16.あなたがやる?
フィデル国がいつ攻めてくるかわからない今、本隊すべてを動かすわけにはいかない。
いつでも出撃可能な状態にし、各隊長に準備だけさせておくと、アリシアは部下三名を連れてジャンを追った。
あれだけの煙を出すには湿った草や葉を使う必要があり、食事のための火おこしとは考えにくい。ということは、やはりなにか緊急事態だろう。
「アリシア筆頭、前方からなにか来ます!」
感覚の鋭いマックスがいち早く気づき、それを知らせてくれた。
「この足音はおそらくジャンと、他に誰かいるようです」
マックスの言葉に、ルーシエは即座に前方を注視する。
「確認できました。ジャンと赤髪の少年です」
目のいいルーシエが姿を確認し、アリシアたちもそちらへと急ぐ。
少年はひょいひょいと森の中を駆けてきて、あっという間に二人はアリシアの前までやってきた。
「筆頭、やっぱりオルト軍学校の補給隊だ」
少年の後方でジャンが言った直後、赤髪の彼が必死の形相でアリシアに声高に叫ぶ。
「アリシア筆頭大将!! でっけぇホワイトタイガーが!! みんな襲われてんだ! 怪我人もいる!!」
その言葉にピンと空気は張り詰められる。相当に切羽詰まった状況であると即座に理解できた。
ホワイトタイガーは強靭な魔物である。この森を生息域としていないはずだが、餌を追い求めてやってきたのか、それとも迷い込んだのか。
「わかったわ。安心なさい、すぐに行って仕留めるわ」
「俺も戻らねーと!!」
「あなたはこの先に本隊がいるから、そこで待機よ!」
「いや、俺も連れてってくれ!! 仲間がやばいんだ!!」
「だったらなおさら本隊に合流ね! 自分の実力をわきまえなさい!!」
一喝するも、怯まずに「けどっ!!」と食い下がる赤髪の少年を引き剥がすため、アリシアはジャンに目を向けた。
「ジャン、彼を本隊まで連行! 絶対に来させないで! 彼を本隊に預けたら、あなたは臨機応変に対応なさい!」
「わかった」
ジャンが少年の襟首をがっしり掴んだのを確認して、アリシアたちは進行方向に足を戻す。
「はなせッ!! 俺も行く!!」
「諦めてくれる。筆頭の命令は絶対だから」
ぎゃーぎゃーと騒ぐ少年にジャンは言い放つと、その声は遠ざかっていく。
「急ぐわよ」
アリシアは先ほどより速度を早めるも、生い茂った森の中では思うように急げない。先ほどの少年は、よくこの森をひょいひょいと飛ぶように抜けてきたものだ。
「前方、誰かいます!」
「怪我人ですね。人を背負っています」
またもマックスとルーシエが見つけ、アリシアは急いで駆け寄った。
アイスブルーの瞳をした少年が、傷を負った少年を背負って歩いている。
「あなた! 大丈夫かしら!?」
「アリシア、筆頭大将……! 俺はオルト軍学校のトラヴァスです。今、向こうで体長約三メートルのホワイトタイガーが……!」
「わかってるわ。マックス、彼らに手を貸して本隊へ合流──」
「筆頭!」
そのマックスが、突如としてアリシアの言葉を遮った。と同時に剣を抜いて構えている。
「なに!?」
「四つ足動物がいます……おそらく、魔物……!」
「わかったわ! 私がすぐにやっつけて──」
そう言いかけて、アリシアは今度は自分から言葉を止めた。
脳裏に浮かぶ、愛する娘の顔。唐突にアンナが脳裏に浮かんできたのだ。
「アンナが……!!」
「アリシア様、異能ですか!?」
「ええ! フラッシュ、マックス! 二人を守りながら敵を撃破! この場は任せるわよ!! ルーシエは私といらっしゃい!!」
「っは!」
「はい!」
「よっしゃ、暴れてやるぜっ!」
その場はフラッシュとマックスに任せて、アリシアは脳内に浮かぶ場所を目掛けて駆け出した。
しかし足元が悪い上、木々が多くてまっすぐ走れない。脳裏に浮かぶアンナは険しい顔をしていて、危険を知らせる赤色がビカビカと脳内で点滅している。
(アンナ!! しっかりなさい!!)
後ろで獣の断末魔が聞こえた。すぐにフラッシュとマックスがやったのだとわかる。
トラヴァスが体長三メートルと言っていたから、彼らでは瞬殺というわけにはいかないと思ったが、別の個体か魔物だったのだろう。これならすぐに追いついてくるはずだ。
しかし脳裏の危険色は途絶えることなく、アンナを救えとアリシアに訴えかけている。
アリシアは枝葉を体にぶつけながらも懸命に走るアリシアの脳裏に、もう一人追加される。
(これは……グレイ……!?)
その昔救い出した少年が、成長した姿で映し出されたのだ。
(グレイとアンナが応戦してるんだわ! このままじゃ、二人とも……!!)
「確認しました!!」
息を呑んだアリシアの耳に、ルーシエの言葉が飛び込んでくる。
と同時に、脳裏に浮かぶアンナの顔がだけが消えた。
異能が危険を知らせなくなったということ。
それは、助かった時か……死んだ時だけだ。
「ルーシエ!!」
アリシアが名前を呼ぶも、彼は返事をする前にすでに矢を放っていた。
ヒュッ ヒュッ ヒュッ
一瞬で放たれた三本の矢は、風を切って木々の隙間を狙ったかのように飛ぶ。
それを追いかけるようにアリシアは足を早め、大剣を抜いた。
グギャアアアアアアアアアアアア!!!!
