第3話 シリウス・リアーネとは

 「グレン、また国王陛下に呼び出されたのか?」


 グレンがリアーネ家の屋敷に戻ると、待ち構えていたかの様に、グレンの父親……リアーネ家の現当主であるホフマンが声をかけてくる。


 その声色は、怒気を粉団ふんだんに含んでおり、目を細めてグレンを睨みつけている。


 「呼ばれた訳ではありません。報告に上がっていただけですよ」


 「ちっ……」


 ホフマンが舌打ちし、怨嗟の言葉を口にする。


 「なぜ、当主の私ではなく、グレンなのだ……確かに、私はいくさに参加していないが、それは病気が原因だ。仕方ないことなのだ。なのに、何故、国王は私に信頼を置かない? 私は『シリウス』! 『シリウス・リアーネ』なんだぞ!」


 最後の方は、叫び声になっていた。


 ホフマンは、グレンの存在など無視するかの様に、奇声をあげ、叫び続けている。


 グレンはそんな父には目もくれず、屋敷の中へと入って行った。


         *


 ホフマンは、リアーネ家の10人目の子供として生を受けた。

 

 彼の父……リアーネ家前当主は、ホフマンが誕生するまでに、9人の子宝に恵まれたが、産まれた子が、全て女児であった。


 それが原因で、前当主は怒り狂い、自らの妻……リアーネ夫人を「役立たず」と罵り、リアーネ家から追放してしまった。


 前当主の苛烈な行いには、リアーネ家独自の家訓が関係している。


 と言うのも、リアーネ家の家訓は、

 

 『男児にあらずんばリアーネにあらず』


 と言う厳しいもので、リアーネ家に女児として産まれた子供は、『聖剣鑑定』すら受けさせてもらえなかった。


 前当主は、9人の娘たちに『聖剣授与式』を受けさせる事すら難色を示したが、アーネスト王国の法律で、

 

 『どの様な環境に置かれている者であっても、人であるならば、聖剣は授与されなくてはならない』


 と定められている為、やむを得ず受けさせたにすぎなかった。


 『私は無駄な事が嫌いだ。女児は所詮、政略結婚のための道具にすぎない。聖剣を持たせるなど、何と贅沢なことか』


 と言うのが前当主の口癖でもあった。


 実際、リアーネ家に産まれた9人の女児たちは、皆、政略結婚の道具として嫁がされたていった。


 ホフワンの父親は、後継者問題に悩まされた。

 

 このままでは、外部から養子を取らねばならない。


 そんな事は、リアーネの血筋に何よりも重きを置いていた前当主とって到底、受け入れられる事ではなかった。


 しかし、ここで前当主、そしてリアーネ家に吉報がもたらされる?


 追放されたリアーネ夫人は実は身籠っており、追放後に出産し、産まれた子が男児だったのだ。


 それを聞いた前当主は、すぐに夫人をリアーネ家に呼び戻し、産まれた男児はホフマンと名付けられた。


 ホフマンはリアーネ家の嫡子として、前当主の期待を一身に受け、あらゆる教育を施された。


 父の期待に応えるため、ホフマンは努力を惜しまず、勉学に励んだ。

 

 ホフマンは、人格形成がなされる多感な時期に、社交界の場に参加する事も許されず、リアーネ家時期当主としての教育を受けなければならなかった。

 

 しかも、ホフマンの父は、


 『お前は選ばれし人間だ。お前の9人の姉たちは女……アレらはリアーネではない。お前は唯一のリアーネだ。アレらを姉だなどと思うな。対等に接する事も許されない』


 などとホフマンに言い聞かせて育てたため、彼は姉を姉とも思わず、『自分は特別で、選ばれた人間なのだ』と周りに風潮する様な、尊大で、傲慢な性格に成長していった。


 ホフマン自身も、自分はリアーネ家の当主になるのだと信じて疑わなかった。


 しかし、そんなホフマンを失意のどん底に突き落とす、残酷な事実が判明する。


 ホフマンは『抜剣術』の才能に恵まれなかったのだ……。

 

 聖剣こそ『貴級聖剣』を授かったものの、どれだけ努力しようと『レベル1』の抜剣がホフマンの限界だった。

 

 リアーネ家は聖剣士として、魔族との戦いにおいて、多大な戦果を上げている名門貴族だ。


 そんなリアーネにあって、大して戦えず、性格破綻者でもあったホフマンは、父から見限られ、『リアーネ家の面汚し』、『出来損ない』などと罵られる様になっていった。


 ホフマンなりに努力し、父の期待に応えようとしたが、現実は残酷だ。


 結局、聖剣士を育成する学園、アカデミーに入学するも、成績は伸び悩み、卒業するのがやっとと言う有様だった。


 ホフマンは成人し、家督が継げる年になった。

   

 だが、彼は。リアーネ家の後継者として認められず、父親からは、相変わらず『失敗作』などと呼ばれ、冷遇された。


 ホフマンにとって、一番屈辱だった事は、父親がホフマンを見限り、『聖剣士』として才能ある女性をホフマンの妻として、リアーネ家に迎え入れた事だ。


 ホフマンの父は、


 『貴様の薄汚れた血は清めねばならん。この女はリアーネ家の某系の女……リアーネの血が流れておる。女に頼らざるを得ないのは甚だ遺憾だが、背に腹は代えられん。次代に期待するとしよう』


 と、ホフマンの意見など度外視で、子をなすためだけに選んだ女性を、ホフマンの妻とした。


 後継者と認められず、何一つ期待されず、存在意義すら否定されたホフマンは、次第に精神を病んで行った。


 決して愛す事のない妻、


 愛される事のない夫、


 期待されない自分、


 そう言った環境が、ホフマンを確実に追い詰めていったのだ。


 そして、ホフマンの心は、ある出来事を切っ掛けに完全に壊れてしまう。


 それは、神人グレンの誕生だ。


 ホフマンは、元々、幼くして自分より優秀なグレンに対して、劣等感を持つ様な父親であった。

 

 父親に愛されず、幼い我が子にすら嫉妬し、愛情を注げない男……それが、グレンの父親としてのホフマンだった。


 グレンが10歳の時、『神級聖剣』を授かった事により、さらにホフマンのグレンに対する劣等感が加速していく。


 ホフマンの父は、グレンが『神級聖剣』の主であったことに、大いに喜び、遂には、グレンに家督を譲ると言い出した。


 ホフマンは当然、抗議したが、ホフマンの父は、


 『出来損ないが……私に意見知るとはな。お前はリアーネではない。当然、家督も『シリウス』の名も、グレンが継ぐこととなるだろう』


 そう言って、ホフマンの抗議を一蹴した。


 そして、ホフマンの心は修復が不可能なほど壊れてしまった。


 リアーネ家の当主になる者は、代々、家督と共に『シリウス』の名を世襲する。


 つまり、『シリウス・リアーネ』とは、リアーネ家の当主たる者が名乗る、当主の証なのだ。


 グレンが成人すれば、問答無用で『シリウス』となる。

 

 ホフマンにはそんな事は到底、許容できる事ではなかった。


 そして、遂にホフマンは強硬手段に出る。


 元々、当代の『シリウス・リアーネ』……ホフマンの父親側に属していた自身の妻を、秘密裏に殺害したのだ。


 ホフマンの妻は、実子のグレン、そして、妹のリリアを愛していた。


 ホフマンの事は愛せなくとも、自身の子には惜しみない愛情を注いでいたのだ。


 『このままコイツを生かしておけば、将来、必ずグレンを当主に推すだろう……始末しなければ』


 ホフマンはそう考えて、強行手段に及んだ。

 

 また、ホフマンは、


 『グレンは神人だ。害を与えれば、事実をもみ消す事は不可能だろう。神人に危害を加えれば、父親の私とて極刑に処されてしまう……手出しはできん。妹のリリアは女であるため、そもそもリアーネを継ぐ事はできん。放置しても問題はなかろう』

 

 などと打算的な事も考えていた。


 ホフマンはどうしても『シリウス』の名が欲しかった。

 

 その名を手に入れるため、手段を選ばなくなっていた。


 グレンが15歳、リリアが10歳になった頃だ。


 グレンが家督を継承できる年まで、一年を切っていた。


 その折、現『シリウス・リアーネ』……ホフマンの父が病に倒れる。


 治療法が確立されていない病……『竜血症りゅうけつしょう』と言う不治の病だ。


 ホフマンはほくそ笑んだ。


 このまま父親が身罷みまかれば、未成年であるグレンは家督を継げず、必然的にホフマンに『シリウス』の名が転がり込んでくる。


         *


 実は、この『竜血症』は、不治の病であるが、人為的に感染させる事が可能な病だ。

 

