冷たい塔

乙川アヤト

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 宇宙船で暮らしていた。


 船の中はモノであふれていて、ボクと【マスター】はずっと二人きりだった。


 積み込まれた食料や衣料品や作業道具の類いは、ほとんどすべてが【マスター】のもので、暇つぶしのための本や耳かきに至るまで、ボクの所持品と呼べるようなものはなにもないに等しかった。


 壁の中に埋め込まれたデジタル時計が静かに深夜を告げるころ、貨物室の隅でうずくまって眠った。


 その部屋には、たくさんの機械部品や電子機器や工具が詰め込んであり、雑然としていた。深夜になると、その貨物たちがたてる音がひときわ大きく聞こえた。


 ガチャガチャ、ブウン。


 その擦れ合いや、低いうなりを聞きながら、眠りについた。うるさいとは思わなかった。それはなんだか不思議と、おちついた時間だった。


 昼間になると、【マスター】の手伝いをした。【マスター】は一日のうちの三分の二ほどの時間を作業部屋で過ごした。手伝い、といってもボクにできることは限られていて、彼の給仕やあとかたづけやモノを運んだりするのが主な仕事だった。


 食事を終えるまでに、それを運び入れろ。

 コードをすべてここに持って来い。

 今日の夕食はデミグラス風味にしろ。

 もたもたするな。

 仕事の優先度くらい、自分で判断しろ。


 そういった指示を上手くこなせなければ、殴られた。


 投げ飛ばされたり、蹴られたりすることもあった。


 その結果、散らばったものを片づけるのも、ボクの仕事のうちだった。


 そういうことがある度に、自分はなんて無能なんだ、と思った。


 ボクの存在する理由は【マスター】の役に立つということだけだというのに、そのたったひとつの役割もこなせず、彼を苛つかせてばかりだ、と。


 もっと【マスター】を知りたい。もっともっと彼のことを知って、もっともっと役に立たなければ、と。




 宇宙船の計測機器の中に、【マスター】の体調を観測しているマシンがあった。


 毎日、毎時、毎分、毎秒。


 そのマシンによると、彼は眠るべき時間によく眠れていないようだった。


 正常な値を示す場合は、グリーンのはずのマシンのサインが、赤い点滅をくりかえしていた。電子パネルには『今すぐに横になってください!』という警告文もみえた。


 ボクは一日の運搬作業が終わってしまうと、残りのタスクは眠ること以外なくなるので、充分に休むことができる。


 しかし、【マスター】はそうではない。


 彼は単純作業のボクとは違い、やることがたくさんある。その工程もきっと複雑なはずで、頭の悪いボクには想像することさえできない。それらに追われて満足な睡眠時間がとれないのではないか、という考えがうかんだ。


 ボクは彼に夕食を運ぶ際、睡眠薬も一緒に持っていくようにした。それを服用してもらえば、彼のストレスをすこしでも減らすことができるかもしれない。


 余計なことをするな。


 【マスター】は食べ終わった夕食の入っていた皿を、ボクに投げつけた。ボクはそれを受け取り損ねて、落として割ってしまった。


 破片を拾って集めて、宇宙ゴミ箱に捨てた。


 破片は無限の暗闇に放り出されて、やがてボクたちが通り過ぎたいくつもの星星と同じように見えなくなった。




 ボクの眠っていた貨物室は、もともとは廃棄物置き場だった。


 はじめの頃の記憶を辿ってみる。


 足元に流れ出たオイルのしみ。中身のないバッテリー。使わなくなった無線機。そういったものが無造作にうち捨てられていた。


 新品の部品がある倉庫は、すこし離れたところにあった。


 【マスター】の命令があると、そこから物資や機械部品を運び出し、彼の作業部屋に届け、その作業部屋から要らなくなったものを運び出すというサイクルで仕事をしていた。


 これからは廃棄物置き場をつかえ。


 仕事を終えたある日、【マスター】にそう言いつけられた。一日の最後のタスクが廃棄物の運搬であることと、そのタスクを終え、廃棄物置き場に入ったあとのボクが、多少なりとも汚れていることが理由であるようだった。


 彼の合理的判断に従って、その部屋で眠った。


 最初の何日かは上手く眠れなかった。


 床に積み上げられた廃棄物の山は不安定だった。


 ほんの小さな揺れにも音を立てて崩れるせいで、ボクはその度に目を覚まさなければならなかった。


 眠ったままでいると、なにかの拍子に、大きな廃棄物が頭の上に降ってきたり、体が潰されたりするかもしれなかった。充分に気をつける必要があった。


 もしも、それで動けなくなろうものなら、【マスター】の手をわずらわせてしまう。それだけは避けなければならなかった。


 ボクは真夜中に目を覚ますと、部屋の中をかたづけ始めた。


 大きな廃棄物を柱に見立てて骨組みのように固定し、空いた隙間に小さなものをはめ込んでいった。重量のあるものは下。軽いものは上。丸いものは転がらないように。


 何日か夜中にそうして作業を続けているうちに、部屋はかたづいた。安心して眠れるようになり、【マスター】は廃棄物置き場を、貨物室のひとつとして扱うようになった。


 なんだかほんのすこしだけど、彼の役に立てたような気がした。




 とびっきりのドジをふんでしまったときがあった。


 そのとき、ボクは【マスター】の言いつけで、小さなボルトやナットが詰まったケースを運搬していた。


 宇宙船の中は、メインデッキをぐるりと囲うようにいくつかの部屋が並んでいる。


 【マスター】が作業場と呼んでいる部屋と、ボクが寝泊まりする貨物室はそれほど離れてはいなくて、三分もあれば辿り着くことができる。【マスター】の自室とトイレ、シャワールームはそのあいだにあった。


 その日、珍しく【マスター】の部屋の扉があけっぱなしになっていた。


 普段は立ち入ることを禁止されていたけれど、中の様子が気になった。


 【マスター】のプライベートな空間には、彼をもっとよく知り、役に立つためのてがかりがあるかもしれない。そう思ったからだった。


 開放された入り口の前に立って、暗い部屋の中をみわたす。


 目に止まったのは戸棚の上に置かれた写真と一輪の花だった。


 花はただ一本だけで、写真たての前に添えられていた。オレンジ色の鮮やかな花びらをひろげて。まるでそっと眠っているみたいだった。


 ボクにはその花に関する知識は備わっていなかった。そしてそれを見下ろす写真のなかに写る、お腹の大きな女性についても。


 そのとき、揺れが起こった。大きくて長い揺れ。まるで巨大な誰かが、中身を確かめるために船を振っているような。


 棚の上の写真たても揺れた。


 落ちる。


 そう思ったとき、とっさに体が動いた。


 床すれすれのところで写真たてを受け止めた。間に合った、と思った。


 そこに写る女性の姿をみる。


 艶のある黒い髪は長く、膨らんだお腹までまっすぐに垂れていた。そこにはそっと手が添えられ、包み込まれている。彼女は目を細め、穏やかな微笑みでこちらをみつめていた。


 なにをしている。


 起き上がって振り返ると、部屋の入り口に【マスター】が立っていた。彼の体から長い影が伸びて、部屋の暗闇に混じりあって、ボクにおおいかぶさっていた。


 でていけ。今すぐ。


 殴られる。


 反射的にボクはそう思った。


 でも【マスター】はボクから写真たてを奪うと、静かにそれを棚に戻すだけだった。彼の目はボクじゃなく、写真の女性に向けられていた。色のない目。


 きっとボクはとんでもなくバカなことをしてしまったんだと気づいた。なぜかはわからないけれど、【マスター】が殴る気も起きないような、そんなバカなことを。




 そのできごとがあったあと、ボクは自分の右目が見えなくなっていることに気づいた。


 たぶん写真たてをかばったときだ。倒れたときにどこかに打ちつけたんだ、と思った。きっとそのときは夢中だったから、気づかなかったんだろう。


 このことは、結局【マスター】には言い出せなかった。ボクは片目でも仕事に支障はなかったし、なによりこれ以上彼の手をわずらわせたくなかった。


 以前ボクが、足を動かせなくなったときの記憶がよみがえった。


 夕食は作業部屋に持って来い。


 【マスター】に言われて、食料庫から粉末をもってきて、フードコーディネーターにセットした。


 白くて四角いコーディネーターはがたがた言って、しばらくすると魚卵みたいに小さな粒をたくさん吐き出し始める。その日のフレーバーはオムライスだった。


 それを【マスター】の部屋に置き退室しようとすると、呼び止められた。


 お前、どこかおかしいのか?


