第17話 リネアとユラン

 「リネアちゃん……助けにきたよ」

 

 ユランはサブウェポンを鞘に納め、地面に座り込んでいるリネアに右手を差し出す。

 リネアも咄嗟に、右手でユランの手を取ろうとするが──


 「痛っ……」

 

 直ぐに引っ込めてしまう。

 

 ユランは、差し出した右手に、ヌメリと何かがついた感触に気付く。

 確認すると、ユランの右手には、リネアのものであろう血液がベッタリと付着していた。

 

 それに、リネアの顔を確認してみると、額からも出血している。

 致命傷となる様な傷はない様だが、リネアは怪我した右手を庇う様にしている。

 命の危機が去り、安堵から痛みの感覚が戻ってきている様子だった。


 「あ……ごめんなさい」


 突然、手を引っ込めてしまった事を謝っているのか、それとも、ユランの手を血で汚してしまった事を謝っているのか、リネアは俯いてしまった。


 「大丈夫……それより、出血が酷いね。手当しないと」


 そう言うと、ユランは差し出していた手を返し、リネアに向かってかざした。


 『リペア』


 修復という名前の神聖術を唱える。

 『リペア』は受けた傷を治療する神聖術だ。

 回復術としては初歩の初歩で、努力次第では誰でも習得できる。

 傷を治療するだけで、体力などを回復させる効果はないため、あくまで応急処置に過ぎないが、出血を止めることはできる。


 リネアの身体全体が、淡い緑色の光に包まれる。

 リネアの右手と額にあった傷は、ギズ跡も残さずに綺麗に消えた。


         *


 『リペア』は術者の能力が高ければ、欠損した体の一部ですら修復が可能になる。

 これを『オールリペア』言う。


 『リペア』に似た神聖術で言えば、『ヒール』というものがあるが、これは『リペア』とは対照的に、体力の回復を主とする神聖術だ。

 ほんのかすり傷程度ならば治せるが、大きな傷を受けた場合は『リペア』でなくては治療できない。

 ちなみに、失われた体力を完全に回復させる術を『オールヒール』という。


 つまり、完璧な回復術を使おうと思ったなら、『リペア』と『ヒール』の両方を扱う技術が必要になってくる。

 

 回帰前の世界で言えば、アニスという神聖術士がいたが、彼女は『オールリペア』と『オールヒール』の使い手だった。


 なお、ユランは『ヒール』は習得しておらず、回復術は『リペア』しか使用できない。


         *


 「あ、ありがとう……ユランくん」

 

 傷の痛みが消え、リネアに、少しだけだが余裕が戻ってきているようだ。

 再度、差し出されたユランの手を、今度はしっかりと握り、立ち上がった。


 何故、ここにユランがいるのか、どうやって魔物を倒したのか、今、何が起こっているのか、傷を治した光は何だったのか……リネアの頭の中で、様々な疑問が渦巻き、混乱して上手く頭が回らない。

 その疑問を、全てユランにぶつけたかったが、そんな事をしたらユランが困る事がわかりきっていため、そんな事はしない。

 だが、リネアにもたった一つだけ、わかることがあった。

 

 (ユランくんは私の英雄だ)


 命を助けられたこともそうだが、両親の仇を討ってくれた。

 その事が、何よりもリネアには嬉しかった。


 そんな事を考えているリネアとは対照的に、ユランは焦りを感じていた。

 取り敢えず、リネアを救う事には成功したが、肝心の『敵の親玉』がここに居ない。


 足場の悪い森での戦闘は避けたかったのが正直な所だが、相手の居場所がわからないのでは話にならない。

 

 リネアから詳しい話を聞くしかないのだが、リネアは10歳の少女だ。

 怖い思いをし、体力的にも限界だろう。

 話している間に、恐怖が蘇ってきてしまうかもしれない。

 