ルーシエの三本の矢が、見事ホワイトタイガーの鼻先を射抜く。
アリシアは逃げられる前にその大剣を頭上から打ち下ろした。魔物の頭は真正面から真っ二つに割れ、あたりに血を撒き散らす。
剣の血糊をビュッと振り払ったアリシアは、後ろにいるホワイトタイガーと対峙していた男に告げた。
「ホワイトタイガーの弱点は尻尾と鼻よ。一撃で倒せないのなら、他は傷つけない方が懸命ね。倒せないまでも、鼻を狙えばひるませることぐらいはできたはず。まだまだ勉強不足ね!」
後ろを振り向き確認すると、そこにいたのはアンナ……そしてやはり、大きくなったグレイだった。
目を見開いたまま固まっているグレイ。アリシアは引き締まっていた顔を緩めると笑みを向けた。
「久々に会ったというのに、少々手厳しかったかしら? 逞しくなったわね……グレイ」
「筆頭……大将」
グレイはアンナを抱きしめるようにして起き上がろうとしている。左手の出血がひどい。しばらくは動かせないだろう。
グレイの顔は苦しそうに歪んでいるが、それは痛みだけのことではなさそうだった。アンナはぴくりとも動いていない。気を失っているだけなのだろうか。
「よく頑張ったわね。アンナを、守ってくれてありがとう……」
アリシアはひざまずくとグレイをふわりと抱き締めた。しかしグレイは、深くうつむいて歯を食いしばり、首を何度も横に振っている。グレイの後悔が、伝わってくる。
(後悔なんて、させないわ)
アリシアは瞬時に気持ちを切り替えさせようと声を上げた。
「さぁ、感動の再会はここまでよ。先にケガ人をなんとかしないとね!」
顔を上げると、ルーシエだけでなくマックスとフラッシュもすぐに追いついてきた。
大きく肩で息をしてはいたが、この程度でへたれる部下たちではない。アリシアは即座に指示を飛ばす。
「マックス! 大至急この子の止血をしてちょうだい」
「はっ!」
「フラッシュ! すぐに本隊から衛生兵を連れてきて! タンカも二台よろしくね」
「うっす!」
「ルーシエ、そちらのお嬢さんの具合も確認を」
「かしこまりました」
マックスがグレイを助け起こし、止血の応急処置を施している間に、アリシアはアンナを受け取り地面に寝かせた。
「さて、と」
頭から血は出ているものの、こちらは致命傷になるような傷ではない。
アリシアが一瞬見た光景では、ホワイトタイガーがアンナの胸元に乗り掛かり、グレイが必死で止めようと押し返している姿だった。
アンナの顔色は紫に染まり、ぴくりとも動いていない。アリシアが頸動脈に手を当てて確かめるも、鼓動は感じられなかった。
考えられるのは、外傷性の窒息死。
確かめるためにグレイに視線を送るも、彼は苦しそうに顔を歪めて目を逸らす。
「つい、さっきよね?」
「は、はい……」
アリシアは手早くアンナの気道を確保して鼻を摘まんだ。しかしグレイがこれでもかとアリシアに視線を送っているのに気づき、手を止める。
「あなたがやる? 人工呼吸」
「やります!」
グレイが一瞬も躊躇わずそう答えたので、アリシアは場所を変えてアンナの胸元に両手を重ね合わせた。
「準備よし」
「行きます」
グレイは大きく息を吸い込み、そっとアンナの唇を塞いだ。
アンナの肺が、送り込まれた空気で大きく膨らむ。
二度膨らんだところで、アリシアが心臓マッサージを施した。十五回を数えたところで、グレイはもう一度アンナに息を吹き込む。
「頼む……」
アリシアの心臓マッサージを数えながら祈るように声を漏らしたグレイに、アリシアは強い言葉で告げる。
「大丈夫よ、すぐに帰ってくるわ。はい、次!」
そう言って心臓マッサージを続けながら、アリシアは幸せの神様の話を思い出していた。
母であるターシャは幸せの神様を信じていたし、アリシアもまた信じて育ってきたのだ。
たくさんの幸せの神様の話の中で、母から聞いたアリシアの好きな言葉がある。
──絶望している人のところに、奇跡は起きないわ。希望は持ち続けるの。自分に恥ずかしくない生き方をしていれば、奇跡はいつか必ず起こるのよ。
(大丈夫、アンナは帰ってくるわ!)
そして、アリシアとグレイによる蘇生措置が三順目を終えた時。
「…………はぁっ!! げほっ、げほげほっ!!!!」
アンナが大きく息を吸い込み、そして激しく咳き込んだ。
(……ほら、帰ってきた)
アリシアは自分が思っていた以上にほっとして、アンナに笑みを向ける。
一瞬目を見開いたグレイは、アンナの呼吸を確認して目を閉じ、大きな息を吐き出しながらへたりと後ろ手を突いている。
その様子を見て、アリシアはもう一度微笑みながらアンナに目を向けた。
「お帰りなさい、アンナ。あちらのお花畑は、どうだったかしら??」
体を丸めて咳き込んでいたアンナは、ようやくアリシアの顔を確認した。その目が大きく開かれていく。
「か、母さん……! どうして……? 私、お花畑を越えてしまったのかしら……」
「いやぁね、勝手に殺さないでちょうだい。私はこの通り、ピンピンしてるわよ」
「母さん……!!」
アンナは大丈夫に違いない。そう信じてはいたけれど、ほんの微かにアリシアの指は震えていた。
娘やグレイに悟られぬように、ぎゅっとアンナを抱きしめる。
「グ、グレイはっ!?」
「そこでへたってるわ。無事よ」
「よ、よかった……」
力が抜けたのか、グレイはぐったりと大の字に寝転んでいる。
生き抜いたことを喜ぶ二人を見て、アリシアもようやく一息つくことができたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます