けないまま応じた。


「女官殿。率直にお頼み申し上げます。花守内侍様にお願いを申し上げたいことがあるのです。どうかご仲介いただけないでしょうか」


 仲介役を頼んだ正道に、その女官は考えるようにしばし沈黙した。

 それから、一言尋ねた。


「典侍様には、どのようなご依頼を?」


「梅壺の庭に。門番の交代をするはずだった衛士が、猫に鍵を取られまして……その鍵を探しております」


 正道の答えに、しばし考えるような間を置いて彼女は答えた。


「鍵をお探しですか。しかとわかる保証はありませんが、典侍様にお伺いしてみましょう」


 正道はぱっと表情を輝かせてその場に額づいた。


「ご厚意感謝申し上げます。それで申し訳ないのですが、できれば朝までにわかると……」


「留意いたしましょう。今より一刻(二時間)経ってもご連絡がなければ、典侍様が動かれなかった、ということでご納得いただければですが……」


 女官は『必ずしも内侍が行動するとは限らない』と釘を刺した。

 それでもいいと正道は応じる。


「人をやって探しても、全く見つからず。梅壺の女御様にはご自身の猫を盗人呼ばわりする気かと、大変お怒りになられて……。ただこのような夜半ですので、典侍様が動かれずともお恨みは申し上げませぬ」

 

「では、一刻後に」


 女官はそう告げて、格子を閉じた。

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