 たしかにその日のボクはなんだかいつもと調子が違った。


 確認してみると、左脚の関節に動かしにくさがあった。記憶を探ってみる。それは前日【マスター】に踏みつけられたときからのものだった。


 見せろ。


 【マスター】は取り掛かっていた作業を中断し、ボクをソファに寝かせて左脚を取り外した。


 さっと見ただけで、異変がある箇所を見抜くなんて、【マスター】はなんてすごいんだろうと思った。


 そうして取り外された自分の片足が【マスター】の作業台に載っている光景を眺めるのは、とても奇妙な感じがした。


 これでどうだ。


 部品を交換した左脚は、まるで新品みたいに動いた。


 ボクは感謝の気持ちと作業を遅れさせて申し訳ない気持ちとが溢れてきて、何度も【マスター】に頭を下げた。


 もういい、仕事にもどれ。


 【マスター】はそう言っただけだったけれど、その声にはなんだかいつもと違う響きがあった。ボクのせいで作業が遅れたからかもしれない、と思った。


 ボクは【マスター】につくられたロボットだ。ロボットは人の役に立つためにつくられる。


 そんなボクがこれ以上、彼に迷惑をかけるわけにはいかない。


 ボクは迷惑をかけるために生まれてきたんじゃないはずだ。もっともっと【マスター】の役に立ちたい。役に立ったほうがいい。役に立たなくてはいけない。役に立つべきだ。役に立て。


 そう考えれば、右目が見えないことくらい、なんでもないことのように思えた。




 【マスター】のことをもっとよく知る。ボクはいつもそのことを考えるようになった。


【マスター】の好むもの。

【マスター】の習慣。

【マスター】の嫌いなもの。


 そうして分析しようとしてみても、他人のことというのはわかるようでよくわからなかった。


 今日は野菜の気分だという分析の結果、人工畑から芽キャベツを収穫したことがある。もっとも近い恒星の光を集めてエネルギーとして長期間蓄えておける畑。でもローストした芽キャベツはまずいと言われ、皿ごと投げつけられた。


 勝手なことをするな。片付けておけ。


 分析の結果、【マスター】は慢性的なストレスを抱えているようだ。ということがわかった。


 でもそれを解消できるような知識はボクには与えられていなかった。ボクはしょせん【マスター】のために物を運ぶくらいしか能のないロボットなのだ。


 それを実感したのは、ボクたちの宇宙船がこの星にたどりついたときだった。


 宇宙船の小窓から、灰色の惑星が見えたときのことはよく覚えてる。


 まるでボクの部屋にある鉄くずの一つみたいに小さな球体が、少しずつ大きくなっていって、しばらくすると窓からじゃ全体を把握できなくなった。


 そうかと思ったら次の日には、地表を埋め尽くす砂の模様が、片目のボクにでもはっきりと認識できるくらいに近づいて、やがて宇宙船は動くのをやめた。


 降りろ。


 【マスター】がボクに命じた。


 開け放たれた機材搬入口から地上に降り立った。


 見渡す限りの荒野だった。岩と砂。それが視界にある全てだった。


 酸素濃度は……充分か。放射能反応なし。温度も予想の範囲だな。周囲の安全を確認してこい。


 彼の声が耳元の通信機から聞こえる。ボクはその声に従った。船を少しでも離れると、すぐに濃い砂嵐がそれを覆って、方向感覚を狂わせる。あたりは風と砂のぶつかりあう音で騒々しかった。


 宇宙船は、小高い丘の上に着陸したようだった。この砂嵐がなければ、きっと遠くまで見渡せるくらいの場所なのだろうと思った。


 斜面を転げ落ちないように気を配りながら進んだ。崖を踏まないように慎重に歩いた。


 やがてボクは丘が見下ろす窪地にたどり着いた。


 窪地には岩と砂と乾燥した枝以外のものがあった。


 それらを船に持ち帰ることにした。それらを持ち帰ることだけが、無能なボクにできる唯一のことだった。持ち帰ったほうがいい。持ち帰らなくてはいけない。持ち帰るべきだ。持ち帰れ。


 ボクと同じ、機械でできた、ロボットたちの残骸を。

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