 『竜血症』の病原体は、『ドラゴンポーション』と呼ばれる液体で、闇市などで稀にではあるが、かなりの高額で出回る事がある。


 コレを、対象に一定量飲ませる事で感染させる事が可能で、感染後一週間の致死率は100%と言う脅威の病だ。


 しかし、伝播性でんぱせいがゼロであるため、兵器としての運用はできない上に、『ドラゴンポーション』自体の希少性が高いため、用途は暗殺などに用いられる事がほとんどだ。


 しかも、この『ドラゴンポーション』による『竜血症』は、感染者が死亡した際に、身体から原因となった病原体が消滅してしまうと言う特徴を持っており、後に遺体を調べられても、疑われる事がない。


 さらに、『ドラゴンポーション』の希少性から『竜血症』の認知度も低い上に、


 『あまりの殺傷性の高さから、認知された際の影響力を考え、王国自体が存在を隠している』


 と言う事情から、例え『竜血症』で死亡したとしても、ただの病死として処理されてしまう事がほとんどだ。


 もちろん、その様な危険な代物は、法律で厳しく取り締まられており、『ドラゴンポーション』を所持している時点で、極刑となるほど罪が重い。


         *


 実は、ホフマンは大枚を叩いて、闇市で『ドラゴンポーション』を手に入れ、父親に秘密裏に接種させていたのだ。


 父に『竜血症』の症状──


 『全身に黒い斑点が現れる』


 が出た事で、ホフマンの中で父親の死は決定事項となり、『シリウス』の名が自分のものとなると確信したのだった……。


         *


 ホフマンのたくらみ通り、ホフマンの父は病により、身罷った。


 この世界には、『竜血症』と似た様な病がある事や、その特異性から、ホフマンの犯行を疑われる事はなかった。


 父親の死により、晴れて『シリウス』の名を引き継いだホフマン。


 しかし、ホフマンは当主としての責任を果たさず、貴族として……そして、聖剣士としての責任も果たさなかった。


 『魔族討伐遠征』の為の徴兵命令が出ても、病気を口実に拒否し、今までに一度たりとも徴兵に従った事はない。


 屋敷にいても、実子のグレンやリリアには興味を持たず、ろくに話もしない。


 貴族としても、


 聖剣士としても、


 父親としても、


 何一つ責任を果たさない男。


 それがホフマン……『シリウス・リアーネ』と言う男だった。


         *


 コンコン


 グレンは、リアーネ家の執務室の前に立ち、扉をノックする。


 王城でも同じ様な行動をしていたが、その時と比べ、グレンの表情は固く、思い詰めている様だった。


 「入れ……」


 それだけ言って、執務室内の人物……シリウス・リアーネは押し黙る。


 「入ります」

 

 そこには、王城で見せた礼儀正しさはカケラもなく、ただ、作業をこなしているだけと言う感じで、淡々とした様子だった。


 執務室の中には、執務机があるが、その執務机は、オズ・ストーンと呼ばれる頑丈な石材が使われており、


 『どんな鈍器で叩いても傷一つ付かない』


 と言われている、シリウス自慢の一品だった。

 

 その執務机の上に乗っているのは、カードやダイスなどと言ったギャンブル用品だ。


 椅子に腰掛けたシリウスは、机の上に置かれたカードの一部を手に取り、弄んでいた。


 シリウスは当主としての仕事をグレンやリアーネ家の執事長に押し付け、自らは執務を行わず、日がな執務室に閉じ籠り、漫然と過ごしている。


 「何の用だ?」


 シリウスは、グレンの方に視線を向け、ジロリと睨みつける。


 グレンはそんなシリウスの視線など意に介さず、口を開く。


 「父上……リリアを、また部屋に閉じ込めたのですか?」


 グレンは、落ち着いた声色でそう語るが、表情は固く、シリウスを見る目は冷たかった。


 「街に出たいと我儘わがままを言ったからな……当然の罰だ」


 「罰……とは? 街に出たいと言う事が、それほどいけない事なのですか……?」


 シリウスは「ふん」と鼻で笑いながら、グレンを小馬鹿にした様に言う。


 「アレは女だぞ? リアーネ家をさらに発展させる為の道具だ。道具が主人に願い事をするなど……不遜ふそんだろう?」


 ──ぎゅっ


 グレンは、シリウスの言葉を受け、拳を強く握る。

 溢れ出そうになる怒りを、抑えている様だった。


 「それに……リリアはもうすぐ12歳になります。そろそろ『聖剣鑑定』を受けさせてやって下さい」


 「馬鹿を言うな。女に聖剣など必要ない。どうせ適齢期になれば嫁ぐのだ……アレに必要なのは聖剣ではなく、女としての器量だろう」


 シリウスの物言いに、グレンは無言で執務机に近付く。


 「何のつもりだ……?」


 「何故、貴方はリリアにその様な態度を取るのですか? 僕はまだ良い。割り切っていますから……ですが、リリアはまだ幼く、母親の愛も知らずに育った子です。少しで良い……少しでも良いから、リリアに優しくしてやって下さい」


 「ふん……何度も言わせるな。アレは女だぞ? リアーネ家では女に人権は無いのだ! 家のために生き、家を発展させるために犠牲とならなければ、何のために女として生まれてきたのだ!」


 「母上がご存命なら、そんな事は絶対に言わなかったでしょう……惜しむらくは、リリアに愛情を与えてくれる存在が……母上が亡くなってしまった事です。ハッキリ言って、この家に必要な人は、貴方ではなく母上だった」


 グレンは、今まで言いたくても言えなかったことを口にした。


 王城でのアーネストとのやり取りを思い出す。

 

 『リアーネ家の名をこれ以上落としたくなければ、今後のことを良く考えておくが良い』


 (リアーネ家の名か……そんなものどうでも良い)


 グレンはそもそもリアーネ家の……自分の家系のことが心底嫌いだった。


 リアーネを名乗ることに嫌悪感を覚え、誇りを持ってリアーネを名乗る者を、心の底から軽蔑していた。


 女を女とも思わない、


 女子と言うだけで、道具の様に扱われ、


 実力がなければ存在すら認められず、


 自身の家族にすら愛情を向けない。


 「……グレン。貴様、どう言うつもりだ。私を、この私を……『シリウス・リアーネ』を馬鹿にするのか!! リリアの事など、私の采配一つで──」


 ドゴォ!!


 シリウスが言い終わる前に、グレンの拳の一撃が、執務机を粉砕した。

 

 オズ・ストーン製の頑丈なはずの執務机が、粉々に砕け散る。


 シリウスが「ひっ」と小さく悲鳴を上げ、尻餅をついた。

 

 「ぐたらん! ことごとくくだらん! 何がシリウスだ! 何がリアーネだ! そんなもの魔物の餌にくれてやれ!!」


 ついに、グレンの怒りが頂点に達する。


 それを受けてシリウスは、


 「グ……グレン……貴様……父親に向かって」


 と、グレンの怒りを前に、弱々しく返すのが精一杯だった。

 

 「こんな時だけ父親ヅラするな! アンタを父親と思ったことなど一度もない! 僕の家族はリリアだけだ!」


 そこまで言って、少し冷静になったのか、グレンは声のトーンを下げ、


 「リリアの部屋の鍵はもらっていきます……今後、あのには一切、関わらないでいただきたい」


 と言って、執務室の壁に設置されたキーボックスから一本の鍵を抜き取る。


 「グレン……何故、今更、私に逆らう……? まさか……貴様、私から全て奪うつもりか……? そんな事は許されない……コレは私が全てを賭け、手に入れたものだ……」


 シリウスが恐怖に全身を震わせ、グレンを睨め付ける。

 

 それは何に対する恐怖なのか……。


 全てを失うことに対する恐怖なのか。


 グレンの圧倒的な力を目にした恐怖なのか。


 そんなシリウスを冷たく見下ろし、グレンは、


 「……悪いが、僕はもう決意してしまった。もう何を言われても止まるつもりはない。貴方を引き摺り下ろし……僕が当主としてリアーネ家を変える」


 と言ったのだった。


         *


 グレンが執務室を去った後、シリウスは未だに恐怖に身を震わせながら、うずくまっていた。


 「絶対に許さない……そんな事は許されない……許されないんだ……私は『シリウス』だ……」


 シリウスの両目は、限界まで見開かれ、充血し、瞳孔が開いている。

 

 「苦労して手に入れたものだ……私のものだ……グレンではない……私のものなんだ……それを奪うと言うなら……」


 瞳をぎらつかせ、開きっぱなしになった口からは、涎も垂れている。


 その様子は、まるで、追い詰められた獣の様だった。


 「……ふふふ……許さないぞ……思い知らせてやる……私に逆らった……報いを……」


 執務室には、しばらくの間、シリウスの不気味な笑い声が木霊していた……。

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