 ユランは、躊躇うが、少しでも情報を手に入れるため、無理をさせてでも、彼女から話を聞かなければならないと決め、意を決した。


 「リネアちゃん、教えてほしい。ここに居たのはこの魔物だけ? 他に誰か居なかった?」


 いきなり核心に迫った質問をしてしまいユランは「しまった」と後悔した。

 

 (まずは、リネアをいたわり、順立てて聞いていくべきだった)


 慌てて質問を変えようとしたユランだったが、リネアは答え始めてしまった。


 「あ……ううん。口の大きな男の人が一緒にいたの……その人が私に酷い事を言ってきて……わたし、悲しくて泣いちゃって……それで……後は任せるって言って……男の人の周りに……煙みたいなのが出て……それがなくなったら、男の人がいなくなってて……それで……それで……わたし、何にも……で、だきな……くて……お父さん……お母さん……」


 しゃくりあげながら、リネアは捲し立てる様に言った。

 リネアの中で様々な事が交錯しているのだろう。

 ついにリネアは、俯いて泣き出してしまった。


 「ごめん……ごめん……もういいから。もうわかったから大丈夫」


 そう言って、ユランは俯いて泣きじゃくるリネアを優しく抱きしめた。

 怒りの炎が再度、ユランの中で激しく燃え上がっていた。


 リネアの話で、いくつかわかった事があった。

 

 ユランは回帰前の魔族襲撃時、周りを見る余裕などなく、恐怖に震えることしか出来なかった。

 そんな状態の時の記憶など当てにならなかったため、今世で見聞きした情報に重きを置いていた。


 リネアの話から察するに、敵の親玉は『魔貴族』で間違いない。

 

           *


 リネアに対して暴言を吐いたと言う事は、言葉を解し、知性もあると言う事だ。

 この世界に知性のある魔族は『魔貴族』と『魔王』クラスの魔族しか存在しない。


 『魔王』クラスの魔族であれば、人間の感情を弄んで悦に入るような下劣な事はしないだろう。

 『魔王』とは、自分が強者である事にプライドを持っており、殺戮を楽しみはすれど、人間の心の動きになど興味を持たない者たちだ。

 悪い意味で、強者然としている。


 変わって、『魔貴族』は『魔王』に比べて戦闘力も著しく低く、魔族内での階級も低い。

 強者に対する劣等感を常に抱えており、弱者を痛ぶる事に快楽を覚える。

 

         *


 敵の『魔貴族』は、魔物を残してどこかに去ったらしいが、回帰前の出来事から考えてみれば、リネアを貶めて満足して帰ったなどと言う事は有り得ないだろう。


 黒い煙に包まれた後、消えたと言うなら、その『魔貴族』は眷属の元に移動できる能力を持っていると言うことだろう。

 

 (そう言う能力を持つ奴は、回帰前に何度も見ているからな……と言う事は、眷属を先に村に移動させたか、それとも、別の場所に移動し、集まってから村に向かったか……とにかく、村に急いで戻った方が良さそうだ)


 ユランは、ある程度考えを整理すると、未だに泣きじゃくっているリネアに対し、出来るだけ優しい声になるように注意して言った。


 「もう大丈夫だから……落ち着いて」


 優しく語りかけるユランの声に、少しだけ落ち着きを取り戻したリネアは、短く「……うん」と返事を返した。

 リネアが、幾分か落ち着きを取り戻したのを確認し、ユランは言う。


 「僕はもう行かないと」


 ユランは、リネアの身体を離し踵を返すが、リネアは、


 「ダメ!」

 

と叫び、ユランの手を掴み、引き留めた。

 

 ユランはリネアの頭に手を置き、幼子に言い聞かせる様に優しく言った。


 「さっきの男が村、を襲撃しようとしているんだ……止めに行かないと」


 「そんなのダメだよ……危ないよ」


 「僕は大丈夫……さっきのを見たでしょ? 僕は強いんだから」


 ユランの言葉を聞いてもリネアは納得せず、尚もユランの腕を引き、首を左右に振ってユランを引き留める。


 「村には、シエル先生とゼン先生がいるから大丈夫だよ……それよりも、一緒に逃げよう?」


 ユランは、シエルとゼンの名前が出た事に、わずかに反応する。

 

 「ああ、あの二人はダメだね。当てにならないから」


 ユランの声が驚くほど低くなり、リネアはビクリと身を固くする。

 しかし──


 「君はここに隠れていて。すぐに戻ってくるから」


 ユランは、すぐに元の優しげな声に戻り、リネアに対して笑顔を向ける。

 現在地から村まではそれなりの距離があり、向かうとすれば時間もかかる。

 手遅れになる前に向かわなければならない。

 リネアは未だに不安そうにしていたが、仕方がないと割り切り、


 「悪いけど、いくね!」


 リネアをその場に残し、ユランは走り去ろうとするが──


 ガシッ


 腕をグイッと引っ張られ、ユランは足がもつれて転びそうになる。

 引っ張ったのはリネアだ。

 

 ぎゅ


 リネアは、ユランのシャツの袖部分を強く握り、離さない。

 振り払おうにも、リネアは思いのほか力が強くてユランの力ではびくともしない。


 (そういえば、この時の私は非力だったな……でも、まさか女の子に負けるなんて……)


 ユランは内心、かなりショックを受けたが、こればかりは仕方のない事だ。

 

 (最近は、『隠剣術』頼りだったからな。自分の地力を錯覚していた)


 『隠剣術』を使えば振り払うのは簡単だが、リネアに怪我をさせてしまう可能性があった事から、躊躇う。

 ユランが、どうしたものかと思案していると、リネアが泣きそうな顔で言う。


 「お、置いていかないで……ユランくんがい行くなら、私も行く……連れていって」


 リネアの発言を受け、ユランは悩む。

 この後、リネアをここに残していったとして、この場所が絶対に安全と言う訳ではない。

 眷属がやられたのに気付き、敵の『魔貴族』が新手を送り込む可能性もゼロではないからだ。


 (なら、一緒に連れていくのも手か?)


 「僕はこれから、戦いに行くつもりだ。僕と一緒に来たら、また怖い思いをするかもしれないよ?」


 威の意味をこめて、リネアに確認する。

 

 リネアの瞳は涙を湛えながらも、真っ直ぐにユランを見据えており、意思は固い様だった。


 ユランは頭を掻き、


 (どのみち時間もないし、そばに置いて護るしかないか……)


 ユランは覚悟を決め、リネアを共に連れていく事にした。

   

 「わかった、一緒に行こう」


 ユランがそう言うと、リネアはホッとした様な安堵の表情にり、ユランの袖を離した。


 そして、ユランはリネアに向かって右手を差し出す。


 「さあ…」


 リネアは、ユランの差し出した手を、固く握る。

 何かを決意した様な顔だった。

 

 「早速で悪いけど──」


 リネアが自分の手を取ったのを確認すると、ユランはその手を引き、勢いのまま、リネアの身体をくるりと反転させる。


 「きゃ」


 リネアが驚き、可愛い悲鳴をあげた。

 バランスを崩したリネアが、後ろに転びそうになるところを、ユランは彼女の首と膝窩(膝の後ろ部分)に手を回し、抱き上げた。

 いわゆるお姫様抱っこというやつだ。


 「う……うぇぇぇ!」

 

 突然のことに驚き、顔を真っ赤にしてアタフタとするリネア。

 

 (け……けっこう重いな)


 と、ユランは失礼なことを考えていた。

 

 非力なユランにしてみれば、少女一人抱き抱えるのも一苦労であった。

 負荷に耐えられず、手足がガクガクと震え出しそうになるのを我慢し、


 「よし、行こう! 舌を噛まない様に気をつけて!」


 『隠剣術』を発動させ、カバーする。

 隠剣術で強化された腕力を持ってすれば、リネアの身体は羽の様に軽く感じる。

 

 ユランは、リネアが自分の首に両手を回し、しっかりと抱きついていることを確認した後、地面を蹴って走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る